珠玉は足元にあり

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     数日前、旋盤で削る角材を加工してたら、したたかに右手の手のひらを

    打ちつけてしまい、イタイのなんの。気が緩んでたんだな。油断大敵の格言を

    まざまざと見せつけられたわい。皮はやぶれてテープを張りの応急処置、今日

    になって腫れもひいてきて力も入れられるようになってきて、まんずハァ

    良かったわい。

     

     そんなコトが起きるなんて夢にも思わないさらに数日前、ふと思い立って

    知人からいただいたモーツァルト「魔笛」を聴いたんだわ。譲ってもらって

    からずいぶん時間が経った、函入り3枚組LP。聴いてみてアレっ?なんですわ。

    違うな? いつも聴いているCDとは。なんつったらいいのかな。とても自然、

    まるで普段の会話みたい、仰々しく声を張り上げるなんてこともなく、なんか

    町内の演芸会みたいでとても親しみやすい。

     

     はて? これは一体?? 

     

     あれか? と思い立ってググってみる。昔、五味康祐さんが言うところの

    堕落する前のカラヤンの名盤か? どうもそうらしい。録音は1950年だ。

    有名になって目を瞑って妙な仕草で撮影されるズ〜っと前、フィガロの結婚

    を録音し次いでこの「魔笛」、その後しばらく干される直前、最後の録音。

    2、3のブログを読み、LPの写真を観て「やっぱそうだ!」

     

     小3の時に初めてステレオを聴いて以来、数多の曲を楽しんできたけど

    演奏の違いを実感でき得たのはこれが2回目だ。クリストファー・

    ホグウッド率いるエンシェント室内管弦楽団が最初で、2番目がこれ 。

    それも、誰かに言われて聴いてのことじゃなくて、自分で聴いて感じたの

    ですからね。自分で聴いて良さを感じ、調べた結果名盤だったのがわかる。

    この順序が重要で、逆じゃぁどうってことない。先入観の有る無しは

    どんな世界でも大きな問題だもんな。

     それもあの五味さんが手持ちのLPの中で最上と御宣託されたもんだ。

    そりゃ地下で一人天狗になってもよかろうやないですか。ねぇ。

     

     方々のブログから抜粋させていただきましょう。

    「カラヤンの1950年モノ盤のウィーン・スターツ・オペラのキャストは、

    これまでの録音で比肩するものがない。Irmgard SeefriedとAnton

    Dermotaはどちらも輝くばかりの美しさと、偉大な性格描写をもって

    歌っている。Wilma Lippの夜の女王には感嘆させられるし、Erich Kunzの

    パパゲーノは、人から人へ笑いを伝染させる歌いぶりだ。そしてLudwig

    Weberのザラストロは、賞賛に値する。会話は収録されていないが、それを

    差し引いても素晴らしいモーツァルトの饗宴である。モノ・サウンドはなお

    驚くほどヴィヴィッドで、プレゼンスに溢れている。」

    これが当の五味さんの評価

     

    「二つの全曲盤は、単に録音史的意義から言って重要なのではなく、

    モーツァルトの魂が最も麗しい姿、色調で歌い上げられた例として大きな

    価値を持つものです。」

     

    『魔笛』はもちろん『フィガロ』のような爛々と華やいだ音楽では無いですが、

    朗読とレチタティーヴォを省いた当盤で聴くと、麗しい歌曲のオンパレードの

    ようで大層興趣をそそられます。カラヤン以下、端役の歌手までが輪になって

    モーツァルトの美を共有し、水の滴るような清々しい音楽を奏でる。そこには

    天国と俗世の狭間に咲いた花のような馨りが漂います。

     ウィーン・フィルハーモニーはもとより、各歌い手もモーツァルトの芝居を

    普段着で楽しんでいる様子が伝わって来ますが、1960年代以降の演奏一般に

    この雰囲気が希薄になるのは残念なことです。モーツァルトに挑戦的になったり、

    理論で武装したりしては、たちまちその純粋な生命は損なわれる。当盤の

    メリットの一つとしては、夜の女王の最高の歌い手であったヴィルマ・リップの

    2つのアリアが聴けること。二幕目の方、「復讐の心は地獄のように」では、鬼の

    形相で凄んでみせる歌手が多い中で、彼女はモーツァルトの品位を穢さない

    器楽的な美声で歌いきっています。この名盤の雰囲気を象徴する歌唱の一つでは

    ないかと思います。」

     と、これは別の方の評価

     

     まさにその通りだなぁ。囁くように歌うところもあるし、張り切ったとこは

    なくって、それぞれの役柄がはっきりしていて違いがよくわかる。声を競う

    なんてことはなくってさ、抑揚もあるから、役を演じてるのがよくわかります。

    初めて聴く人には違いがわかりにくいかもしれないけど、異なる録音で聴き

    比べれば誰にでもわかる違いなんだわさ。

     

     魔笛といえば「夜の女王」。このLPのヴィルマ・リップを聴いてようやく

    得心がゆきました。なにね、初めてウィーンを訪れた夜に聴いた魔笛で

    夜の女王が日本人らしくてね、声は美しいものの声量のなさに「?」と

    思ったのよ。それまで聴いてたのが朗々と歌うのばっかりだったから、

    なんで?とね。でもリップ嬢は決して朗々じゃない。

     彼女が「モーツァルトの品位を穢さない器楽的な美声」のであれば、

    その夜日本人が登場したって不思議はない。きっと、仕切っていた方は

    カラヤンを聴いたことがあって、モーツァルトにふさわしい声ということで

    ご指名になったに違いない。そんなあれこれに得心と相成ったワケ。

     

    モーツァルトの理解が深まり大喜び・・・・・・・な、店主でした。

     


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