懐に刀か?

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     毎度おなじみ、昨日も夕飯はてんぷら定食。私の知る限り神保町で一店

    のみ残る「いもや」。夕方開店5:30チョイ前に行ったらもう開いてるんだ。

    8席カウンターに客は4人だったかな。しばし考えて、天ぷら定食に、

    しいたけと稚アユを追加。すぐさまお茶が出されて、一緒に水が供された

    のに驚く。前回、薬を飲むんでお水を頼んだのを覚えているのかい。いやー

    相変わらずぬかりないことよのう。

     

     待つことしばし、味噌汁天つゆに続きご飯が到着し、中皿に天ぷらが来る。

    左席の女客、言われなくともご飯少なめで「言おうと思ってたんですけど」

    「ありがとう」と、女将に言うんだ。これもきっと覚えていてのことだろ。

    う〜む、やるなァと思いつつどんどん食す。しばらくして、右の男性が

    お勘定となり、おやじさんが金額を言う前に女将にこれは?みたいな。

    珍しいな、全席の注文は頭に入っているはずなのに。女将はすかさず大盛り

    です、850円と言うんだな。定食は650円だ。しかるに大盛りは200円増し

    か?。高いな??

     

     その客が帰って後、左左隣りの男性客が、大盛り200円増しのことを

    問えば、ご飯が残ってたから、それもけっこう残ってたのと。キレイに

    食べれば650円、一粒でも残せば850円というわけだ。そういえば「いも

    や」では大盛りでもおかわりでもキレイに食べれば無料なことを思い出した。

    その方針、生きてたんだ。なんかウレシイな。と思いつつドンドン食べる。

     

     きっと大盛り850円の客は高いな!と思ったに違いない。今流行の

    書き込みをするかもしれない。ひどい店と。でもそんなことは一向に

    かまわない。非は客にあり、食べ残すことが悪い、にいたく納得。商売

    は客におもねる必要はない、悪いことは教えてやらなくてはならない。

    それを口に出すわけでなく、無言の教え。もし、客が不満を言ったら、

    その場でピシャリ「だって、大盛り頼んどいて食べ残したでしょ!」。

    まさに懐に刀をしのばせていつつ、忙しく接客揚げに精を出すなんてね。

     

    そして卵だ。前回記事にした鶏卵店に今日も行った。卵が残り2個になった

    からね。いつものように一番デカイ卵1パックお買い上げ、460円。アタイ

    がなんで卵にこだわるかと言えば、毎昼目玉焼きを食べるから。シャウ

    エッセンのソーセージ3本と目玉焼きが100%毎日続くからな。でね、

    買った後、気になって定休日のことを聞いたら、年中無休って言うんだな。

    へぇ〜と思ってたら、オヤジさんは、卵は毎日生むからな、休めないとさ。

    アホなこと聞いたもんだ。ちょっと考えりゃ子供だってわかることなのにさ。

     

     完全にバカにされたなと思いつつさらに聞く。鶏は何羽ぐらいいるの?。

    最大で3000匹ぐらい。その中でどれくらいの鶏が卵生むの? 90%だな

    と即答。げ、げげ!! 毎日2700個ぐらいの卵が生まれるわけ! 1パック

    10個として270パックが毎日かい。大きさを計り、並べて、パックに

    詰める。それがしばしも休まず毎日続く。アタイにゃ到底出来ないっす。

     

     一見のんびりと卵並べてお客待ち、のどかな風景に見えるけど、裏じゃ

    毎日粛々と卵をなで回す。飽きないことに感心、まったくもってスゴイな。

    去りがけに、おたくの卵はスバラシイ、死ぬまで買いにきますよと言って

    しまったその後で、アタイが買おうと買うまいと鶏卵は売るし野菜も作り

    続けるに決まってるだろ、ことに気が付いて、またまたアホなこと言っち

    まったなぁ。アホのだめ押しだ! まったく。

     

    まだまだでんなーなアタイ・・・・・・・・・な、店主でした。

     


    コクに涙の幸せ

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       子供んとき、母の実家で食べたトウモロコシの美味しさを求めることは、

      叶わぬ夢とすでにあきらめのココロ。ずいぶん探したんだけどさ、結局

      とどのつまりはもぎ立てでなければあの美味しさは味わえないことを誰か

      に教えられ、納得した結果だ。近所でトウモロコシを作っている農家と

      知り合いになればいいんだけど、そこまでして食べたい気も起きないし、

      ま、いずれ機会があればってことでの放置プレイ。

       

       たしか色川武大のエッセイで、鶏卵のことが書いてあって。都内の

      どっか下町での行商風景、リンゴの木箱に籾殻の中に卵があって、その

      卵は割ってみれば黄身はこんもりな山形でトロリとしたコクはまことに

      美味、を読んで是非とも食してみたい欲望が膨れ上がってずいぶん経つ。

      そういや確かに卵と言えば籾殻の中に納まっていたっけ、そういやコクも

      あったっけ、おぼろげな記憶が蘇る。

       

       以来アタイの中ではトウモロコシと鶏卵は大なる問題としてあったの。

      諦めの境地のトウモロコシはいいとして卵はなんとかなるんじゃね?

      といってもスーパーに居並ぶ卵パックをあれこれ選んだり、八百屋で

      買ってみたりぐらいしかしないんだけど。先日も、新百合丘の肉屋

      (一枚500円のトンカツはとてもウマかった)でめっけた卵(一個百円

      ほどもした)を試してみたけど、イマイチだったなぁ。

       

       忸怩たる思いでいたけど、最近友人の貸家への引っ越しのため車を

      走らせていたところ、通りがかりに小さな家の軒先で鶏卵販売の看板

      を見つけ、数日前に再訪して大玉10個パックを買ってみた。450円

      ぐらいから10円刻みでサイズが大きくなる。とにかく一番デカイのを

      おくれ、と買ったのがコレ

       デカけりゃいいとは思わないけど、高い=美味だろとの素人考えに

      従ったんだわ。左だってけっこうな大玉だけど右はまさに巨大、

      なんたってパック容器におさまらないんだから。

       さっそく昼食、いつものウィンナ(シャウエッセンだ)を炒めつつ

      卵を割ったら、黄身はふたつ。なんか懐かしいなぁ。そういや昔は

      あったよな、こーいうの。ふたつの黄身が一個の卵に入ったのを

      最後に見たのはいつ頃だったかね。なんで見なくなったのかね?

      黄身ふたつってことは有精卵? 有精卵は美味しいの?? なんも

      わからないことだらけ。でも、とにかく美味しけりゃいいんです。

       

       皿に載せていざ。目玉焼きの食べ方はいろいろあるようだけど、

      アタイは黄身をすすって食べる派。で、いつものように啜ってみた。

      ウ、ウマイ! ウマイぜ!! 味は濃厚、コクたっぷり。あぁ、

      久しぶりに味わうなこの味。いつのまにか忘れ去られた卵の味。

      色川武大が舌鼓を打ったのもコレなんだろう、きっと。母を訊ねて

      三千里、ようやくめぐりあった卵にご飯の美味しさも倍増。もう

      これからはこの店以外の卵は買うまいぞ。

       川崎市高津区子母227 森正養鶏場 ☎044-766-7410。友人の

      話ではすぐそばで養鶏場があり、畑もあるとのこと。産地直送の上を

      ゆく産地その場販売。ひょっとしてトウモロコシも作ってるのかも

      しれない。そうなら忘れがたい夢のトウモロコシも味わえるかも。

      う〜む、期待しちゃうな。

       

       とにかく一番デカイのと言って、パックに詰めようとしても入り

      きらないから、二本の輪ゴムで固定して、さらに梱包不安定だからと

      手近にあった箱に入れてくださる。ついでにと小さな玉ねぎ2個の

      サービス。これもウマかったっす。美味しい卵でさえ充分すぎるけど

      更なるおまけに、近時めったにない店に違いないとは思ったけど、

      卵を食べてみて私の考えが間違っていなかったことに一人ほくそ笑む。

       

      今日も今日とて目玉焼きだ・・・・・・・な、店主でした。

       


      巡りの末に

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         相変わらず毎週月曜日は、授業のために水道橋へ行く。午後1時20分から

        4時半まで。昼食はいつも校舎の隣りのレストランで和風豚肉定食を食べて、

        夕食は天ぷら定食。天ぷら屋さんが開くまで近所の喫茶店で過ごすのよ。

        先日、雨の中「きっさこ」というこの茶店に行ったところ、客は皆無で不安

        なアタイ。潰れちゃうんじゃない?と余計なお世話ココロ。なんたって煙草

        自由だからさ。なくなっちゃ困るんだ。

         

         でね、コーシー飲みつつ一服しつつ週刊文春読んでたら、スタッフ嬢が

        CDを替えて聴こえてきた女性ボーカルに捕捉されてしまったんだ。

        ん? ムム! い〜じゃんか、誰だこれ? 初めて聴く声だ??

         SYLVIA SYMSなんて知らんど。

         

         それにしてもこのCD凄くいい。帰ってからすぐにアマゾンで入手して

        聴いてみたら、やっぱりイイんだ。いや〜こんなステキなボーカルがいた

        なんて知らなんだわ。ほいでもって調子に乗って

         さらに2枚お買い求め。「SONGS OF LOVE」にはちょっと足りないけど

        イイことはいい。5連奏CDで聴いているこのところ。

         

         でね、しばらくしてまた茶店に行ったらオーナーがいて、聞いてみたの。

        この前、雨の日に流れていた女性ボーカルに似たような方はいないの?と。

        SYLVIAという名前忘れてるのよ。これですか?とCD見せられ、それそれ

        なアタイ。それならジェリ・サザーン?という人がいるけど、と探してくれる

        もCDが見当たらず、いやいま聴けなくてもいいの、買うから、とメモして

        すぐに買ったわけ

         聴いて、ちょっとちがうなァ〜。素人のくせして注文だけは多い。我侭な

        リスナーですまんこってす。

         

         でね、そんならSYLVIAがちっちゃな時からクラブに遊びに行って聴いてて

        影響多大と書いてあったビリー・ホリディを買うっきゃないかと思い至り、

        廉価版一枚だけは持っていたもののここらでちゃんと買わなくちゃならん

        だろうと・・・・・・・・

         数多ある中で、コレを選んだワケ。届いてみれば、友人のM井さんの棚に

        置いてあるのと一緒じゃん。なんだ、巡りめぐって行き着いた末が、彼と

        同じものかい! いや、べつにだからといって不満なんかないんだけどさ。

         

         今さら、アタイが書くまでもない天下のビリー・ホリディだ。これまで

        何度も耳にしたし出自や曲のあれこれもそこそこ知ってる。むろん嫌いでは

        ない。でも大好きってほどでもない。アタイにとっちゃまるでプレスリー

        みたいな浮いた存在だった。この3枚組のCDを聴いてみても新しい印象は

        格別ないんだけど、岩に沁み入るセミの声っちゅうか、一曲一曲がココロに

        しみ込む感じは新鮮だ。

         

         なんたって古いから、歌っている曲はほとんどすべて聴き馴染みのある

        スタンダードナンバーばかりでウットリ満艦飾。当時は新曲だったんだろう

        けど、今じゃスタンダードナンバーってことになっとる曲の数々。その源流

        ここだったんじゃんな感慨に耽ったりして。その考え間違っとるなんて

        言われちゃうかもしんないけど、な〜に、趣味趣味の世界だ、自分で納得

        すればいいのダ。誰に迷惑かけるわでなし、学者であるわけでなし。

         

         録音は古いけど、そんなこたぁどうってことない、ストリングスもない

        ミニコンボばかりの演奏もなんのその。ニルソンの「夜のシュミルソン」

        以来、スタンダード・ナンバーを上手くて雰囲気良く聴かせてくれる歌手を

        探し求めてきたけど、やっぱりというか当たり前というか、結局はビリー・

        ホリディにとどめを刺されたのは、いやはや南友キンチョールざんす。

         

        いまんとこ至極満足・・・・・・・・・・な、店主でした。

         

         


        椅子なんかデザインしちゃって

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           めっきりブログ書く事も少なくなり、ひっそりと暮らしてると思いきや、

          ちゃっかり椅子なんぞをデザインしちゃっていたんです。

           

           以前にも書いたけど、20代のころに家具の夜間学校に通ってたときに、太さ

          2㎝の角材で椅子を作る課題があってね。若かりし童貞のアタイがけっこうマジ

          で作った椅子、自分でもなかなかのもんだろと思い、捨てるには惜しいアイデア

          と考え、放置し続けて45年の末、ひょんなことで陽の目を見ることになってね。

           

           当時作ったのはコレ。学校での作品じゃなく新たに軽量化のために杉で

          作ったもの。座面は硬く真っ平ら、背もたれは真っすぐな角材、座り

          にくいことこの上もない。

           このアイデアの眼目は、分解できること。なぜかこのアイデアに惚れ込んで

          しまったんだわさ。椅子にとって分解出来ることの是非はあるだろうけど、

          初恋の人を忘れられないのと同様、この椅子も分解組み立てが出来なければ

          ならないのダス。でも、放置プレイ。一向に進まない。

           

           ことの発端は、一枚の布

           先生仲間の矢口加奈子嬢が布を作ってくれてね、こりゃ絶好のチャンス

          とばかりに、昔の椅子をちゃんと作ってみんべえと相成ったわけザンス。

          さらに、家具職人の寺本さんと知り合い、キッチリ作ってくれる人を得た

          こともデカイ。作るのは好きなれど下手なアタイだからね。

           試作を重ねること数脚、

           出来上がったんだわさ、試作が。すげ〜イイなんて自覚はないけど、

          悪くはないのと違う? 目指してる「ウェルメイド」な椅子の予感は

          たっぷりだ。ほてからにこの試作を持って寺本サンの工房に。こんなんです

          けど、作ってもらえるかな?

           でもって完成したのがコレ。ビシッと鉋がけした木肌にうっとり。アタイ

          にゃ到底ムリ、技術の差は歴然。寺本サンは当たり前なことだろうけどさ。

          それにしても映りが悪いなぁ。なんか色が死んでる気がする。

           フラッシュ使えばよかったのかしら。時すでに遅かりし由良の助。

           

           この椅子、数種の木材で作られているのだ。これがけっこう面倒でね。

          構造はいたって簡単なれど、太さは同じ、長さは数種類、異なる部材を

          組み合わせるのはアタマが混乱すること、けっこうな代物だ。穴の位置を

          間違わないように、でも部材の特徴は些少、それがね、面倒なワケ。

          それは布も同じコトでね。端布をミシンで張り合わせるのもけっこうな

          作業量と違いまっか?

           

           いずれ当店でお披露目するけど、この椅子は昨日から新宿・伊勢丹本館

          5階のウエストパークで開催されている矢口さんの「Across the Universe」

          で22日まで展示販売されています。ご用とお急ぎでない方、たまにゃ新宿

          まで行ってみんべえかな方、はたまたどれほどのもんか見て進ぜような

          奇特な方、如何でしょうか?

           

          45年の決着がついてよかったわ・・・・・・・・・・・な、店主でした。

           


          無残発言に溜飲を下げる

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             キスしただけで、あんなに謝らなくちゃならないのかね。

             

             私のカミサン、若い時に学んだ美学校で、授業が終わっていつも通りの飲み会、

            そこで先生からキスされ、その後、たまたま用事があって欠席したところ、キス

            が原因かと先生が心配、そんなことを思い出してね。カミサンはほとんど忘れて

            いたのにさ。不快に敏感になることが文明化された人間の八つの大罪の一つと

            K・ローレンツは書いてるけど、まったくその通りだな。

             

            「異性にモテず、二枚目意識も持てない人はセクハラに走るしかない。気の毒と

            しか言いようがない」筒井康隆氏はブログで書いてる。そうだよな〜、と改めて

            思うアタイだ。付き合いたいと思う相手には、どっちかが先に仕掛けなけりゃ

            始まらない。仕掛けとしての言葉が過激か穏便か、むき出しか包装されているか

            の違いは、そりゃあるけど。仕掛けることそのものは悪くはない。立場の違いを

            利用したのが悪いとか言っても、そんじゃ、強い立場の人はナンパしちゃならぬ

            ってこと?

             

             財務次官のこの一件、アタイが思うコトは、セクハラの是非ではなく、脇が

            甘すぎることだ。記者にそんなこと言ったらヤバい感覚がないことに驚いた。

            いくら有名大学出て官僚道一筋を歩んできたといっても、いくら異性と付き合う

            チャンスがなくっても、ど素人じゃあるまいに、って感じ。仕掛けるにしても

            脈がありそうかなさそうかを判断しなくちゃならないなんてこと当たり前じゃん。

            今の世の中、ことごとくプロはいなくなって素人ばかりの世の中になる、と喝破

            した小沢昭一氏の予言がズバリ的中だもんなぁ。

             

             閑話休題、タイトルの無残だ。「役者」三國連太郎のビデオをようやく観た。

            役者人生五十年記念と題したVHS、けっこう高額だったけど値が下がって入手。

            緒形拳との対談が一番の見どころ。なにかで「どうして釣りバカ」に出演し続け

            てるの?を読んで、アタイもそう思ってたからさ、それを観たいと。巻頭の後、

            対談が始まる。緒形拳の笑顔がスバラシイ。役者として同じ心智の大先輩と対談

            できるよろこびに溢れている。後輩としてなんでも聞いてイイ、気概満載だ。

             

             「釣りバカ」になんで出演しつづけるのか、肝心なとこの前に黒澤明について

            厳しい意見が飛び出して、躍り上がって喜ぶアタイ。よう言うた、緒形拳よ。

            確かに43年「姿三四郎」からのおよそ20年間は素晴らしい作品目白押しだけど、

            「赤ひげ」以降はサッパリ良さがわからなかったアタイ、きっとアタイがアホ

            だからと思っていたけど、そうじゃない、作品は確実に劣化していたと言われ

            ちゃ喜ばないわけにはゆきませんや。溜飲を下げるとはまさにこのことだ。

             

             70「どですかでん」、80「影武者」、85「乱」、90「夢」、91「八月の

            狂詩曲」、93「まあだだよ」、これらすべて観ているけど、どこがいいのか

            サッパリでね。緒形拳曰く「映画を力で構築した黒澤監督、老いて力が失われ

            た様が無残ですね」とズバリ。そう思いませんか?と三國連太郎にツッコミを

            入れるんだ。それに答えて「そうですね」とボソリの三國連太郎。両者の反応

            を観ているだけでゾクゾクしてくるってもんだ。面白いなァ、面白すぎるゾ。

            まったく。あぁ、この瞬間がいつまでも続いてほしい。そんなこと思ったのは

            久しぶりだぞい。

             

             で、あの三國連太郎がなんで「釣りバカ」に出演し続けるのか? そのワケ

            やいかに?? 

             

            ま、それは観てのお楽しみヘッヘヘ・・・・・・・・・な、店主でした。

             


            noonは、どうか?

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               厭世的な気分に陥ることがたまにある。どうせ死ぬんだから、やってみよう!

              ならいいんだけど、どうせ死ぬんだから、なにやったって同じだ!となると

              どうにも困る。締め切りが迫ってる仕事は、どうにか進められるけど、不急の

              ことには気が向かず、放心の日々を送ることになるワケ。ほっときゃそのうち

              消え去るオーロラみたいなもんだけど、それまで気を逸らない術をあれこれ

              試しつつなんだわさ。

               

               そんな気分でも、音楽だけは聴き続けているアタイ、ふと思い立ってnoonの

              CD3枚も買ってしまった。というのも、ちょっと前に仕事しながら聴こうと

              棚からCDを、たまにゃプレスリーはどうだろ? 聴いたら、不思議に聴き心地

              がいいんだ。これまで数知れないほど聴いてはいたけど、なんだか落ち着かない

              っていうか、良さがわからないでいたの。あんだけの歌手なのに、なんでアタイ

              が楽しめないんだろう? それが、憑き物が落ちたようにスンナリはどうして?

              これまでほとんど、音楽は初聴で可不可が即決できた。でも、だんだん良くなる

              とか、あるときふっと良さが分かり始めるのってあるんだ、そんなこと当たり前

              じゃん、そう言われちゃうだろうけど、アタイにゃ新鮮な体験だったんだ。

               

               でね、厭世の最中、ぶら〜っとネット検索しててnoonのこと思い出して、

              Amazon覗いたら安かったんで、3枚という次第。この歌手との出会いは、

              ずいぶん前。ツマミを求めて来店されたお客さんのダンナが、音楽業界勤務で

              お世話になったからといただいたのがnoonだったの。我が社でこれから

              売り出したいみたいな。smilin'というアルバム。そんときゃ悪くはない(偉そう

              な言い方だ)と思ったけど、それっきり棚に並んであまり聴くこともなく幾星霜。

               

               ロックはクィーンにとどめを刺されて打ち止め、ラテンはグロリア、タンゴ

              はキンテート・レアル、演歌は石川さゆり、シャンソンはピアフ、クラシックは

              モーツァルト、ポップスはこれといって決定打はないものの、ことごとく行き

              止まり、新しい歌手なり楽曲を求めたい気持ちは日々失せているんだ。老いる

              ということはそういうことなのか? それって懐古趣味? まぁ、そうなんだろ、

              確かに当たってる、返す言葉もない、しょにょ通りザンス。

               

               でもな〜、手持ちのCD、レコードを取っ替え引っ替え聴くのも飽きるって

              もんだ。ざっと1000枚ぐらいあったって、毎日なにかしら聴けば、またこの

              曲? なんかいつも同じ曲じゃん、もちっと目新しいものはないのかい。

              古木に新芽みたいな音楽となると、スタンダードナンバーのカバーしかない。

              カバーで求められるのは、歌い手の理解(声質に合う曲の選定、曲に合わせた

              歌唱)とかスタッフの実力に尽きる。それと編曲。これらが、うまく融合した

              結果が良く出来たカバーアルバムとなるんでしょうね。

               

               石川さゆりの「二十世紀の名曲たち」は、その好例の一つだ。あるいは

              ニルソン「夜のシュミルソン」は、アタイにとっちゃ最高峰でね。これに

              比肩できるような優れたカバーアルバムを探し続けているワケ。そこで

              noonだ。4枚のCDを5連奏デッキで聴き続けている。けだるい歌唱、

              アタイだけに歌いかけているような雰囲気は上々、悪くない(なんて、

              偉そうなんだ!)。でもニルソンのような締め付けられるようなグッと

              来る一瞬はなくって、それが物足りないといえば物足りない。

               

               でもな、聴くだけのコチトラ偉そうなことばっか言ってても始まらない。

              揚げ足とるより、曲に浸って、良さを理解しないと、もう歌ってあげない

              から!  つむじ曲げられちゃうからな。いまんとこ、あなたしかいません、

              歌い続けてくんなまし、と、ここはひとまずお頼み申すしかないと

              きたもんだ。

               

              noonといえば、ハイヌーンを思い出し・・・・・・な、店主でした。

               


              女優Pは誰だ

              1

               当店のホームページが改装中なことは訪れた方なら先刻ご承知。友人M井

              さんが名乗りをあげてくれて、あれよあれよでとりあえずカタチになった

              ものをアップし、時間をかけて仕上げてゆこう、という次第。始めてから7年、

              そろそろ模様替えもよろしかろう、そんな折りのウレシイ提案に、感謝しきり

              平身低頭なアタイだ。

               

               それとはまったく無縁、アタマをよぎった今村昌平、本を入手したんだわさ。

              岩波書店・同時代ライブラリー「遥かなる日本人 」。読了し、てんこ盛りな

              オモロさを堪能したんだけどさ、最初手にして目次、目を通し凄い母親役の

              老女優を求めてをめっけてまずは突入の始まり。

               

               文頭「映画はシナリオ六分、キャスティング三分、演出一分で、出来の良い

              悪いが決まるように思える。キャスティングも演出のうちと考えれば、シナリオ

              六分、演出4分ということになる。よく『配役は監督が全部決めるんですか』

              と聞かれるが、もちろんその通りで、小さくても、キャラクターを要求される

              役については、熟慮の末、決定するのである」とある。この一文、名作

              「復讐するは我にあり」の母親役探しの顛末だ。ずいぶん長くなるが、一部

              全文を書きたいの。

               

               原作の下敷きに事実があり、事実を調べてゆくと、この母親A子は、浜北在の

              貧農の九人兄弟の六番目で、生家よりももっとひどい貧農に嫁ぎ、女、男、男、

              女と、一年おきに四人の子を産んでいる。昭和三(1928)年、末娘のお産の

              直後に亭主に死なれ、上三人は寺や親戚に預け、乳飲み子を抱えて死ぬほど

              苦労した。この長女が今度の映画の女主人公になるわけだが、小学校を出て

              間もなく附近で最大の工場に入社し、三千人の女工の一人としてクソ真面目に

              働き、太平洋戦争が始まる頃には、エリート中のエリートである検査工にまで

              出世している。その頃、妹も同じ工場に入り、これも頑張る。長男は、寺男

              だったが、出征し、二男は難聴者で、母とともに浜松市に住んでいたらしい。

              戦争中A子が何をしていたかは、よく判らないのだが、赤い着物に黒い羽織

              という風態で、娘たちをたずねて来た。当時四十三、四歳。金をせびりに

              来ていたらしい。若い女だってモンペかダブダブのズボンでお国のために

              働いていた時期に、四十女がケタタマシイなりをしてウロツケば、甚だしく

              目立つわけで、口さがない女工さんたちは「色気違い」と陰口を叩いていた

              という。浜松が戦災で焼けた直後、A子は二男を連れて浜松近郊の小さな町に

              現れている。

               

               街道に面した間口一間半ばかりの店造りの家に、大酒飲みで強慾で、

              おまけに淫乱な八十婆が一人住んで居り、どういう因縁か、その奥の四畳半

              に、母子は疎開したわけである。ヤミ屋の元締めもやっている強慾婆と、

              色気違いの四十女とではうまくゆくわけがなく、しょっちゅう猛烈なケンカ

              をする。戦争は間もなく終わり、終わったんだから出ていけと追われ、ヤミ

              米かヤミイモが欲しいといえば、法外な値で売りつけられる。おまけに

              七十代の職人が三人も入れ替わり立ち替わり婆のところへ遊びに来る。来れば

              ヤミ酒喰らって乱痴気騒ぎ、倅は難聴だからまだ救われるが、障子一枚で

              此方は腹を減らしてただじっと辛抱していなくてはならない。A子はついに

              我慢がならず、甘言を以て林の中へ婆をさそい出し、かくし持ったナタで

              殴り殺して、小川に屍体を投げ込む。その夜、台風は雨をともない、小川は

              氾濫して急流となり、屍体はどんどん流れて五キロも下流の杭にひっかかる。

               

               この粗雑な犯罪は、すぐにバレて犯行後五日目にA子は捕らえられる。

              娘は居たたまれず、逃げるがごとく工場を去り、急坂を転げ落ちるように

              身を落としてゆく。A子は十五年の刑をうけ、女子刑務所で十四年半過して、

              小さな貸席の女主人公になっている娘のところへ帰ってくる。もはや六十路

              を越して、頭髪は真っ白く、相貌変わり果てた怖ろしい老婆としてである。

              さて、この役を誰に振るのか?

               

               この映画大好きで何回も観てるコトチラ、ゾクゾク気分、こんなこたぁ

              めったにないことでね。ヨダレを流しながらの没頭読書が続く。

               

               このような体験を持った女優が居るはずもなく、第一、女優というものは、

              どんなに老いようと、何処かに美しさや愛らしさを未練たらしく残して

              置きたいと願う女なのであり、こんな救いようもない怖ろしさを表現しようと、

              バカ乗りすることはあり得ない。

               

               思わず膝を打ち、その通り納得なアタイ。この映画、母親A子の娘役は

              小川眞由美。実生活での小川眞由美と母親とのエピソードも猛烈に面白い。

              けど割愛。で、A子を誰にするかってことだ。映画では清川虹子が演じたけど、

              実はその前にPなる女優にオファーしてたんだ。老女優Pを訪ねて

              博多から長崎行きの車中、斜め前の席に、白いダブダブの服に、白い

              ネッカチーフをかぶった小太りのおばさんが座っていて、それがどうもPさん

              らしく、立ち上がって近づいて「しばらくでした」「ああ、せんせいでっか、

              こら驚いた、よう判りはりましたな」「どうですか、脚本読んでいただけ

              ましたか」「ああ、あの脚本(ほん)、おもろいわ、けど私にはちょっと

              難しいな。あの婆さん恐いわ、マサカリでやりまっしゃろ、古井戸のとこで

              バーッと」「はい」「あれいかんわ、あんなこと出来しまへん」「しかし、

              あれは芝居やさかい・・・・・」。私も下手な関西弁となる。「芝居かて先生、

              脚本に書いたるでしょう、鬼気迫る形相って。あれ出来んわ。大体私は凄味が

              ききまへんね。といって私のキャラクターに合わして脚本直してもろたら、

              全体がダメになりますよってな」

               

               ということで結局は鳥栖辺りで断られた。そして「先生、コーヒーでも上がり

              まへんか」。コーヒーを飲むPさんの顔を見た。凄味のある恐い顔であった。

               

               はて、Pなる老女優は誰なのだろう? 車中でのやりとりから大阪の方だろ、

              老ということからおおよその年齢とか、小太りで、ダブダブな服、ともに白い

              ネッカチーフをかぶっているような女優だ。大方の女優は美しいが基本だから

              除外、スポーツ系もありうるけど役者経験が必要だからこれもない。ならば

              清川虹子と同じ喜劇系か。Pなんて名前なんてないからこれは単なる記号に

              すぎない。浅〜い知識しかないアタイには、ミヤコ蝶々しか思い浮かばない。

              凄味がないことも当たってる。でもちょっとした一瞬に凄味がある恐い顔が

              出現するのも彼女らしい。A子役は断られたけど、それでもと同映画で

              古い旅館の女主人?で出演してもらいたい、とネバッたんだろうという推測も

              成り立つ。断られてそのまま引き下がる今村昌平じゃないもんな。

               

              こんなこと知ったらまた観なくちゃならん・・・・な、店主でした。

               


              敵は神田に在り

              1

               いや、敵っていうのもおかしいんだけどね。まぁ、ライバルってとこかな。

               

               友人からメモパッドの提案があってね、木と布で作りたいと。見せられた

              スケッチ、卓上型だ。今や、なんでもかんでも携帯で間に合うご時世、あらゆる

              ものが携帯に収斂されて、まさに進撃の巨人。時計、スケジュール帳、住所録

              すべて消滅し、残ったのは名刺ぐらいなもの。そんな時代の流れに逆らってメモ

              帳を作ろうというのは時代錯誤も甚だしい! けど、即、それ、面白いじゃんと、

              乗ったワケ。

               

               かたちはともあれ、なんたって肝心なのはメモに使う紙だろ、ってことで

              神田にある竹尾洋紙に駆けつけたんだ。色紙でもいいけど、数が膨大、ここは

              ひとまず白に絞ろう、白い紙にもいろいろあるだろ、どうせ作るんなら全部違う

              紙にしたい。さあて、どこから攻めようか、とにかく見本帳で探りを入れよう。

              数冊手に取りステーショナリーなる一冊に目星をつけて、在庫しているA4の白紙

              全部くで〜と厚かましい注文し、しばし待つ事になったのよ。

               

               ボンヤリ待つのも能がない、展示をやってる二階へ行っったんだ。イギリスの

              color planの展示、新しく取り扱うことになったイベントらしく、数枚のパンフ

              が目に止まる。いいじゃないか! しかもかなりだ! 中でもチン恋見本帳に

              釘付け。

               アタイの大好きな穴開き

               見えにくいだろうけど、中身の紙が見える。表裏一体とはこのことだ。

              少しでも中の紙々を見せたい、それを表紙のポイントにしたい、ってこと

              だろう。わかりますよ、その気持ち。

               表紙が折り込まれて、3つに分割されている

               左側は紙の厚さの見本

               ちょっと厚い右側は型押し紙の見本。そして両者に挟まれた真ん中部分は

              色の見本ってことだ。なんてこったい、よう出来とるやないか。これが

              ウェルメイドなデザイン、文句の付けようもなし。コレ売ってるの?と

              聞けば名刺をいただければ差し上げてる、ときたもんだ。すげーな。流石

              だな。やるなぁ。

               ホクホク顔で頂戴して、一階へ。紙は揃っている。全部で30枚ご覧の通り。

               白い紙が30種類だからどれがどれだかわかにゃい。レジ用紙の順番に重ねて

              あります、すかしの向きも揃えてあるんだ。やるなぁ〜。

               印字してあったコンケラーって何? と何の気なしに聞いたら、担当のスタッフ

              若輩者でよくわからない様子でね、ま、どうでもいいんだけどね、といった

              感じでいたら、すかさずベテランスタッフが書き付けを持って来るんだもん。

              やるなァ〜、さすが竹尾洋紙!!

               いつもながらもったいないような紙袋に紙を入れてくれて

               渡されて目についたのがコレ。フツウならセロテープ、ちょっと丁寧なら

              印刷したテープ、でもココはコレ。ちょっと待てよ、これって一枚づつ

              切れてるの? 一枚づつ作ってるの? 聞いたらさ。えぇ、私たちが

              カッターナイフで切れ目を入れて、使うその都度一枚づつ指で剥がして

              ペタリするんですよ、と。

               

               ひょえ〜、たかがシールを手作りですか! 以前からやってたっけ?と

              ここまでは聞いたけど、誰の発案なの?までは、聞けませんや。そんな

              とこまで聞いたら、是非責任者の方と一献傾けたい、御社の心智はいかなる

              ものなるや、まで一直線だもんな。そんなことに付き合ってたら商売に

              差し障る、単なる好奇心はテキトウにあしらうに限る。そういうもんだ。

               

              竹尾に負けないメモパッド作らにゃイカン・・・・・・な、店主でした。

               


              箴言 26-11

              0

                 NHK-BS土曜日放映の「刑事モース」は、数少ない心待ちにしている番組だ。

                 

                 ちょっと前には刑事フォイルがあったけど、もう終わっちゃうの? と、

                終了してしまった。第二次世界大戦中のイギリス、戦場では死人なんか日常

                茶飯事な異常事態ではあるが、銃後を守る一般市民の生活の中でも事件は

                起きる。殺人事件を解決すべくフォイルは知恵を絞る。皮肉たっぷりな

                対比はいかにもイギリスらしいと感心しながら観ていたんだ。終了して、

                残念な気持ちなアタイ、あるとき刑事モースが始まる事を知って、フォイルの

                後継番組なら悪かろうはずはないだろ、早速録画、そして観たワケ。

                 

                 皆様ご存知ホームズ生みの親コナン・ドイルのイギリスだ。ファーブル

                昆虫記の流れを汲むフランスは動物ドキュメンタリー映画で名作を生み出し、

                ボリショイバレエの流れを汲むロシアはシンクロで他を寄せ付けない美しさを

                誇り、衰えつつあるとはいえアメリカはミュージカル映画の伝統を脈々と受け

                継いでいる。まさに本家の名に恥じることはない。

                 

                 で、刑事モースだ。時代は1960年代、フォイルからおよそ20年後の時代

                設定だ。巻頭いくつかのカットが目まぐるしく切り替わる。いずれも事件に

                関係したシーンなんだけど、早さと多さでアタイのアタマが追いつかないんだ。

                なんてこったい、これしきのことで、と思うけど、どの顔も同じに見えるし

                名前も覚えてられません。ま、物語が進むにつれだんだんわかってくるの

                ですがね。ふと、思い出されるのは「私だけが知っている」。こんな古い

                番組はもう誰も知らないんだろうな。1957年から63年の間、NHKだ。

                前半ドラマ、後半真相解説の二部構成で「結論を急ごう」の決めゼリフの後、

                一気に事件の真相が明らかになるもんだったけど、イイ番組だったなァ。

                 

                 話が逸れました。モースが関わる複雑な事件を理解するには日本語訳が

                よろしい。んでもって、すべてわかった上で字幕で観る。すでに事件の詳細

                犯人はわかっている。残るは手掛かりとなるセリフや証拠や人々の行動など

                の細かい部分を観直して理解を深めるとともに余韻に浸るわけ。まったく

                グリコみたいで、二度味わえるステキな体験。焦らずじっくりと探偵ものを

                楽しめる。時には一時停止しちゃったりして、大道具小道具をなめるように

                堪能できるんだから応えられませんやね。

                 

                 そんなとき出て来たのが「箴言26-11」というセリフ。しんげんってのは

                箴言のことなんだろ。うろ覚えだけど。早速、調べたら、箴言26章の11節、

                「犬が自分の吐いた物に帰ってくるように、愚かな者は自分の愚かさを

                くり返す」ってことを知った。ふーん、そういうことなのね。腑に落ちて

                すっきり。この回の物語は殺人事件が表、役人の賄賂が裏という二通りの

                筋立てで、殺人と賄賂が同一人物として捜査は進むけど、違う人物の仕業で

                一筋縄ではゆかないんだわさ。

                 

                 また登場する人物(特に女優)が魅力的でうっとり。ヒッチコック復活

                を印象づけた「フレンジー」で殺されるバーバラ・リー・ハント嬢にひけを

                とらない決して派手じゃないけどきっとベッドの上じゃエロ味を発揮する

                だろう、な女性陣にも賛意を表さねばならないだろう。そんな魅力的な

                方々がここぞという時にタバコを吸う仕草も素晴らしい。マルサの女の

                宮本信子に見せてやりたいもんだ。タバコっていうのはこういうふうに

                たしなむもんだ! とね。

                 

                 また音楽や自動車やさまざまな小道具類も溜飲を下げること度々。

                すべてにおいて深い知識と含蓄が伺えてまことにけっこう。けっこう

                だらけで、一時停止せざるを得ない。まったくもって垂直の大騒ぎなんだ。

                ベントレー、ジャガー、ときにロールスの旧車(当時は新車)、ライター

                やシガレットケース、汽車の窓、洋服は言うに及ばず、それらが画面に

                登場するたんびに一時停止、ためつすがめつ堪能したのちにおもむろに

                物語に入り込む。近時、これだけ楽しめる番組はコレしかないと言って

                おこう。なんちゃって。

                 

                早くこいこい土曜日・・・・・・・・・・・な、店主でした。

                 


                私は泣いています

                0

                   りりぃの歌があったっけ。

                   

                   わりと最近、新宿の友人宅へシトロエンで行ったんだ。一緒に晩ご飯を食べ、

                  帰り道、3回もエンスト、明治通りの原宿が最初でさ。一時的なものか持病

                  なのか、さぁどっち? 恐いんで、しばらく放置し、ほとぼりがさめたころに

                  乗り出して、調子イイと思ったのも束の間、エンスト再発、ついに家の近くで

                  どうにも動かなくなってもうた。

                   

                   あぁ、これでオシマイ?がアタマをよぎる。レッカーで懇意の工場まで運んだ

                  ワケ。☎で連絡してるとはいえ夜7時半ころだから工場は閉まってる。着いて☎。

                  兄ちゃん一人が出て来て、後ろにお母様とも一人の女性、シトロエンは動かない

                  から手押し、そいじゃ私たちがと女性二人は腕まくり。いささかオドロイタね。

                  「大丈夫ですよ、慣れてますから」と言いつつ女性二人とアタイとレッカーの

                  運転手、車は軽々と動いて指定の位置に。

                   

                   第二京浜沿いの白興自動車。事務を担当している奥様が車を手押しするんだ。

                  プロ根性にちょっと感動したな。以前から柔らかな物腰、会話の端々に見え隠れ

                  する人柄にナミじゃないと思ってたけど、やっぱりな。で、結局シトロエンは

                  修理の目処が立たずに廃車へ一直線。友人から譲られて5年、終わりの時を

                  迎えての「私は泣いています」。

                   

                   なんか妙に寂しいんだ。なんなんだろうね、この気持ちは。たかが車だとは

                  思えない。アンプにそんな気持ち抱いたことはないもんな。シートやハンドルに

                  触れていたからか、あるいは一緒に動き回ったってことなのか。多分、肌で

                  触れたという実感なんだろ。肌と肌が触れ合い、エンジン音や振動をカラダで

                  受け止め、車内の匂いも。五感で感じる、まるでSEXみたいなもんだもんな。

                  愛惜が湧いてもしかたなかろうて。

                   

                   譲り受けた友人T野井さんに廃車の報告して、白興自動車に。廃車の依頼を

                  するために赴く。いろいろお世話になりました。☎一本で片付けるわけには

                  ゆきません。奥様がお出ましになり、廃車の手続きの話になり、譲渡した際に

                  たしか女性が関わっていましたよね、と言うんだ。アタイはてっきりこの車を

                  欲しがっていた女性だと思ったんだけど、実は駐車場の名義を借りたS野さん

                  のことだったワケ。そんなことまでよう覚えとるな、と再度感心。奥様は

                  腕力もあるけど記憶もかなり、こりゃこの会社の屋台骨を支えているのは

                  彼女なんだろうと思ったんだわさ。

                   

                   このままサイナラするのはなんとも残念だ。ちょっと考えて、せめて助手席

                  のシートだけでも身近に置きたい、ってことで廃車にするときシート外して

                  頂戴ナ、そして木でステキな脚を作ってあげて、地下で愛用しようじゃないか、

                  なで回そうじゃないかと、思った次第でありまする。

                   

                  悲しみよさようなら、シートこんにちわ・・・・・・・な、店主でした。

                   



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