を組み立てるんダ。愛するFITの収納力を持ってしても一回では運べず
2回に分けてのピストン堀口。
あれれ、いつの間にか椅子が増えてるやんかいさ〜。狭い客席は
ほとんど埋まってる。このカウンターの上に食器棚を設置する算段
なれども、うまくゆくのかな〜・・・重さがね、心配なのだ。
まずは、宙吊り食器棚を仮置きするためにウマを用意。確かウマ
って呼んだ気がする。台みたいなものの総称。中の2つがソレ、両脇
のは台脚となりキッチリ固定。
左側台脚。壁とカウンターにしっかり固定。中央の縦板は補強も
兼ねる。むろん、いずれは棚がつく。
厨房から見る。左の棚脚、棚板金具取り付け済み。当たり前だけど
事前に取り付けておかないとドライバーが入らない。
ハイ! 何事もなくスルリと。2時間くらいでここまで、で一服。
今回の工事、FITで運べるというのが大前提。ってことで3つの箱
となった。箱同士を固定するため使ったのがコレ。工房で初体験は
済ませてあったが、なんの抵抗もなく貫通し締め上げOK
んでもってイキナリの完成よ。よく見れば右端ちょっぴり出っ張る
の寝相の悪さだ。採寸間違えで2?出てもうた。ごめんよ勘弁な。
棚上部に見かけない赤棒。さらに緑。
いくら箱同士をくっつけたって真ん中が下がるのは、リンゴが木
から落ちるの例えでわかっとる。さぁ、どうする? 思いついたのが
この赤緑。箱本体とは別に、木枠を作ってそっからターンバックルで
引き上げる、コレだ!ってなもん。
いいアングルじゃないけど、様子だけはわかるかな。右にアイ・
ナット、箱内からのボルトに接合され、そんでもってターンバックル
で水平を出せば出前一丁。たまに行ってレベルチェック、また少し
あげるの繰り返しでさぁ。
暗すぎまっせ、厨房側。引き戸をはめ込めばこんなふう。やっぱ
柱なしの2.5mフルオープンは気持ちいい。やって良かったバイ。
別にどうってことない一枚でスマン。客席側の凹み深さ7?だった
かな。ま、ここはメニューボードとか季節の装飾すればソレらしくなる
目論見。まぁまぁ
こんなもんっしょ・・・・・・・・・・・な、店主でした。
]]>
された新盤を素早く入手。LPとカセット大人買いだ。
早速手に取れば、お、重い。11年ぶり、しかもLPというからには
相当かなりの気合が入ってることはジャケットでもわかる。加えて
盤の重さと片面3曲の余裕録音は、氏のこだわりが詰まってるのが
理解できてまことに気持ちがいい。
重さを調べる。大瀧詠一ロングバケーションで120g、対して
コレは180g、1.5倍。ならばと厚みを測れば2? VS 2.5?、
な〜るほどネ。さらに中心無音部分はて〜と、1? 対 2.5?。
とまぁ、こんな具合。
レコード盤は中央になるほど音質が悪くなるのは常識だから
達郎Softlyでは、片面3曲だけで中央無音部は盛大な空き地だ。
盤の軽重も当然音質に影響あるとの判断であるに違いない。
音にうるさい山下達郎ならば、当然のことだけど今時稀に見る
快事ではある。とはいえ、誰でもできることではない。これまで
の活動の積み重ねがなせる技(技じゃないか)と考える。
そしてカセット。同じアルバムを違う音源で買い求めたのは人生
初めてのことだ。そのワケは、TEAC Z-5000の真価を試してみたい
ことに他ならない。ヘッドホンで聴けば両者の違いがわかるかも
しれない、ほのかな期待に導かれてね。ま、私の耳で感知できな
けりゃどうしようもないんだけどさ。
とか思いつつ、依頼されていた店舗の顔となりそうなよろい戸が
無事完了した。私にしちゃ上々の出来具合、一人悦に入っとるわけ。
4枚の扉は、左右にフルオープン仕様。閉じてりゃ閉店、開ければ
開店のサインでもある。
グワ〜っと開くにはキャスターが必須、なんせ重いからさ。この
真鍮キャスターは、その昔新橋のタカトク金物で入手した逸品。
今となっては手に入れることは極めて難しいだろう。
二本の真鍮レールは、キャスターのガイド。これがないと思い扉
がウロウロ動いてどうにもならないんだわさ。
吊り元は、窓枠に真鍮長蝶番。扉と窓枠の間に仕込みたかったの
だが、どう考えてもムリ。見ようによっては飾りにも見えるかも。
2枚の折戸形式の真ん中、上が固定用フックで下が取っ手。
いずれも外国製ですぞ。
開閉は、左のちん恋ツマミを左手で手前に引きつつ、右の取っ手
を右手でぐ〜っと左方向に持ってゆけば、スルスルと開けるという
按配だ。これがうまく動くかどうかが今回の肝、あれこれ考えた
末の「こうなった」。
さらによろい戸を固定する落とし掛け。現地は海沿いなので台風が
怖い強風が恐い。既製品で探したけど、6?落とせるものなんか
ないんだ、これが。仕方なく作りましたよ。
正面に穴があるけど、4?ネジで固定するためのツマミがつく。
動くものは予想できないことが多いから大変気を使うもんです。
思い扉2枚を長蝶番でつなぎ、キャスターで動かす、口で言えば簡単
だけど、いざやってみるとなると心配や不安がトラック満載で
運ばれてくる。その対応策は、
動作モデルを作るしかない!
よろい戸の下框だけを用意して、蝶番をつけ、キャスターをつけ
動かしてみて、ちゃんと開けるかどうかと確認。これがフル
オープンの状態。え〜加減なもんだけど、一応動きはわかる。
おかげで夜も眠れるってもんだ。
最後によろい戸そのもの。桟木はさほどのことはないけど、問題
は左右の縦框にどうやって取り付けるか。溝を掘って桟を差し込む
なんて芸当は、考えるだに恐ろしい。素人はそんなことを考えちゃ
イケマセン。
私にできること、菱形の小片を真鍮釘1本だけで固定し、桟木を
真鍮釘で菱形に固定し、それを次々とやってゆけばOK。カンタン
なものだ。
さ・て・と、お次は外壁破風かい・・・・・・・な、店主でした。
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そんな、ことわざがアタマに浮かぶ良き季節、ということで
こんな飾り物を用意しました。
過日、カミさんの年来の友人がやって来、案内で谷根千に
ゆき、ついでに立ち寄ったいせ辰で買うてしまったのだ。
切り抜いて糊付けすればいいだけなのだが、なかなかの手間
でちょっと往生しましたわい。
3匹だけじゃ寂しかろ、吹き流しもね。出来上がりは、
軽い! 息を吹きかければユ〜ラユラ、エ〜もんですバイ。
ってなことありつつの、町会。いやね、前任者が辞めると
言い出して、私が受けることになった総務部長、これがなか
なかのもんでね。会社勤めとは無縁で生きてきたから、
総務部長なる仕事がさっぱりわからない。面白そうだから
だけが、その気の理由でね。いざ当事者になると、町会の
素顔が見えてきて、これがやっぱりなかなかオモロイわけだ。
5月19日に定時総会なるものが開催されるけど、そのため
には議案書を作らなければならないのダ。まぁ、以前のがある
から、同じようなフォーマットでやればいい。このために用意
したわけじゃないけど、イラストレーターのソフトやスキャナー
もあるからムツカシイ作業じゃない。
裏表紙には、町会のシンボルマーク
主催行事や
年間スケジュール。式次第、事業報告、会計監査などは文字
だけだからチョチョイのチョイ。問題は、A3二つ折りを綴じる
方法だ。
私が採用したのはミシン縫いでね。これ、以前スイスの知人
から送られてきたベビー誕生のカードの真似っこ。その知人の
子供は双子なんだけど、タグのような布に名前を印刷してさ、
それをハガキにさっとミシンで縫ったものだったんだ。
一目見てエレ〜感心してね。ホ〜こういう手法もあったん
かいな、ほな真似してみようやおまへんか、使う機会もなく
ここが出番と相成ったわけだ。以前はホチキスだったけど、
それじゃ味気ないでしょうが。ということで60部お作り申し
あげたわけだ。
問題はここから。総会の後で懇親会を開くんだけど、参加の
有無を書面で連絡、したんだけど数名の除いて返事がない!
例年、総会の出席した理事はそのまま懇親会に参加することは
わかってる、でも会場を予約しなくちゃならないコチトラ、
そうですかと連絡のあった理事だけ予約するわけにゆかない。
しかたないから20名ほどに電話で問い合わせる羽目になっち
まいやした。
電話したら、みんな、そんな当たり前なことなんで聞くの?
な雰囲気でね。その段になって、町会の素顔が垣間見えたん
でやんす。結局、ほぼ全員が参加することになり、一件落着
ではあるが、果たしてオチはどこにあるのかとチョッピリ
不安な総務部長なんだわさ。
当日、総会はつつがなく終わったけれど、懇親会には誰も
こないのがオチ? あるいは予約したレストランがトンデモ
ナイのがオチ?? いやはや予断を許さない町会活動では
あるのです。
この場合オチは不要!・・・・・・な、店主でした。
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いるところ。けっこうな人出、例年にない大盛況で主催者の一人として
楽しくも嬉しいひと時でありました。いやまったく。
そして今日のこと。いつも通り総代の方々へ消防やら区役所からの
配布物を配っていたら、杖をついた妙齢な婦人に「鹿のお散歩?」
と言われちまってね。一瞬のことなんで「?」な私、うかつにも
気がつかない間に一本取られてしまったんだわさ。
と言われてもなんのこっちゃワカランでしょうが、そんとき着ていた
のがコレでね
このドット模様が彼女には鹿に見えたか、鹿の妄想が浮かんだん
だろう。いきなりのツッコミに返す言葉も出ない拙者、春ですもんね
とかなんとかオチもない返しでみっともないことこの上もない。
それにしてもだ、この地にこんな洒落っ気に満ちた方がいるなんて、
考えもしなかったわけでね。市井の人の中にも凄腕のユーモアを持つ
方が潜んでいることに油断大敵の思いを新たにしたわけですよ。
道行く人の中にはこういう名人がいる、これからは商店街を歩く時
もあたりに目配せ気配りしないとイカンな。近時稀に見る出来事で
ありましたわけですバイ。
で、大磯だ。餅つき大会の翌日天井付近に棚を取り付けてきた。
いくつかのユニットに分け、これがそれ。下にワイン上に皿か何か。
作り方は簡単だけど、単なる棚じゃつまらんでしょうが。はて、と
考えて、真ちゅうの棒に木の玉をくっつけて落下防止の一助とした。
ネットで入手した木玉。穴がいてるのは分かってたけど、思った
以上に大きくてね。真ちゅうの棒に合わない。丸棒で塞いで再度
穴を開け、玉を着色し、クリヤー塗装でコーティング。すべて簡単
な仕事だけど手間がかかるのよ。
ズームして、こうなる次第
上段には皿かなんかの飾り物、どうでっしゃろ
実際の取り付けパチリ
コーナーもこの通り
これがほぼ全景。今のところ棚だけだからイマイチイマニ物足り
ないけど、ボトルや飾り物が増えれば店らしくなることでせう。
それにしても「鹿」とはなぁ・・・・・・な、店主でした。
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自然の厳しさは生きとし生けるものすべてに関わりがある。今朝、
それをつくづく実感した事物を目にした。
これだ。かねてより裏に設置してあった野鳥の餌台、残されていた
薄皮一枚残して見事に食べられているリンゴ。う〜む、よほど餌が
少ないんだろう。そうでなけりゃここまで食べ尽くすことはない、
人間の勝手にな思い込みだろうけど、そう思い感動の二文字が心に
浮かび上がる、ってなもんだ。
リンゴをついばむのはスズメじゃない、なんてことは皆様ご存知
のことだとは思うけど。メジロかホオジロに限る。窓を細めに開け
視認してる私は「あ〜食べるわい」ささやかだけど確かな実感に心
は満たされる。スズメは粒餌、しかも団体行動。多いときは20羽
ぐらいで群がりついばむ。一人で来れば好きなだけ食べられるのに
なんで? それが種の保存に必要な本能とわかっているけど、日々
目にすると不思議な思いについ駆られてしまいます。
閑話休題。大磯のレストランの第二弾カウンターテーブルが無事
装着することができた。
テーブルトップの幅2.4m、奥行45?。最初はたんなる板と壁に付く
脚だけだったんだけど、いかになんでも味気なさすぎる。これじゃ
まるでそこらへんに転がってる端材でチョチョイと作った感じがして。
思い立って4つの引き出しを作ることにしたんだ。
んでもって取り付き&引き出した引き出し。なんか変な言い回し?
住まいの引き出しならどうってことないけど、お店だといろんな人が
引き出すでしょ。ストッパーがないと全部引き出して下に落として
しまうかもしれないよね。膝で受ければいいが、そのまま床に落ちて
しまうと大変なことになる。
時間を巻き戻して製作過程。長きにわたって放置されていた真鍮
取っ手を生かそう!ってことでもあり、磨いてピカピカに、さらに
マイナスネジとくれば鬼に金棒、文句のつけようもあるまい。
取り付けが終わり、工房で一人ほくそ笑む私なのだ。
テーブルトップを支える幕板。4つの穴を開け、三枚の貫板で
木枠を補強する
引き出し部の全景。底板は有孔ベニヤ。引き出しはストッパーが
ついて全部引き出せないようにするから、ホコリをこの穴から排除
したいとの親心。意味ないかもしれないけど・・・・・・
これ以上奥にゆかないためのストッパー部
壁に取り付けるための脚部。下に荷物台がつきます。こんな簡単な
取り付けでも緊張する私、あらゆる(といっても大したことはない)
状況を想定、取り付け順序、一人での取り付け方法(板が長い)
も考慮しつつ
外から見た感じはこういうふう。なんか立派だぞ。
スムーズにゆけば2時間もあれば終わる仕事だけど、何が起きるか
わからない、これまで慢心の故の苦い記憶は数しれませんからね。
この歳になってそんなことは味わいたくない。そんな思いで準備は
抜かりなくこれでもかというほど考えた成果は、滞りなく極めて
スムーズに作業ははかどって破顔一笑で帰路につきました。
あ〜よかった!!・・・・・・・・・な、店主でした。
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年末、そこへ紅白。あっという間に若手は知らない人ばかりになり、
知ってる歌手は相変わらず昔の名前で出ていますみたいな。だったら
観なさんな! は、百も承知五十も合点だがせっかくの年末、せめて
紅白ぐらいは夫婦で観たいもの、という習慣というかしきたりという
か、思い込みというか。それらない交ぜになった思いVSこんな番組
見たくないが心の葛藤になるんだわさ。
去年末も、あえなくこんな番組見たくないの勝利となり、数曲聴き
いつもの地下に退いたワケ。年明けの初詣までどう過ごそうか、目前
のi-MACでアマゾンプライム、何を観るか、チョッピリ考え、今の私
に興味があるのはクリント・イーストウッドってことになり、新作の
クライ・マッチョを観た。齢90を超えたであろう老人がどんな映画を
作るのか、興味はそこに尽きる。
う〜む、こうなったのか。相変わらずの色好みにニヤリだ。往時の
馬力こそないものの、筋立てに小首傾げるシーンがあるものの、天下
の名監督の片鱗はそこかしこ、薄味なれど堪能いたしました。ハイ。
使われている音楽、あれ? あれれ?? これロス・パンチョス
じゃね・・・・・・どう聴いてもパンチョスに違いない・・・・・
それにしても、一緒に歌ってる女史は誰でしょう・・・・・・・・
んなことを考えつつ観終わって、エンドロールで確認し、やっぱり
ロス・パンチョスであることを現認、女史のスペルをメモし、ネット
で検索、な〜んだイーディ・ゴーメかぁ〜。
それにしてもイーディ・ゴーメがラテンを歌ってることなんかチー
とも知らなんだ。しかもかなり上手いでっせ、コレ。単なるポップ
歌手じゃなかったんだな。こりゃ失礼! ってことでネットで入手
してアルバムを聴いちょる次第。さすがピアノも弾くクリント先輩、
選曲の目配りも素晴らしい。長年音楽を聴き続けてきたからこその
邂逅はちょっと💗出来事ではあったの。
閑話休題。件の大磯のレストラン作り、窓際に付くカウンターの
天板作りが終わった。
どんなもんだい、ラーチベニヤの木目が眩しくはないかい?
昨今のツルピカスッキリの風潮に逆らったザラ凸テンコモリな感じ
に共感を覚えるお方は何処におわしますや。
微妙な木目の浮き上がりが指先に心地いい、のは私だけ?
木目があるのに触ればツルツルこれいかに。やっぱ触れば木目の
凸凹は感じたいもんじゃないっすか、ねえ。ってことはペーパー
掛けはできませんよ。昔ながらのウヅクリでゴシゴシ磨き、オイル
を浸み込ませ、その上にワックスを塗り、ひたすら布で磨く。
こうでなきゃいけませんや
荒っぽい表面ですから、こんな節目火口もある。ここに埃や飯粒
が溜まるだろうが、そこはそれ、我慢してメンテナンスに励んで
もらうしかない
いかにザラ凸であってもベニヤの切り口は始末せねばなるまい。
ケヤキ材を細割りにしてテンコモリな真鍮釘を撃ちまくる。これ
だけ撃てば文句はあるまい。真鍮釘も本望だろうよ。
最後に吾輩のワックス。木蝋とイボタ蝋を湯煎して混ぜ合わせた
もの。コレでいいのかどうかわからないけど・・・・・木蝋は
ともかくもイボタ蝋が硬すぎてどうにもならないのよ。放置10年
の末、これしかないだろうってことで、こうなった。
それにしてもオイルとワックスの併用は下地が荒っぽいベニヤも
あって磨いても磨いても仕上がりの艶がはなはだ微妙でね。しかも
ウヅクリ作業は腕がすぐに疲労するから、休憩10分作業2分となる。
ツルピカスッキリに叛旗を翻すのもけっこう大変なんでっせ、いや
マジで。
今日も今日とてウヅクリに精を出す・・・・・な。店主でした。
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数人のお客さんから聞かれるも、はていつにしようか、決まって
ないのであります。明日27日は営業するけど、明後日は正月用の肉の
買い出しで夜は町会の夜回り、ってェことは今年は明日が最終という
ことになりましょうか。ま、ほとんどの方々にはどっちゃでもえ〜
ことなんですがね。
さておき、昨日は数十年ぶりの現場仕事に勤しんできました。
新しくレストランを営なもうとするお客さん、ほら以前ポストを
作ってあげた方なんだけどさ。奥様主導で、ファクティオに来店
されて、まずはポスト、ホテからにレストランという運び。数回
話を聞き、スペイン料理しかもバスク地方の、考えた私スペインの
画家を調べ、ミロをめっけて、これならカウンター腰壁に使えるかも
と見当をつけ、図面を描き、それがようやく出来上がった次第。
最初に目をつけたのがコレ。ちょうどベニヤ一枚分に入る。細い
線はジグソーで切り込み、いろんな図形は木工染料で色つけした後
透明塗料でコーティングすればよろし
ネットの画像で原寸図を描き、ベニヤに張って、いきなりの切断。
ベニヤの下には10?厚スチロールを敷いて。ベニヤが切れると同時
にスチロールも切る、あたり一面細かい切り粉で往生しましたわ。
ほんでもって染めたのちのコーティング塗装。むろん刷毛塗りで。
でもコレはまだ序の口でね
さらに小さいのは、剣山を使わざるを得ない。母が使ってたものだ。
なんとなく工房の棚に置いといた代物。ここに出番があったか!
んでもって出来上がり。なんとまぁ清潔な感じのミロでんなぁ。
取り付けは真鍮釘、何本打った事だろうて。100や200じゃないでっせ。
400本くらいは打っただろうか。午前10時半から夕方の6時まで打ち
っぱなしだ。
ここにもありまっせ。暗いけど。
こんな仕事頼む方も頼む方だがやる方もやる方だ。材料代は大した
ことないけど手間がかかり過ぎる。切るのは大したことないんよ。
問題はすべての切り口をサンドペーパーで磨くことだ。ジグソーの
刃厚が1.5?、はめ込めば切り口を触ることはできないけど、それでも
切りっぱなしというわけにもゆかないじゃあ〜りませんか。
さらに塗装が2回、間に耐水ペーパーで水研ぎ、この手間は馬鹿に
なりませんぜ、社長! と、言っておこう!!
まだまだあるのだ、この現場・・・・・・・・な、店主でした。
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さんが写真を送ってくれました。
このアンプは、ヤマハのUC-1というもので、パワーアンプB-1の
前面にはめ込んで使うものだ。上の丸形10個が私が作ったもので
ボリューム用。下の四角はそれぞれのボリュームに対応するための
スイッチ。つまり5台のスピーカーを切り替えて聴けるようにする
ためのものなんですわ。
ほてからにこれが横から。木の質感がわかる。ちなみに黄色の
シールはお客さんが貼ったもの、それぞれのスピーカーがわかる
ように番号をつけたんだろう。
これがメインスイッチ。私が作ったのは左側のように見える。
というのは右に比べて、角が甘いようだし厚みもあるからね。
でね、このお客さん。お持ちのB-1が使えるようにしたいと思い
レストアをmazdaluce3000氏に相談され、そこでわかったことを
同好の士の方々にお伝えしなきゃイカンと思っての記事なんだ。
この方、聴いていたB-1が故障し、聴けなくなって5年ほど、修理
しようと思って部品取りのためにもう一台入手したとのこと。今回の
眼目は、もう一台のほう。販売されてから50年ほどのB-1(に限らず
すべてのアンプ)は、どれも部品は劣化してて何台持ってようが中身
は同じ、劣化の程度こそあれ今かいずれか交換しなければならない。
つまり早い話が部品用の2台目は必要ないということ。
部品用のアンプを入手するお金があったら一台のアンプを直す費用
に充てればよろしい。無駄な出費は抑えましょう。伝えたいことは
そういうことでね。
さらに今回わかったことは部品が高騰していることです。アンプの
レストアでは定評のあるmazdaluce3000氏でもそうそうB-1の依頼
があるわけでない。依頼があった時点で購入しなくてはならない
部品を検索することになるけど、そこで現在の価格が判明する次第。
もちろん在庫している膨大な部品はあるけど、在庫していない部品は
その都度入手することになるから。
特にトランジスタ。日本での生産は終了していますから、探すのに
一苦労ということもある。でも、あればまだいい。いずれまったく
無くなった時点でレストアができなくなります。確かに代替え品と
いう手もあるけど、それでも限りはあるし、音色が変わるという心配
は払拭できません。
mazdaluce3000氏のファン(私もその一人)は、その問題を抱え
つつ聴き続けているわけです。いつ壊れるかわからない、時限爆弾の
ようなものでね。現に私のプリとメインの2台は、音が歪んだりブーン
な異音が出来し、来週にでも点検してもらおうと考えてるとこ。ま、
これは大した故障ではないからすぐ直ると思っているけど。
今回のB-1、UC-1は、全国にどれぐらいの保有者がおられるか
どうかわからないけど、同じような悩みを持っておられる方はいる
んじゃないかしら。直そうにもどうしたらいいかわからない、信頼
できる技術者はどこにいるの? そんな方々のために小さいながらも
窓口として存在しているのがファクティオと考えているわけです。
日々、聴く頻度の多少はあれ、つつがなく楽しんでいる音楽が
ある日いきなり変調をきたす、これはちょっと耐えられまへんねん。
齢73才の私、死ぬまで好調な音を楽しみ続けたい。最大の心配事は
オーディオのかかりつけ医のmazdaluce3000氏が健在なこと。
たまに電話して出てこないと「まさか?」といつも思ってしまう。
オーディオ愛好家の皆さん、厄災はいつも突然出来します。その
時にどうしたらいいのか、対策法が判っていれば安心でしょ。
老婆心ながら、一言!
どんなアンプでもOKでっせ・・・・・・な、店主でした。
]]>
が来店されてね、円安で落ち込む日本の底の底のそのまた底に流れる
ツマミ需要が頭をもたげてきたのか、なんてね。
先日は、木工職人の方が開き戸につけるべくペアのツマミが欲しい
と横浜から。いや〜ウチは一個づつしかないから無理だと思いまっせ
と言ったけど、なかなか立ち去る気配なし。矯めつ眇めつどれくらい
経ったか、これは?と手に取られたツマミはまごうことなき同一物。
ヘェ〜あったんだ、あたしゃ驚きましたぜ。ついに探し当てたペアな
ツマミ。いやまったく感心ものですよ。で、結局なんだかんだで6
セットお買い上げ、どれも一個500円均一だから〆て6000円也。
ツマミの客が来ないから展示壁はレコード飾っちゃってるんだけど
そういうわけにはゆかないな、当分な店主。
そしたらしばらく経ってメールでツマミの問い合わせがあったんだ。
天下のヤマハ B-1に付き従うUC-1なるアンプのツマミを作って
くれんかなる依頼。仕事で上京するついでに相談したい、それが
明日だっていうんだから驚くじゃぁあ〜りませんか。とにかく会う
だけあってどうするか決めよう、と思ってたら開店早々お見えにな
った次第。聞けば近江八幡からだと。あいや〜こりゃ無下には断れ
ないぞ。
もちろん実物持参だ。写真左のスイッチが2個、右にズラリ並ぶ
ボリュームが10個。う〜む、はて、どうせよう? いろいろあって
木なら作れそうと伝え、とにかくサンプルを作ってみようとなり。
次の仕事へ急ぐ依頼者が立ち去ったあと、しばし一人ボーッとして
いたけど、とにかくやるだけやってみんべえ、時間を置くとイヤに
なっちゃうからと、早速工房で試作作り。
これが実物、二段になってて周囲にギザギザ加工、位置がわかる
溝が彫ってありまする。
これが裏。ノギスで測って穴の径は6ミリか?
んで出来たのがコレ。旋盤で削って長さに切って穴を開けて、さて
位置確認の溝をどうせようか? ちょっと考えて細い釘を打ち込んで
チョキンと切りヤスッて仕上げてこの通り。まずまずでんがな。
ここまではいい、問題はスイッチだのっし。
摘めまへんがな。小さくて。しかも斜めにテーパーがかかっとる。
裏には穴、狭すぎてノギスが入らない。内側に小さな突起があり
それで本体から出っ張っているスイッチ部品を銜え込もうってこと。
相手は樹脂だもんな、それを木で作ろうってんだから結果はタカが
知れてる。とはいえ丸ツマミだけってことじゃいかん。なんとか
作り上げて、送ったら「作ってください」と。
マジか。丸はOKだけどスイッチが緩いからテープを巻いたら使え
そうと。でもなぁ、緩いたってどうしようもない。できるだけの
ことはやったつもりだからさ。コレで我慢していただくしかない。
昔、子供ためにサッカーボールのツマミを頼まれた以来の難物。
やればできるもんだと我ながら感心したりして。
頼まれて納品したポストの写真が出てきたんでオマケに添付。
まだ途中段階なんだけど、完成写真ないからカンベンしてちょ。
今日は休店でのんびり・・・・・・・・な、店主でした。
]]>
思い立ったワケだ。さっき覗いたら井口材木店のブログが更新され
てるのを読んで、その気になったのよ。それというのも更新が少ない
と書いてねとお願いしてることもあり、人に急かして自分はどうなの
よ! そう思ってね。
齢73にしてなかなかの慌ただしさでね。自ら招いたこととはいえ、
知力体力の劣化もあり〜の、アップアップなんだわさ。ことの始まり
は、町会会長が集まりで幟が古くなったから新しく作りたいと提案が
あり、手を挙げたのがワタクシ・・・・だったかな、確か。
んでね、ノボリのデザインしようと始めたら、MacのPagesじゃ
どうにもならない。しかたないからそれまで逡巡してたアドビの
イラストレーターをどうにかこうにか導入し、記憶を掘りつつ3案
仕上げ、どうせなら東京都の助成金で賄おうと、申請にこぎつけた
と思ってくだはい。無事、メール添付で書類送付、助成許可の諾否
を待つだけ。
姪娘っこが仕事の関係でファクティオを使いたい?、喜んでと
引き受けたものの、約束の日時をすっかり忘れ卵の買い出し、携帯
にどうしたの? あれれ、ってことで急ぎ帰り即☎、どうにか間に
合って数名の女史が集い、後日その中のお一人様がポストを作って
欲しいと言われちまって・・・・・・。
ポストは完成し、無事納品。そんでもってついでに店を作る相談
が持ち上がったのさ。こんな私でよかったら、もともと嫌じゃない
作業だし、なんだかんだと没頭しまくり模型が出来上がった。
模型を作るなんて何十年ぶりか。プルプル震える手をなだめ
すかして・・・・・・こうなった。自宅の一部にレストランを
作ろうってことでね。それにしても写真に撮るとよく見えるな。
ほんでね、コレを持って打ち合わせに行ったら、未完の店内に
ポツンとスツール2脚。実家から持ってきたけど、どうにかなる?
と問われ、使えるかもよ、エ〜加減な返事をして持ち帰りな次第。
図面を描きまくってボーッとしたオツムに気分転換、いざ作ろう、
あっという間に出来上がってしまったやないか
右が原型、左がリフォーム。まるスツールだから3本脚に
決まっとる。アルミ脚を撤去、座を削って、ベニヤの台座を作り、
丸棒を削り、まぁこんなもんだろうってね。あとは布を探してもらい
くるっと巻いてタッカーで留めればオシマイ。
それにしても悪くない出来栄えだ。生まれてこのかた2脚目の
椅子にしちゃあエ〜ンデないかい。こんなにスムーズに出来上がる
とは思ってもみなかったわ。しかも悪くない出来、こりゃまったく
どういうワケかいな。だってさ、日頃これといってな〜んにも作って
ないのに、思い立ってヒョイと作れちゃうんだから、おかしくね?
狐につままれたのか・・・・・・・な、店主でした。
]]>
ダラダラな過ごし方に耽溺、同年輩でバリバリやっているお方を見ると
まさに仰ぎ見るってなもんだ。いやまったく、恐れ入り屋の鬼子母神。
某月某日
裏の農家の奥様からアゲハ蝶の幼虫の差し入れ。最初は黒でそのうち
緑になり、蛹から羽化してという段取りだ。店に置いときゃ客は喜ぶ
話のネタにもなるかも、と思ったものの2匹がダメになり、その都度
それじゃコレと三匹目をいただく。
卓上にガラス器に飼っていたら、ある朝見当たらないのさ。
オイオイまたかよって思ったけど、そのものが居ないからあたり
を見回したら、なんと床上10?上のドア枠で蛹に。スマンのう、
延々1mも旅さしちまってさ。
もう死んじゃってるんじゃないか、だってカラカラだもん。
なんて思ってたある朝、こんな蝶になってたんだ。自然の驚異と
いいますか、とにかく素晴らしい体験ではありました。ちなみに
蛹の抜け殻は今も枠にくっついちょります。
某別某日
わが町下丸子の昔はどうなっていたかを調べ始めた私。ふと神社
にある石碑を思い出し、早速パチリ
こんな写真じゃようわからんだろうけど、大正期に始まった
耕地整理のレリーフ。整理される前のおおよその地図。
でコレが整理後。農地ばかりの当地に工場誘致の目的の事業だが
折しもの関東大震災の焼け出された人々の住宅供給ともなった由。
整理前の農地をトレースして現在の地図に転写すれば、江戸やそれ
以前の地図が浮かび上がるだろうという目論見だ。やってみたら
現在の道路と古道との関係がわかり大喜びのアタイ。こんな喜び
誰もわかっちゃくれないだろうけど・・・・・・・・。
某月某日
一年ほど前だったか突発性難聴になり左耳がある音域で聴こえ
にくくなった。それでも毎日音楽は聞き続けていたけど、メイン
の2wayがどうにも耳障りでね。大きな音量がダメなのかしら?
理由はよくわからないけど、とにかく聴く機会がほとんどなく
なってしまったのよ。
店の地下には2つオーディオセットがあるけど小さい方は不思議
に大丈夫なんだわさ。でね、思い切ってメインを手放すことにした
んだ。自慢じゃないけど私のアンプ類はすべこの世界じゃチィ〜
とは知られたmazdaluce3000の手になるもの。それを一挙に
放出しようってんだから豪気なもんだ。と思ってるのは私だけかも
しんないけどさ。
いずれ近々、ヤフオクに出品されるであろうラインナップは
以下の如し
1 ヤマハ B-2 MOSトランジスタ仕様
2 サンバレー WS-350B 通称樽アンプ KT120仕様
3 パイオニア D-70
4 ヤマハ A-2000 プリ部のみ メインは取り外してある
5 ヤマハ DP-U50
6 JBL D-123 BOXはビクターFB-7
7 〃 FE-85 一式
さあて、今どきこんな重厚長大なオーディオ求める人はいるの
かいな。一番デカイのはビクターFB-7、私の地下に搬入するのも
大変だった。それをまた地上に持ち上げようってんだから、私一人
じゃ無理も無理、大無理! ここは一番孫に手伝ってもらうベェ
ってなこと言ってその気になって・・・・・な、店主でした。
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ホットコーヒーには慣れたが、いまだにアイスの注文にいささかの
緊張が心をよぎる。加えて、今年は客数が増えたのか(日々の来客数
はチェックしていない)、やけにアイスコーヒー(冷コー)を頼む客
が増えきている感じ。そのたんびに緊張するのはやだ〜、ってことで
対策に着手。
氷たっぷりのグラスに、熱いコーヒーを注ぐのが何となくイヤでさ。
ある程度まで冷ましてから氷たっぷりに注ぎたいというのがそもそも
でね。
まずは、これにペーパードリップで抽出。キンキンに冷やして
おけば60度程度まで一気に下がる。が、問題はそのあと。なかなか
冷えてくれない
ならばと、斜めにするジグを作る。直立よりはいいが・・・・・・
思い立って、こんなん出来ました。水で冷やそう、スイカみたい
にね。でも冷えるスピードが遅い。でかいジョッキ?の底だけに
熱いコーヒーがあり、その部分だけがすぐ熱くなってしまうやんけ。
それに狭い厨房にゃデカすぎる容器
ってことでこの容器に
これを作り
このように冷やそうってワケ。淹れたてのコーヒーは、第一容器
で60度程度まで下がり、この第二容器でシャワーを浴びれば常温
程度まで規定時間内に下がることがわかってまずは一安心だ。
ガラスの容器の前にはステンレスで試して大失敗。なかなか冷め
ないステンレスは、熱いコーヒーも冷めにくいってことで、それに
気づかない愚かさよ。熱伝導が最もいいガラスで、水道水で冷やす
のが最良の策だと証明されたんだわさ。
熱い夏にいきなり川に飛び込めば心臓発作が心配、それと同じ
ことがコーヒーにもあるんじゃないか。別に科学的なデータがある
ワケじゃないけど、味も変わるかもしれない。あくまでも心情的
にだけど。足から川に入り、胸に水かけて、そろそろと浸かる、
これが子供の時に教わったこと。それと同じことをコーヒーでも
やってみようと。
もちろんグラスはキンキンに冷やし、最後までコーヒー味が
失われない氷の量を実験すればほぼ完成形だ。ただね、これは
あくまでも一人分でのこと、二人三人となれば話は別。量が多く
なれば冷めるにも時間がかかる。一杯なら5分程度で提供できる
けど、数杯分だと果たしてどれくらいの時間がかかるのものやら。
一件落着?・・・・・・・・・・・な、店主でした。
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暑気払いにこんなん用意しましたけど、どうでっしゃろ
以前何かの拍子に出くわしたもんだけど、良くない? コレ
あたしゃゴッツぅ気に入ってるんだけど。
さてと、3食付きケアハウスだ。コレも以前、東京新聞に掲載
された主婦・浅野初子さんの投書。兵庫県にお住まいで御年95才。
この一文がいたく気に入り、切り抜いて保存して幾年月ぞ。茶色に
変色してしまった。全文を転載します。
95歳になった。これまで乗っていた26インチの自転車が怖く
なって、足が地面に届く24インチの自転車を買った。だが、なか
なか適応できず、新しい自転車も乗るのを怖く感じて歩くことに
した。夫婦2人分の買い物や料理が面倒臭い。日本女性の平均寿命
86歳をはるかに超え、「もう料理、いや」と言っても良いのでは
と思っていた。
先日ついに3食付きのケアハウスに引っ越した。外出は自由で、
よく散歩するが、食事の時間になれば食堂へ行く。おいしくあり
がたい。でもふと考えた。私は食事に寄ってくる羊と同じでは
ないかと。私95歳夫90歳。夫婦とも病気もせず、いつまで生き
るのか。どんどん進む世の中についていけず、困ったと言って
死ぬわけにもいかず。
短文なれど、心に残る。95歳からみれば73歳なんてまだまだ
若輩なれど、御心内を理解できる年齢といって差し支えないだろう。
淡々とした生活の中にそこはかとないユーモアが感ぜられ、ひと時
お茶でも飲みながら話してみたいもんだ。
今日の話は昨日の続き、今日の続きはまた明日
・・・・・・・・・な、店主でした
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年齢によるものなのか。暑さに限らずこらえる力が弱くなっている
ような気がする。テレビに向かって文句言ったりさ。ウディ・アレン
が言ってたように、いずれビニール袋を手にスーパーで叫んだりする
のかもしれないな。
当店でできるほぼ唯一の暑さ対策、ドア開けっ放し作戦。店奥の
網戸があるから風は通り抜けやすくなる。もちろん、これも風がある
時の話。無風にはほとんど効果なし。
窓に目隠しを作った。通行人が通るとつい見ちゃう、目が合う、
合っても困りはしないけど、以前から作ろうと思ってた代物。
昔の家で使っていた雪見障子の上下する障子の桟を転用。まぁまぁ
かな。
中から。ちょっと隙間が大きすぎるけど、これだけしか桟がないん
だから仕方ナス。
構造はいたってカンタン。取り付けはこんなふう。
ずいぶん前に裏の農家からアゲハ蝶の幼虫をいただき飼育していた
んだけど、次々と亡くなって今は三代目。この写真は二代目で、この
あとすぐに入寂してもうた。頂き物?を亡くして心苦しくお詫び?
方々ご報告したっけ、すぐに三代目が届き、今日緑に脱皮したとこ。
なんとかこのまま無事に羽化していただきたいもんだ。
店の奥にチンマリな机を作る。
常連のT女史専用。この方こけしを作ったり絵を描いたりで、家が
狭くて作業できない苦境を救うべく。
目隠しのブラインドをつけ、こんな感じ。
引き出しも必要だろうとの親心。なんて優しいんだ。
なにかしら作ったり描いたりする方がいれば、作品展示ができ
まっせという店だけど、もっと積極的に製作スペースを作っちゃえ
ってことでね。作ることが専業ではないけど、置きっ放しにできる
机があれば、空いた時間にちょっと立ち寄って作れるでしょ。
またパソコンを使うスペースにもなろうし、ちょっと書き物にも
使えるかも。まぁ、そんなことを問うお客はめったにいるもんじゃ
ないけどね。
規模の大小を問わず、サービスってのはめったに出現することが
ないリクエストにも対応するのが本筋だ。懇意にしている天ぷら
定食屋には、年数回あるかどうかの子供客にお茶碗や箸を用意して
いるもんな。高名なホテルでは風邪薬はもとより裁縫セットもある
なんてことを耳にしてたから。
これからが本番、暑さ対策よろしきに・・・・な、店主でした。
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あるが、洋画に限定された映画評だったから邦画(日本映画、念為)が
俎上に上がらなかったのが残念だった。しかし、亡くなった後300本の
映画評が一冊にまとまり、思い立って上位にランクされた映画をリスト
アップしてみた。尊敬する彼が、推薦する映画を見て見たい下記のように1927年から1996年の約70年間に31本
の映画が並んだワケだ。
1 |
80 |
忠次旅日記 |
27 |
日活大将軍 |
伊藤大輔 |
2 |
80 |
御誂次郎吉格子 |
31 |
日活太秦 |
伊藤大輔 |
3 |
80 |
生まれてはみたけれど |
32 |
松竹蒲田 |
小津安二郎 |
4 |
80 |
国士無双 |
32 |
片岡千恵蔵プロ |
伊丹万作 |
5 |
80 |
抱寝の長脇差 |
32 |
嵐寛寿郎プロ |
山中貞雄 |
6 |
80 |
伊豆の踊り子 |
33 |
松竹蒲田 |
五所平之助 |
7 |
80 |
浪華悲歌 |
36 |
第一映画 |
溝口健二 |
8 |
80 |
限りなき前進 |
37 |
日活多摩川 |
内田吐夢 |
9 |
80 |
姿三四郎 |
43 |
東宝 |
黒澤明 |
10 |
80 |
安城家の舞踏会 |
47 |
松竹大船 |
吉村公三郎 |
11 |
80 |
晩春 |
49 |
松竹大船 |
小津安二郎 |
12 |
80 |
また逢う日まで |
50 |
東宝 |
今井正 |
13 |
80 |
麦秋 |
51 |
松竹大船 |
小津安二郎 |
14 |
80 |
七人の侍 |
54 |
東宝 |
黒澤明 |
15 |
80 |
二十四の瞳 |
54 |
松竹大船 |
木下恵介 |
16 |
80 |
浮雲 |
55 |
東宝 |
成瀬巳喜男 |
17 |
80 |
幕末太陽伝 |
57 |
日活 |
川島雄三 |
18 |
80 |
独立愚連隊 |
59 |
東宝 |
岡本喜八 |
19 |
80 |
キクとイサム |
59 |
大東映画 |
今村正 |
20 |
80 |
宮本武蔵 五部作 |
61 |
東映京都 |
内田吐夢 |
21 |
80 |
古都 |
63 |
松竹大船 |
中村登 |
22 |
80 |
五番町夕霧楼 |
63 |
東映京都 |
田坂具隆 |
23 |
80 |
飢餓海峡 |
65 |
東映東京 |
内田吐夢 |
24 |
80 |
心中天網島 |
69 |
表現社、ATG |
篠田正浩 |
25 |
80 |
津軽じょんから節 |
73 |
斎藤耕一プロ、ATG |
斎藤耕一 |
26 |
80 |
砂の器 |
74 |
松竹、橋本プロ |
野村芳太郎 |
27 |
80 |
男はつらいよ寅次郎相合い傘 |
75 |
松竹 |
山田洋次 |
28 |
80 |
幸福の黄色いハンカチ |
77 |
松竹 |
山田洋次 |
29 |
80 |
復讐するは我にあり |
79 |
松竹、今村プロ |
今村昌平 |
30 |
80 |
本覚坊遺文 千利休 |
89 |
西友 |
熊井啓 |
31 |
80 |
Shall we ダンス? |
96 |
大映、日本テレビほか |
周防正行 |
※左から、リスト番号、採点、タイトル、年月日、製作、監督
これを書くに当たって安城家の舞踏会、男はつらいよ寅次郎相合い傘、
そして伊豆の踊り子を観た。伊豆の踊り子は昭和8年、むろんというか
無声映画ですわ。You Tubeで観たけど音楽も弁士もなく、場面の合間
合間にセリフが字幕で説明されるんだけど、慣れればさしたる不自由も
なく思った以上にスンナリと物語に入り込めました。さすが五所平之助
単なる踊り子と学生の淡い恋にとどまらないことに納得。以後の同作と
は違うことに会社の方針の違いも理解できたりして。
キクとイサム:
以前から知ってた映画、双葉さんご推薦とあれば観なければイカンと
DVDを入手。主役は黒人ハーフの姉弟と北林谷栄演じる祖母の三人。
これも知ってた。福島の片田舎が舞台。黒人ハーフが主人公とくれば
当然のこと人種差別がテーマになると思っていたけど、それは一部で
しかないことが新鮮だった。近時ありがちな問題を訴える目的の映画
にあらず。村の中での差別はあるけど、いたずら盛りの子供ならではの
やんちゃぶり、大人に叱られてもどこ吹く風、差別に傷ついても
いっときのことで、すぐに遊んだり手伝いをしたり、いつも通りの
生活がある。
それが自然な流れで物語られていることに感心。細々とした悩みは
あるけど、全体を包む伸び伸びとしたおっとり感にも心打たれたワイ。
子供が重要な役割を占める映画は、生まれてはみたけれど、二十四
の瞳もあるけれどこの映画の二人は負けず劣らずの良さでね。確かに
古さは感じるけど、今の私でも十分に楽しめる映画であり80点の
評価は納得できるものでありやんす。
老婆に定評のある北林谷栄はいつも通りの役者ぶり、主演の姉弟も
達者なもんでね。ワザとらしさなんてこれっぽっちもない。監督・
今井正は子供の扱いがこんなにも上手だったのか、ちぃとも知らな
かった。
古都:
赤瀬川原平のエッセイで触れられてて気になってた映画。
川端康成原作、主演は岩下志麻が一人二役。主役は京都そのもの、
筋立ては京都を生かすための脇役でしかない。巻頭、京文化の象徴
でもある町家や格子などいくつかのカットが連続し、見事な映像美
にうっとりだ。大げさでなく身を乗り出す態の私。父母に宮口精二
・中村芳子は出番が多いからまだしも、柳永二郎、東野英治郎、
浪花千栄子、田中春男らの芸達者がたった1シーンだけ演じる
贅沢ぶりに驚く。今さらながら当時の豊富な役者陣に涎止まらず。
川端康成の小説は読んだことないけど、こういう世界なんだろう
な。滅びゆく日本文化や人情の機微、73歳になった私にとって日頃
感じる感慨は同じようなものだ。とすれば小津安二郎や成瀬巳喜男
と同じように年齢を重ねないと理解できないのかもしれない。
さらに撮影の成島東一郎にも拍手喝采だ。落ち着いた色調で
いかにもな古都の雰囲気を味わえる。着物や帯、座敷の箱階段、
涼しげな簾(すだれ)などの調度もおさおさ怠りはない。う〜む。
未見の映画残り少なし・・・・・・・・な、店主でした。
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他方で志ん朝のテープを貸しても良さがわからないとか、「利休」の
DVDを観ても歴史は苦手なんていうお客さんがゾロゾロ出て来、時代の
変わりようを改めて思い知る昨今だ。何気なく使っていた日用品とか、
自分の知識や価値観は自分の中じゃ在り続けていたけど、若い世代の
方々とはけっこうなズレが生まれているらしい。
専門学校で教えていた頃、卓上ボール盤を恐がって後ずさりした学生
がいたのが今思えば端緒だったのかもしれない。小片の板ならともかく
大きな板に5?程度の穴あけなら怪我をする心配は全然ないにも拘らず
だ。きっと生まれ育ってからこのかた金づちはおろかペンチにも触る
機会はなかったんだろう。そんな学生に木工作業を教えるなんてこと
できるんだろうかと思ったもんだ。
昔は当たり前のことが、今はすっかり消え去ってしまった。それを
口にするとまた老人の繰り言が始まったと言われるんだろう。でもなぁ
と思う自分がいて、いやまったくどうすりゃいいのさ思案橋。これも
わかってもらえないんだろうけど・・・・・・。
とはいえ良いこともたくさんあるわけでね。
一人パソコンに向かってクラシック音楽を楽しむ喜びもその一つだ。
音楽とともに暮らしてきた60余年、以来所謂ポップスとクラシック
は両輪だった。中学生の音楽の授業、レコード鑑賞の時間にペルシャ
の市場にてかなんか聴きながらボンヤリ校庭を見るひとときが始まり
だったかもしれない。少しづつオーディオにも手を伸ばし、FMも聴け
レコードやテープで楽しむことができた。お金もなかったし、格別
良い音ではなかったが、今はFMがネット配信になりさらには動画
まで観れるとなり、夢は?と問われれば今と断言できる時代となった。
高校生や20代の頃には考えることもできなかった素晴らしい環境
となった。そんな中、ご贔屓のAKADEMIA FILMU I TELEWIZJIが
ラプソディ・イン・ブルー発見。ポーランド?の学生がガーシュイン
をどう料理するのか、意欲はわかるけどチョットなぁ。口直しにと
フランス?かどこかのオーケストラを聴く(観る)。指揮とピアノ
はWayne Marshallなる御仁。知らなんだ、ええやないか!
はじめのクラリネットの女史もいとをかし。ふだんはクラシック、
で今回はJazz風の演奏を求められ不慣れな様子が伺える。ましてや
指揮者は黒人だ。心中お察し申し上げる。
思わず丸々聴いてしまいました。深夜になったにもかかわらず
Wayne Marshallをさらに深掘り、アンコールに出会う。デューク
エリントンのC Jam Bluesだ。楽しい演奏に心は弾む。バイオリン
のアドリブ気持ちいいっす、件のクラリネット女史も頑張ってる。
聞いて極楽観て極楽、数度聴いてのちさらにWayne Marshallを
検索し、Funkhausorchester版に到達する。どうやらケルンの
オーケストラらしい。のっけのクラリネットが素晴らしい!
なんだかガーシュインの世界にだんだんと近づいてくるような
感じだ。
名曲の演奏を品定めする喜びとでもいいましょうか。若き日の
私には考えられなかった環境が目の前にある。しかも音質も良く
映像付きとあった日にゃ応えられませんぜ、旦那。
言うまでもなくクラシック音楽はすべてがカバー曲ばかり。
オリジナルなんてものは昔々のそのまた昔の話だ。今生きてる
人は誰も知らない。曲は古いが、解釈や演奏によってその都度
新しい命が吹き込まれ新たに甦るのはクラシック音楽のみに
許される特権ではないかしら。なんちって
あ〜ぁ、クラシックファンでよかったァ・・な、店主でした。
]]>
取り付け位置のせいで我が家のトイレがBEST観察スポット、利用する
たびに目を向けていたんだけど、4月に入ってからどうやら営巣してる
ようで、楽しんでいたのよ。
裏隣は農家、広大な庭に隣接して我が家のちんこい裏庭があり、以前
カミさんが入手しブットク成長した桜の木に取り付けたわけ。
野鳥の営巣なんて、ネットで見れるし格別のもんじゃないけど、
実際に自分で作った巣箱となれば話は別、早速農家の当主にご報告。
なんたって営巣は周囲の環境があればこそ、礼を失しないように
ご挨拶申し上げた次第。それを聞いた当主の反応が素晴らしく、
ひどく興味を持たれた様子に痛く満足なワタクシ。
写真を撮って欲しい、できれば動画が望ましいとのリクエストを
受けて、
パチリしたけどこの程度しか撮れない。古いデジカメ愛機、
シャッターを押せども反応きわめて遅く、四十雀の動きに追い
つけない。なんてこったい、何度撮っても同じことやないか。
ならばと動画は撮れたもののブログにアップできないときたもんだ。
ってことでこの写真で想像を膨らましていただくほかない。
巣穴からヌゥッとなにやら見えるのがまさに飛び出そうという
四十雀。ご勘弁よろしく。
さて、毎日トイレの窓から観察していたんだが、ある日を境に姿が
見えなくなり、カミさんともども「どうしたんだろう」が数日前でね。
覗きすぎたのかしら、ほかの鳥に襲撃されたのか、あるいは蛇の仕業
かとか、心配しとったんだが、当主の奥さんから「巣立ちしたらしい
ですね」と言われ、あっと驚く為五郎(古いな)。
聞けば旦那(当主)は、ちょっと離れたところに椅子を持ち出して
単眼鏡で観察してたらしい。子育ての一部始終をじっくり楽しんだ
らしい。それをカミさんに話すと「一言伝えてくれてもよさそうな
ものだ」とか言っちゃって。ま、私も同じ気持ちなんだけどネ。
そんでもって昨日、町会の集まりで他にも使えていない巣箱が2個
あるけど、もしよかったらお庭の樹木に設置してもらえないと伝え
たら、早速今朝受け取りにきてくれたんだ。当主の家は木造瓦葺き
なのでいろんな野鳥が巣を作るが、これまで巣箱を作って設置しても
営巣されたことがない、とのこと。それもあって今回の営巣に並々
ならぬ興味を持ったことがわかり、やっぱりな〜。
ほかの巣箱を取り外してお渡し、いいじゃんコレといたく賛辞され
もっと作ってわがカフェに置いたら売れるよ、5000円くらいで。
う〜む・・・・・・・・・・そう言われてもな〜?
も一回営巣してくれないかな〜・・・・・な、店主でした。
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久方ぶりに荷造りし、国際郵便で送ろうと郵便局へ持ち込むも、素気
無く拒否られ、そうかいそうかい納得して再々仕切り直しが昨日の
こと。
送るのはうちわ。新店舗の照明に使いたいと。軽いしかさばらない
から大した荷造りではない。いつも通り送り状を作るためHPを開いて
・・・・・以前と様子が違う、あれ?ってなもんですわ。そこで気が
つかないのがシロウトの悲しさでね。ま、いいか、適当に書類を作り、
郵便局へ。
友人の希望はSAL便、飛行機と鉄道の組み合わせ、2〜3週間で
届く。窓口でコロナの影響でSAL便がなくなったと言われたのが
そもそもの始まり。航空便か船便しかない、航空便だとスモール
パケットしかない、それには重さ制限があり2kgまでだと。ヘイヘイ
そうざんすか、ならば小分けして重さを分散、再度持ち込むも、今度
はサイズが大きすぎると。ハハァ〜そうなっちょるんだな、再梱包
して3つに分けて無事発送完了!
おかげで3回も往復してもうた。これも勉強と思えば腹も立たず。
しかしなんでんな〜、こんな隅っこにひょっこり顔を出すコロナ災、
油断も隙もありゃしない。重さもサイズも厳しい制限がしばらく
続くとあれば、当分の間発送業務はないだろう。オチもない話を
ダラダラと情けないときたもんだ。
さてさて、その友人の新店舗。facebookに写真が掲載された。
外観だ。写真が小さいぞ。人が立ってる奥が入り口なんだろう
これから内装工事が始まるとのこと。あっちは古い建物ばかりだ。
どこもこんな感じ。なにしろレンガ作りだから、表皮を壊して元の壁に
たどり着くだけでも大変なんだろう
驚いたのは換気システム。地下に設置しなくちゃならない。
ゲゲってなもんだ。盛大なダクト、もちろん送風モーターもあるに
違いない。その電源もけっこうなモノなんじゃないか。
これら箱状が送風機なのかな? それにしてもデカすぎないかい
ダクトだって相当なもんだ。
換気システムは地下だってんだから、店は一階だろ。
にも拘らずこないな大層な換気設備が必要なのかわからない。
窓が小さいからなのか、あっちはそういうことになってるのか。
いずれにしろ見に行かねばなるまい。これまたオチもなく失礼!
毎日大谷三昧で忙しいこった・・・・・・な、店主でした。
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ご近所に住む方が縁でね、妙齢な女性4人それぞれの作品が勢揃い。
コラージュ作品です。当店を利用する知人が、何かあったら知らせて
チョってことだったんでメールしたら、返事にAct localなる言葉が
あったわけ。聞いたことなかったんで調べたら、ヘェ〜そういう
ことかいなと納得しつつ、それってわたしが日頃考えてることと
一緒じゃんと膝を打ったんだわさ。
我が町会の集まりでもウクライナ戦争のことに話が及ぶのは何処
も同じだろう。さっき、用事で出かけたら道で立ち話してる二人の
女性の会話に「ウクライナ」の単語がわたしの耳に届いたくらい
だから。支援金を出したり、facebookで訴えたり、人それぞれの
やり方はあろうけど、わたしは私なりに展示会を催すってこと。
ま、初めっからそういう思いでいたわけじゃないけどさ。
敬愛する筒井康隆氏が、いずれ地球はなくなってしまうんだから
それまでの間みんな仲良くしようみたいなこと言ってたけど、私も
同感でね。一見、あまりにも呑気で楽観的っちゅうか、世界が抱え
ている問題に対して無力な意見のように思えるけど、そうかな〜?
と思ってしまう私なんだわさ。五千万年後には人類の遺産はすべて
消え去り、そして地球そのものが消滅することに考えを及ばせる
ことができれば、小さなイザコザをやってる場合じゃない。
それは人間の死と同じこと。旅行の前にガイド本を読むように
死ぬことを事前に調べたり知っておいたほうが良くね、の説を何か
の本で読んだことがある。人が死ぬことと地球が消滅することは
避けることができないことだ。その事実を受け入れて、ならば今
毎日の生活の中で何をしたらいいんだろうと考えながら生きてゆく
ことが正しい在り方と私は思っているのですわ。
ってことでの展覧会。まずは展示する棚を作らなければならぬ
これだ。いつも通り井口材木店で製材してもらい、私が加工した。
前側に溝を作り、
こういうふうに薄いボード作品を差し込む。まぁ思い通りですわ。
普段は、って〜と、この通り。溝の通り道に穴開けて太いピアノ線?
を差し込めむと
レコードを置ける。こういうのを一石二鳥っていうのかしら。
ま、実にカンタンではあるが、棚が目立つこともなく、あくまで脇役
なことを心得ていて自画自賛。ついでに言っとくと、両サイドの穴は
壁に直接ビス留め用のもの。
これまでも壁面はレコードが並べてあり、それ用の棚はあったんだ
けど、ときどきの不要材でにわか作りの代物でね。それはそれでパッチ
ワークのようで面白い、と思っていたけど、いい加減ここらへんで
きちんとしたこともできるんだっせ、でやってみるべえかとチョイと
思った程度のこと。これも大したことじゃないことは承知の上。
はて、これが世界と繋がるのかネ・・・・・・な、店主でした。
]]>
転換点を迎えたのかと思わされた。何事にも終わりはあり、それが今
なのかとね。高音低音を受け持つ2台のアンプが欠けるとあれば、相方
のスピーカーにも大きな影響が出る。片方2ケ、両方で4つのユニット
は不要になり、デカイ箱は解体せねばならないのか。あれこれ走馬灯は
駆け巡るワケだ。
でもなぁ〜、私のオーディオ歴の最高位にある2wayマルチを捨てる
にはまだ早すぎるってもんだ。とか思いつつ、ふと高音低音を調整する
ネットワークアンプのスイッチを数度動かしたら、なんてこったい高音
が出るじゃんか! ここの接点が不良で音が出なかったんかい!!
こういう時こそ一服ってことでタバコに手が伸びる。
ともあれ私だけのひと騒動は収束したワケ。で、ということでもない
けど休店のきのう青山のイッセイミヤケに行ってきた。ネット配信で
見たこれを買いにね。
夏を迎えるにあたって、大きな問題はスリッパだ。冬用はL.l.Bean
があるから当分はOK。底も張り替えたし。去年は沖縄産のビーサンを
試したけどブカブカになってイマイチ。今年はどうしようかと思って
いたところに巡り合ったスリッパ、問題は価格。果たしていくらなの?
3万円?・・・・・4万円?・・・・・もっとするかも。
青山通りから次々のイッセイミヤケを表敬訪問し、最後にA-POC。
入店し、左にある現物を手にし、お値段を聞いたら8万円以上とな。
う〜む、高いな。そりゃ確かにルブタンに比べりゃ安いけど。ソール
は樹脂、しかもかなり複雑な構造だ。型に流し込んでプレスという
わけにはゆかないだろう。ひょっとすると3Dプリンターのごとき
ものか。そのソールに紐が巻きつけてある。むろん手編みだろう。
それゆえの金額なのはわかる。
でもな〜高いという印象は拭えない。結局買わなかったんだけど。
今のお財布事情じゃ買えなかかったとも言えるけど。帰りながらなぜ
買わなかったのか、考えたんだ。今までの経験からすれば8万円と
いう金額は驚きゃしない。ホントに気に入ったら買うに決まってる。
10回の分割にすれば毎月一万円弱で手に入るし。どうってことない。
結局、気に入らなかったんだ、ってことで考えは落ち着いたのよ。
さらに気に入らなかった理由に考えは及ぶ。足を乗せるソールを含む
底部は問題はない。気になるのは上部にある。左右の紐と足の親指と
人差し指の間からの紐がまとめられるほぼ三角形の部分(呼び方が
わからない)に曲がない。この部分だけをみると、オリンピックで
売られている安価なスリッパと変わらない。どう見たって8万円の
デザインじゃない。
足を乗せる部分は太い紐編みだ。畳敷か竹皮のような雪駄を
イメージしてることは一目でわかる。雪駄(下駄でも)には鼻緒
は欠かせない。このサンダルで鼻緒に相当する三角形の部分は
いただけないものだ。贅を尽くした鼻緒があるように、ここにも
相応のクオリティが求められる。それが、素材は何であれ黒の一枚
ではバランスに欠ける。ルブタンよろしく、はたまた昔の鼻緒の
ようにヘビ皮、でなくとも今風の織物かなんかで仕上がっていれば
買ったかもしれない。
思うに、ここが芸術品かどうかの境目なのかもしれない。
芸術品なら8万円は安い、日常品で8万円は高い。じゃその違い
はどこなのか? 違いの最前線はどこなのか? 私の考えではこの
鼻緒だな。このアンバランスが生まれたのはなんでかなぁ。三宅
一生が元気であればOKしたんだろうか、このデザインで。私には
そうは思えない。それはほとんど確信に近い。
季節の折々に青山の店舗に訪れつゞけているけど、最近スタッフ
の方々が様変わりしてるのも気になる。ごく若い人が多いんだ。
昨日は風雨強く店内に客は私だけ、閑散としたもんだ。どの店でも
若いスタッフは、見えることしか説明しない。他の色があるとか
縫い方の工夫とか。そんなものちょっと見ればわかることであり、
見えないもの気づきにくい隠れた部分を説明してこその接客技術
なんじゃないかな〜。
若いからブランドの歴史も商品知識もないことはわかる。経験
も少ないだろうから、初見の客がどういう人だか判断できない
こともあるだろう。初めて来店された客なのか数十年通っている
客なのかの違いもわからないんだろう。それを問題にはしない。
私が不思議なのは、つい数年前までは、商品を前にしてお喋りが
できたり、話す中で名前を聞かれたり、がチョイチョイあった
ことだ。
一番驚いたのは、一度も話したことがないにもかかわらず
さらっと名前を呼ばれたことだ。きっと先輩から聞いたんだろ。
あるいはカードで支払ったときにサインを見たのかも。その時
思わず「どれほど客の名前を覚えてるの?」と聞いたら100人
ほどだと、でも先輩は何倍も覚えてると、聞いてさすがイッセイ
ミヤケ、スタッフも商品同様かなりのもんだと感心したわけ。
昔のことならいざ知らず、たった数年間でこれほどの違いが
出来するのはどういうことなんだ。84才の三宅一生だから現場
に出て来ることは難しいだろう。今誰がブランドや商品開発、
スタッフの教育などを担当しているのかわからないけど、どうも
うまくいっていないような漠たる不安を感じてしかたないんだ。
サンダルの不調和、店舗の接客の2つだけでしか感じられない
けど、ISSEY MIYAKEが変わりつつある気がしてならない。
栄枯盛衰は世の常、創業者亡きあとの会社の維持はむずかしい
ことなんだろうけど・・・・・・・・・・・
中興の祖の登場を望んでやみませぬ・・・・な、店主でした。
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接触不良になり、片側が鳴らなくなった。症状は以前からあったけど、
数度押せば治ったけど、今回はどうやらダメそう。ここの部品はとても
小さいことは、修理過程を見て分かってる。接点も微小だから、使用の
頻度にかかわらず酸化による不良は起きるんだろう。
最近めっきり聴くことが少なくなったメイン2ウェイ。修理は可能
なれど、さてどうしたものか、思案投げ首。突発性難聴になり、左耳の
聴域が狭まりそのせいか大音量で聴くのは辛くなり、の故の出番減少。
豊かな低音は魅力だけど、豊かさを実感するには音量も大きくせざるを
得ない。肝心の私の耳が変化したとなれば、装置もそれに合わせるのは
当たり前のことだろ。急を要する問題ではないけど、いずれ2ウェイは
縮小する予感充分だ。
さておき、Youtubeで何回か出会ったクラシック番組があってね。
気にはなっていたけど深掘りすることなく放置してたんだ。数日前ふと
思い立って検索。AKADEMIA FILMU I TELEWIZJIに辿り着いた。
AKADEMIAというからには学校だと思うけど、FILMU I TELEWIZJI
がわからない。どうやらポーランドの団体らしい、翻訳したら「映画と
テレビのアカデミー」ってことで、一段落。
付かず離れずのクラシック音楽、いろいろ聴いた末クリストファー
ホグウッドとエンシェント室内管弦楽団が最高位だと決着はついた
のが随分と前。イタリア合奏団に始まり、アカデミー室内管弦楽団
でしばし時を過ごした末のこと。切れ味鋭い演奏は前提条件だけど、
当時の奏法を研究し古楽器を用いて奏でられる曲は、私にとって
ほぼ無上の喜び。興味のない方々には「そう言われてもなぁ〜」
とは思うけど。
Amazon musicでは多くのアルバムが聴けるけど、動画が少なく
不満が募っていたところに耳に止まったのがコレでね。そもそもの
出会いは、ビバルディの4つのバイオリンのための協奏曲。いくら
耳をそばだてても4つの違いが聴き分けられなくて忸怩な思いで
いたの。たまたまこの曲を演奏しているのを見て、ナルホドそういう
ことかと長い間の懸案事項が解消されたんだ。
目で見て奏者の立ち位置がわかり、次々とバトンタッチされる
様がわかり、どーりで聴いただけじゃわからないはずだといたく
納得したんだわ。目からウロコとはこのことだ。それはモーツァルト
でも同じことでね。耳で聴いて知ってる曲、動画で見れば理解も
多少は深まることがウレシイ。
多分学生の演奏だろうから上手下手はあるんだろうけど、高名な
演者の違いもわからないお子ちゃまな私であれば充分なんですわ。
画像鮮明、音質クッキリ、歯切れの良い演奏と相待って現時点では
何の問題もない。っていうか充分すぎるほどのクオリティだ。これで
しばらくは堪能のひとときを過ごせることは確実だ。
そして大ファンの京都橘高校のブラスバンド部に進展があった。
時折どうしているのかと覗いているけど、プロのドラマーとの共演
を見つけたときたもんだ。おなじみのシングシングシング。
白髪のこの方全然知らない。あっちこっち探して阿野次男さんと
わかり、ナルホドね〜。須川展也さんと同じく吹奏楽部と共演する
ことが楽しくて仕方ないらしい。
百戦錬磨のプロと高校生じゃすべてが違いすぎることは、素人の
私にだってわかる。わかりやすく言えば音が違うもん。でもさ、
それはそれとして物怖じせずに共演することを楽しんでる様子は
素晴らしい。こんなプロと共演すりゃ上手くならないはずがない。
それにしてもこんな機会を得ることができた部員の人たちは
幸せなことだ。羨ましいのぅ〜。
こんな贅沢な日々でエエのんかいな?・・・・な、店主でした。
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感のあるウクライナ戦争。遠く離れた我が町下丸子の町会理事会でも話題に
なったのが昨晩のこと。おそよ20人弱のメンバーの意見が入り乱れたんだ。
いずこも同じだろうけどメンバーは人生の夕方を迎え、夕陽に染まった
顔の面々がほとんどでね。その末席を汚すのがワタシというわけ。
ことの発端は、会議終盤に起こった。区役所に設置してあるらしい
「ウクライナへの募金箱」について、ふと漏らした区役所の担当者の言葉
を紹介したのよ。思った以上に寄付金が少ないと。うーむ、こりゃ難しい
問題を持ち込んでくれたもんだ。そりゃ私だってウクライナをなんとか
したい気持ちはある。早く終わりになればいいとは思ってるけど、世界
情勢と下丸子町会では距離も規模も違いすぎるもんな。
そして、区役所に募金箱が設置されてることそのものが初耳だという
理事がほとんどということも問題だ。寄付金を多くしたいのならもっと
宣伝すべきということは誰でもわかること。区役所の努力が足りない
ということで済まされると思うけど、今回の記事の本意は別にある。
これについて数人の理事が意見を述べたけど、もちろん総意として
まとまるわけはない。しばし混乱し踊っている会議を締めたのが一人
の理事。
小さな町会の集まりで、ウクライナに援助するか否か、援助すると
してその方法を話し合うことは「おこがましい」と。そりゃ確かに
ちっぽけな下丸子町会で天下国家に援助したって象を助ける蟻みたい
なもんで、何ほどの役には立つまい。しかし、だからといって「お
こがましい」ことではないだろう。江戸時代の長屋の立ち話だって
幕府のやり方に意見を交わすことだってあっただろう。今だって
同じことだ。
「おこがましい」を調べてみる。ばかげている、みっともない、
出過ぎている、差し出がましい、なまいきだ(広辞苑)。うーむ、
やはりこれはちょっと不適切な言葉ではないだろうか。たった一言
の意味を揚げ足取るのも大人気ないとは思うものの、気になる私の
アンテナの動作状態が異常なのか正常なのか、が気になるんだわさ。
年齢による劣化、はたまたバイアスが掛かっているか否か、がね。
当町会のウクライナ問題は、その方の発言で収束し、ほぼ終わり
近くで、その方が発言を求めたんだ。会議はもっと効率よく進めて
いただきたい、と。つまり時間がかかり過ぎるってことだ。確かに
議題に枝葉が伸びて右往左往することは認めます。一見、どうでも
いいことに時間を費やすことも少なくない。きちんと準備して適切
な進行を心がければ短時間で会議は終わるでしょう。
その発言を受けて会場はしばし重苦しい雰囲気になるが、独り言
が聞こえてくる。仕事じゃないんだから、たまに会う会話を楽しみ
にしてる人もいる、ダラダラと進む会議も理事間の親和をもたらす、
などなど。どうやら多くの町会理事は、この発言に賛成しかねる
雰囲気なんだ。ふ〜ん、やっぱりね、なワタシ。様々な考えの人
の集まりではあるけど、この一点が共通の認識なんだと、意を強く
したんだ。
この方、私の隣家でね。キッチリとした庭の手入れ、洗濯物や
布団干しはすべてこの方がやっているように見える。上場企業の
社長もやってたと噂に聞く。長年、仕事で無数の会議をこなして
きたのでしょう。だからこその効率の良い会議を願いたいという
発言なんでしょう。前々から、会議の進行に不満を持ってらして
いるんじゃないかと思ってたけど、この発言で「やはりそうで
あったか!」の思いに太鼓判が押された。
仕事は大変だろうけど、目的は明確だ。多くの会社は利益をより
多く求め続けるものであり、すべての業務がその一点に集約されて
いることではないか。そこで求められるものは効率化であり合理性
であるだろう。でも、町会はそうではない。効率化も確かに必要
ではあるけど一部であり、全体はもっと混沌として猥雑なもので
あるからだ。地位身分遍歴さまざまな烏合の衆とも言うべき人の
集まりといっても差し支えない。
仕事と違ってお金が出るわけでなし、いい加減な部分も欠かせ
ない。ゆるい関係で成り立っている組織であることを忘れては
ならない。そんな組織をまとめるには、時にはダラダラな進行、
無駄に見える世間話の類い、が必要でね。目的は横並びいくつも
ある。災害時の備えも、町民のつながりも、町の賑わいも、乱立
しているわけだ。目的が多過ぎて、無目的に動いているようにも
見えてしまうほどなんだわさ。
そんな町会にある意味シンプルな企業の論理を持ち込んでは
いけませぬ。ことはもっと複雑で、それこそたくさんの関係の
関係で成り立っているんだからさ。
だから町会は面白い・・・・・・・・・・な、店主でした。
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ことを知る。雪を甘く見たわけじゃないけど、冬の北海道を訪れるには
相応の覚悟がいることを改めて思い知る。爪の垢程度の雪で大騒ぎする
東京をニュースで取り上げることが恥ずかしい。現地の人はせせら笑って
いることだろうってね。
そしてウクライナ戦争だ。多くのニュースの中でひときわ輝いたのは
ケニヤ大使の発言。あくまでも私にとってのことだけどさ。まことに
理に適った内容で、こうでなきゃいけないの感強し。土地もお金もある
大国に比べりゃ、小国なんだろうけど、そんな瑣末なこととは関係なく
言ってることは真っ当だ。日本を含め大国意識の国々は脛に傷持つ過去
の持ち主ばかりだから、言いたくとも言えないのかもしれないけど。
おかげでロシアのスポーツ選手は締め出しをくらい問題視され中だ。
その昔、巨人の長嶋が「平和でなけりゃ野球はできない」と自民党支持
にまわって物議を醸したことがあったけど、スポーツってのはそういう
もんだと私は思う。それは音楽や映画も同じこと。恒産あっての恒心あり、
ある程度の生活水準が保たれていてこそ心の平安も保たれる、平和が
あってこそスポーツや音楽も楽しめる。私はそう思うんだけどなァ。
とかいって、昨日税金の申告に行ってきた。右肩下がりの私のやる気、
領収書の整理だけでも汲々とする有様、書類の記入の段になり、一欄
書いては一休み一二欄書いては二休み、牛歩のあゆみには遠く及ばず、
ミミズのあゆみの如し。結局なんだかんだで三日もかかってしまった。
このところパソコンキーの打ちミスも多くなり、やる気の消失と相待って
漠たる不安を感じるんだわさ。あぁ、これが老化ってことなんだろうか
ってね。大丈夫か、オレ?
お次はプリンターだ。以前から妙に青みがかっているとは思っていた
んだ。原因はインクタンクか? ネットで調べ、洗おうと思い、インク
部分を外したら、底部は青びたし。新しいインクを買い、教わった通り
洗浄し、セットし直したら黒が出ない! なんてこったい、何回やっても
出ないやないか!!詳しい人ならチョチョイのチョイで治せるのだろうが、
こちとら知識もないど素人だから捨てることにした。
旧型の後継機と思しきものを入手して
棚の右部分に納めようとしたら、入んないでねーのョ。幅が広いんだ。
前のもギリギリだったからさ、ひょっとしてとは思ったんだけどネ。
要は事前に調べろよってことなんだけど、調べたって納まるのはここ
しかないからどうしようもない。
しょうがないから左のアンプを右に移動することに。引っ越す距離
は短いが、配線の抜き差しが面倒でね。とはいえ、やねばならぬ
ホトトギス、やらねばプリンターの梱包がほどけませぬわいな。
そんな怠惰な日々の徒然なるお友達はパソコン。そりゃ本もあるけど、
良き友No.1の地位は揺るがない。そんな日頃YOU-TUBEで藤圭子に
出くわす。お相手はあの北島三郎。一声聴いて仰け反った。んでね、
美空ひばりもあったのよ。同じシチュエーション同じ曲、お相手も
同じ北島サブちゃん。
みなさんはどうでしょうかね、この競演。私はダンゼン藤圭子
なんですけど。しかも圧勝と見ましたが・・・・・・・・。
そんなことを思ってる私は過去を懐かしんでるだけなのでしょうか?
そうは思いたくないけど、例えばの話、今の紅白歌合戦に登場する
歌手や楽曲と昔(といっても20年ほど前だが)のそれとは明らかな
差があるように思えてならないのですわ。時は流れ時代は変わるのは
わかるけど、それにしても、とついつい思ってしまうのです。
一体私はなにを望んでいるんだろうか・・・・な、店主でした。
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ひとことだったかな。それいいね!と乗ったワケ。
ともあれ、この季節の北海道で車の運転なんかできやしない、ってことは
すべて鉄道移動になる。それくらいの節度は持ち合わせている。旅程を組み、
時刻表を調べるが、これがなかなか難敵でね。ネットでの調べ方そのものが
うまく行かず思わず図書館で時刻表を調べようと思ったけど、細かい字満載
の本を繰ることなんかできそうもない。結局みどりの窓口のお世話になった
けど、つくづく彼の地の事情をなんも知らないことに気がついた。
冬の北海道を訪れるのは、恐いもの見たさでもある。また、おぼろげの
記憶の中の米沢の雪をふたたびということでもある。さらに、夏の北海道
を楽しむだけじゃ片手落ちじゃろ、冬の厳しさを味わなければ丸ごと理解
したことにはならないという奇妙な平衡感覚によるもの。美味しいとこだけ
のつまみ食いではいかん、苦味や辛味も味わってこそ美味が引き立つって
もんだ、とね。
往路、車中から札幌を見る。TVで知ってはいるけど実際目にすると
大変さがよくわかる。こんな路面で運転することなんか考えるだに
恐ろしいことだ。
小樽駅に到着。趣のある駅舎にうっとり。レールを曲げたと思われる
壮大なアーチ越しにパチリ
駅前広場、ガードレールに閉じ込められた自転車哀れ。
考えるまでもなく雪が積もれば自転車には乗れない。歩くのも大変と
相まって、バスが生活に欠かせないことを思い知る。天狗山への往復で
バスを利用したけど、乗客の多さに納得することしきり。
平らな靴底しか持ち合わせてないコチトラ、懇意にしている古着屋
で凸凹底を買い求めたるがなんの役にも立ちませぬ。小樽の街は至る
ところこんな感じで、立て続けて転倒の憂き目にあう。
マスクのせいでメガネが曇り、足元がよく見えないこともあるにせよ
バランス感覚の劣化、瞬時の反応の遅きことの我が身を思い知る。
函館同様に海と山に挟まれた土地だから、いたるところ坂道ばかり。
タクシーの運転手に、現地の人も転ぶことはよくあると聞いても私の
実感は素直には頷けない。この状況が5月頃まで続くっていうんだから
頭は下がるばかり・・・・・・
場所は変わり旭山動物園。有名なペンギンの行進だ。雪にペンギンは
誠によき眺め、それにしても素晴らしい行動展示に心を鷲掴みにされる。
しゃがめばペンギンとの距離は手を伸ばせば届く。見てるこっちは
嘴で突っつかれるんじゃないかと心配になるほどだ。
ペンギンの行進は30分ほどか。けっこう歩きまっせ。行進のあとを
ぞろぞろとついて歩く人大勢。まるでチンドン屋をついて歩く子供だ。
これも有名なアザラシ。スンバラシイの一言!!
時間の都合で一時間半くらいしか居れなかったが、随所に見所あり。
雪が似合わないキリンやカバも充分楽しめる。山の麓にある地の利を
生かし、高低差をうまく組み合わせた施設の数々。背が高いキリンの
顔を間近で見れるのもその一例でね。そもそもの設計が良いことが
ヒシヒシと伺えるってもんだ。だからこそ
それに加えてスタッフの応対、各展示の説明パネルの心配りにも賛辞
を加えないわけにはゆかない。スタッフにとっては仕事なのだろうけど
それを感じさせないことが素晴らしい。いや、マジで。全国の動物園が
参考にするのもわかります。
ここを見るだけでも北海道へゆく価値アリ!・・・・・な、店主でした。
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中でも旧知のNew Yorkshire Workshopと新知のEngels Coach Shopは
ことのほかでね。片やイギリス(多分)の木工、も一方はアメリカの馬車
作り、数多あるモノつくりの中で、なぜかお気に入りなのだ。
木工仕事で厄介なのが木屑、私の小さな工房では燃えるゴミ45ℓ袋に
シールを貼って置いとけば収集してくれる程度で済む。しかし、大型の
集塵機ではそうはゆかず、知人の工房では乗馬場に敷かせてもらってる、
なんてことを聞いた。何処も同じ秋の空、New Yorkshire Workshop
では木粉のままストーブで燃やしていたんだが、堪え兼ねてこういう
ことになった。
機械から生み出される木粉は、組み立てられた上部に集塵されるから
階段の上り下りも大変だし、ストーブに入れるのも粉が舞い散るから
かなりのストレスなんですわ。私の小さな集塵機でさえ面倒なんだから
大袋からの移動は察するに余りある。意を決して圧縮してピレット状に
しちまえ! その顛末の動画だ。
この人大好きでね。眉間が狭くいかにも神経質そうな風貌がいい、
字幕だけ(日本語に自動翻訳できる)もいいし、カット割りがよく
観ていて気持ちがいい。また道具もよけりゃ、対象となるものもいい。
よくある技術をひけらかし皆無、自分の家の改築やら工房の整備やら、
肝心の仕事の作品がほとんどない。これは一体どういうことなのか?
名前はラス君、アドレスがわかれば即メールしちゃうんだけど。
さまざまな試行錯誤のラス君同様、私の火鉢テーブルもようやく
完成となった。台を作り、上に天板を乗っけ、ぐらつかないように
四周から八ヶ所で押さえつけたが、天板を押すとグラっとして危険
この上もなし
台にチン恋部品を取り付け、天板下部の2箇所からワイヤーでグイ
っとね
部品はこんな感じ。ワイヤー上部でターンバックルで締め上げれば
ピクリとも動かず、まるで狩蜂に刺された芋虫の如し
ついでに、これが四周からの押さえ。長いボルトで外から締める。
ボルトの先端には火鉢防護の皮革
も一方のEngels Coach Shop。今どき馬車なんて、と思うのは
日本人だからか。よくわからんけど。こうしてせっせと(かどうかも
わからんけど)作っている人がいるんだから、頼む人がいるんだろう。
馬車は、木部と鉄部の組み合わせだけど、すり合わせ方が感心する
ばかり。ヘェ〜、そうするんの、なるほどね。台車部分も面白いけど
シートや折りたためる屋根?もいたく興味深くってさ。興味は尽きない
のダ。
特に感心したのがコレ。仕事の合間に奥さん(多分)のいちご畑の
野鳥除けだ。本業の合間に「いいよ」と気軽に作ってあげる。きっと
ご近所からの依頼も同じように作ってあげるんだろ。こんな感じで
生活に根ざしたモノ作りは、ホント憧れちゃう。
私もそうありたいもんだ・・・・・・・・な、店主でした。
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どっから見ても立派な老人だ。
そんなわたしがふと思ったことは蓄えた資産を食いつぶしてゆくこと。
資産といえば誰しも思いつくのはお金だろうが、それだけじゃない、
聴き続けてきた音楽、観てきた映画、読んだ本、これらも資産ってこと
を思いついたんだわさ。特に音楽や映画は、新作に目が行くことは少なく
なり親しんだ作品を再々楽しんでいるんだ。それでいいのか?と思わない
でもないが、旧作を凌ぐ新作が現れないんだから仕方ないっす。
いや待てよ、旧作を凌いでいないと思うのは私だけか?
旧作旧人を乗り越えた新作新人は現れていて、それに気づかない私は
マントルが沈み込むように、時流の地下深く埋没しつつあるということ
か。数日前、バレエ「くるみ割り人形」DVDを入手、むろん1989年の
ボリショイだ。すでに何度も観ているけど、ネットで観れなくなり、
どー〜ーしても観たい気持ち、3000円は惜しくない。振り付け踊り手
文句なし!なんたってバレエの扉を開いてくれた名作だから。この作品、
映像でふたつ、劇場でひとつ観たけど、1989年には到底及ばず、他を
みれば観るほど、輝きは増すばかり。どうにもならない。
これはほんの一例でね。先日、たまたまエラとサッチモの「ポギーと
ベス」を聴いて、素晴らしさにわたしゃ泣きました。ガーシュインは
けっこう聴いてきたけど、これがベストと思ったわけなんですわ。いや
マジで。そりゃ英語はわかりませんよ、楽器もできない歌えない私だけど
良し悪しはわかります、と思いたい。ダテに60年以上聴き続けている
わけじゃない、と思いたい。
そうだ! 音楽と映画の二大資産を食いつぶして行こ、そう思い
スッキリしたんだわさ。過去を凌ぐモノが現れれば食いつく気持ちは
あるけれど、私のアンテナに引っかからないんだからスッかたなかんべさ。
そんなわたし、これが直近の道楽仕事です。右が入手した姿、左がその
結果。少なくとも15年以上は前のこと、椅子4脚いただいた。コトブキ
のシールがあるから販売元だろうけど、どう見ても日本製ではない。
見ての通り折りたためます。一脚だけ背凭れが付いてたけど、どうにも
武骨だし折畳みづらいので取っ払い、背もたれ無しで使ってたんだ。
喫茶店で使うようになってそれじゃマズイ、手製の背もたれを作った
のは今年になってから
それ以前も、皮革座面が撓んできて、引っ張るために穴を開け直して
使い続けてきた。ステン板に穴開けるの大変だったな。
肘掛けがパイプ丸出しなんで、肘が掛からないので困るのことよ。
木を加工して
仮止めして
前方のせり出し長さを決め
ステンボルトで固定
後ろ姿はこうなる
肘掛けっていっても幅2?ほどだから大したことじゃないけど、
あるとないとじゃ大違い。多少なり肘が安定するもんな。パイプと木じゃ
手触りだって大違いだ。やればできる、それもきわめて短時間に、
どうしてやらないのか、腰が重いにもほどがある。
この椅子も資産といえるぞなもし。資産に手を入れつつ今日を過ごす、
同じような資産は狭い工房にけっこうある、それらに形を与え、私に
見合ったモノを作り出すのでいいんでないかい。しかもですよ、その
資産はこれぽっちも目減りしないんだからウレシイじゃないっすか。
音楽にしろ映画にしろ小説にしろ、それらの資産は同じように目減り
しない。するとすれば忘れてしまうってことしかない。でもね、たとえ
忘れたとしても脳みそのどこかにはあるはず?!
安心して資産を食い潰そうではないか・・・・・・な、店主でした。
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杉板でくず入れを作って欲しいと頼まれて2個お渡し、続いて座卓をと
依頼されたんだわさ。どこにでもある径60?円卓、ビーンズ形にしてと。
ネットで図形を拾い、拡大して切り回し、ついでに脚も無骨な角脚を
丸脚におまけ加工して数日前にお渡ししたんだ。
それにしても喫茶客から注文されるなんて、なんか屈折してるなぁ。
家具の加工引き受けますと看板出しての注文ならわかるけど。注文を
受けるために喫茶店にしたわけじゃない、くっちゃべってる間で何かの
拍子に「そういえば」で始まり、改造にたどり着く。遠回りというか
クランク状に折れ曲がった注文というか。これはこれで面白いけど。
でね、この美嬢依頼者、天板に丸く穴開けて何かを置けるように
したいという。小型の円卓、穴を開けたらさらに使いにくそうでしょ。
対策として穴の際に段差をつけてアクリルで蓋をすれば天板の使い方
に支障は出なくなるけど・・・・・キレイに行きそうもないし、
面倒臭い。さらに穴に落とし込む(収納部分です)のを何にするのか、
手持ちの籠もよかりけりなるも、やめたほうがいいと思ったわけよ。
結局、穴あけはヤメ、「置き」にすることにし
こんなのが生まれた。何を入れるのかわからない。目的がはっきり
してないけど、なんとなくこういうの欲しいんじゃね。真ん中に火山
のような出っ張りがあるけど、ウチの旋盤じゃこうしかできないのだ。
ここに何か、と思って見渡したら
これを発見? 小さい奴を
こんなふうに。下の丸板は、踏ん張り固定用で
ひっくり返すとこうなってる。なにせ小さいからプルプル指先を
宥めすかして、
出来上がったわけだ。なんだか良さげじゃない?
鳳凰っていうよりは狛犬だな、これは。丸板の厚みは5?、下から
3?ボルトで適当に締めてある。あまり強いと割れちゃうから。って
ことは、万一ボルトが緩んだときに備えてボンド付けは相成らん
ばってん、真鍮釘2本止めときたもんだ。
齢72才、これくらいがいいのダ・・・・・・・・な、店主でした。
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ことにこの季節は、店内に日差しが入り込みホカホカ。そういえば
ボノボでもあったな。「ボノボに特徴的な行動だ。 女性同士が,性器を
互いにくっつけてこすりあわせるように動かす。 友好的な行動である。
男女の間柄だと性行動をする」ネットでこんなふうに書かれてるのが
ホカホカと呼ばれている仕草。関係ないけどさ。
そうして過ごしていたら、天井が気になる。いや、以前から気には
なっていたんだけど、だんだんと気になり方が膨満するっていうか
なんもないのっぺり白面じゃいかになんでも色気ない。目につく
ことは少ない天井だけど、もちっとなんとかしたいと思い立ちあたりを
見回して、なんかないかな〜・・・。そしたらあったんですわ。数年前
の卒業制作がさ。行く当てのないこの作品、ずっと天井脇に括ってあり
ましてね。いよいよこれの出番かと
竹に布やら毛糸やらを巻き巻きしたものを數十本が作品、並べ立て
間仕切りに仕立てたんだ。立てる台は私が助けて作った。強引に天井に
取り付けて生き永らえていたけど、随分と前にポイ昇天、残ったのが
巻き巻き棒というワケだ。
さて、この棒をどうやって取り付けよう。これまで天井面につけた
アンカーボルトが十数本あるから、それにワイヤーを通して一筆書き
のようにしよう。問題はボルトの位置です。点の位置が決まらないと
線が引けない。そういえば子供の時、太釘を地面に投げ刺して線を
描く遊びやったな。2〜3のスケッチでチョイ考え、まずワイヤーを
通す。それが上の写真。よくみるとワイヤーが見えるでしょ。
そしてコレが完成形。モチっと量が欲しいけど、これしかないから
しかたない。飾るにしたってなんとなくじゃみっともない。齢72才に
してコレかよ!なんて言われたくないもんな。で、結局、文字にする
ことしか思いつかず。店名のFACTIOのFATIをなんとか描けたもんせ。
わかります? どれがFやらTやらか。残るCとOは板を切り抜いて
ぶら下げることになります。チャンチャン
ほてからに、シャンデリアの蘇生にも着手。数十年前知り合いの
ガレージセールで三千円で入手し、電気部品を取っ払い、ローソク用
に仕立て直した代物。冬は日が短くなる、夕方5時から7時まで照明
の主役は8本の蝋燭
お助け照明はあるにせよ主役はろうそくだ。Amazonでお試し買い
を経てカメヤマローソクで相談。8本入りを2日で使い切るから月に
15箱ほど必要となる。1ケースは60箱、4ヶ月分だけど一割引になる
を聞き、即注文。
しかしなんでんなぁ、夕方からの二時間だけとはいえ、この雰囲気
じゃ誰が見たってお酒となりますよ。暗いんだからさ。でも酒を提供
するってことになると小難しい対策が必要となり、そんな面倒なこと
やりたくもない。常連の方々だけにそっと酒が飲める、禁酒法時代を
楽しむということになる予想はいずれ現実となるだろ。
そうした時日がたち、故あって、大量の本(HONDAフィットに
ほぼ満載)がやってきたのがいささか以前、そして第2波。店も地下も
本で満杯なのだ、とにかく不要本を片付けよう、筆頭はパソコンや車の
類い本、次にソ連韓国関連本、を括りけっこうな山積みを見ながら一服。
どうにもならないのが文庫本、どこを探しても押し込む先はない。この
手しかないと棚を作る。
下に積んであるのは括った本の山。数回に分けて火曜日の分別ゴミで
処分する。欲しい人もいるんだろうけど、ヒマな喫茶店に来る客の中で
興味を持つ方なんて、それこそ藁束から針を探すようなもんだ。これが
遺産になりなねない。本意じゃないが火葬するしかない。
棚はすべて文庫本。レコードが飾ってあった場所だから文庫二段しか
置けないんだ。お客があれば強気に勧め、どうぞ持ち帰って下さいと。
昨日は7冊、この調子でゆけば年内中にきれいさっぱり、なれば嬉しい
けど。
発端はツマミの店、幾星霜の末に喫茶店が加わり、あれこれ手直し
してゆくうちに桃太郎みたいに連れが加わり、どこへゆくのでしょう
この店は、ってか。
たしか桃太郎は鬼退治に向かった?・・・・・・な、店主でした。
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冬支度で火鉢の用意。蓋を外せば火鉢は顔を出すんだが、灰がすっかり
固くなっている。全部の灰を篩に掛けて、打ち直した綿のようにフワフワ。
そのせいで嵩が増えて、火鉢から溢れんばかりになってしまったワ。
寒くなれば店の窓は締め切らねばならぬ。いかな喫煙可とはいえ、
無煙家のこともチィ〜ッとは気遣いたい。あれこれ排煙に考えを巡らせ
結局このようになった。
一般的には換気扇ってことになるのだろうが、ここではそうは問屋が
卸さない。たまな喫煙時にほのかな煙を掻き出すだけでいい、相応しい
のがない、アマゾンでちん恋扇風機をめっけ。卓上タイプだから静音で
風量も調整できるのも◎。以前、パソコンのアクリルパネルを丸抜きし、
木枠をつけて出来上がり。まぁまぁこんなもんだろうて。
そして、姪っ子の家の押入れを改造した机に棚板を取り付け、地元
下丸子の新聞を書き上げて掲示、これから息子の嫁の誕生プレゼントで
入手したOLD COACHのバッグのひも端部を木で作る。このバッグ、
リュックなんだが蓋部をくくる紐の末端(革製)が片方紛失しててね。
それを木で同じように作るんだが、小さいのと革紐をどうやって木の
小片に固定するかがいささか難事。
ま、それはそれとして前回の記事の続き。
福光から安曇野の宿、その前に松本城に寄る。これも連れのリクエスト。
途中に上高地もあり、道がくねってどうにもならない。トンネルも多いし。
ようやくたどり着いたらすっかり暗く、むろん中には入れない。
しかし、明かりに照らされた松本城はすばらしく、しばし佇むの心。
雲間の月も美しく、堀には白鳥が一羽。まことに絵になる。法隆寺の
塔を「凍れる音楽」と例えた人がいたけど、私ならコレだな。それは
バロック音楽だろう、と一人悦に入る。
そして翌日は安曇野。連れの言うがままに碌山美術館。福光記念館
と同様の感動だ。
入り口の扉が圧倒的でね。小窓もあり、取っ手の細工もけっこう。
天井アーチ型の支持もけっこう。庭も、併設施設もぜ〜んぶ◎。
展示してある作品は・・・・・・・・格別そそられません、のダ。
併設館の壁面パネル。一枚板に後ずさり、すごいな!
特別展示に興味津々、パクリと食いつく私です。分厚いアルミ一枚板
に小物が付いています。たしかテーマは不思議の国のアリスだったかな。
こりゃ取っ手でないかい。当店の取っ手たちもこうしたらどうか?
なんてね。しばし考えたりして。
同じくこの作家さんの作品。宙吊りが作品のテーマ。1ミリ程度の
ワイヤーで引っ張られた物体が宙に浮いてるんだ。こういうの大好き
だからさ矯めつ眇めつ眺めてしばし。う〜む、この方知らなんだ。
私としたことがぬかったわ!
上部は下部の土台から伸びた4本のワイヤーで宙吊りに浮遊して
います。一応計算するんだろうけど、上部の水平を出すのは大変だ。
水平かどうかを厳密測定するんだって御同様。ここに至るまでの労苦
を思って沈思黙考する。
それにしても地方にある美術館のなんとよろしきことよ。ここ碌山
美術館も敷地は狭いものの建物はどれも素晴らしく、庭も結構極まり
ない。
パチリしたのは案内板。鉄板(多分)切り抜きで一部彩色。枠も
アングルで角は丸面加工、上部の横貫の左右も見事な納まりだ。
文字もけっこうなら、男女マーク(特に女性が)も秀逸だ。おざなりに
なりがちな案内板だけど、ここのは文句のつけようがない。人で言う
なら指先まで神経が行き届いてる感じ。わかってもらえるだろうか。
でね、出ようとしたら木の苗が売ってるワケ。?と思ったけど、
庭の木々から芽を出したものとわかり、ウ〜ムの感は頂点になる。
スタッフの方々のアイデアに違いない。せっかくの芽だもんな、
此処を気に入ってもらえた方どうぞ持ち帰って育ててくんねェなんだ
ろう。いやまったく恐れ入谷の鬼子母神たぁこのことだ。
帰りの新幹線に間に合って良かったっす・・・・・な、店主でした。
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志功に会おうと一泊二日、昨日帰ってきた。志功といえば棟方、観るの
ではなく会いにゆくことが眼目だ。初めての北陸新幹線は2時間で富山着、
早いのなんの。
速攻、まずは福光記念館。市営なれど素晴らしく、都内の美術館とは
雲泥の差。敷地が広いし立地も文句ナス。館についてははネットに任せ、
入口の囲い?をパチリ。コンクリ小壁の笠木が銅葺きだもんな。いや
まったく。館内も推して知るべし。案の定満足。
んでね、眼目の旧居を教えてもらい、車で15分程度だったか
公園の一角、旧居跡に建てられた資料館?の真ん前にコソッとある
のは移築された元住居。撮ってみたもののなんかデジカメの調子が
悪いんですわ。ネットの画像を無断拝借3枚。 スマンこってり。
資料館?の方がわざわざ案内してくれました。すばらしい対応に驚く。
玄関に鍵は開いてて、どうぞと誘われるままに室内へ。入ってすぐ左が
子供部屋、右が応接間だったかな。子供部屋も応接間もとても狭く、今の
時代からみれば考えられないけど、当時はフツ〜だったのでせう。
案内嬢の解説はまことに適切、志功への愛が感じられるもんな。柱時計
もちゃんと動いてるし。細かいことだけどこ〜いうの大事でっせ。
子供部屋の隣が四畳半の居間兼食事処。据えられた釜が素晴らしくて
ウットリ。きっと名のある方の作に違いない。壁に友人たち(たしか6人)
との写真があったけど、かなり窮屈だったんだろう。それにしてもこんな
田舎に当時民芸のお歴々がわざわざ訪ねてくることに感心。作品もあるが
きっと志功の人柄もあったんだろうナ。こうしてその場に立てば、そん時の
雰囲気がまざまざと目に浮かぶってもんだ。狭くったって、珍しい来客を
歓待する雰囲気が充満だったんだろう。子供たちも動き回りつつの飲み会、
さぞや楽しいものだったに違いない。そんなこんなを思いを馳せて、志功に
会えた実感でお腹いっぱいです。
隣のアトリエ兼夫婦の寝室。八畳だけど今の六畳程度。ここに画材が
あり〜の、夜は布団敷き〜の、乱雑きわまりないことは容易に想像可。
板戸に描いてあるのは
コレ。写りが悪くてすまんのう。問題は、右の柱と長押まで筆が走り
っぱなしなこと。かろうじて長押との段差で壁までいってないこと。
いやもう、笑っちゃうな。数十年前のある日、止むに止まれず描きたく
なっちゃったんだろう。描きたくてたまらない溢れる気持ちが目の前に
あることの素晴らしさに感動だい。
板戸の前に火鉢がある。河井寛次郎だったかな。それにしても錚々たる
民芸の方々の作がいたるところにあってビックリ。だって、単なる木造平屋
でっせ。玄関の鍵だってフツーの南京錠だし、カンタンに盗まれてしまい
そうだからさ。日本(というか福光)の治安の良さをまざまざと実感させ
られる。
そして有名な便所壁画と天井画。板戸の内側にも描きまくっている。
まったくすばらしい。圧倒的だ。常識も何もぶっ飛んでることが気持ち
いい。作品と普段の生活とが混交し、境目なんかないもんな。作ること
描くことが中心にあって、生活が寄り添ってる感じ。しかも、家族は
そんな生活を嫌がっていないんだ。娘さんの日記?を読めば充分理解
できる。
これは別のとこにあった作品。志功の考えがズバリわかる。あぁ、
その時代に遡って志功の家に遊びに行きたいなぁ〜。志功、大好き。
志功好きはダンゼン訪れるべきですゾ・・・・な、店主でした。
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町会で知り合いちょくちょく店にも来てくれた方のお誘い。江戸に傾倒
してるんで往時に少しでも近づけるかも、と思ってね。東名の伊勢原で
降りて30分程度、充分日帰り可なれど、古式に従い先導師の宿に一泊。
滝行もするってんで、褌着用しいざ
川沿いの奥に小さな滝、写真の右手にある。TVで見たことあるから
別にどうってことはない。が、これも経験。往時の人々は我先にと
勤しんだことだろうが、今時そんな物好きはいないらしい。
面白かったのは、一万五千円払えばあとは財布不要の会計システム。
宿代はもちろん参詣前後の飲み食いすべて支払う必要なし。万一赤字
になったら講元が支払うことになっとるんダ。昔は、芸者呼んでの
どんちゃん騒ぎで大赤字になったことがあるとか。今じゃそんなこたぁ
ない。せいぜいが酒代ぐらいなもんで、おとなしいもんだ。
さて、本題の鳳凰らしきがコレ
昔、どっかで買った真鍮鋳物4体。飾り物であることは間違いない
けど、単品で入手したんでサッパリわからずの放置プレイ。このまま
だと死んだあと家族が困るだろう。決着をつけるべくチャレンジ
やや大きめの2体の裏だ。見にくいだろうが馬てい形の凹の中央部に
棒状の真鍮が溶接されてる。さて、この棒を支えにしてどうやったら
木に固定できるのか。それがわからないから放置してたんだ。ヒートン
は大きすぎて入り込めない。ま、とにかくネジの永井さんに行けば
なんとかなるだろ。
訪店して相談することしばし。さすが永井さんこんなものを提案して
きた。電気関係に使うとかのボルトナット。素材は銅だから加工も楽。
ボルトの余分を切り、真鍮本体を削り、試した末に
なんとか入り、けっこう満足なアタイ。厚さ10ミリ程度の板ならOK。
喜び勇んで、板に穴を開け、取り付けようとナットを恐る恐る締める。
なんたって溶接(多分銀ロウ?)だからポロっと取れちゃうからさ。
案の定、あまり力をかける前に溶接部が剥がれ始め一環の終わりじゃ。
ア〜ァ、ナンテコッタイ、♫だから言ったじゃないの by 松山恵子。
しかたないからさ、横棒を取り外し、奥の奥に穴を開け3ミリの
タップ加工。最初っからこうすればよかったんだ。でもなぁ、あんときゃ
この知恵が出なかったもんな。あれこれやってのコレに至ったわけ
であれば仕方ないっす。
チンコイほうは、横棒はないから出っ張りを削って、タップする。
なんの問題もありゃ〜せん。
さてと、これで4体の飾り物の準備は出来上がったわけだ。これを
なにのどこへ取り付けたらよかんべぇ。きっとこういうのをボトム
アップって言うのかしらん。何かモノを作るときは、全体に始まり
細かい部分に至るのが一般的? その逆に小さなものがまずあって、
それに合うものを作るのってどんな場合??
すぐに思いつくのは塔かな? 仏舎利があって、壺を作り、納める
建物を作る。あれ、それって塔じゃないかも、なんて言うんでしょう
かね。よ〜わからん
小さいけど難事かもしれませんぜ・・・・・な、店主でした。
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☎したら、ないと言うんだ。え〜っ! ないの? なんで??。聞けばウッド
ショックとやらで薄いベニヤは払底していると。聞いてはいたけどまさか
ベニヤがなくなるなんて思いもしなかったわ。原因はアメリカと中国の
住宅建築ラッシュらしい。う〜む、さぞや困る方々がおられるだろう。
3?ベニヤは例えればお米みたいなもんでね、室内の壁を作る際には
これがなきゃ、他に何を使うんだろうか。まるで建築屋さん家具屋さんに
おけるコロナ禍みたいなもんじゃないか。いやまったく。
3?ベニヤがないから4?を頼み受け取りにゆく。これっぽっちの材を
届けてもらうなんて恐れ多すぎるからさ。でね、井口材木店さんのブログ
で紹介された
この材についてちょいと立ち話。ブログをアップした翌日FAXで注文を
受けたんだと、すぐ発送したんだと。ヘェ〜ってなもんですよ。だって
先代が仕入れたからなんの木だかわからない。お客さんから聞かれたら
「名前はハッキリとは判りません。「アサダ・カバ類」か、または
「モンキーポッド」が近いかなと思いますが不勉強で申し訳ありま
せん。ただ、狂いもなく強度も有り、小さいテーブルや作業台、
ディスプレイ台にいかがでしょうか。干割れも有りますのでお安く
いたします。」
こんな材を欲しいと思うもの好きな方がいることにちょっと感動。
そして「不勉強で申し訳ない」という井口さんの謙虚ぶり。謙虚は
美徳なんて今は昔、最近じゃ「な〜んだ知らないの」と真に受ける方も
少なくない。そんな風潮に棹さして、すべてわかった上で買い求める
御仁がいることに胸のすく思いだ。
さておき、古い地図に凝っている私、数日前から調査を兼ねての
散歩を始めたわけ。歩き回るのはわが町下丸子、今朝は
この古図に描かれている左からぐーっと曲がりそのままほぼ直線上
に右に流れている用水の痕跡らしき道を見つけて大喜び、早起きは三文
の徳とはよく言ったもんだ。
9月から始めた壁新聞にゃ絶好のネタになる。問題は、デジカメの
写り具合と地図上に書き入れる線や文字をどうするか、だ。デジカメは
我慢するとして線や文字はどうにも我慢ならない。パソコンの基本ソフト
だから、線は直線だけ文字も近接して書けないのよ。この状態を改善する
ためにはアドビのイラストレーターを導入するしかない。
その昔、20代後半のころ一時期イラストレーターとフォトショップに
夢中になった時期があってね。フラフラと建築コンペに応募したら入選
なんかしちまって、そのまま調子に乗って数年満腹になるまでやってた
んだ。昔取った杵柄、ソフトは進化しちょるだろうけどやれないこと
はなかんべえ。詳しい友人に背中を押され、いざ試してみようではないか
おのおの方とばかりに申し込むことになるだろう。
古地図という宝の山をいざ掘りなん・・・・・・な。店主でした。
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忘れ、失礼しました。同行したカミさんも私も幼少のミギリに読んだのが
コタンの口笛でね。アイヌといえばコタンの口笛と思っていたけど、どこ
にも見当たらず「?」なココロでね。なにか差別的な内容を含んでいて
無視されてるのかな、でもうろ覚えなれどけっこう感銘を受けたから
そんなことはあるまい、そんなこんなで釈然としない気持ちで帰って来た
んだ。二つの資料館では多くの本が置いてあったけど、コタンの口笛は
どこにもない。一体どういうことなんだろう???
さておき、道東の旅だ。飛行機降りて真っ先に目についたのが「雲」。
何処の空でも雲に変わりがあるでなし。しかし、行く先々でこうも目に
つくとあっちゃそうも言ってられませんや。
壮大な雲をちん恋カメラに納められないことはわかっちゃいるが
ついついパチリな気持ち察してちょ。
知床半島をスッポリ覆い尽くす雲。まんずハァ素晴らしい眺めでごんす
ウロコ雲っていうんですかい? こういうの
東京だってこんな雲はあるんだろうけど、ビルに隠れて見えない
のか、マジで不思議な雲三昧の数日だった。
お次は、イサム。イサムといえばノグチだろう。基本教養として
知ってはいたけど、北海道で出会えるとは思ってもみなかったっす。
札幌の公園に鎮座するスベリ台。カミさんのリクエストで訪れたん
だけど、トロリな重厚っぷりにうっとり。
上からパチリ。こんな複雑な曲面どうやって作ったんだろ?
いかにもイサム風な出入り口。階段前のなだらかな床には小さな凹みが
彫られているけど、スベスベ石面だから滑ることこの上もなし。また、
いざ滑り始めると角度が急で怖いんだ。イサム氏曰く、無数の人が滑れば
擦れてスムーズな曲面になるなんてこと言ってたらしいけど、ホント
かしら?
それにしても今回は長い。まだまだ続くよどこまでも。
スベリ台を後にしてモエレ沼公園へ赴く。同じイサム・ノグチによる
もの。カミさんに指示されるままの運転手なワタシ。
ネットでいくらでも見れる公園だ。ガラス張り建物から見るメインの
山。なだらかな山容は一見して人工物だとわかる。スゴイんだこれが。
凸な山があれば凹もある。広いからなんでもござれっぷりが羨ましい。
丘の斜面、一面だけが石段になっとるんだ。ピラミッドだなこりゃ。
それにしてもこんな壮大な計画を設計できるイサム・ノグチも素晴らしい
が、多大な費用を注ぎ込む札幌市にもほとほと感心する。
小さなものから大きなものまで、そんなCMがあったけど、そのまま
当てはまるイサム氏の仕事ぶりだ。テーブルからピラミッド、スケール
の違いを蹴散らかし、しかも作風は共通だ。まるで天界から見下ろす
神の視座を持ってるごとし。極大極小求められる対象の核心を掴める
能力にただただ驚く。
最後にウォークマン。三題噺にもならない無茶ぶりでスマンのう。
いやね、ふと思い立って散歩を始めようと思ったワケさ。足腰が軟弱に
なってきた感じがしてね。散歩程度で強化されるとは思わないが、現状
維持にはいささか寄与するんでね〜かとね。これまでそんなこと見向きも
しなかったから、良き同伴者が必要だと思って、それには音楽、中でも
カセットがエエ、となれば昔取った杵柄、カセットウォークマンだろ、
なんて三段論法の末におっとり刀で出かけたんだ。
今時、どこで買えばいいんだ? どこでも中古で入手できるけど、
なにかしら問題を抱えているに違いない。直せないだろうし。思案し
なんとなくネットを見てたら中目黒にカセット専門店があり、そこに
ウォークマンがあり、ここならきっと信頼できるだろうと、ね。
18,800円で買い求める。これまでのオーディオ歴に比べりゃ安い
もんだ。電池とヘッドフォンを用意して、昨日から聴き散歩が始まった
と思ってくんねえ。歩くのは下丸子3丁目の域内。まずは隣町の境を
グルリと回って小一時間、この二日間で昔の用水の跡らしき道を確認、
至極満足のアタイだ。
これがパーティーの始まりか?・・・・・・・な。店主でした。
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帰ってコロナ対応を見、相変わらずの無能無策丸出しの政府にゲンナリだ。
1944年6月召集されビルマ戦線に放り込まれて敗戦行を辿った荒木進氏は
出立の日、品川駅から乗った列車内を見渡してびっくり。
「銃は3人に1人しか渡されず、あとの2人は2mほどの太い青竹を
一本づつ持たされた。何をするのかと聞いたら、輸送船に乗ってから
竹筏を組むのだという。私はあきれた。前線に送る兵隊に持たす銃も
足りないのか。救命筏の材料を送る輸送力の余裕もないのか。船は
そんなに沈むのか。戦況推して知るべしだと思った」
敗戦1年前でこれだ。こんな状態でも本土決戦を行おうとしたワケだ。
科学的な分析なんてまるでない。精神論で突き進む姿は、今の政府の対応
とうりふたつのように思えてならない。科学的知見に基づいた対応策は
一向に出されぬままに、精神論のような宣言だけがむなしく射出される。
太平洋戦争から何も学んでいないんだな、これが。ア〜ァ。
話を戻そう、北海道だ。
まずは、アイヌの地を訪れなければならないだろ。なんも知らない
こちとら、予備知識をと「イザベラ・バードの日本紀行」を一読、旅中
でも再読。明治11年単身北海道へ行った見上げて首が痛くなる女史だ。
函館、平取、白老あたりを馬と徒歩で歩き回る旅行記。当時のアイヌの
暮らしぶりも事細かに描いてある。その、白老に出来たウポポイへ。
いろいろ問題を抱えつつの開館だったことは何かのニュースで知って
たから眉にツバつけつつ、読み取れる何かを探しにね。
入ってすぐの誘導路。コンクリ壁に模様が浮き出てる。いかにも
パソコン上で考え出した代物と推測される。厳しい自然と向き合った
アイヌの生活はこんな薄っぺらいものじゃないだろ。もっと根太い
ものがあるはずだ。
湖の畔の立地はなかなかのもんだ。たまたま中学生の団体も研修で
来てたのを目にして教育施設としての役目も確かにあるな、と。写真
はこれだけ。いやね、見る前は撮る気満々だったんだ。でも館内は
撮影禁止だし、建物の外観を撮ってもなぁって感じでね。
でね、これだけじゃなんだな。ま、国立だし、民族共生象徴空間と
呼ぶ意味不明の名称だから、さもありなん。生活感はまるでないし
感情移入できるところがほとんどないんだから仕方ない。
ってことで口直しに二風谷へ行ってみたワケ。ウポポイから車で
小一時間、道路沿いに
デカいアーチがあって
そこを入ってゆくとウポポイとは比較にならない小ぶりな二風谷
アイヌ資料館がある。
建物のすぐ脇にコロボックルの家がある。こうでなきゃいけません。
アイヌといえばコロボックルでしょ。アイヌの伝承に登場する小人
コロボックル、「蕗の下の人」という意味のコロボックル、その家を
作っちゃおうという洒落っ気がうれしい。トタン板らしき屋根は緑に
塗られ、入口は❤だもんな。ワイワイ言いながら作ったのが目に
浮かぶようだ。どうしてウポポイにはないんだろう?
北海道のどこにでも自生してる蕗だ。ものによっては高さ2mに
なるのもあるとのこと。だから小人っていっても小柄という程度の
ものという説もある。
館内ですぐにコレが目に入る。こうでなきゃイケマセン。ってことで
バシャバシャ撮りまくる。
それにしてもデカイ舟だ。ウポポイの舟が模型に見えます。
素敵な服。左、こんなジャケットがあれば欲しいなぁ
祭事に使ったものだろうか。資料館創設者の萱野茂が収集し始めた
時点で入手できず。明治以前には北海道アイヌのごくごく一部の人
たちが手にし、持っていたという文献はありますが、現物を見たこと
がある人はほとんどいないでしょう。そこで文献に従って複製した
と説明文にある。
この資料館、小さいにも関わらずエレベーターがあってね。脚の
悪い方にも気遣いされててさすがと思わさせる。2階は世界各地の
少数民族のあれこれが所狭しに展示されてて驚く。視野の広さにね。
ひと回り見て、道路を挟んでの広大な町立の展示会場へ
ウポポイに負けず劣らず、っていうかこっちの方がダンゼン◎。
水力を使った搗臼。それにしてもデカイ。実働品なのがすごい。
その傍ら、木の皮を水に浸してある。ってことはここで何かを作って
るんだろ。つまりは生活があるってことに違いない。ここにあって
ウポポイにはないもの、それは生活感だ。あっちは乾き物、こっちは
煮物って感じ。何もかもが生き生きとしてるし、大切に育てようと
いう気持ちがヒシヒシと伝わってくる。
ウポポイと二風谷を見比べるといろんなことがわかってくる。お役所
仕事と個人の限界が。お役所仕事は金はあれどもアイヌの深部まで掘り
下げられず、個人の仕事はいくらでも深さと広さを追求できるけど、
金がないから個人の思いを継げる人がいなくなればフェードアウトして
しまう可能性大だ。
宇宙や地球の恒久の時の流れからしてみれば、人間の存在だって
一瞬のことでしかない。ましてや民族の歴史や痕跡だっていずれいつの
日か消滅してしまうことだろう。でも、それはそれとして今アイヌの
存在や文化を知るには、出発点が個人であることの方が私の胸を打つ。
器はステキだけど中身がショボいより、器は貧しくとも食べきれない
ほどの中身の方がより近しく心に響くのは間違いない。
それにしてもなぜウポポイを作るにあたって二風谷と連携しなかった
のだろう。二風谷にはあるがウポポイにはないものがあり過ぎる。
片や手の込んだ煮込み料理、片や粉末状の食品みたいで比べようも
ない。どうせお金をかけるのなら、アイヌの文化をキッチリ伝えよう
とするなら、協力し合えばいいのにさ。
所詮は国立、期待するのが無理か・・・・・な、店主でした。
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するなと言われればしたくなり見るなと言われれば見たくなる天邪鬼な
性格が年齢とともに増殖。コロナ禍だから出掛けるなも同様で、特に無策
現政府の輩に猛反発、だったら出かけてやろうと来週から北海道に行く。
人口の少ない道東巡り、往復の飛行機を除けば、すべて車だから家に
いるのと特段変わりはないと屁理屈を積み重ねた砂上の理論武装でね。
写真フレーム製作記を記事にしたけど、現地から届いたと連絡が入った。
これは友人Tiroから。右にあるのはお世話になったお礼にプレゼント
した一品。アクリル塊に封じ込まれた羽毛、倉俣史朗デザイン。
これがHocの家族。この嫁さんには昔むかし郵便局を転用した彼の
アトリエで会ったことがある。コロナが収まって機会があれば日本に
来るとのことなので、会うのが楽しみだ。
背景に見える豊かな自然に舌鼓を打つ。テーブルといいグラスといい
きっと庭先なんだろう。Tiroも湖の近く田舎に住んでいるから気が合う
んだろう。こちとら自然とは無縁の東京暮らし、なれど我が家の裏にも
些かの緑はあるんでっせ、と
セミの抜け殻写真で応戦し
写真フレームの鎮座ぶりとともに返信
こうして無事三ヶ所に写真が飾られることになったわけだ。故人を
偲ぶ品なのでご同慶の至りとは不謹慎だけど、それぞれがこれからの
人生を過ごすにあたって故人Hocと一緒に生きてゆけることは慰めに
なるのではないだろうか。
でもってMARUKO STYLEだ。わが町下丸子で一人新聞はどうかと
思い立ち、協力してもらう不動産屋さんに相談して決まった名前です。
なんたって一人だから配布なんてのはムリ、ってことでささやかな
壁新聞形式。A3両面といいたいけど壁だから片面ずつ。中折すれば
A4ペラ1枚4面となる。
創刊を飾るにふさわしい「何か」を友人T野井さんに相談したら
ドンと写真がいいんじゃね、と言われ
これでどうだ!と提示したところ、考えは理解するけどもちっと
町内に関係するものがええんでね〜の。至極真っ当なご指摘だ。
で、結局
大田区ハザードマップを拡大した元図にエピソードを書き込んだもの。
といっても読み取れないだろうけど
右がマルコスタイル。以前、下のベンチを作り、無料図書箱を
追加し、最後?が壁新聞となった。町にとっちゃ小さな出来事
だけど、少しでも我が町として楽しんでいただければコレ幸い。
今日も大リーグ大谷大活躍!・・・・・・・な、村越でした。
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前から離れられない。とはいえ、丸々観続けるわけにはゆかず、打席と
打席の間は、小さな画面でチェックしつつ違う作業で時間を潰すことに
なる。ま、それは置いといて
きのうは、五輪ピック女子柔道の濱田尚里に舌鼓を打ち満足至極。
以前から寝技が得意だったことは充分知ってたけど、一昨日だったかな
You tubeでチェックしてみたら、木村政彦直伝の寝技であることを知り
興味は募るばかり。齢72才の私でも名前は知ってる程度の知識しかなく
近頃はめったにその名を聞かない木村政彦がいきなり目の前に現れた
感じで、ちょっとかなり驚いたのよ。
ならば是非ともこの目で確認しなければなるまい。ということで
なんもかんもほっぽらかしでTVで待ち受ける。予選も堪能したけど、
びっくり仰天は決勝戦。たった一分で勝利が決まったやないか。
元気一杯な相手を開始早々一瞬で押さえ込むのを現認して、狩人蜂が
頭をよぎったのは私だけでせうか?
以前、NHKで放映されたファーブル昆虫記は3回シリーズ、その
2回目が狩人蜂でね。蜘蛛とかイモ虫を一瞬で刺し麻酔をかけることを
知り、その場で神の存在を確信した私だ。神経節の中心に刺せば四肢は
麻痺することを誰に教わったの? いつから麻酔液を体内に蓄えたの?
どこが急所なのかどうやって知ったの? さらに驚くべきことは、産み
付けられた卵が幼虫になり獲物を食べる際には、獲物を殺さないように
生命を維持するために必要でない部位から食べ進めること。おったまげ
ましたぜ。こんなことを計算して具体化できるのは神しかいません、
ってのが私の考え。
濱田尚里の寝技には、狩人蜂と同じ能力が備わっているとしか思え
ない。倒れて(倒して)から押さえ込むまでの動きは狩人蜂を彷彿と
させる。さて、どこに秘技が隠されているんだろう。スロー再生で相手
の右手首を相手の胴着で包んでいるように見える。包んでいる胴着は
左手でヒジ関節の内側を通してキッチリ押さえているように見える。
まるで手錠でも掛けられたように、これで相手の右手はジェンジェン
動きまへんのや。
木村政彦の動画でも同じような動きが見えてね。それだけじゃない
んだろうけど、きっと濱田選手は木村政彦の動画を数限りなく見たに
違いないと、拙者思っとるんですばい。
亡くなってずいぶん経ってるにもかかわらず、日本柔道の地下水脈
には木村政彦の技が脈々と息づいていることに感動してしまう。現在
30才の濱田選手、体力は衰えるだろうけど寝技の技術は向上し続け
るに違いない(本人のやる気次第だけど)。金メダルが最終到達点
ではないと、狩人蜂のような神業をこれからも披露してほしいもんだ。
さらに、私には大谷翔平のホームランも同じように見えてしまう。
確率は劣るけど、振ればホームランな感じ。狩人蜂は100%成功する、
濱田選手は100%ではないだろうけど、ほぼ同じ感じ。でもって
大谷は何%なのかしらね。ヒットとホームランが同数なら50%か。
でね、さらに私は考えるんだ。
狩人蜂が獲物に麻酔針を刺すのは本能だ。死ぬまで能力が衰える
ことはないだろう。ならばですよ、濱田選手の寝技も本能とは言え
ないけれど、本能と見まごうばかりの技を身に付けてるんじゃないか。
スポーツ選手は、本能で動けるようになるのが夢なんじゃないっすか。
なんたって本能は、考える必要なし、プレッシャーなし、瞬間瞬間
の状況に対応すればいいということだろうから。
ならば濱田選手の体力が衰えてのちも技の質が劣化することはない
のと違う? あと何年とはいえないけど、ここ当分は濱田選手の
天下は続くだろうな。
大谷選手も同様でね。素人の私でも打撃フォームはしっかりした
型を持ってる、ように見える。問題は、狩人蜂や濱田寝技と違って
相手を捕まえられないこと。球とバットは一瞬しか出会えないもんな。
それが確立の低さに現れるんだろ。でもさ、大谷選手の打撃が本能、
もしくは本能に近いもんだとすれば、そうそう低下することなんか
考えられない。なぜなら本能はそうしたもんだから。
きっと今年のホームラン王は大谷が獲得するに違いない!
私の予想は・・・当たるに決まってる!・・・・な、店主でした。
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いつも通り何にもせずにボンヤリしとりました。
2回目だから手順はわかってる、誘われるままに椅子に座りの順番待ち。
1回目と比べ人数少ないなとは思ったんだ。でね、隣列の奥様が「以前より
少ないわね」と後席のダンナに囁いてね。感じることはみんな同じだな
と思っていたら、しばしのち前席のカミさんが「前より少なくない?」
私に小声で問いかけ、瞬時にダイラケの繰り返しギャグが頭をよぎり、
大受けの私。突発的に笑ってしまったやないか。
つくづく思うのは女性の方々は、思ったことをすぐに口に出すんだな
ってこと。男性のはしくれの私は、思ったことをすぐ口に出すことは
あまりないからさ。どーりでTV観てる私に、観てる観てないに関係なく
話しかけるんだなと。改めて女性の理解がチョッピリ深まったワイ。
で、いよいよ始まった東京五輪ピック。いろんな思いはあるものの
開会式を見た。なんかショボイな。大きな会場、アリンコみたいな
人間が動いたところでどうしようもないだろ。もっと大きく見せんかい
と不満を抱えつつ、もうちょっと見てみんべえ。イマジンが流れて
きて驚いたもんせ。さらにクィーンらしき曲もあり、ついにはボレロ
(ラヴェルの)が。確かにイマジンは名曲だけど、それを使うセンス
(ベタすぎるだろ)の持ち主は誰なんだろう??
前回の東京五輪の入場曲は古関裕而作曲のマーチだった。今回は
ファイナルファンタジーやらのゲームやアニメのテーマ曲だ。それは
私だって充分納得できるもんだけど、なんで新曲ではないんだろう?
どんな発表会だって衣装は新しく作るでしょ。数十年ぶりの五輪
ならばなおさらのこと、会場も衣装も音楽もピンサラでなくちゃ
恥ずかしくないか。小学校の運動会じゃあるまいし、そりゃない
だろうと思ったわけでゴザンス。
で、イマジンだもんな。悲しいぜまったく。誰かが小野洋子
つながりみたいなこと言ってたけど、ジョン・レノンの最後の
アルバム「ダブルファンタジー」を聴けば、こと音楽に関する限り
ジョンとヨーコの差は目も眩むばかりなことは疑う余地はない。
今の日本の音楽界で世界に打って出ることはしないのか。そんな
アイデアの持ち主はいないのか。
まぁ、選手入場までのアリンコ動きだって、小さなアイデア
の羅列みたいだったもんな。オチもないしもっと膨らまそうとか
いう意識も私には感じられなかった。ピクトグラムの紹介にしても
一体何が面白いの? な私だ。だいたい言いたかないけど、競技を
静止画に置き換えることがピクトグラムの生命線だしデザイナーは
知恵をしぼるんじゃないっすか。静止画だから本領を発揮するもん
だし、デザイナーの力量が問われるもんだろ。
それをまた動かしたからって「それが何か」って聞かれたらなんて
答えるのかしら。それって競技を見ればいいのと違うと突っ込まれ
たらどうすんだろう。私にはサッパリわかりまへんのや。
老人の遠吠えと言われちゃうだろうけど。後になって登場した
歌舞伎衣装の方がよっぽど刺激的だったもんな。開会式について
タケシがあくびが出ちゃったと言ってたけど、私も同感でね。
文化はあれども見巧者は?・・・・・・・な、店主でした。
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「追憶の写真ケース」とでも言おうか、要は写真立てのことだ。
ベルリンの友人が亡くなったことを、一枚の写真とともに知らされた。
共通の友人から具合が良くないらしいことを伝えられていたから驚きは
少なかったけど、充分に気は滅入る。遠く離れた友人、会うチャンスは
少なかったけど、日本とベルリンで楽しく充実した時を過ごしたもんだ。
でね、友人との思い出をなにかカタチにしたいと思ったワケ。忘れ
ないように。残されたご家族と共通の友人と私、同じものを3個作り、
航空便で発送したのが数日前。
作るにあたって格別の工夫はない。いたってフツー。二枚の板を
ネジ止めしただけ。強いていえば、写真枠の上部窓の形、ただの四角
じゃつまらんだろ、草葉の陰で友人に嘆かれたくない、ちょっと考え
桂離宮の書院から借用。写真の切り抜きは面倒だけど、これくらいは
ご勘弁ってことで
裏はこう。せめてもの思い、裏の止め板?は同材の無垢板にする。
厚さは3?、在庫であったんだ。写真枠の厚さは1?、アクリル板が
3?だからギリギリなのさ。
せめてこれぐらいはせにゃイカンだろ、台板と枠板を面取りして
ひっくり返し、ネジ頭と焼印。この焼印久しぶりだなぁ。
これに翻訳ソフトで独語手紙と香典袋を添えて厳重梱包で発送、
これにて一件落着。ほんでもって、年内中にウィーンに行ければ
足を延ばしてベルリンへ墓参の予定なんだ。
親しい人が亡くなると、柄にもなく感傷にふけったりするもんだ。
その人の一生の間、ほんの一瞬瞬き程度の付き合いだとしても。
とはいえ、追悼の品を誰に対しても作ろうと思うわけじゃない。
彼だったらと、作らざるを得ないなにかがあるはずだ。
その彼から、来日した折にもらったのがコレ。
吸盤でガラスに吸い付くメガネ掛け。実用性は薄く、洒落っ気だけ
が存在価値だとみた瞬間わかった。わたしは店のトイレの鏡につけて
いるんだけどね。だって、他のどこにつけりゃいいのかわかんない。
強力な吸盤だとしても度々掛け外す際に落ちるに決まってるじゃない
っすか。掛けたら掛けっぱなしだろ、がわたしの理解。
それが実用性は薄いと考える理由。掛けてればホコリもたまる、
メガネは鑑賞するもんじゃない使うもんだ、なんて実用の世界から
ほど遠いこんなものは、探し回るか日頃気にかけているかでないと
めっけるのは難しい。しかもわたしが気に入ることを充分察知しての
ことだろうから、彼のセンスはなかなかかなりのモンでっせ。
そんな彼だから、写真立てを作ろうと思ったんだろう。
さらにもう一個あったのを思い出した
箱の中に入ってるのは
小さな袋。どうやら紙製
中には地図が入っててね。シワシワ紙製、折りたたみ前提。
東京に住む私にはベルリンの地図なんか無用の長物。なれど大事
なのはそういうこっちゃない。シワシワ紙の地図をあげたいという
ことだ。
世は実用真っ盛り、使わないけど欲しいで生きてきた私の孤立感
は深まるばかりだ。着れるけど履けるけど聴けるけど使えるけど、
着履聴使の機会がなかなか訪れないままの品々はゴマンとある。
費やしたお金はいくらぐらい? 考えないこともないけど、それら
が私の今を形成していることは確かなこと。人生すべからくお金
でもあるまいて、人はパンのみにて生くるにあらず、と薄いウロコを
身にまとい、過ごしてきた幾星霜。
この友人は飛行機持ってて、共通の友人はヨットを持ってる。
東京でのある夜、そんな話になってHiro(私です)はなに? と
聞かれ、一張羅のジャケットを見せびらかしたら、これであなたが
理解できたと言われてね。生活には役立たないけど生きてゆくため
には必要なモノが必要という心智を持つ者同士が三人集まる奇跡、
とでも言いたいような一夜だったな。
物を通じての会話が成り立てば、言葉なんてほんの補助的でOK。
でも、こういう会話が成立する相手は、70年の私の人生の中で彼しか
いなかった。訪れる相手の心を読んで、コレならばきっとウケるだろ
な品を選ぶ、しかも高価ではないとなると難しいですよ、これは。
私もそうありたいと思うけど・・・・・・・・な、店主でした。
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からというものアッシはすっかり様変わりしたようで薄気味ワリイのさ。
休店日の今日は、裏庭に池まで拵えてしまって、どういうことかいのゥ。
ふだん、ふと思いつくってことあるでしょ。そろそろ部屋の掃除しな
くちゃとかそろそろ網戸洗っとこうかとか。電球が切れたらすぐ替える
けど、掃除や網戸なんか急ぎじゃないから、ついそのままにしちゃう。
問題は、ついそのままにしちゃうのが溜まってくると、それがストレス
になっちゃうワケだ。ふと思い付いたことを、すぐやってくれる人が
いればいいけど、そんな人いるワケない。思い付いた自分がやらないと
いつまでたっても思い付いたことは実現しないままで時間が経つ。
あるとき、気がつけばあたり一面そのままだらけ、どうにも動きが
とれなくなっちゃう。それがnew yorkshire workshopを観てからと
いうもの、サッサとやっちゃう癖みたいなもんが芽生えてさ、次々と
ふと気がついたこと、やろうやろうと思っちゃいるけど手がつけられ
なかったことが、片付いちゃうからとっても不思議な気持ちでいる
とこ。
愛用の椅子、懇意の古着屋のガレージセールで5千円で入手した。
キャスターの調子が悪く、替えたけど直らず、原因はキャスターを
取り付けるナットと本体の溶接が剥がれ、キャスターが垂直に固定
されないことが分かって、随分が経つ。
キャスターを替えたとき、ナット付きのベースを本体に合わせて固定
してみたんだけど、やはりダメ。これがその残骸
で、本体の5本脚(軸は1本でっせ)に合わせて座板を作り、座板に
小さなキャスターを取り付けることにした。
椅子をひっくり返したとこ。椅子の脚には太めのタッピングで固定、
木部に小さい(つまり低い)キャスターを取り付けてOK。
自家用ですから見た目はこだわりませんが、その威力にびっくり。
スムーズ移動(当たり前だ)にクルクル回転(これも当たり前)で
とても気持ちよかばってん。
お次はコレ。一体なんでせう?
一輪挿しなんザンス。っていっても5輪あるけど。ずいぶんと前に
ガラス買っといたんだよね。一輪挿し用にと思って。でも、思うだけで
一向に着手せず、イライラしてたワケ。イライラするんなら作りゃいい
じゃんって思われるだろうけど、そうはイカのキンタマ
上から見るとこんな感じ。ちょっとガラス多すぎじゃね?
深いでっせこの穴、ルーターでちょっとずつ深くしていったから時間
かかり之介。でもって削り屑散らかり之介。くどいな
最大の難関は周囲の溝。これ、なくてもいいけど、それじゃ単なる
低い円柱だもんな。ダサい俺様だってそんなこたぁ出来ませんや。
覚悟を決めて旋盤で溝加工したけど、ちんこい旋盤は悲鳴上げてたな。
最後はコレや
ファクテオ店内のトイレ扉の小窓くん。
これまでは扉に窓がなかったから、中の照明の消し忘れに気が
つかない。扉前に地下への階段があって、地下から上がってくる
度に下の隙間から光が漏れてるのに気がつくのがイヤでね。やはり
小窓は必要だと
最初は教え子の母親が作ったステンドグラスを嵌めちゃお!って
やってみたけど、厚いのと色付きで中の照明がとても見えにくいの
を発見。なんてこったい、木枠は出来ているっていうのにさ、
左がミニキッチン側、通りすがりに中が見える位置に穴も開けて
るっていうのにさ。
パソコンを分解した時に出てきたアクリルを使うことにした。
小さな白格子が印刷されてるんで、中は見えないが光は通す、よか
ばってんなチョイス
中から見ればこんな感じ。霧がかかったようなアクリル板わかる?
ってことで、これじゃいかんと「中興」を「発心」してくれて
サンキュなnew yorkshire workshop様さまでゴンス。
明日も大谷翔平三昧か・・・・・・・な、店主でした。
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ずいぶんになる。過日、兵庫県からヤマハ CA-S1のレストア依頼があり、
仲を取り持ったんだけどね。その際、昔私が氏に寄付したマランツをこの
方がオークションで落札したこと、氏が出品したラックスを私と競り合った
こと、を知ってホンワカした気分になったんだわさ。
それがキッカケというわけじゃないだろうけど、ここ最近mazdaluce
3000氏が記事を書き始めたのね。近頃めっきりオーディオについての
読み物(良質な)がなくなってなんだかなぁ〜だったから、続けてもらう
ことを伏してお願い申し上げまする、のアッシでござんす。
オーディオと木工、まるで違うけどYou Tubeで紹介されているnew
yorkshire workshopも同じような意味合いで、観たあとでいろいろ考え
させられる。数多ある木工関連の動画の中で、なぜに私の心を惹きつける
のか、とね。電動工具やジグの扱いが新鮮なアイデアに満ち溢れてること
も魅力だけど、どうやらヒミツは清潔感にありそうだと思い至ったワケ。
これは私だけが感じることだと思うから共感してもらうのは難しいかも
しんないけど、例えていえば、ヒッチコックの映画のような感じを受ける。
ヒッチコックの映画の魅力はもちろんサスペンスにあるけど、画面に漂う
清潔感が私にとって最大の見どころなんですわ。現場は、全員スーツ着用
手袋着用で撮影するなんてことを読んだことあるけど、それが画面の隅々
まで染み込んでいるような。
ヒッチコックとnew yorkshire workshopとの共通点が清潔感なんて
言ってもさっぱり理解できない方はおられるだろうが、私にとっちゃ
それが惹きつけられる最大の理由なんだからしかたない。かなり乱暴、
飛躍しすぎている論理展開であることは承知しているけどさ。
深い影響を受けた拙者は、工房の照明を明るくする作業に着手。
工房天井面は40W2灯×3セット、壁面に40W1灯×3セットなるも
細かい作業では暗いんだ。でも、なんとかなっているから気にもしな
かったのよ。格別支障が出てるわけでなし。
new yorkshire workshopの工房で天井面のLEDパネルを移動交換
してるのを見て、現状を改善することに手を抜かないことに感心した
わけだ。
さっそくAmazonで一体型LED10本を買い求めた。一万円ほど。
これを天井面のどこに取り付けようか? コンクリに穴を開けるのは
ツライ(粉がまともに顔に降り注ぐ)、天井面が凸凹だから器具が
うまく取り付かない不安、new yorkshire workshopならどうする?
考えて取り付け部品を作る。蛍光灯の灯具の三角部分、蛍光灯の
間の7?につけちゃおうってこと。
LEDの取り付け部品をねじ止めし
ひっくり返して、灯具三角の頂点にタッピングビスで固定する。
三ヶ所、板厚が薄いので簡単にねじ止め出来まする。
こうして出来上がったのが、蛍光灯とLEDのハイブリッド。最初は
LEDだけにしようと思ったんだけど、明るさがイマイチ。蛍光灯を
外すのも手間だし、廃棄するのも面倒、ならば併用がよろしかろう。
左の作業台にも2灯設置、いやもう明るいのなんの、素晴らしい。
サングラスが必要か? ってなもんです。
明日死すとも、今を改善する姿勢を忘れとったんだ。名作「道」
でジュリエッタ・マシーナが道端で野宿した朝、何かのタネを蒔いて
いた感動をいつの間にか忘れとったんだ。なんてこったい。環境を
良くする、作品を作るために知恵をしぼる、ナンチャッテな我輩でも
一つ一つできるだけ真摯に取り組むことの大切さを再確認したんだ。
それもこれもnew yorkshire workshopのおかげ。お礼の連絡を
したいとは思うものの相手がわからない。イギリスのどっかで木工
に勤しんでる方と大田区の地下でささやかに木工してるワタクシ、
遠く離れちゃいるけれど、今この時も何かしら作業してる者同士、
心の中だけだけど、一方的に淡く思い続けていたいもんだ。
フンドシ締めてガンバろっと・・・・・・・な、店主でした。
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筋肉に影響が出るなんて、いやはやまったく。積み込みは御免蒙りの介、
旧居から息子夫婦を車移動、新居での搬入は手伝おうじゃんか、とね。
現場で指揮をとるのは19才の娘っこ、これがなかなかの逸材で、体
惜しみまったくなし、男二人に次々と指示を出す。う〜む、ならば
チップを献上せねばなるまい、コンビニで袋お買い上げに出向く。
かなり荷物が運び込まれて後、娘っこがベッドの敷板がムリとの御注進。
7階、EVはことのほか狭く、駆けつけると非常階段の踊り場で敷板
二進も三進も行かない立ち往生。
回り込めないし天井にぶつかる、さてどうせよう?
運べなければ捨てるしかない、むろんベッドはパーだ、そういう
経験もあると娘っこは見上げて悲しげに言う。う〜む、と考えるまでも
なく私は閃いてるんだけどね、解決策をさ。コチトラ、伊達に年老い
てるワケじゃない、友人T野井さんの展示現場で鍛えられた身と心、
解決策なんか一目で見抜けるってもんだ。
敷板は薄くおよそ4?、踊り場外側に設置されている縦格子隙間が
ざっと10センチ弱、この隙間に敷板を差し込んで、建物外にせり出して
おいて半回転すれば、やり過ごせること間違いなし。わかるかなこの
状況? せり出したとこを中心にして半回転するんだから、差し込む
隙間は中央付近でなくてはならない、が、若者二人は手前に差し込む
んだ。いや、だから、違うんだ! 思わず手を伸ばし、助けようと
したら娘っこは「私たちに任せてください!」とピシャリ。え〜やんか、
その気丈っぷり、チップ上増ししちゃうゾ。
とはいえ、経験豊富な老人は心配だ。上を支える男子が心許なさ
すぎる。娘っ子の飲み込みの良さに比べるも恥ずかしい。一階から
二階への踊り場を通過すれば後は野となれ山となれ(違うけどさ)、
それより上はOKなことは分かりきってる、なココロで傍で見守る
オレ様だ。数回の挑戦の後、見事躱して次のステップへそろり
新左衛門を確認して部屋に戻る。
ずいぶんの時間が経ち、ようやく敷板とうちゃ〜く、思わず握手
して労苦を賛辞しようと思ったけど、そんなこたぁできやしませんぜ
旦那、なんたって相手は19才の娘っこだから。近頃言うところの
セクハラはたまたモラハラあるいはパワハラだし。
ほとんど荷物は室内に運び込まれ、手持ち無沙汰になっちまった。
ふとスタッフがいないことに気付き、きっと休憩してる? 些かでも
疑ったアタイがバカだった、廊下にベッドのマットを発見し、あいや
コレ運んでたのね、敷板と同サイズのマットは運べるんだと感心。
マットはグンニャリと曲がるからな、それを知ってたであろう娘っこ、
やるなぁ〜と好感度はうなぎのぼりなんだわさ。
引っ越し業者は「引っ越しのサカイ」。たしか労働環境で話題に
なったんじゃないか。でもですよ、お客との接点最前線で動き回る
スタッフが素晴らしければ、会社の上層部がどうであれ、また次も
頼もうかってってことになるのが人情ってもんでっせ。いやまったく。
油断めさるな、市井に傑物あり・・・・・・・・・な、店主でした。
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ま、それでなくともコロナ禍では平日は無客なんだけどね。作りかけ
の商品(らしきもの?)は一向にやる気が起きずの放置プレイ、今日は
気になってたアンプ棚の修正の気分、きのう作った棚板をセットしよう、
最上段の軽アンプを移動し、ついでに結線を手直しして、一服。
煙草喫しつつマゾン プライム、「カルテット」なる映画が目に止まり、
そのまま見続け&見終わる。ダスティン・ホフマン監督第1作、英国の
引退した音楽家たちの老人ホームが舞台。となれば当然のように名作
「旅路の果て」がベースにあるだろう。こっちはフランスの役者たちの
老人ホーム、ジュリアン・デュヴィヴィエ監督、1939年の作品。
音楽にしろ演劇にしろ老いることはいずこも同じ、能力は衰えシワは
増えるしシミも隠しようもなく、才能資質は段違いとはいえダスティン
と私は同じような状況にいることは確かなことだ。ちなみに彼は私と
一回り違うから84才。つい先日C.イーストウッドの「運び屋」を見た
ばかり、イーストウッドはさらに7才上だから91才ってことになる。
若い時にはほとんど気にすることもないけど、いつからか音楽や映画
に居心地の悪いというか共感することが少ないっていうか、そういう
作品ばかりになってきたなぁと感じていたんだ。大陸にプレートが沈み
込むように、年齢とともに今の時代に沈み込んでいるような感じでね。
頭上で作られているあらゆる物事と乖離し、いずれはフェードアウトして
いずれは無音の世界になるんだろうか、なんてね。
片やダーティハリー風の麻薬運び屋、もう一方は旅路の果てに、作風
の違いはあるけど「その気持ちよ〜っくわかりまっせ」が今の私には
気持ちいいんダス。
さておき、大谷翔平だ。いささかかなり狂っているわけで、LIVEを
ネットで、のちYou Tubeで数度観て、夜のBSで締めくくる毎日ですわ。
イチローのときも同様だったけどヒットとホームランはやはり違う、
爽快感がね。カタルシスっていうのかしら。この調子がいつまで続く
のかわからないけど、未来を心配するより今を楽しもう、こんな機会は
二度とないだろうからの精神で励んでいるワケ。
大谷に対する狂乱ぶりは一体なんだろう? わたしもその一員だけど、
イチローも大騒ぎだったけど、ちょっと違うような気がする。その理由は
考えるまでもなく「愛嬌」に違いない。大谷にあってイチローにないもの
はお茶目とか愛嬌だろ。イチローは求道者みたいだもんな。感心はするが
親しみはイマイチじゃない? 笑顔が少ないからかしら? 才能とか能力
とは関係ないけど。
実存主義ってのは物事の本質と関係の薄い様々なことを取り去りカッコ
に入れて脇に置いとく、ことだと思ってる。野球選手なら打って走って
守って投げることこそが本質で、笑顔やファンサービス、ましてや愛嬌
なんてことはカッコに入れて脇に置いとくことだけど、現実はさにあらず
ってことなんでしょうね。
決して怒らず不満顔でさえ微笑ましい大谷翔平、だれかに似てると
思ってたんだけど、ふと思い出したのがマシュマロマン。1984年の
映画「ゴーストバスターズ」に登場した微笑みモンスター。あんなに
太ってないけど、あんなにノロくはないけど、微笑みながらNYを闊歩
するマシュマロマンは、微笑みながら投げ且つホームランをかっ飛ばす
大谷選手とまさに瓜二つでしょう、が。違う?
この説賛成者はこの指とま〜れ・・・・・・・な、店主でした。
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あてもなく過ごす日々の中、隣は何する人ぞなもし、同年代の方々は
どんな一日なのかが気になる。いきなり「毎日どうしてるの?」と聞く
わけにも行かず、「ほっといてくれ」と言われるのがオチだ。
仕事に熱中した頃もあった、女性にうつつを抜かした時期もあった、
いろんなことが「それはそれで面白かった」けど、すっかり疎遠になった
コチトラ、それはそれで面白いの「面白さ」が薄味になってきてる。
5月某日、アマゾンプライムで「運び屋」を観る。C.イーストウッド
監督、相変わらずの快調ぶりにやや濃い目の面白さ。私と同年代に向けた
映画でアリマス。物語に託す監督の声がちょっと美しすぎると思うと
同時に、理解納得できることも多々あるわけで、エガったっす。
そっから飛び火「ライ麦畑の反逆児 ひとりぼっちのサリンジャー」。
名前だけは知ってる、サリンジャーの伝記映画、ふーん、そういうこと
かいの、だったら読んでみっか、カミさんの本を借りて読み進めてる
とこ。こんな文体だったんだ、なんて思いつつ。
さらに「ディーン、君がいた瞬間」。C.イーストウッドとJ.ディーン
は同い年だったんじゃないかしら。どうでもいいけど。酒場でアーサー・
キットが登場し、ディーンと先に消える。二人の間に深い関係があった
のか?、どうでもいいけど気にかかる。
5月某日、You tubeでめっけた New Yorkshire Workshopに舌を
巻く。電動工具がFESTOOLだ! 私もちっこいサンダー持ってて
素晴らしい性能は体験済み。確かな技術と綿密な手順に驚くこと多し。
さらに次々に出てくる工具と治具に魅せられてしもたヤンかいさ。
萎えた私のモノ作り意欲に火がつくかも。
観ていたらメールがあり、ベルリンの友人が亡くなったと。なんて
こったい、癌だったことは知ってたけど。こうも早く亡くなるなんて。
会う機会は少なかったけど、気が合う友人だった。知人友人が亡くなる
と必ず襲われる無常観というか、彼の人生に思いを馳せるというか、
にしばし落ち込んでしまう。
落ち込みつつも何をするアテもなく、そのまま継続視聴。感心は
続くよ、どこまでも(そう言えるのも時間が経ったからショックが
和らいできてのこと)。工房は一階か? 車が置いてあるもんな、
でも窓がない、天井も高いし、やっぱ一階だろ。映像で見る限り、
どんなものでも作れる道具が揃ってることが心配だ。どんな工房だって
今ある道具類をやりくりして作るもんだと思うけど、ここはそんな
ケチなこと考えずにどしどし買い求めるって感じ。
ずいぶん観た後で、ふと気になって New Yorkshireを調べた。
アタシャてっきりNew Yorkだと思い込んでて。これがYorkshire
とわかって、やっぱりね。FESTOOLの電動工具の品質の高さは有名
だけど、価格も充分高いんだ。ドイツ製だし。それをNew Yorkの
工房で使ってることが腑に落ちなかったのよ。それがイギリスだと
わかり、のやっぱり。それにしても私自身の稚拙で狭い知識ノウハウ
に恥じ入るばかりだ。天地がひっくり返っても私がこの域に達する
ことはない、断じてだ。
5月某日、恥じ入りつつもこんなんデケましたけど。
店前に小さな図書箱。下には重しとしてのメダカ鉢
同型二階建ては駅前の角っこ、に
みんな気づいて利用してくれたら嬉しいんだけどなぁ。
さあてと、次は写真立て作るってか・・・・・・な、店主でした。
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「ドキュメント 昭和天皇 第3巻 崩壊」を読み進めているところ。
ガダルカナル島に敗れインパール作戦で死屍累々、敗戦まで一年以上も
前でありながらこの有様が崩壊篇後半。誰も戦争やめようと言わない。
さらにこんな状況下でも陸軍と海軍が兵器の奪い合いまでしてるん
だから何をか言わんやだ。
挿入したが最後、射精に至るまでやめられない性と好一対?
読みながら現下のコロナ禍&オリンピック開催を重ね合わさざる
を得ない。1944年当時とおんなじで「やめよう」と言える人がいない。
原爆仕方なしとする考えは毛頭ないけど、自分でやめられないんだから、
外部からの圧力でしか決められないんだから、きっとオリンピックも
原爆と同じような結末への道を辿るんだろう。
さておき、唯一音楽についてあれこれ話せる友人と今日も電話会談。
オープンデッキの空リール入手の件に始まり、森高千里はどうです?
に話が及ぶ。いやいや多分ダメでゲスと私、以前、紹介された大貫の
妙子嬢に話が及び、良かったもののその場限りの付き合いでした、とか
なんとか相変わらずのつれないご返事を差し上げてしまい、一寸考えて
しまったワケだ。
人から紹介された本とか音楽で気に入った経験がほとんどない私、
だからといって森高、大貫嬢に馴染めないなんてこたぁない。なにせ
紹介する相手が、一目置いてる友人だからね。頭から否定することは
なく、一応は聴いてみますよ。聴いて、全然ダメ、ちょっとイケる、
まぁまぁ、なかなかのもんだ、いいと思うけど、かなりいい、超驚、
いろいろあるけどさ、その印象によって判断を下し、時には付き合いが
長くなる、こともある。
友人と違って楽器ダメ、聴くオンリーの私、単なる音楽一ファンで
しかない。でもだからこそあーだこーだ好き勝手に言ってもいい、
なんせズブの素人なんですからね。そんな私、いま聴き続けているのは
キャスリーン・バトル。昨晩、彼女が唄うサマー・タイムを堪能して
ジャニス・ジョプリンで同曲を聴き、さらにちあきなおみの朝日の
あたる家で一応の決着をみたんだわ。
で、キャスリーン・バトルと森高、大貫嬢の違いを考えてみたワケ。
しばし後、思い浮かんだのが「陶酔」とか「陶然」。広辞苑を繙けば
「気持ちよく酔うこと、うっとりするほどにその境地に浸ること」と
ある。ナリホド、そういうことですかい。とりあえず納得したのです
バイ。これはなにも音楽に限らず、洋服だの家具だの雑貨の類いでも
同じことでもある。陶酔陶然に浸る時間の長短はあるけど、兎に角
それがなけりゃ聴かない買わない出掛けないの3ない主義。
アァ知らなんだ知らなんだ。72年生きて初めて知った私のココロ。
陶酔できる音楽を聴きたい、陶然とするモノに出会いたいんだな。
ま、もっとも陶酔できるのは恋愛、その結節点のSEXであることは
疑う余地はないけど、もっと緩やかっていうか穏やかっていうか
となると音楽だったり絵画だったりのいわゆる芸術と呼ばれるもの
なのかもしれん。あるいはフィギュアだったりマンガなのかも。
とにかくそう言うことでして、友人から勧められたから受け入れ
られないんじゃなく、陶酔陶然できないからダメということが判り
ひとまず一安心。一安心ってのも変だけど。
大谷翔平も陶酔できるザンス・・・・・・・な、店主でした。
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女子医大のコロナ病棟ドキュメンタリーを観る。急速に悪化する症状、
ほとんど治って退院することがない患者を目の前にして無力感に苛まれる
看護師の苦悩、心中察するにあまりある。
一方では、粛々と進むオリンピック。まるで虫の息の病人の隣室で、
なにやら祝賀会を催すようなもんで、実行者の神経がわからない。
そりゃいつの時代でも亡くなる方看病する方はいるけど普段の自然
摂理の範囲内で、今回のコロナ禍とは別物だろ。
さておき、集荷だ。以前にもウィーンの知人がネットで購入した
荷物を一時預かって、国際小包で発送することをやってると書いた
気がする。今日も、3個送るので来てもらったんだ。度々送ってるから
集荷人とも顔なじみ、なにかしらの立ち話になる。で、この方、日本人
ではなく、出身は香港。そこそこ日本語は喋るけど発音がイマニ、
理解しにくいことも少なくない。
数回前から、立ち話が長くなり始めてね。まぁ、こっちも暇だし
集荷でお世話になってるし、話すの嫌いじゃないから、とはいえ段々
長くなってくるとちょっと怖くなってくるっていうかさ。いつ終わる
んだろうというね。それと、終わったかと思って帰ろうと店のドアを
開け、間髪入れずに戻って話が再開、しかもそれは一回だけじゃなく
数回にわたり、きっとまた繰り返すぞ、やっぱり繰り返しが始まって
なかなかの見ものなのよ。
まるでドリフかダイラケのような繰り返しのギャグなんだわさ。
またやるな、と思わせといて、案の定またやるギャグ、もうやらん
だろと思わせといて、またまたやる。オモロイといえばオモロイん
だけど・・・・・・・・・・。
でね、今日の集荷人は、伝票を渡して支払いを終えてもいつも通り
なんか話したそうなのよ。店内にあるVHS「サンダカン八番娼館」を
目ざとく見つけ、主演の栗原小巻に触れ、高倉健に飛び、原田芳雄に
至るみたいな。小巻ちゃんの「生死恋」なる香港映画をスマートフォン
で見せてくれ、さらに話は飛んで「夕焼けの歌」。こんな歌知らんがな。
でも香港では大ヒット、知らぬ者はいないということらしい。
ま、いろいろあって立ち去って、私は腕にできたカイカイを治しに
皮膚科へ行き、パン屋に立ち寄り、帰宅途中で件の集荷人の軽トラが
後ろからやってき、お前のとこへ行くからと手で合図。伝票の不備か
と急ぎ足で帰ったら、私に渡すはずの伝票控えを渡し忘れたとのこと。
ふ〜む、長話で本来の仕事を忘れてるやんかいさ〜。
無論、控え伝票を渡してサイナラなんてことにはなりませぬ。再び
スマートフォンを持ち出し、松山千春の「踊り子」フルコーラス見せて
くれ、作曲の村下孝蔵ほかいろいろ話を振ってくる。きっと彼はこんな
話ができる人、周りにいないんだろうな。彼が過ごした香港での青春
時代に見た映画、イイと思う音楽の話し相手がいない哀しさというか
残念感というか、満たされない鬱憤が充満しているんだろうな。
私のココロの中にも同じような感じがわだかまっているから気持ち
はわかる。話し相手を求めることなんかとっくに諦めている私だけど
集荷人はまだまだ若いから、めっけたらまっしぐらなんだろう。或は
中国人特有の押しなんだろうか。よくわかんないけどさ。
オチは二度話だったか・・・・・・・・・な、店主でした。
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つくづくそう思うのでアリマス。政府の対応がどうであれ、相手がウィルス
じゃ何もかもわからないことだらけ、いずこも同じで世界中これといって
決定打はない。その真っ只中オリンピックをやろうってんですから、ある
意味大したもんだ。単なる野次馬のコチトラ、こりゃ見ものと待っている
わけでね。
気になっていた野鳥の巣箱と果物用餌台を作ったのさ、ってね。
粒餌は雀御用達、それ以外の野鳥はミカンリンゴを好むと知り、小枝
からぶら下げてみたけど、中型野鳥もさるものでホバリングしながら
あっという間に食べちゃう。私が招きたいゲストはホホジロ、メジロ
の類だから、二階建ての食堂を作ったわけ。ちなみに上に見えるのが
巣箱、時期が遅くってごめんね、良かったら来年使ってくんしゃい。
屋根はMACのケース、いや何もこれでなくてはならないということ
じゃないんだけどね。中型野鳥の侵入防止、箸格子に直接ネジで取り
付ける今回の改善案では、細い角形持ち手部分にピンポイントで位置
を決めねばならず、透けて見える素材が重要。穴あけの際に、下から
懐中電灯で照らし、影の部分に見当をつけて穴を開けるって寸法だ。
さらに、格子は円形配置で屋根が長方形となると当然覆われない
部分が出てくるんだけど、餌の出し入れで箸を抜くときに屋根がない
から抜きやすいんだ。むろん、屋根に覆われていないとこから侵入
する可能性はあるにはあるけど、こんな隙間から無理やり入ってくる
野鳥なんかいるわけないとタカを括ってるんだわさ。
奥、真ん中に見えるのは太めのネジ。ここにミカンなりリンゴなりを
輪切りにしたものをグリグリとねじ込もうって魂胆。長すぎると嘴
ケガしちゃうし、短かすぎるとねじ込めない、良さげな長さがよろしい
ようで。
MAC屋根に小穴を開け、2?の木ねじで固定。一箇所で2本、合計
8本。四周の丸みで雨水はステキに流れ落ちる。しかも天窓付き!
止まり木は手持ちのブナ丸棒。支柱は下から止まり木は上からネジで
止める。よく見れば皿もみしてあるんだ。でもって腐り止めの塗装済。
これ作ってる最中に「なんでこんなもん作ってるんだろ?」と考える
わけでね。他にもっとやることあるだろ。T野井さんに頼まれている
火鉢台もあるし、店で使う同型も作らにゃいかん。町内に掲示する壁
新聞も手付かずだし、喫茶店に置くお一人様用の勉強机もあるし。
それらを放置しての巣箱餌台作りに励むのはなぜ?
いや自分でもようわからんのですわ。中学生の時に飼っていた小鳥の
残滓? やらなければならないことからの逃避? 死を忘れる頽落行為?
それにしてもこういうイイカゲンな製作っちゅうのはなんて気持ち
いいんだろう。これが仕事なら、ちゃんと作らなくちゃならない、
仕上げは丁寧にしなくちゃならない、予算もあるし納期もある、
何よりも失敗しちゃいけない失敗したくないプレッシャーが楽しさを
奪うのだ。また、ちゃんと直角が出てるか、ビスの太さと下穴の適正
値、塗装の塗りムラ、あらゆることから解放されることが楽しさの
大きな要因なんでしょうね。
なんたって相手は野鳥だもんね。人間と違ってクレームをつける
心配もないし、タダだから高い安い問題もない。多少の使いにくさが
あったって、そっちでなんとかしてくんねえ、だ。齢72才にして
たどり着いた境地? 違うか? いや違わねえだろ。
火鉢台作ろうっと・・・・・・・・・・な、店主でした。
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金のない我が家、私が小六のころ、姉の超ワガママでトリオのアンプ、
スピーカー、レコードプレーヤーが揃い、守屋浩とプラターズ二枚のLP
を聞いて以来の音楽ファンだ。
流行りのテープレコーダーを買ってもらい、ラジオから録音しTV番組で
音楽と親しんでたから、私の人生でもっとも長い付き合いであることは
間違いない。それから今に至るまで次々と私にとっての新しい演奏歌唱と
出会い、感激したり興奮したりステキなひとときを過ごして来たけど、
その幕が降りつつあるのを実感してるこの頃なんですわ。
そのキッカケはマイケル・ジャクソン。世上の高評価がさっぱり理解
できなかった。どこがいいのかわからない。それは安室奈美恵にしても
同じことでね。こりゃきっと私が世の流れについてゆけなくなったに
違いない。懐古趣味はイヤだと思っているうちにいつの間にか懐古趣味
に陥ってたのかもしれない。でも、ほんとにそうなのだろうか? 理由
は他にあるんじゃないかとも思っていたわけ。
で、ふと頭に浮かんだのがアナログとデジタル。音楽にアナログと
デジタルがあるのかどうかわからないけど、マイケルジャクソンへの
違和感は私の言葉でいえばデジタル感だなと腑に落ちたんだ。
世界で初めてのデジタル録音は大瀧詠一「ロング・バケーション」
だったとか、YMOの登場がデジタル音楽の嚆矢だった、なんてこと
とは関係ない。私が感じるデジタル感はあくまでも感覚的なことで
楽器や機材によるものではないんだわさ。
最近の音楽が親しめなくなったということは新しい魅力を感じる音楽
との出会いの可能性が極少になりいずれは皆無になることは明らかだ。
しかし、今まで聴いていた音楽を飽きもせず再聴再々聴するってのも
能がない。飽きちゃうし。そこでカバーを聴くことになる、っていうか
他に方法がないときたもんだ。
方針は決まった。いざ探そうではないかカバーアルバム。
私にとってのカバーの女王はエラ・フィッツジェラルドで決定済み、
パスティ・クライン、シルビア・シムズ、ダイアナ・クラール、
バーバラ・ストライザンド、カーペンターズ、男性ならばニルソン、
あまたいるけどエラの座は揺らぎはしない。海外ならば探そうと思えば
いくらでもいるけど、
やっぱり日本人なら日本の曲も聞きたい、さて、と探してみたんだ。
意外に少なくて困ったにゃ。齢72歳とあればカバーであれば誰でも
イイということにならない。うまくなけりゃいけないし、アレンジや
バックバンドの力量も求めるとなるとなかなかどうしてサッパリ不在。
森山良子はデビュー時に比べ声が変わったし変なクセが残念、同じく
デビュー時に東海林太郎が褒めた発声歌唱の今陽子もおおらかな歌声
は今いづこ。高橋真梨子、おおたか静流、よかばってん私にとっては
イマイチ。んでもってテレサ・テン、かなりイイんだな、これが。
アレンジはほとんど原曲通りだけど声と選曲のミスマッチが私好み。
一通り聴いて、いよいよ伊東ゆかりだ。ナベプロから独立しエライ目
にあい(森進一と同じ)色々あっての今、原曲の解釈や如何に? 五味
康祐に手の感触を激賞されたゆかりちゃん、悪かろうはずはないだろ、
聴いてやっぱりイイ。こりゃあイイぜ。ってことで私の中のカバー3位
は伊東ゆかりに決定。
二位はすでに決まってる。石川さゆりだ。なんたって「二十世紀の
名曲たち」を10枚も出してるからな。特に一枚目がよろし、歌声、
アレンジ、バックミュージシャン三位一体が素晴らしい。可憐な歌声
が魅力だけど、反面声が細いのが残念なるもそれを言っちゃオシメー
よ。無い物ねだりはバチが当たる。さゆりちゃんのアイドルは美空ひばり
なんだろうな、きっと。
そして女王は、って〜とそりゃ誰がなんと言おうと「ちあきなおみ」
だろ。カバーしてる曲は多くないが、なんたって上手い。美味すぎる
(誤字じゃないぜよ)。特にファドの名曲との二枚組「ちあきなおみ」
リマスターボイスが素晴らしい。上手いってどこが? と説明したいが
できない悲しさよ。独断であえて説明しちゃうと、低音から高音まで
声の魅力は満載、歌唱法も引き出しがいっぱいあるみたい、曲によって
歌唱が違う、よ〜な気がする。同じ低音でも曲によって違う、感じ。
こんなへなちょこな説明、まるで菅総理みたいで残念無念だけど
私の感覚、言語能力以上の説明はできないから仕方ない。
長いか? 長いな!
究極のカバーはなんたってクラシック音楽だ。原曲(原譜)を幾年
異なる演奏家、歌手が歌い続けているからさ。歌手は声質で違いが
わかるけど器楽となれば差は微妙で何回も聴かないとわからない。
もちろん多数の演奏を聴き比べる必要もある。つまり演奏の良し悪し
(好み)を理解するためには膨大な経験知識が必要となるわけだ。
これがクラシック音楽に近づき難い敷居の高さなんじゃないかしら。
それでも聴き続けていれば何かしらの違いがわかるようになる。
私なりにいろいろ聴いてきた中で一番はエンシェント室内管弦楽団、
指揮をするクリストファー・ホグウッドに尽きる。歌手はエマ・
カークビーか最近知ったディアナ・ダムラウ。この方々を聴いて
いれば満足なんですわ。
豊穣な音楽樽からチョビチョビ呑む・・・・・な、店主でした。
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人間界のコロナ騒ぎとは無縁の自然界、万年億年淡々と流れる季節の
移り変わりが実感できるお年頃のワタクシ。相も変わらぬ模様替えに
励んでいるワケだ。
ことの発端は、レコードプレーヤー。親交のMazdaluce3000氏に
依頼したプリアンプが届き、ついでに入手したKENWOOD KP-990、
さて何処に置こうか、思案の末にデスク脇階段下に納まる結果となり、
ここからメインオーディオまで5mはあるから、いかになんでも線を
延ばすにゃ遠すぎる、ならばメインをこっちへ移動すんべ。
それでなくともレコードはひっくり返す手間が面倒だし、プレーヤー
まで数歩といえど歩かなくちゃならない状況は面倒が倍加する。若い
時ならいざ知らず72才の身には面倒=億劫が一番の敵、レコードと
親しむためには手を伸ばせばすぐ聴ける環境としなければならない。
音楽を楽しむためのオーディオ、中でも最高位のもてなしを必要と
されるのがレコードプレーヤーだろう。盤に刻まれている溝を微小な
針でトレースし電気信号に変換する、それは電気信号を音に変換する
スピーカーと対を成すともいえる。発生した電気信号はアンプの中を
行きつ戻りつするけれどそれは電気界の中だけのこと、一方は針先
もう一方は紙という単なる物質と電気との接点で音場を醸成すること
に比べれば難しさのレベルは段違いなんじゃないかしらネ。
音の入り口のレコードプレーヤーとアンプとの距離は近いほどいい。
その証はプレーヤーについてるPINコードを見ればいい。おしなべて
短いからね。1mはないだろう。ってことはですよ、まずプレーヤー
の位置を決め、のちにアンプの位置を決めなけりゃならないってこと
になる。また、針先で発生する電気信号はまことに微小、長い線で
アンプに繋げば途中で問題が発生する確率は高くなるのは世の常だ。
そう考えればオーディオの大将はレコードプレーヤー、付き従う
のがアンプ群、最前線で闘うのがスピーカーってことになるだろう。
といってもこんな話はほとんどの方々にはどうでもいいことだし、
あってもなくても生活にはなんの関係もないことはわかっちゃいる
けど。
ってことで、えっちらおっちらアンプを移動したワケだ。重さも
さることながらコードが大作業でね、抜いてまとめてまた差し込む、
正しく繋いであるか検音し、これの繰り返しを10台、飽きもせず
ようやるわい。思えば、こんなことを金のない20代の頃から何回
やったんだろう。スピーカーの台を作ったり、敷石を拾って接着
したり、雑誌で見聞きした良音の秘訣を実践し続け、捨てては買い
買っては廃棄の繰り返し、費やした労力時間費用を合算したらどの
くらいになるのだろう?
人に見せるわけでもなく、聴かせるわけでもなく(たまにある
けど)、ただひたすらいじくりまわして幾星霜、50年にはなる。
精神治療で箱庭療法と呼ばれるものがあるらしいけど、なんかそれ
と似てるなと以前から思っていたんだわさ。私の平穏な精神を保つ
ためのものか、生きてゆくため必要不可欠なものなのか。それは
私の人生とともにあり続けた映画と似てる。今の私を形成したのは
音楽と映画であったことは確かなことだと今更ながら思える。
地下のオーディオ環境が整い、かねてより気がかりだった一階の
店に取り掛かる。VHSDVDを観るモニターデッキアンプが棚に山積み
だったのが気にさわる。意を決して(大げさだ)地下への階段脇に
移動したんだ。あ〜スッキリした。これでしばらくは落ち着いて
日々を営めるってもんだろ。
こんなことばっかりやってる・・・・・・・・な、店主でした。
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裏にお住いのH川家、道路脇に梅の枝を無料配布されてて、こりゃ
またオツな頂き物と4本持ち帰ったんだ。数日後、蕾がふくらみ、
咲き始めてまことにけっこう毛だらけ。そのまま花瓶に挿しただけ
でも咲くんだ!偉いぞ梅!! 居ながらにして春の風情が楽しめた。
そして野鳥の餌台だ。この器、最初は小粒の餌用だったけど、皮が
残ってどうにもならず(竹が邪魔する)、すぐさま上に乗せて果物用に
したワケ。でもさふた回りも大きい野鳥があっという間にペロリと
平らげ、はてさてどうせよう。
たまたま昨日の東京新聞に同じような問題が載ってて、紐で結いて
枝からぶら下げる案に膝を打ち、
こうなったんだわさ。これなら大柄な野鳥は食べられない、メジロ
などの小鳥なら止まって啄めるだろう。朝、仕掛け中に早くも上の枝に
二羽のインコ、終わって家の中から見てたらジリジリと近づくものの
どうしても嘴が届かない。鳥種差別する気はないんだが、すぐさま
ペロリはなんか残念だし、小さき者達を優先させたい気持ちもあって
当分はこれでゆくだろう。どーでもいいことだけど・・・・・・。
んでもって、先日ネジの永井さんに行った折こげなモノをいただいた
んだ。注文した電動ドライバーを取りに行ったんだ。いきなりビットを
咥える部分が戻らなくなり??? 買わにゃイカンのか、齢71才の私は
考えるワケだ。いつまで生きるのかわからない=いつまで使うのか
わからない、からね。この年齢になると何かを買うとなると常にそれを
考えるんだわさ。とはいえ、最も頻繁に使う道具だから先のことは
どうであれ買わなきゃならんことは確かなことだ。
でね、店で立ち話してたらコレをどうぞと渡されたんだ。
蓋を開けたらこの通り、7種の小箱がちんまり収まってる。
中の一つを取り出せば、3つの小箱になってて
別々の蓋を開ければネジとマグネットがセットになっちょる。
右図は組み立て方法。鉄と磁石だから組み立てるってほどじゃない。
くっつけてゆけば、鹿のようにも見えるオブジェの出来上がりという
次第。以前からネジやボルトを使ってミニミニオブジェを試作してた
ことは知ってたから、大して驚きはしませんぜ。
しかし、ネジオブジェを全面展開し、こうしてセットにしたことに
感心する、な〜るほどなァやるもんだ、とね。これで〆て3500円、
7個あるから一個500円也、真っ当妥当な値段だ。
きけば、店前を通る保育園児童の列が「なんの店?」との声が
聞こえ、幼き疑問にいささかでもお応えしたいとのことが発端だと。
そういえば私の店前を通る児童の列でも同じ声が聞こえるから、
その気持ちとてもよくわかるのですばい。こっちはツマミ、あっちは
ネジ、負けてはいられませんよ、なにか手を打とうではないか、な
ココロ。
で、失礼だけど買う人いるの? それがいるんですよ、女性が多い、
とのこと。ゲッ! 買う人いるんだ、しかも女性かい。ヘェ〜・・。
さらにもう少し大きいものはないの?とリクエストまであるっていう
んですから驚き桃の木山椒の木。世の中捨てたもんじゃない、こんな
ユーモアを解する方がいることに口元は微笑みフンワリいい気分に
なろうってもんじゃないっすか。ねぇ〜。
これ欲しい方は、ネジの永井さんへ・・・・・・な、店主でした。
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TVで仕事ぶりを拝見して素晴らしさに感動、感謝と追悼の意味も
あってのこと。私のこれまでの人生で肉親親戚以外で墓前(作品展
だけどね)に参ずることは初めてだ。的を得た展示に納得し、香典
代わりに何かをと館内ショップでマフラーお買い上げ。清々しい心で、
さてどうしよう。せっかく京都まで来てこれだけで帰るのも口惜しい。
結局いつも通りの喫茶店でタバコ一服、昼食とコーヒーで一服、のち
いつも通りにレコードショップへ、
さすが京都、こんなものが。メル・ブルックスのヤング・フラン
ケンシュタインだ! 別に欲しいってことはないけど、私が買わな
けりゃ誰が買う? ってことで。・・・・・なんてこったい。
んでもって昨日か、Amazon Primeでふと観た映画でクラーク・
シスターズを初めて知って仰け反った。音楽好きを自負していながら
知らなかったとはまったくもって情けない。世の中広い、ゆめゆめ
油断めさるな各々方なココロで一筆啓上の次第。
アメリカ音楽で燦然と輝くゴスペル、無宗教の私なれども音楽と
しての魅力は充分に理解済み。クラーク・シスターズの豊かな土壌に
驚く。ゴスペルというジャンルに収まりきれず、完成度に耳舌鼓を
打つ。そしてアレサフランクリン追悼コンサート。
女性コーラスはいささかに聴いてきたけどさ、その中でも秀逸、
トップレベルである。4人の声質は微妙に違い、その微妙さが絶妙な
ハーモニーを生む、とでも言いましょうか。マンハッタン・トランス
ファーより上かも、とか思ったりして。まったく信じられないような
見事さにウットリさせられるとともに、一聴して、マライヤ・キャリー、
やメアリー・J・ブライジやデスチャを彷彿とさせる。彼女らの根っこ
はここにあったのかも、と。思えば遠くに来たもんだゴスペル。
というのも昔々NHKで観たマヘリア・ジャクソンは素晴らしく今でも
ハッキリと目に焼き付いている。晩年近かったと思うけど、歌いつつ
踊る様に魅入られてしもうたのっし。私にとってマヘリアはゴスペルの
真髄であり、ゴスペル元年の年女であったわけでね。
その後、「真夏の夜のジャズ」でも感動し、すっかりゴスペルに
目覚めた私、影響はきわめて大なのでアリマス。
そしてレイ・チャールズか。What’d I sayで男女の睦事を歌詞に
転化して物議を醸したことは有名な話だけど、教会音楽という狭い
世界の枠を取っ払っい、ゴスペルを広い音楽世界へ解き放った意義
は大きいんじゃないかしら、ネ。
プレスリーもゴスペルは根底にあったし、ソウルミュージック
ともきわめて親しい間柄、生まれは教会で神を讃える音楽であった
けど、成長するにつれいろんな音楽を吸収し変幻自在に姿を変え
つつ、ここに至るみたいな、それの結実がクラーク・シスターズ
みたいな。彼女らの歌唱を聴けば、出自に想いを馳せ、深い感慨に
耽るのは私だけではないだろう、と思いたい。
一方の、追悼されたアレサ・フランクリンに一言。場所は
ホワイトハウスだ。日本ならば首相官邸か。特設ステージを組み
数多のミュージシャンが演奏する。音楽文化に対する理解は雲泥
の差だ。菅さん含め日本の政治家がそんなことするわけがない。
ここでのアレサはスバラシイ。ほぼ晩年ですから若い時の声量
には及びもつかないけど、凄みを感じます。TVで観たマヘリア・
ジャクソンと共通する凄みだ。
と、ここで、これに匹敵できる日本の歌手は? なワタクシ、
浅薄な知識では美空ひばりしかいない。風評さまざま、好みも
分かれることはあるにせよ、凄みを感じさせる歌い手として唯一
無二なことは理解してもらえる事を乞い願う。昔日、竹中労は
マヘリアのレコードを贈り、聴いたひばりは一夜にしてダニーボーイ
を会得したとか、ハリーベラフォンテが来日した折、竹中氏の
力添えで会い、その場で歌ったのが三門博・唄入り観音経、ハリー
いたく感動し言葉も出ずとある。それ以前にもサッチモともニアミス
したとか。音楽に対するひばりの好奇心はかくのごとしだ。
それにしてもアメリカの音楽世界はなんと素晴らしいことか。
次々と世代を受け継いでゆくミュージシャンが輩出する。これは
やはり伝統ということか。さしずめ日本なら柔道か、はたまた
剣道、今ならマンガと言ったところかいな。と、いろいろ考え
させられてしまうクラーク・シスターズではあった。なんてね。
さァてと、仕事せねば・・・・・・・・・・な、店主でした。
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つい最近、BSで氏の仕事ぶりを観たばかりという感じだったのに。京都の
細見美術館で作品展が開催されている、ぜひともゆかねばならん、矢も盾
もたまらず急ぎ見に行くことにする。
さあて大道芸だ。大道芸という呼び方の適否はわからないけど、ほかに
思い浮かぶ言いようもなし、あくまで私だけの基準、異論の方もおられる
だろうが、素人考えということでご容赦願う。
TollGさまから「しかして待つ されど我が愛届かず、どないしょう?
(ダイラケ)」のコメントをいただいた。ダイラケこと中田ダイマル・
ラケットは私の考える大道芸の精神を受け継いでることは間違いなく、
コメントに大きく頷くワタクシ、ようわかってらっしゃる。このTollGさん
とのメールやりとりのなかで、私なりの大道芸(あるいは大道芸精神
とでも言おうか)を書いたものがある。
・一段高いところではなく、
・品下がることもあり〜の、
・下世話な内容で、
・客とのやりとりも欠かせないな、
・できればたたき上げの要素も欲しい、
・ケレン味があればなお良し
私が考える大道芸とは、おおよそこれで言い尽くされている。
「それで?」と言われちゃ返す言葉もないけどさ、大好きなんだから
しかたない、ズラズラとダラダラと羅列したいんだからしかたない、
いささか長くなるけど、今までの溜まったウップン(私だけの勝手な)
を晴らさせていただきたい。興味はないかもしれないけど。
漫才でいえばダイラケに止めを刺す。それ以前にも数多居たんだろう
が、私が物心つく前のことはわからない。「いとこい」は品下がらず、
やすきよ阪神巨人も同様で食い足りない。余談だけど、YouTubeで
観るダイラケはあきまへん、年齢と内容がズレとる、真の魅力を知る
にはラジオ音源のCDに限ります。まさに笑いの波がうねっている様は
素晴らしい。客の爆笑反応に呼応して芸もますます調子に乗るんだろ。
生きてるうちにこんな場に居合わせることなんか無理も無理、だろう。
コントはどうだ。思いつくままにコントレオナルド。いや待てよ、
東京コミックショウもいた。十年一日まるっきり同じ、こりゃまるで
バナナの叩き売りだ。昔日を知ってるせいなのか今見ても十分ウケる。
漫談風ならケーシー高峰、エロ味おおらかちっともいやらしくない、
のは人柄? いやそれも芸のなせる技に違いない。
歌はどうだろう。考えるもなかなか出てこない。真っ先に思い
浮かぶのは松山恵子。エレベーターのCMでお馴染みこまどり姉妹。
男なら北島三郎がかろうじて浮上する。師船村徹がアドバイスした
救急車のサイレンの音のような歌声、聞けば聞くほどその通りだなぁ
と感心、経緯が分かっているからニヤリ。イチオシはなんたってお恵
ちゃんだ。一段高い舞台ではあるけど気持ちはご近所での立ち話な
雰囲気が溢れ出てる。ひばりみたいに高みから見下ろす感じはまったく
ない。役者でいえば浪花千栄子、小沢昭一、殿山泰司、ぐらいしか思い
浮かばない。探せばきっと他にもいるんだろうけど。
番外編として京都橘高校マーチンググバンド。行進演奏だけでいい
ものをわざわざな踊りが加わる。踊りは審査対象外にもかかわらず、だ。
このサービス精神はどっから来たのか? 上方ならではのものと私には
思えてしかたない。中でもシングシングシングがオハコでね。高校生の
クラブ活動にオハコがあること自体すごいこと、きっと観客の目当ては
そこなんだろう。
日本ばかりじゃ能がない。まずはベット・ミドラー、いかにも芸人
って感じのこの映画は「フォア・ザ・ボーイズ」。まさに彼女の真骨頂、
まことにケッコウでありました、ハイッ。しかしながら萎えた脳みそは
これ以外はサッパリ。情けないもんだ。踊りはってぇと、ニコラス・
ブラザーズに尽きる。映画の中での踊るシーンは短けれど、最高と
思しきはストーミー・ウェザーであることは異論を挟む余地はない。
きわめて洗練された大道芸、何度観ても飽きることはない。
ジョン・トラボルタも頑張っちゃいるけど残念ながら開脚角度が
てんでかなわないときたもんだ。
このシーンで指揮しつつ歌い踊るのはキャブ・キャロウェイ。これぞ
アメリカの大道芸の本家本元、いかにもな感じにウットリ、2枚組LP
まで買うてしもうたやないか。名曲ミニーザムーチャ、奇妙な動きは
トニー谷を彷彿とさせる、っていうか年代順からいえばトニー谷が模倣
してたのかも。そして特筆すべきは客との掛け合い(コール&レスポンス)
私の知る限りこれ以上の掛け合い歌はない。のちに続くのはTomaccos
とFans Renwahの2つのバンド。この歌を歌うには声に張りが
なきゃいかん。大きな声と張りのある声、どこがどう違うのか私にも
ようわからんのではあるが・・・・・・・・。
片やスペインの路上、ウォッシュボードも素晴らしくクラ嬢もよろし。
路上でこの演奏に出会ったらいくら払うかな? 1000円? いやいや
もっと払うかもしれない。も一方はアメリカ? ウッドベースに描かれた
西部風銭湯壁画はケレン味たっぷり、WHAT? BEERのやりとりまさに
大道芸の醍醐味。考えてみるまでもなくフレディ・マーキュリーのそれは
キャブキャロウェイの多大な影響によるものだろうし、ティナ・ターナー
も根はここにあるんじゃないか。観客と一体になるってのはこういうことを
いうのだろう。
しかししかし上には上がいるもんでね、コール&レスポンスの極致は
ハリー・ベラフォンテ、もうこれ以上はない最上のピンと言っておく。
話は続くよ、どこまでも。
じゃ音楽の雄クラシックは、と当然の疑問が湧くのが人情。聴く
だけ片道通行でコール&レスポンスなんかできるのかいな、はたまた
大道芸の精神もとなると限られてくるのはやむを得まい。当を得たりと
膝を打つのは二人だけ。モーツァルトとシュトラウスだ。
モーツァルトには「魔笛」、いささか品下がり下世話な内容は大道芸
にふさわしい。中でも、かの五味康祐が絶賛し私も最大に賛同する
「パ、パ、パ」。鳥刺しパパゲーノが探し求めていた恋人パパゲーナ
(名前の妙もスバラシイが)が出会う一場面。
ヨハン・シュトラウスには「こうもり」という名歌劇があることは
みなさま先刻ご存知かもしれないが、紹介するのはラデツキー行進曲
だのっし。毎年、ウィーンで開催される恒例の新春コンサートの最後
に演奏されるものだ。法外な値段のチケット、ここぞとばかり着飾った
方々、会場や演奏がどんなに素晴らしくても、いかにもな雰囲気は
私は好かんのですわ。紹介する動画は、ずーっと庶民的だし、指揮者
の動き目線はほとんど大道芸に近く、役者やのう〜な雰囲気に満ち
満ちてまことにケッコウ毛だらけ猫灰だらけでゴザンス。
これで手一杯目一杯、今んとこコレ以上のネタはござんせん。
あしからず、そして長々なおつきあいご苦労様なこってした。
あ〜っ、スッキリした・・・・・・・・・・な、店主でした。
]]>
地下では粛々とオーディオ進化が進められているのダ。というのも私に
とって、かねてよりいささか心残りのアンプがあってね。
コレなんだ。以前も記事にしたことがある、通称樽アンプ。
メインアンプだから、3つの入力はあれどもボリュームしかなくてね。
これだけでもスピーカーから音は出て満足なんだけど、音量が物足り
なく感じてずいぶんと時間が経った。もちっと大きく聴こえるように
したいとmazdaluce3000さまに問えば、プリアンプを繋げばよろしい
とのご託宣。ふむふむ、そういうことかと納得したものの、これは
これで聴けるんでそのままにしておいたんだ。
とはいえ心残りであることは動かしようもなく、ネットでプリアンプ
(メインはあるからプリだけあればいい)を探してみたんだけど、
これがなかなかない。また、古いアンプだと初期性能を保ってない、
いつ壊れるかという心配もある。それでいてけっこうな値段なんですわ。
そんならいっそmazdaluce3000氏に聞いてみんべと5万円と指し値を
決めて☎。ちょっと間をおいて氏曰くヤマハのAー2000なら在庫がある、
そのプリ部だけを使ったらどう? と。え! そんな贅沢していいの?
それ、いただき!と即答。
そのメイン部を取り除いてプリ部だけをレストアしたものが昨日持参
していただいたという次第。
1980年代のヤマハを代表するアンプ、いや〜カッコイイでんな。
中はって〜と、ご覧の通り空っぽだい。中央は重いトランス、本来
なら左右にメインアンプの基板が入っとるんだが不要ってことでこの
通り。氏は、ここに真空管アンプを仕込めますぜと悪魔のささやき。
ちょっぴりそそられたけど樽アンプを泣かせちゃいけませんや、いずれ、
ま、そのうち、誘いに乗らず心落ち着けて一件落着。
しかし、このAー2000、問題がないわけじゃない。メイン部がない
からヘッドフォンが聴けんのだわさ。それがちょっと問題かも、でも
まあいいや、とかなんとかで☎を終えて、数日前にヘッドフォン専用の
アンプを用意した、ついちゃあ一万円追い金してもらえないだろうか
と連絡があって、むろん即OK、が昨日A-2000と一緒に届いたワケよ。
ヤマハ DP-U50。パソコンからUSBで繋いで聴けるアンプ。でもこれ
だけじゃふつうのスピーカーは鳴らせない。しかしふつうのスピーカー
はA-2000があるワタクシ、DP-U50はヘッドフォン専用だからなんの
問題もありゃあせんのだ。
ということで2台のアンプが地下の棚に収まった。これっぽっちの
憂いもなくタップリとAmazon MusicやYOU TUBEが堪能できる環境
が整いましたとさ。めでたしめでたし
而して肝心の音はどうだろう。いや、悪いわけがないんだけどさ、
文章の流れでいちおう。清冽にして一点の曇りもなく、いと満足極まり
なし。たった数万円でこの音が入手できたことに感謝してもしきれない。
感謝感謝雨あられ、涙さしぐみ帰りきぬ、なんちって。
音楽にしろ動画にしろ良い音で聴くに越したことはない。それにCDに
せよレコードカセットFM放送ネットミュージックあらゆる音源に秘め
られた最高の音を求めたいタチの私であれば、ネットミュージックに
限定されるとはいえ、まず現在考えられるピンの装置が整ったことは
確かなことと断言できる。
自分のオーディオに欠けている部分を相談しながら入手できる。
しかも財布に見合う金額で、なんて素敵なんだ。いつまでも長生きして
くださいなmazdaluce3000さま、そして私の音楽人生に問題発生と
あらばER救命救急、物足りなさを感じたら払拭すべく精励してくださる
ことを願ってやみませぬ。あらあらかしこでござりまする。
いや〜、ぼかァ、幸せだな〜・・・・・・・・・な、店主でした。
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風呂の残り湯で洗濯、野鳥に餌を、久しぶりに地下のメインオーディオ
を暖めてノイマン・チェコフィル「我が祖国」、たまにはブログでもと。
前回の野鳥水浴び場、設置してすぐにホオジロ?がやってき、ついで
ハトの水浴びを見る。その後、ときどき見てみるとこの通り、浴びた
水跡で利用されているのがわかる。野鳥へのささやかな貢献ができて
いることが仄かにウレシイ。
でもって今回はコレ。小沢昭一の金字塔、全7枚のLP。
ふと頭をよぎるバナナの叩き売り、最後に見たのは渋谷のガード下
井の頭線改札の辺りだった。いやもう面白いのなんのって、聞き惚れ
見とれしばし立ち止まったことを鮮明に覚えている。そんなこんなを
思い出し、聞こうと思ってすぐ聞ける、なんて贅沢なんだ。
昔は、そこここで演じられた?大道芸(大道芸と放浪芸の違いが
わからないんだけど)。今じゃすっかりなくなったよな。そういえば
犬の交尾も見ることなくなった、「見ちゃイケマセン)母にいわれた
気がする。高校に向かう道すがらリヤカーに長大荷台、盛大に金魚鉢
が並んでいたのはいつの頃? またまたぁ〜、高校生って書いてる
じゃない、ってことはあれは確か高校生だった。なんてこったい
まるでマルクスギャグ(にもなってないけど)の空転ギャグじゃんか。
脇に置いた袋に蛇を入れ何かを売る、包丁で腕を切り(むろん血が
出る)新聞紙に軟膏をつけて売る、歩いてると後ろから車が来て売れ
残りだから安くするよと洋服を売る(見事私は引っかかりました)、
詐欺まがいの手口だけどオレオレ詐欺に比べたら可愛げがあった気が
する。
LPの冊子に添田知道の一文を初めて目にし、全文を紹介します。
タンカ・トハ
タンカ てきや商売のタンカ(口上)は、それぞれの商品によって
工夫される。それがなかなかおもしろく、もっともらしく聞こえる。
もちろんその緩急よろしき、テンポとリズムが物をいうことになる
ので、それがまずかったらいかな名台本もかたなしになること、演劇
と同じである。
その通りだな。実際に見たことがある私、シアワセ者だなぁ
トハ タンカを、あるいはおもしろく、あるいはもっともらしく、
たたみこんできて、いざ商品を売りにかかる、かんじんかなめの
瀬戸際を、オトシマエという。そしてコマシに目の色をかえるので
ある。コマシとは、いよいよ品を金にかえる、客のふところをつかむ
ことである。タンカはいかにも余裕をもってのべられている(金の
ことなどどこふく風という調子)のだが、いざコマシにかかれば、
真剣勝負の緊張が、はっきり目にも見えてくるから、正直なもので
ある。
なるほどね。タンカは知ってるけどトハは初めて聞く言葉だ。
コマシも同様、元々はそういうことだったのか。スケコマシも
聞かなくなって久しいとあらためて思っている。
その大切な瞬間をとらえるために、トハ・サクラを使うことも
ある。仲間が客に扮していち早く買うことである。それにつれて、
ほんとの客も手を出すことになる。つまり呼び水の作用である。
タンカですっかり感心して、買う気はうごいていながら、なお
ためらっている人がよくあるものだ。ふつうの商いでも、買おうか
買うまいかと迷う心が誰にもあるものである。それを踏み切って、
買う決定をさせる作用をするのが、トハである。呼び水をすれば
水は出てくる。それと同じく、一人二人と買えば、それにつれて
ずらずらずらっと、買う者があとにつづく、ということである。
呼び水もとんと出番が少なくなった言葉。知ってたとしても
実際経験したことは少ないのと違うか? 井戸水の出が悪い時
上から水を注いで、ハンドルを数回上げ下げすると、あ〜ら
不思議、出なかった水が出てくるじゃぁア〜リマセンカ。これが
呼び水。念為。
この呼び水役がトハである。トハは隠語でハトの転倒語。
ハトは一羽がとび立てば、それにつづいてばたばたと、全部が
とび立ってくる。寺院の境内などで誰もよく目にした風景であろう。
香具師もまたその場に店を出していたのだから、やはり鳩の習性
をよく見ていたろう。その機微をつかんだ隠語がトハである。
トハに従事することを「トハを追う」という。
実際目にしたことをそのまま符丁に取り入れる、ありそうな話
も一つのサクラは、かなり一般化している。「あいつはサクラ
だよ」などとよくいわれる。仲間が仲間を擁護する言動にいわれる。
これは花のいろどりもあるし、ぱっと咲いてぱっとちる、その
瞬間的キャッチの表現でもある。香具師は売ることを「散らす」
という。「このネタはよく散る」「あのネタはよく散ったものだ」
などと用語する。
鳩も桜も、平和と美の
ここで来客が来て一旦休止。年配のご婦人二人、問わず語りに、
病院帰り、家は隣町の鵜の木。何度も通ったけど気づかずに、
今日初めて知った、と。よもやま話でひと時を過ごしお帰りに。
象徴であることを考えると、何か微笑みがわいてくる。香具師
にもなかなかシャレ気があるのである。(「香具師の生活」より)
まずは、簡にして明、わかりやすい文章に感心。漢字にせずに
ひらがなの多用が目につく。写すとそれがよくわかる。さらに蘊蓄
もあり、昔日の様子がアリアリ、堪能しましたワイ。早速図書館
にこの本をネット予約。こうして接ぎ穂のように次々と知りたく
なるのが私の癖でね、早くこいこい「香具師の生活」!
続編があると思うよ・・・・・・・・な、店主でした。
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追いつかないファクティオ店内、地下のオイルヒーターも底冷え消えず。
東北北海道の方々には笑われちゃうけど、寒いものは寒い。
そんな寒さにもめげず、かねてより気になっていた野鳥の水場を作り
餌台を改築したんだわさ。正月早々偉いぞ、オレ、自画自賛。まずは
水場、
手あぶりの火鉢用の小テーブルを転用して天板、樹脂のおせち皿?
を転用して水容器、植木用の竹を転用して止まり木。なんてことだ
全部転用ばかりじゃないか。買ったのは排水ホースと樹脂部品だけ。
蛇口からホース、チョロチョロ流れ、溢れた水は中央の排水口から
流れ出る。以前は、餌台の脇に小鳥用の水飲みを置いてたんだけど
飛び散った餌が溜まるし水換えがすこぶる面倒でね。メンテ不要の
仕掛けは必須と感じつつ幾星霜。作ってみればなんのこたぁない
あっという間に出来上がってしまったやないか。
それにしてもホースを固定する針金がなんとも雑。もっちと体裁を
考えなくちゃならんばい。
底部はご覧の通り。これで常に新鮮な水が供給、小さなゴミは排水口
から吐き出されることになる。う〜む、なかなかエ〜やないか。
でもってこっちが餌台。
適当な板がなくて、ちょっと考え。結局、有り合わせの板をボンド
で接着。凸凹に反り返り放題だけど、下に板を吸い付けて応急処置、
餌台じゃこんなもんだろ。
当地の餌台はいくつかの条件があってね。最初、何も考えずに
作ったら鳩とインコが来て困ったんだ。別に差別する気は毛頭ない
けど、餌を散らかしてすぐなくなっちゃうのよ。やむなく、数回の
試作を経て、柵を作ったんだわさ。ま、檻みたいなもんだけど。以前
は竹棒だった。毎日餌を入れために竹棒を外すようにしたんだけど、
鳩もバカじゃない自分で外すようになってさ。朝見ると竹棒が下に
落ちてるのが再々ときたもんだ。
そこで今回はこうしたワケ。コレ箸なんだけどね。握りは四角、先端
は丸加工されてるもの。ずいぶん昔、見本市でネパールのブースで販売
してたのをまとめて一万円でぜんぶ買い占めたの。材料はウォルナット
とチーク、けっこう曲がってるんだ、コレが。だから売るもままならず
眠っていた代物。この際、コレを使うべとなった次第。台に穴を開け、
差し込んだだけのカンタン仕様。
しかし上部(箸の持ち手部分)の高さがバラバラで屋根を直につける
わけにはゆきません。しかたなしに屋根は4本の支柱で支えるしかない。
ご覧の通りに檻と屋根の間はてんでんバラバラ隙間だらけ。でもここから
鳩が入ってくる心配はなかろう。
ほてからに餌入れだ。直径30?。水浴び場の容器と同じもの。中央に
丸棒、12本の竹棒、これで中に入って餌を散らかすことにはならない。
多分。丸棒は容器下からネジ止め。
屋根は、余っていたケヤキの突き板ベニヤ。ちょっともったいないと
思ったけど背に腹はかえられぬ、目ぼしい材料はこれっきゃないから
しかたない。水勾配をつけて三ヶ所4本の脚で固定、すべてネジ止め。
さて、これが吉と出るか凶と出るか。水場はセットしてすぐに胸が
白い小鳥(シジュウカラか?)が水浴びしてくれて一安心。やっぱ
求めていたんだな。餌台の方は位置は同じだけど様子が変わってる
から早々は来ないことはわかってる。しかしいずれ来ることは経験済み。
待てば海路の日和あり。違うか? 違うな。
最後に「デザイナーズな」について一言。
こんなカンタンな装置?でもいろいろ考えることはある。機能、
構造、耐候性。夏にはゴキブリが集まることをなんとかしたいし、
ネズミが登って来るのも防ぎたい(目視現認してますからね)、
むろん天敵の猫から守ることも。そんなアレコレを考えるってのは
いわゆるデザイン行為ってことじゃじゃいかしら。デザインってのは
見た目だけじゃないことは当たり前、予想される様々に対応するって
ことこそが重要。ってことでこのタイトルになったわけ。一応って
ことで。
懸案解決して胸がスーッとしたわい・・・・・・・な、店主でした。
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12年で一巡りだから、次は84って寸法だけど、それまで生きてんのか
なぁ。近頃めったに鏡で顔を見ることはなかったけど、昨夜歯磨き中に
久しぶりにマジマジと見て現状確認、そして驚愕。ほんでもって見た夢が
なかなかどうして刺激的なもんで、あぁやっぱりあの顔見のせいだと
一人合点。
歩いてたら気になる門、フラフラ入ったら巨大な黒壁、グルリと回り
込んだら野外ステージ様の空間、黒壁は巨大すぎて目の焦点が合わず、
そんなことをしているうちに室内になり、イッセイミヤケの雰囲気、
別に服はないんだけどさ。映像が乱れ飛んだり、と覚えているのは
ここまで。オチも何にもないけど・・・・・・・一応ってことで。
閑話休題、以前から「奇跡のレッスン」なるTV番組が好きでね。
見始めて以来欠かさず観てたんだけどコロナ禍のおかげか新作が出て
こない。ならば旧作を観るしかないべ、と昨晩観たのが書道編。数多
観て中私のベスト1は、この書道編。いちおうお知らせしとこうと。
昔は正月には書き初めやったもんだけど、今はどうなのかな。
とんと噂は聞かないけど。パソコン花盛りの時代、いまさら筆でも
アルマーニ、かくいう私も毛筆はおろか手書きすらとんとご無沙汰、
なんも言えませんのや。ちなみに2はラグビー編。
書道編は何回観たかわからないほどの熱の入れよう、私の拙い
文章で説明するこたぁ出来やしませんぜ、ってくらいの内容だ。
目の前で8つの書体をスラスラ書き分けるシーンなんて鳥肌もん、
それを見る中学生の目つきも素晴らしい。まさに優れた授業の
お手本と言っていいだろう。
そこで思い出されるのは私が一時期を過ごした東京デザイナー
学院、アニメ専攻で背景を教えていた鳥居塚誠一氏。200人程度の
学生を相手にカメラの前、水彩絵の具でスラスラと自然の風景やら
室内やらを描いて、それを見て学生も一緒に描くという授業でね。
アンケートでもダントツNo.1だったと記憶している。大学で建築を
学び、映画の大道具の仕事を経て、授業では背景を教えていたワケ。
女遊びの修練も充分、かの高峰秀子からは鳥ちゃんと呼ばれ、
私の求めに応じて撮影所の見学も快諾してしていただいた方でね、
大好きな先生だったんだ。思えば、この頃が東デの黄金期だった
とつくづく思いつづけて幾星霜。
ま、時間があったら観てみてみぃ。
続・閑話休題。
暮れも押し迫った31日、こんなものを作ってもうた
右側は野鳥の餌台、ずいぶん前に作った代物。部屋からすぐだけど
手が届かない。特に雨の後だとスリッパは濡れる地面も濡れ往生して
いたワケ。作ればすぐなのに腰が重いことこの上もなし。手前の箱は
餌入れですだ。それで? だからなんなの?? オチはないのかい、
まぁそうおっしゃるな、正月に免じて勘弁してちょ。
調子に乗って地下のテーブル脇にチョコンな台。マウスを置くだけの
軽機能だからあっという間に完成。トップは使い古しの皮革仕上げ、
一度やってみたかったんだけど、なかなかの手触りでいたく満足。
だからなんなの?? って言わないでくんろ
きのうさらに調子に乗って大きな縁台を作ってもうた。カミさんの
為に気を遣って作業テーブルを作ってあげたにもかかわらずニトリで
買った椅子とテーブルに座を奪われて無用の長物になりにけり。
外して立て掛けて数ヶ月、本人はどう思っているかわからんが、無事
転進赴任と相成った。これで洗濯物を干すときに苦労いらず、面倒臭さ
から解放じゃい。
それで? オチはないのかい! お叱りごもっともなれどここは
ひとつ年男に免じてお許しあれ
こうして今年も始まった・・・・・・・・・な、店主でした。
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隠居生活で世情に疎い、どうせガラガラだろと思いきや早朝の新幹線は
そこそこ混んでる。自由席、車内販売のコーヒーとサンドイッチでまずは
京都へ。到着し駅前でレンタカーを借り受けて一路丹後を目指す。
およそ二時間の運転中、雨かと思えば雪か? というよりみぞれだ。
雨風も強い中、墓参を済ませ、近くの間人(たいざと読む)で昼食をと、
こんな辺鄙なとこで食堂があるのかしらんと思ってたら海沿いに洒落た
レストラン。接客内装食事もいと満足なり。窓から見える海は大荒れで
白波が見事。冬の日本海を久々に体験、再度いと満足なり。
ついでに丹後半島を一周しよう、途中で伊根に立ち寄る。
悪天候にもかかわらず、湾内きわめて静か、有名な舟屋にうっとり
京都への帰路、京都縦貫道途中の山々はうっすらと雪景色。
さて翌日、カミさんとは別行動、夜まで一人で何をしようか?
格別訪れたい名所旧跡はなし、旅行前夜に考えてレコード店と喫茶店
で過ごすことにし、まずは一服できる店を探す。調べておいた店、喫煙
は午後からと言われ、フラフラ歩くこと10分弱
喫煙可「喜久屋」を見つけた。小体な店だが、わが町にも欲しいと
思う店。事前に調べてあるレコード店なれど、細かい場所までは無理、
探し疲れたらいつでも逃げ込める塹壕を確保しておくのは当たり前。
この店はまさにそれにふさわしい。コーヒー飲みつつ一服、支払いの
際に近くのレコード店の聞き込みをする。現地のことは現地の人に
聞くことも当たり前だ。
教えてくれたあたりで最初の一軒。地下にあるレコード店、入店
したら誰もいない、が、音楽は流れている。どうやら奥の見えない
とこに居る様子。いかにもという感じの店でゾクゾク、品揃いも誠に
けっこう、数枚買い求める。この近くにレコード店はありますか? と
問うてみた。
説明されてもさっぱりわからないんだ。なんせ京都の町が頭に入って
ないし、南北とか言われても混乱するばかり。とにかく行ってみますわ
と店を出たら、店主追っかけてきて小さな地図をくれる。なんて親切
なんだ。今や希少なレコード愛好者同士間の愛を感じるなぁ。
当地のレコード店はいずれも素晴らしく私が知る東京とは雲泥の差。
透明カバーの中、盤面を見えるようにしてあるのも、ライナーノート
が読めるようにしてあるのも、店によって工夫もさまざまでね。
この心遣いだけで盤質の信頼感を感じます。また店の品揃いも優れて
いることに察しはつくってもんだ。
店の一例を紹介しとこう。
古いビルの3階「ホットライン」。
奥の細道がズ ズ ズィ〜〜〜〜〜
奥から見ればこの通り。右の洗い場がなんともな佇まい
階段上がって2階、ここにも洗い場、脇には分別ゴミ箱、壁の
タイルもいかにもって感じでウットリだ。ちなみに右側にトイレ
さらに昇って踊り場、右左に案内表示。歴史を重ねた分電盤メーター
消火栓2個火災報知器、いやー実に素晴らしい
店の扉だ。どう見たってお店ではない。住宅だ。でもトイレは
室内になく、下の階の共同、一体どうなってるのよー?
中に入ってみれば、左に大きなデスク、座るは妙齢の女性、髪が
オレンジ色、広い店内はまさに足の踏み場もなく、カニ歩きしないと
進めない。クラシックからポップスジャズ歌謡曲あらゆるジャンルが
ひしめき合う。段ボールが積み重なったレコードを探すも足元床にも
レコードが立て掛かってて邪魔、伸ばす手が微妙に近ずけない。
ここで真っ先に見つけたのがグラシェラ・スサーナ。なんと3種!
もある。う〜む、すごいな。数枚を差し出し精算の時、壁に掛かった
松田聖子BOX2枚組み1000円を追加お買い上げ。
結局4軒回って15枚のLPを入手した。安いものだと500円高くとも
1500円程度だから大した金額にはなりようもない。一夜の開けて
今朝からポツポツと聴き始めているけど、これが一番の収穫か
映画「南太平洋」、サントラ盤は持ってるけどこれは別物。物語は
どうってことない、ロジャース&ハマースタインの名曲が聴きどころ。
映画と違いキリ・テ・カナワ、サラ・ボーン、ホセ・カレーラスらと
共にロンドン・シンフォニー・オーケストラだから悪かろうはずは
なく、まことに結構な演奏歌唱いと満足なり。
しばらくはこれらのLPを聴き京都のレコード屋の余韻に浸ることに
なるだろう。そして彼の地の喫煙状況にも賛辞を分かたなければなる
まい。東京に比べて喫煙者に対するおおらかな対応にだ。東京ならば
銀座のような中心街でも歩いて数分の範囲で喫煙できる喫茶店が数店
あるそのこと自体が素晴らしい。杓子定規に嫌煙を振りかざす東京、
一方では喫煙禁煙を店の判断で決めている京都、同じ日本でこの違い
は一体どういうことなんだろうか?
最初に訪れて蹴られた「六曜社」、最後に再訪してみた。一階と地下
別々に店がある。一階は喫茶のみ、地下は夕方からバーにもなるらしい。
ここの分煙は時間帯別、午前中は禁煙店だ。こういう棲み分けだって
できるわけで、それぞれの店が判断して工夫すればいい。自由で柔軟な
対応が実現していることに感心もし羨ましい限りだ。
京都を見習ってガンバローっと・・・・・・・な、店主でした。
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オーディオテクニカ AT-LP3 Amazonで24,800円也。
これを選んだのは、フルオートであること、針を替えられること。
中古から選ぶ手もあるけど、フルオートはメカが複雑で壊れている
ものが多く、壊れていないにしてもいつ壊れるか大きな不安が残る。
新品ならそうそう壊れることはあるまい。少なくとも私が生きている
間は。
駆動はベルトだけど、少なくとも私が生きている間はヘタるまい。
もひとつの針交換可。付属の針でも充分だけど万一替えたいとなった
時に替えられないのは片腹痛いじゃないっすか。当分替える気はない
けど、一応保険てっことで。スイッチONですぐ音楽が流れ、終われば
自動的に針は戻ります。ワォ〜なんて便利なんだ。レードがとても
身近になるじゃんか。気軽に聴けて、面倒はジャケットの出し入れ
程度。マニュアル操作に比べたら月とスッポン猫に小判暖簾に腕押し。
子供ん時はレコードしかなかった。ソノシートなんていうペラペラ
もあったけど。それがオープンテープになりカセットになりCDとなり
ついにネット配信となったワケだ。その過程を共に過ごして感じる
ことは「そして誰もいなくなった、レコードだけが一人佇むのみ」。
生き残り続ける何よりの理由は直せることだ。ピックアップがダメ
になったらそれまでよなCDデッキは終生を共にできませぬ。いくら
高価でもピックアップが反応しなくなるころにはメーカーでは対応
できなくなることは誰だって知ってること。
年老いるに従って、今時の音楽と遠ざかることはやむを得ない。
聴き続けた音楽量が膨大になり、基礎教養も増え、珠玉の名曲名演
が基準となる。必然的に今の音楽と比べ慨嘆するのは連綿と続く
歴史の中で繰り返されることなのだろ。屹立する過去の音楽たちと
肩を並べ得る曲が生まれることは、過去の蓄積量と反比例して困難に
なるんじゃないっすか。考えられるのは過去の音楽の発展形、新しい
解釈視点によるものか新しいジャンルの発生によることしかできない
のではあるまいか。なんてね。
幸いレコードは膨大な埋蔵品がある。私は渋谷のHiFiレコードを
愛用してるけど、オークションでもAmazonでも比較的安価で手軽
に入手できるのは方々ご存知のこと。最初は一枚でも増えるに従い
点が線になり面になり、それはまるで木が育つように枝葉を伸ばし
大きな音楽樹と呼べるような壮大な自己音楽世界が出来上がる。
私にとってのそれは共に生きてゆける日々の愉しみであり終生の
友である。
佇むレコードプレーヤーの傍らにもう一人、弟分のカセットデッキ
がいる。CDのピックアップに相当するのはヘッドだけど、テープ
走行で磨耗したとしてもなんとかなると師mazdaluce3000が言う。
久々の出品で理解できました。さらに師が潜むオーディオクラブで
詳しく説明している。まったくもって腑に落ちる解説に舌鼓。もっと
書いてくで〜、頼んます。
知らないことだらけの若い時にゃ聞くもの読むもの感心すること
ばかり、口を開けてりゃ勝手に向こうから飛び込んできた。中には
ワケ知り顔の駄文偽情報もあっただろうけど、無知なこちとら丸呑み
するしかない。理解できないのは私のせい、と思い続けて幾星霜、
歳を重ねても理解できないのに気付いて、こりゃなんか変だぞ、と
ようやく私がアホなんじゃなく相手がアホなのではないかと思い
始める。相変わらず遅すぎるのでアリマス。
音楽を聴き始めて60年、オーディオに興味を持ち始めて50年、
乏しい資金の中、読んだり聴いたり買ったりし続けた。地下には
JBL123をビクターFB-7BOXに+LE85、PRA-200ZにB-2と
オリジナル真空管アンプ、1階の店は、ヤマハNS-20MをCA-2000
真空管改で鳴らしているけど、これすべて師mazdaluce3000の手に
なるものだ。行き着いたこれらの装置は50年のオーディオ歴の中で
最良のものと私は考えています。
そして、これらのスピーカーを除く機器すべて壊れたら直して
もらえるんだ。なんと素晴らしいことだろう。20代から50代ころ
まででは考えられないことだ。桃源郷と言っても差し支えない。
好きな時に好きな音楽がいつでも聴ける、しかもちょっとでも
怪しいと思ったらすぐにチェックしてもらえ解説付きでレストア
してくれるんだから不満を口にしたらバチが当たるってもんだ。
一時のブームが去り凋落して久しいオーディオ、偉大な先達は
物故し知識を吸収できる確かな情報も少なくなった。そのことに
残念な気持ちを抱いている私にとってmazdaluce3000の文章は
敬愛してやまない五味康祐に匹敵すると言っても過言ではない。
少なくとも私にとっては・・・・・・・・だけど。
今日も今日とて、伊東ゆかり・・・・・・な、店主でした。
]]>
仕事なら計画を立て期日までに終わるようにするけど、それらがないと
なるとまるで箍が外れたようで我ながら如何にもこうにも困ってしまう。
店内で重宝してた貰い物のレコードプレーヤーが兆しもなく壊れた。
古いしフルオートは作動部分が複雑なので壊れやすいのは委細承知の助、
即オーディオテクニカAT-LP3を入手。恐るべき安価は25,000円弱。
もちろん手間かからずのフルオート。昔日の地位は今何処、
お労しやレコードプレーヤー様、かつてはオーディオセットの中心に
鎮座ましまして偉容を誇っていたのに、今じゃオマケみたいなもんに
成り果てたか。誰でも一入の感慨にふけるのはやむを得ないだろ。
ちなみに下のアンプはヤマハCA-2000。斯界で名を馳せたmazda
luce3000氏が心の赴くままに作りし一品。プリ部はフルレストア、
メイン部は真空管を仕込んである。奏でる音は極めて秀逸、それは
ヘッドフォンで聴けば座りションベンしちまうってくらいのものだ。
相変わらずの自画自賛、ほどほどにせい!ってか。
その脇に居座るのが火鉢だ。
いずれも古き者同士、今じゃ誰も見向きもしない、このまま人生の
下り坂、行き着く果ては人々の記憶から消え去る運命なのか?
でもちょっと待っていただきたい。どんな物でも生まれた時は最新
だの前衛であったことは確かだ。最盛期を過ぎ、新たな技術に凌駕
され、しだい次第に片隅に追いやられたとはいえ、果たして今の生活に
適応できないものなのでしょうか?
いや、そうではあるまい! 決して!! と言いたい。
レコードプレーヤーにしろ火鉢にしろ、誰かしら傍にいなければ
なりません。プレーヤーはフルオートなのでまだしもですが、それ
でも聴き続けるためにはLP半面ごとに手で入れ替えなければなら
ないのが宿命。さらに火鉢となると、ちょっとのつもりで別室で
仕事したりするといつの間にか炭火が絶命寸前なんてことは誰でも
経験済みのこと。ときおり訪れて熾き炭を外し、中心に新炭を配置、
熾き炭を周囲に配し次なる火勢に向かわなければならないのは
当たり前だ。
家に誰かしら居た時代であれば炭は絶えることなく熾き続ける
なんてことは容易いことだった。社会の変化か政府の思惑か、核
家族化が常態となり夫婦共稼ぎが追い風となって、家に誰も居なく
なる時間が長くなって久しい。家が狭く火鉢の置き場所に困ると
いう事情もあるけど。となれば手間もかかる無用の長物と化した
火鉢は捨てられる運命は避けようもない。
しかしですよ、老人はどうなんでしょうかね。
仕事もリタイヤし長寿化のおかげで家にいる時間は長くなるのと
違う? また、コロナ禍で在宅勤務の日常化も同じことではない
かしら。火鉢の存在を思い出すことがあれば、ここは一丁試して
みんべえかとなりませんかね。
まぁ、レコードは音楽が好きだという趣味習慣をお持ちになって
来なかった方々には難しい選択ではあるけど。それに比べ火鉢は
暖房という魅力的な機能があるので参入はしやすいのではない
じゃろか。
問題は重厚長大だろう。広い部屋なら火鉢がヌシでいいけど狭い
部屋なら主は火鉢ではない。また、部屋の使い方も変化するワケで、
時に応じて移動することは私が思うに絶対条件だ。畳もない洋間な
今様であれば、キャスター付きの台の上に火鉢を固定し、四周に
テーブル様の甲板を用意すれば喫茶軽食にも対応可だ。
なんでこのような火鉢台がないのだろう?・・・・・不思議だ。
キャスターを付けて移動するたってせいぜいが数十?程度。なんせ
部屋が狭いんだからさ。でもね、この数十?が殊の外重要で、これは
使った身でなければわからないかもね。とはいえレコードプレーヤー
も火鉢も今に便利とはいえない代物。手間暇そのものが楽しいって
奇特な方もいるようだけど、私はそうじゃない。どの時代だって
便利=快に向かうのが人の常。
人間は不快を避けるあまり大きな罪を犯してるという慧眼の士が
いるにせよ、だ。
我慢できる不便とはいえ、今に合わせた工夫は必要だ。それは
面倒くささを少しづつ削ぎ落とすことかもしれない。移動できる
ものであれば移動し、移動できないものであれば手の届くとこに
置く、まったく簡単なことだけど、やってみるとプレーヤーでも
火鉢でも親近し生活の中に根付くのに驚いているワタクシなので
ありまする。
古きを探ねて、さて何を知るのだろうか・・・・な、店主でした。
]]>
ことはご存知の通り。
この事態で思い浮かぶのはノブレス・オブリージュだ。改めてウィキ
ってみれば「直訳すると『高貴さは義務を強制する』を意味するとある。
一般的に財産、権力、社会的地位の保持には義務が伴うことを指す。
義務は、「社会の模範となるように振る舞うべきだ」という社会的責任
と考えられる。
金持ち、政治家は奢ることなく周囲の人々ことを思いめぐらせて、
地位に見合った責任を果たさなければならない。以前、イギリスの
貴族が広大な庭を人々に開放しパーティを主催することをTVで知った
けど、例えばそういうもんだろう。それをトランプに求めることは
ムダなことはわかってる。でもなぁ、アメリカの半数の国民はそれで
良しと思ってるんだもんな。良識なんて言葉は死語になってると
思わざるを得ない。
翻ってみれば、トランプに限らず菅首相の答弁も到底模範とは
言えないよな。もしあれが模範だとしたら、小学生のクラス討論でも
同じように真面目に答えなくってもいいということだ。一国の総理は
「ああいう人になりなさい」と子供に諭す存在でなければならない
なんて考え方は、もはや夢のまた夢なのか。
トランプ騒動を野次馬として楽しみながら、自在鉤は完結を迎えた。
現時点でこれ以上の向上のアイデアが浮かばない=終わりってことだ。
天井面、構造は同じだけど腕木をカバに、ボルトナットは黒塗り。
引き締まってナイスですねぇ〜。
高さを調整する腕木、3本も作ってしまった。下からブナ、カバ、
黒檀。ブナは薄過ぎ細過ぎ、カバは厚過ぎ太過ぎ。ここは一番奢ろう
ではないかと黒檀を注文となった。短いけど長さは充分、厚み太さも
ちょうど良く何よりも把手のスベスベ感がたまらない。
鉄瓶フックはこうなった。頭薄くて六角穴の6?ボルト、反対側は
以前使ったアルミナット。見た目も良くボルトは飛び出さず外れる事
は絶対にない。
ワイヤーは1.5?から4?にした。1.5?は何回も鉄瓶を掛けてると
捻れてクルクルとなっちまって始末が悪い。切断できるのか?な心配
があり、5?はヤバイってことで4?を選ぶ。フック上部に溝加工し
中通し。
ワイヤー端部はコレがよかろうと買い求めたけど、肝心のカシメ具
が小さ過ぎて挟めない。ニッパーなんかじゃ到底絞められず、急遽
見慣れたワイヤークリップの登場を願うことになった。あ〜ぁ、
カッコ良かったのになぁ。
ざっとこんなふうになったのさ。チャンチャン
大統領選挙の番組で一番ウケたのは「パックン」。とあるTVで
トランプは勘弁しての、まさに懇願状態。1度目は間違ってしもた、
ついフラフラと投票してしまったと言い訳はできるけど、2度目と
なればそうはゆかない。マジでいいと思ってるんだな! アメリカ
の品格は地に落ち、他国からはバカにされる。そんなこたぁ耐え
られませんぜな雰囲気ありありで、ついついそんな彼に同乗を禁じ
得ない心持ちになる。お心内お察し申し上げるってなもんだ。
だからもしも会ったらバイデン勝利おめでとうと言ってあげよう。
作るお次は火鉢とテーブルの正しい合体・・・・な、店主でした。
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隅っことはいえデザインの世界に身を置く者として参詣しなければ
ならない聖地。20代から今日までその機会を得なかったのは何故のこと?
自分でもよく分からない、ってことで初体験だ。
写真や映像でさんざん見てきた建物だ。住宅街だからコインパーキング
にでも駐めようかと思ってたら豈図らんや3台分の駐車場がある。しかも
無料だ。当初からこうなっているのか?柳宗悦の考えか?。設立の意図が
脈々と受け継がれていると言っては言い過ぎだろうか?
受付が小さい、小さ過ぎる。小さすぎて素通りして館内に入ろうと
する方が絶えない。手前の木枠立て看板が邪魔して余計に見づらい。
でも、そんなこと先刻ご承知なんだろうから言うことナス。
目玉展示のアイヌ民芸を見たくてね。どっかで見たことはあるかも
しれないけどすっかり忘れてるからな。衣服日用品どれも精緻な仕事
ぶりに感心また感心。80年も前にこれらを見出した柳宗悦の眼力に
また感心。そしてこのような高度な文化を圧殺した政府に怒りが噴火
する。それは今も同じだろうよ。
館内、什器どれも素晴らしい。が、私には無理だ。技術もなきゃ
知識とセンスは皆目持ち合わせていない。しかもオモロイことが
一番なこちとらだから、すっきり真面目は性に合わない。とはいえ
彼らの心智は充分にわかる。こんな私でも一雫の影響はあるだろう。
と、思いたい。そんなこと考えつつ、昼食へ
足を延ばして神田のいもや。コロナ禍にもかかわらす常に数人の
客が並んでいる。カミさんは天ぷら定食私はお好みでピーマン、
まいたけ、牡蠣、海老でご飯少な目。漬物も頼んで〆て1850円
だったかな、確か。
目の前で揚げて、しかも好きなものだけをリクエストできて、
この金額は驚異的ですらある。揚げ場担当のオヤジさんは相変わらず
無表情だけど、こっそり牡蠣1個おまけしてくれるんだから始末が
悪い。女将さんは「奥さんですか?」と聞いてくる愛想はあるけど
オヤジさんは皆無。ま、それが面白いってのもあるんだけどね。
ついでに歩いて5分ほどにあるところで靴下を買い求める。店では
ない。オフィスの前にダンボール、タオルと靴下がある。滅多に行く
機会はないけど爆買いする私、スタッフの方とは顔見知りだ。有名
ブランドの製品を作っている工場から直接流れてくるからデザインと
クオリティは高い。しかも一足200円程度だ。家族7名分を大人買い
する。一人4〜5足として40足弱、せいぜい7〜8千円程度だから
安いもんだ。
美味しい天ぷらを食べて、素敵な靴下を買って、ご帰還。翌日の
今日、ようやくいつも通りの静けさを取り戻した店で一服。靴下を
発送、中の手紙を書いて半日が終わる。極めて満足なり〜〜〜〜。
作品展の繁忙の中、件の自在鉤に進展があった。
上部の腕木がこうなった。ちなみに右の棒は3分長ボルト。腕木を
持ちつつ下の鉄瓶を持ち上げるわけだが、単なる棒だと持ちにくい。
両側に持ち手を作ってみたんだけど按配はまことに結構で文句ナス。
下の鉄瓶を掛ける部分。これ、なんて呼ぶのかわからないんだ。
自分で形を考えようとしたけど、経験もなきゃ知識もないから
全然頭に浮かばないでヤンス。しょうがないから画像検索してこの
形に行き着いた次第。上のへの字はそこそこの仕上がりなれど、
下の?みたいなのがどうにもうまくゆかない。道具もない技術も
ない、あまりキレイじゃないほうがいいんじゃね、とかなんとか
理屈をこねて、とりあえずそのまんまにオイル漬けて一応な完成
と相成った。
残るは、試作の腕木をちゃんと作り、1.5?ワイヤーを4?に
替え、3分長ボルトを2mに替えて黒く塗装すれば、これ以上
手を加えるところはない=完成ってことだ。
さて、頼まれ仕事の茶箱の脚を作るか・・・な、店主でした。
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