善き人のためのソナタ・2

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     タイトルを付けてすっかり忘れた前回、耄碌真っただ中。

     

     灼熱の車内を這々の態で脱出してプラハ。とにかく人が多くてどうにも

    ならない。8月は観光シーズンとはいえ、これじゃまるで渋谷じゃないか。

    カフェでお茶して、あちこち歩き回り、見覚えのある大広場に出たらば、

    なにやらのイベント。察するにプラハの春の記録映像。後でわかった

    けど50年記念セレモニーで、吸い込まれるように一角で開催されている

    写真展へ。ソ連軍の侵攻をもろともしない市民の抵抗運動の数々に土下座

    だい。最もココロ動かされたのは老婆が一人国旗を捧げて佇む姿。なんの

    力にもならない老嬢が、やむにやまれずの行動に思わず涙がこみ上げよう

    ってもんだ。

     

     二泊してベルリンへ。ベルリン中央駅に着く前にオシッコしとこ、放尿

    真っ最中に停車の気配! ゲ、ゲゲッ!!着いたんか。あわてて止尿も

    そこそこに座席へ急ぐ、隣りの席の親子に下手な英語で「ここはベルリン

    駅?」と問うもさっぱりで、外を見ればどうにも駅は小さく、こりゃ中央

    駅ではない。隣りの駅なんだな。とにかくドイツ語さっぱりなアタイだし、

    連れが急用でウィーンに帰っての一人旅だから、ココロ穏やかではない

    緊張状態。

     

     駅に着いたらいきなり後ろから抱きすくめた友人に安堵の涙がこぼれる。

    ま、こぼれはしないけどね。そのまま車で家に。川に挟まれた島にある

    集合住宅はいかにもドイツって感じ。居間のソファから正面に見えるは

    樹木越しに大河、行き交う船、まるで広重のようだ。二人で質素な夕食に

    ココロが和み、子供部屋の二段ベッドに潜り込む。

     

     翌日、友人の友人に誘われてベルリンの壁へ。市内に点在するいくつかの

    監視塔の一つに登り往時を偲ぶ。プラハといいベルリンといい、いろいろ

    あったんだな。こんなアタイだって感慨にふけろうってもんだ。

     かなり広大なベルリンの壁だったところを散歩。路上いたるとろに

    プレートがはめこまれて、聞けばここで逃げようとした市民が殺された

    目印だと。感慨さらに深くなり、軽口は影をひそめ無口にならざるを

    得ない。

     

     で、その翌朝だったかな、いつもの質素で心地よい朝食のときに映画

    「善き人のためのソナタ」の話をしたんだ。

     というのもこの友人、東から西へ脱出した強者だったことを聞いてた

    から。そしたら、見せようかと棚からヒョイとファイルを取り出すの。

    二冊のファイル、それぞれ厚さ3センチほどと2センチ程度。開ければ

    写真のコピーがまず目に入る。

     

     友人は16,7才の時に徴兵されて19才で脱出を果たす。脱出の際の

    現場が撮影されて残ってるんだ。ゲゲッ!! マジかいと目は点に。

    一兵卒とはいえ西に脱出したことが判明すれば即大捜索が開始される。

    現場に残るバラ線切断用の大ペンチ、これオレのもんだからね。この

    ハシゴもオレが作ったからね。そうか東ベルリンじゃハシゴは売って

    なかったのか、売ってたとしても買おうとしたとたん要注意人物として

    ブラックリストに載っちゃうのか、なんてくだらないコト考えつつ

    話はさらに進む。

     

     映画でも登場した東ドイツの秘密警察「シュタージ」がいきなり

    目の前に現れたようで身がすくむ。西に逃げたら逃げたでこんどは東

    からのスパイじゃね? と尋問されちまう。これが多くの情報を持つ

    高官であったら、すぐに射殺の命を受けたスナイパーがひそかに西に

    潜入する。むろん、東に残された友人の家族、友人も尋問を受けたこと

    は容易に推察出来る。あ〜こわ、恐すぎますよ。

     

     朝から恐い話を聞いて落ち込むというか萎縮するというか。単身

    逃げられたとはいえ、その後の西側での生活はさぞやであっただろう。

    そんなこととはつゆ知らず、平和な日本でぬくぬくと暮らしてたアタイ、

    友人が大きく見える。思わず抱きしめてしまいたくなるってもんだ。

    歴戦の勇士の友人となんちゃってノウノウな暮らしなアタイが時を経て

    こうして朝食を共にする、誰だって感慨にふけるじゃァあ〜りませんか。

    ネェ。

     

     それにしてもシュタージの几帳面な仕事ぶりはどうだ。一介の兵士が

    逃げただけでこれだからさ。脱出後20年以上経ってからようやくその気

    になって申請して約3年かかって渡された自分の資料を読む気持ちは

    どんなものなんだろう。書類は手書きもある。手書きした上でタイプで

    清書したものもある。幼いときから、時には母親に問い質した内容も

    あるんだろう。それらを机に向かって日々整理するシュタージの人々

    の気質はきっと今もドイツ国民に受け継がれていることだろう。

     だからのドイツの今なんだろう。

     

    今もって興奮さめやらぬ・・・・・・・・・・な、店主なワケだ。

     


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