一向に歳末の実感が湧かないのでアリマス。
数年前に最後の肉親であった母を亡くし、子供達もほぼ手離れし、カミさんと二人の生活
が普段になっていますから。まるで箍(たが)が外れたような、ひもが切れた風船のよう
な。若い時は誰かに「あーせいこーせい」と言われる事が多く、親が居れば言われずとも心
の中では、適度に緊張することもあったけど。そんなことが一切なくなったことなんか考え
られますかしら。
都会育ちだから季節の移り変わりにはいたって鈍感だし、さまざまな行事は身に付いてい
ません。昨日、裏隣のHさんがゆずを持ってきてくれたんだけど、ヘーッゆず湯は明日なの
って感じ。物知らぬことはなはだしい店主。夏には月見のススキを持って来てくれたけど、
生活の中に季節折々の行事が染み込んでいる方には、かないません。まったく。どうなの
よ。といってもこの歳だから今さらどうしようもありません。正月だからといって特にどう
ということが年々なくなってきています。
人間はいくつになっても完成する事はなく、死さえもそれで完結ではない。みたいなこと
を読んだ事があるけど。歳をとるごとに新しい経験は絶えることはなく、惑わない心境には
なれません。行き付けのブックオフで筒井康隆の「敵」を500円で入手。長年のファンです
からね。帯には、
と。これは買わずばなるまい。
単なる恍惚小説ボケ老人小説であるはずがない。必ずやセックスも描かれているであろう
し。しかもドタバタだろうし、失われゆく言葉の哀惜感も含まれているに違いない。筒井氏
ならではの刺激的な文体が横溢する世界を楽しもうではないか!
近頃、私の年令(62才)に向けてのものが少ないように思えてしかたありません。TVは
むろんこと、映画や雑誌、音楽も。AKBが売り上げ上位を独占したと言われてもなァ〜。
あらゆる星々がお互いに遠ざかるごとく、私からあらゆることが遠ざかっているようです。
置いてけぼりとでも言えましょうか。先輩諸氏もこのような感じを抱かれたのでしょうか。
あらゆるものの中でもセックスは自身の現経験上でも遠ざかり現象は顕著でありまして。そ
んな私の今に共感できるようなお話や小説を常々探し求めていた折もおり。出会ったのが
この「敵」。
お断りしておきますが、これ以降にはエロや下ネタが続出します。セックスにまつわる
話題に顔をしかめる方、清く美しく生きておられる方はどうぞお読みにならないで下さい。
「言いましたからね!!」「注意しましたからね!!」
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では。
権威やタブーを茶化すこと大好きな店主ですから、同類の方には強い親近感を覚えます。
日本にはいろんなタブーがあります。最大のタブーは天皇でしょう。昔、女性週刊誌が昭和
天皇の写真を表紙に載せたところ、ネガが逆使用され全部回収という事件が起きました。
ネガが逆ということは洋服の襟が左前になってしまうわけで、死をイメージさせるから。そ
リャー大変な騒ぎでさ。また、昭和天皇が崩御されたときもいかなる儀式がなされるのか
これまた大いなる興味がね。なんたって誰も見れませんから。あくまで想像です。天皇は
戸籍もないし名字もありません。神ですから。代替わりには相応の儀式が不可欠です。
天皇のことはもっといろいろあるけど、それを書いてちゃ進みませんから。でもってタ
ブーの大物の一人たるエロですけど。
「敵」の中からひとつ
「・・・・・・。ソーセージはそれを勃起して反り返った陰茎に例えるならば尿道の走る
部分に包丁をまっすぐ入れて一分間ココットの熱湯に入れる。裂けた部分のピンクの身が
両側から膨らんで反り返ってくるのはなかなかエロチックだ。・・・・・・」
このような文章が随所に出て来て心地よく、突発的な笑いをもたらします。
誰だってソーセージを見てチンコを想像するでしょう。しませんか? 私はしますよ。
ハムはしませんし、箸もしない。ある程度の太さと長さがあれば即イメージします。
氏は以前「噂の真相」で、料理食べ歩き番組は「セックスやり歩き番組」の代償という
一文を書きました。遠くて、いわれがあり、他にはない、秘密で誰も知らないものをリポ
ーターが食べ歩く、今じゃあまりにも多くて見慣れた番組だけど。これをそのままセックス
に置き換えたわけ。僻地の由緒ある家柄の遺伝的な最高級の性器でしかも処女、そんな女性
をひたすらやり歩くわけです。むろんリポーターが女性の場合もあるわけで、それはやられ
歩き番組となる、という次第。もちろん実況中継です。布団やベッドの上で馬乗りになりな
がらマイク片手に汗を流しつつ。
これを読んでからというものフツーにこの手の番組が見れなくなりました。もともとセッ
クスの話題が大好きな店主ですが、この食べる=セックスには気がつかなんだ。いやね、
セックスの話題が好きだと言ってもセックスそのものが好きなのかどうかわかりまへん。ま
、嫌いじゃないけどさ。とにかく興味はあるわけです。私は変態なの? そうじゃないと
思うんだけど。人に問うても曖昧にしか答えてくれません。第一問えない人が多すぎます。
ここで偉大な先人に登場願いましょうか。松沢呉一氏と斉藤綾子嬢で〜す。
川上宗薫氏や山田風太郎氏のような方々も居られるけど、この二人は私の中では別格。文
体も内容もすばらしく一時はむさぼり読みましたっけ。斉藤綾子氏は名著「愛より速く」が
あります。このタイトルはなんだか意味深でシャープな感じがしましたが、つまりは愛より
速くセックスをしてしまうってことで。ウーム、まるほど。それにしても・・・・・・・。
松沢氏は、この写真で
これまた名著の「魔羅の肖像」から。木彫りでしょう。なんかスゴイ。
魔羅とはチンコ、チンチン、陰茎のこと。江戸時代の火消し組の名称いろはが使われて
いたけど使われなかったいろはもあります。「へ組」もないし「ま」「ら」もなかったと聞
いた覚えがあります。
先のソーセージみたいな棒状のものを見るとなんでも陰茎に見えてしまいます。適度な
太さと長さのものはすべて。ですから、体操競技なんか平常な気持ちで見れるはずがありま
せんです、ハイ。芸術点とか技の難度とかいうけど、女体のエロチックさではなくそれだけ
を純粋に見る事ができるのだろうか。大いなる疑問です。ビーチバレーに至ってはなにをか
いわんや。木製コートでさえ充分危険なのに砂浜でやることになんの疑問を持たないとは。
それでいて股間を撮らないでとか胸ばかり撮るみたいな不満を漏らす心智が理解できませ
ん。
こんな性格ですから古本屋に行っても「性」とか「セックス」とか目ざとく発見してし
まいます。セックス感は国によっても異なります。つまり文化とも言えるでしょう。先日、
アメリカから帰ってきた友人に現地のセックス事情を聞きましたら。下の毛を剃っている
とのこと。「なんで剃らないの?」と逆に不思議がられたらしく。それを数日前に会った
女性に言ったら韓国の友達もそう言ってたと。韓国もかい。あー知らなんだ。ってことは
日本でもアンダーヘアを剃る若者が増えているの? 静かなブーム?? 誰かおせーて
今回はずいぶん長いです。書き始めてから一時間以上が経ちました。
さらにもう一冊。「世界の性革命紀行」1980年ですから古いです。
目次は六話に分かれ
1.性革命を通り過ぎた国 デンマーク
2.性革命の渦中にある国 西ドイツ
3.性革命いまだ成らず フランス
4.性革命の劣等生 イタリア
5.性革命のパイオニアたち アメリカ
6.性的冒険家の憂鬱 イギリス
面白さてんこ盛りのこの本、国による性の違いに驚かされます。一例としてトップのデ
ンマークから。
これはベント・H・クレーソンの「少年と少女 男と女」という本。デンマークの高校生
のための性教育読本として1968年に刊行され、世界各国語に翻訳されたが、あまりに直載
かつあけすけなために、デンマーク国内でさえ賛否猛烈な議論を巻き起こした、いわくつき
の本。高校生までに図やイラストで性器や子供のでき方などは十二分に教えられてきていま
す。自慰の方法やコンドームの付け方、ペッティングのテクニック、同様に教えられ使われ
ているのがこの写真。すでに30年以上前にしてこれですから、今ではどうなっているものや
ら。
でもですよ、こんなことまで学校で教えられたら親に内緒でエロ本を読む喜びも味わえ
ません。インタビューした普通の女の子(20才)が、初体験は18才でそれから15人とセ
ックスしたとあるけど、そんなに簡単に事が運ぶならセックスの不安や期待も持つ時間が
ないし「片思い」の喜び?もあり得ませんでしょう。私は思うんだけど、そんな国で作ら
れるのはどんな映画だろう、とね。たしかちょうどその時観たのが「バベットの晩餐会」。
デンマーク映画です。とても不思議な映画で、今でも記憶に残っています。
なんか尻切れとんぼみたいですが、書き続けて頭がボンヤリしてきたので今日はここま
で。とかいって最後の一言。
エロの話とか下ネタを嫌う人がいます。それはそれでいいんだけど。誰とでも話すこと
が出来るようになると、それも味気ないし。ただ言っておきたいのは人の性器のデカさで
す。ゴリラのサイズ知ってますか? チンパンジーは? オランウータンは?・・・・。
象はデカイ、馬もデカイけどあれは届かないから。長くないと挿入できませんでしょ。そ
れに比べ人間の性器はチョーでかい。なぜにこんなに大きくなってしまったのか?
大きいという事は喜びも大きく、というのが自然な考え。子供を作るだけなら5センチも
あれば充分だし。現にゴリラのチンコはそんなもんです。
生物が子孫を残すというのは生存の最大の目的です。本能です。全生物史上人間の性器
が身体に比して巨大なことは、そこになんらかの理由が存在しないはずがありません。
そうではありませんか・・・・・・・・・・・?
年末増刊号・・・・・・・・・・・ということでもないけど、の店主でした。