卒業制作の審査でパチリ 

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      昨日一昨日の二日間、専門学校の卒制審査に行き、今日はようやく地下の階段下、将棋で
    言えば穴熊囲いのようないつもの位置でもっさりしています。ほとんど出歩かないので二日
    間続けてお茶の水まで出かけると海外旅行に行ったような気分になります。いや、マジで。

     作品はいずれも力作揃い! と言いたいけど。かなり以前から感じていたモノ作りの
    パワー減退に拍車がかかり全体的には物足りない内容。日本のモノ作りの衰えはこんなとこ
    ろまで波及していると思えてなりません。どーするニッポン! それでいーのか!! 私は
    いいけど。

     個人のブログですから作品は撮影できず、もちろん顔もムリ。あれこれ探した末に後姿か
    足元しか撮れないじゃん。ってことで。ね。撮り始めたもののこんなの面白いかいな。と思
    わないわけではないけど、他に被写体がないから、しかたなくパチリパチリと。

     机を片付けた教室に置かれた作品、それを取り巻きながらの審査が進行。手前のチェック
    柄以外は黒、茶などの濃色ばかりの服装。まったく個人的な感想だけどデザイン関係の集ま
    りでこんなどうってことない色ばかり着ている人が多いのは・・・・? なぜ?? 

     椅子のない長時間審査です。しゃがみ込む人も出てくるのもむべなるかな。でもさ、
    ブーツでしゃがむと脚が痛くならないのかしら。なんか足首がうっ血しそうだけど。

     ほとんど唯一の「らしさ」を感じる二人。ちなみに男の子の方は金髪ですから、大いに
    気を良くする店主。古い考えかもしれないけど、なんたってデザイン専門学校ですから、
    とにかくというかとりあえずというか・・・・トンガッタ服装でないとね。こうでなくちゃ
    いけませんて。
     女性の方は思い切った色の靴でまことにけっこう。この二人の作品も服装に負けず劣らず
    なかなかのもんでした。見せたいけど見せられない。やるせない気持ちでございます。

     靴の裏を見せびらかす男。なんちって。どうだ! 見てみろ!!って思ってのことか
    どーかわかんないけど。意識してやってるとしたら大したもんですけど、まさかね。右の
    脚は男か女か。わかりませんのじゃ。

     寒さVS生脚。寄り切りで生脚の勝ち。生脚といっても部分ですから、ひよってると
    言われても仕方ない。こういうファッションよくわかんないけど雑誌で見た事あるような。

     審査終了後、賞決定。例年の通り留学生が上位を独占、大相撲だけじゃなくここでも
    日本人はかなわないのでした。モチベーションも違うし教養や学歴にも水をあけられている
    留学生の作品が良いのはいたしかたないのでしょうか。とにかく韓国や台湾に席巻されてい
    るといっても言い過ぎではアルマーニ。

     なんか消極的な審査印象記みたいになったけど。夜、学生からの呼びかけで飲み会に行っ
    たら、どっこい一気に挽回と相成った次第。これまで内輪の飲み会はあったけど、今年は
    科全体のものですから、応えねばなるまいと出向きます。審査直後の飲み会ですから話の
    内容は当然作品についてのこと。と、思うでしょ。ところがあにはからんや、そうではない
    のがここ数年でした。でもね、今年はそうじゃなかったの。あたしゃ、うれしい。

     自分の作品が他人の目にはどう映ったのか誰だって気になります。なにが良くてなにが良
    くなかったのか、作品の問題点や魅力、聞きたい事は山ほどある。私はそう思うんだけど。
    今年の学生達は見事にそこんとこを聞きたがり話は尽きず延々と・・・・・・。
     これじゃなくちゃいけませんよ。ほとんどの学生は二十歳前後ですからね、六十過ぎの
    私と話が合うはずがありません。ほとんど唯一の正統な話題は作品について。それしかあ
    りませんから。

     「かたちから心に入り、心からかたちにいたる」前にも言ったけどこれは世阿弥の言葉。
    作品には作者の心情や教養が満ち満ちています。教師たる者、それをすくい取り推察し過程
    の問題点があれば明らかにし今後に生かすべきアドバイスがあればわかりやすく諭す、これ
    が出来なければ恥じ入らなければなりますまい。

     それを数分のプレゼンと質疑応答で実現する事は叶いません。相対で話しても数十分かか
    りまっせ。しかもお酒が入れば舌も滑らかになりますし、厳しいことを言われてもしらふの
    時よりも受け入れることが可能になるでしょう。ここ近年そんな学生が居なかったのは、
    自分の作品に興味がなかったか、他人からどう見られているかってことに興味がなかった
    か、私の意見や私そのものに興味がなかったか。
     つまり突き詰めてしまえば、極端な話自分そのものに興味がなかったとしか思えません。

     年々そうなりつつあるという私の考えを覆した今年の学生(数人だけど)はエライ!!
    断じてエライ!!! 最後のさいごで思わぬ拾いもの、いたくご満悦の態で学生はカラオケ
    私は終電に乗ってご帰館でありました。

    とはいっても寒いことに変わりなし・・・・・・・・・・・・・の、店主でした。
     

    飼い食いの夕べ 

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       「私を会員にするようなクラブには入会したくない」とは、かのマルクスブラザースの
      お言葉でしたね。これを「私を好きになるような女性は好きにならない」と言い換えたのが
      ウディ・アレンだったか。たしか。含蓄のある名言。私しゃ大好きなんです。よく口にしま
      すから。なに? よくわからないって? そんなことないでしょ。

       誰かがこれを評して「空転するギャグ」。好きになるのは自分を好きにならない人だから
      この恋愛はいつまでたっても成就しません。いーなーこういうの。何がいーのかと言われて
      も困ります。何が面白いといわれてもね。おもしろいんだからしょうがありやせんや。こん
      なこと説明すればするほどつまらなくなります。

       この前BSで赤塚不二夫の面白さを解説していた人がいたけどさ。どれもぜ〜んぶツマラナ
      イの。どだいNHKでは無理筋のテーマかもしれず。解説している内容そのものがギャグに
      ならねばならぬ、そんな考えでの解説だったらまだしも。解説そのものが大混乱しピストル
      をぶっ放すみたいな。あの世で赤塚さんが喜ぶような仕掛けをね。番組そのものがギャグに
      なっているような。私は求めていたのですが。

       それとはかんけーあるようなないような。愛読している内澤旬子さんのブログでイベント
      が張り出されていました。彼女との発端は「東方見便録」。各国のトイレ事情を紹介した
      名著でしたが店主は腹を抱えての大爆笑。しばらくした後に「世界屠畜紀行」を出し、なる
      ほど出口と入口からの切り口にいたく感心したわけでありんす。

       その関係で自分で育てた豚を食べてみようと、の実践記が出版されることになり。それが
      なんと岩波書店から。なんたって天下の岩波です。雑誌でいうなら家庭画報。その出版記念
      イベントが水道橋で。これは行かねばなるまい。水道橋といえば関係している専門学校の
      直近です。7号館から歩いて数分。して、その内容は

       「飼い喰い 三匹の豚とわたし」
      の出版をお祝いする
      ささやかな夕べを開きます。

      とはいえまとまった式次第はありません。
      内澤さんはひたすらできたての本にサインします。
      そしてココで売ります。
      ときどきごあいさつがあるかもしれません。
      壁面には三匹の豚イラストや写真を展示予定。
      三匹のうちの伸二と同じ中ヨーク、ダイヤモンドポークを売るブースや、
      豚汁(秀の親戚筋にあたる豚肉を用意します)と焼酎を飲食するブースもあります。
      狭いスタジオイワトですが、みなさま楽しみにおでかけください。

      2月29日(水)
      18時30分から20時30分で終了します。
      (出入り自由です、ご都合の良い時間にお出でください)
      入場無料 飲食と豚肉購買は有料

      アクセス http://www.studio-iwato.com/studio/map/
      お問い合わせ haru@jazz.email.ne.jp 08054523165(スタジオイワト平野)
      ※お花などは置き場所がありませんのでご遠慮もうしあげます。

      このブログを読んでいる卒業生はぜひとも足を運んでいただきたい。それ以外の方々
      もね。ちなみに、著者によれば豚の雄の性器はかなりのビックリものらしい。

      ってことで、寒さにふるえる・・・・・・・・・・店主でした。


      廊下に立つ老化ナンチッテ

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          忙しいとは口にしたくない店主。でありますので、それほどヒマではないと言いましょう
        か。
         
         一年ほど前から友人と事業を立ち上げたカミさん。帰りが遅く夕食を用意せねばならんの
        です。もちろん昼食も。毎日の献立というものはやってみるとこれがなかなかな厄介モノ。
        ご飯の残量、冷蔵庫とにらめっこしながら何を食すべきか。寒い最中に買い出しにゆくのが
        ごっついツライ。洗濯干したり取り込んだり時には畳んでタンスに押し込んで。本も読ま
        にゃあならん音楽も聴かにゃあなりませんバイ。

         近年オシッコが近くなって、またかよ〜と膀胱の命じるままにトイレに直行することも忙
        しさに拍車をかける。歯がダメになり、シミが出来て来て、しわも増え、そこまではわかっ
        ててもオシッコまではなかなか。なってみるまでは凡人には想像できません。珈琲好きの私
        は更なるトイレ通いに精を出す羽目になります。とまぁ、いろんなとこに思わぬところに老
        化は顔を出します。天皇家ではトイレに入っている皇太子に「殿下! 早く出んか!!」と
        いうギャグがあるけど、廊下に立っている如き私の老化はなかなかこれはこれで面白い。な
        んて言ってられませんぜ。

         日々の雑事を縫ってお仕事も。でもね、生活の雑事と仕事ばかりじゃあモノ足りません。
        仕事と恋愛は人生の両輪と言われ納得したし今もしてるけど、恋愛はそうそうドラマみたい
        に展開もしないしそれ以前にキャスティングもされない。あーぁ、悲しや。どーする。
         恋愛不能なら、と音楽で憂さ晴らし。去年作ったモーツァルトの資料をいよいよ活用する
        時がやってまいりました。

         左は簡易版携帯用でモレスキン、右は詳細版机上用のHettich。友人からいただいた大判
        サイズちょっとだけ考えてこれに使いました次第で。でもって中身は、

         下が簡易版。モレスキンの逸品折りたたみ型がこうなりました。アップしましょうか?

         天才モーツァルトの年譜がずらり。左に色鉛筆で入手済みのマーク。これがないと重複
        してCDを買ってしまいかねません。なんたって700曲弱ありますから。しかも演奏者が違
        えば曲も変わりますし。だから、いつも持ってて、ふらりと立ち寄った店で買う時には
        これを見れば一目でわかるということでね。どーですか。いーでしょ。
         ちなみにこれは資料と首っ引きでパソコン入力。それをページに合わせて切り。ノリで
        丁寧に貼付け。たものでゴザンス。けっこう大変だったっす。

         大判左ページはモーツァルトの生活史。ここは12才から13才にかけての出来事が事細か
        に書かれています。して右側はというと、

         12才、1768年に作曲されたのは15曲。交響曲が3曲もある。でもね、後年になるとこ
        んなもんじゃありませんぜ。ズラーと並んでそれそれは壮観。12才といえば小6です。私
        の孫は10才だけどこの時点ですでにバンバン作曲してたわけで。孫と比べてもしょうがな
        いけど。げに恐るべしモーツァルト。生涯を通じて聴くに値する相手にとって不足はありま
        せん。

         音楽は好きだけど演奏は何一つできません。それでいーのかと思わないワケではないけど
        無理に学ぶ必要はないし興味がないのに練習することも不自然。無理は続きませんから。で
        もそうは言っても聴くだけじゃん!って言われると返す言葉がない己がいるわけで。出来る
        だけ音楽に肉薄するにはこういう方法しか考えられないのです。

         ただただ聴くのが好きで、ということに異論を持つわけじゃないけど、それでいーのか
        と思う気持ちを拭えません。若い時から聴いているけど、町中でナンパするみたいに(でき
        ないけど)飽きたら次々と相手を変えるみたいな音楽との付き合いでいーのか! 口を開け
        て乳を待つ幼児みたいなことでいーのか!! 逃げなくてもいいのよ、怒ってるわけじゃな
        いからね。

         愛好者とかリスナーとしての責任みたいな、矜持みたいな、それでいーのか感は薄れてい
        ない。演奏できない諦観を持ちつつ聴く者としての相応の「何か」をしたいとあれこれ考え
        たり試したりしているわけ。モーツァルトの年譜を見ながら曲を聴いても彼の音楽を理解で
        きるとは思えないけど、少なくとも多少は近づけるのではないだろうか。なんてね。
         もともと音楽を聴くのは個人的なことだから人に理解してもらえるとは思ってないけど。
        そんならなんで書くの? と言われちゃうかも。まァ、そう固いこと言わないで下さいな。

         ってなこと言いつつ・・・・・・・・・・・・・・の、店主でした。



        梱包マニア

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            梱包、それも発送用を愛する店主。小さなものは手紙から、とにかく梱包にはいろんな
          仕掛けやアイデアがてんこ盛り、受け取る相手の反応と理解、何が来たかとちょっとだけ
          のワクワク感、開けてビックリの驚き感、とにかくそんなことを考えながらの梱包作業に
          いつも私は溺れてしまいます。

           そんな私ですから以前はこりに凝った年賀状を作ったもんです。あまりに凝りすぎて50通
          以上は作れず。あるとき、一年後に年賀状の仕掛けがわかった、ごめんごめんと言われてし
          まい。他人の賀状のワンパターンぶりにも我慢ならぬ。そんなこんなで一切年賀状は出さず
          今に至っているのです。それもどーかと思わないではないけど。

           年明け早々の梱包作品はこれ。デカイ。私の梱包作品の中でも最大級。たっぷりと時間を
          かけて貴族的に悦楽に浸りながらのひとときでした。

           中身は直径30センチほどの円錐形の模型で高さは1.4メートルぐらい。スチレンボードと
          いう模型材料と和紙で作ったので超軽量。小指で持ち上がります。壊れやすく安定感がない
          模型ですから、固定方法や外箱の補強も考え、うっすらと中身が見えるように(まるでサナ
          ギみたいな)作り上げるための梱包材を買いにホームセンターへ。

           右上には円盤が見えるけどこれはDVD。その下に四角く影があるけどこれは書類。左面に
          は点々と小さな黒い影、これは・・・・・? 実はこれ、仕事なんです。相手の会社とのこ
          ともあって明かせません。というほどじゃないけど、一応ね、礼儀として。

           そうなんです、店主は仕事もしているんです。年が年だけに遊びほうけているんじゃない
          か、って?。やる時にはやるんですよ。やらない時にはやらないけど。年末から手掛けてい
          るプロジェクトの最初のプレゼンとしてのコレ。画像を並べ遊びにも似たイメージ作り、そ
          れはまた発想のヒントを得るためのものでもあるんだけど、今までは紙に貼ってたものを今
          回は立体化してみたわけ。

           仕事というのは対価、つまり報酬があってのことというのがフツー。そうでないのを何と
          いうのか。遊びではないし、キチッとした取り決めがあってのことではないから仕事ともい
          えないのだろーか、とね。仕事ではなく「シゴト」なのかいそれとも「しごと」なのかい。
          漢字がカタカナになっただけじゃん。でも受ける感じは違わないかい。私的にいうと「シゴ
          ト」かなー。なんだか妖しい感じもするし。仕事師を略して「ゴト師」というけど、そんな
          ら「ゴト」でいーか。

           目指す目標は決まっているけど、最初の取り決めはなし。なんらかの成果がもたらされた
          ときの報酬は京都・俵屋への宿泊というザックリとしたもので。はてさてこの物語の結末は
          いかなことになりますやら。元々、デザイン料金というのが皆目見当もつかないものですか
          ら、始める時にどーすればよいのかわからない。着手金みたいなアパートでいうと礼金みた
          いなものがあるのかも知れないけど、算定の根拠がさっぱり。どーにもわかりません。
           結果が吉なら相応の金額を、凶ならばせんないこととあきらめる。これが私の考えるデザ
          イン料。いーのかな、こんなことで。

           今はデンマークに住んでいる美形デザイナーにロイヤリティのことを聞いた事がありま
          す。彼女の作品(スツール)はスウェーデンで量産され東京でも販売されてたんだけど
          「山崎パン1個」と言われてしまい。???。 何でヤマザキパンなのか??? 
           つまりこーいうことなんざんす。商品化された家具のロイヤリティは3%が世界標準、
          つまり商品が5万円だとするとその3%1500円がデザイナーの収入。ということではなく。
          卸値の3%。販売価格は卸値の2倍ぐらいだとすると25,000円の3%750円ということで。

           それを聞いたときニャ驚きました。そんなもん! そこで友人に聞いたら日本では3%
          以下だと。!! マジで。がんばって商品開発して売れたとしても750円。5万円の
          スツールなんかそうそう売れるもんじゃなし。でもね、彼女が言うにはその程度しか評価
          されていないのよ、デザイナーは。だって何が出来るの! 作れるわけじゃないし、しっか
          りした図面を描けるわけじゃないし(ける人もいるけど、私は描けません)、必ず売れる
          もの考え出せるわけでなし、売る事ができるわけじゃない。だから、その程度の評価なん
          でしょ、と言われた時にゃ、目からウロコ、超納得しましたわい。

           そうか、その程度なのか。そーいえばオレってなんにもできないもんなぁ。世間では
          デザイナーっていうとなんか特殊な能力を持っている人種と思われているようだけど、実
          はそうではない。それを知ってからはスッキリとシゴトに取りかかれるようになったとさ。
          ちゃんちゃん。

           レイ・チャールズ「ジーニアス・フレンズ」を聴きながら・・・・の店主でした。
           

          宣伝方相務めまする

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              サラリーマンとミュージシャンの二股を掛けつつ立派に生き抜いている友人のライブ。
             私にもなにか出来る事はないか、と。力不足ではあるけど素早くブログでお知らせの次第
            でござりまする。場所は、お茶の水と水道橋の間、線路際の坂道途中にある「東京倶楽
            部」。私が関係する専門学校「東京デザイナー学院」の隣り、の地下です。

             むろん私は行くでしょう。懐具合と時間に都合のよろしい方如何ですか?


            遡行の日々

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                好天続きの東京はまことにけっこうなことで

               過去に付き合ったコトやモノへの愛惜感は老人ならではのことなのでしょうか。今朝床の
              中で母親が得意だった料理がふと食べたくなってしまい。郷里の米沢の打ち豆(豆を潰して
              平らになったもの)を使ったあえ物。数年前に母は亡くなってしまったのでもう食べられな
              いんだなぁ〜。そんなことを思ってしまったわけ。

               これを懐古趣味と言うのかしら。「ラスト・ショー」の監督ピーター・ボグダノビッチは
              懐しさは人間共有のものとか言ってたけど。確かに言えてると思う店主。20才の若者だって
              80代の老人だって中味は違うけど懐かしさの感情は同じもの。過去や未来なんかカンケーな
              い今が大切だと思いたい私でも抗えない豊かな感情です。

               高橋真梨子はチケットが入手困難な歌手の一人だけど彼女の声質は懐かしさに満ちあふれ
              ていて。どの歌も既視感というか誰でもが体験したことのあるような風景を思い起こさせま
              す。サザンの曲もそう桑田さんの声質も同様でありレイ・チャールズもしかり。どこか懐か
              しくて。家具で言えばハンス・ウェグナー。生まれながらにしてある種の懐かしさを感じさ
              せることはいつまでたっても古くならないつまりはいつも新しいことになります。

               昨年末再購入したこの本。古本屋サイトでなんと2冊も買ってしまったのです。この時期
              胃に穴が二つ開いて入院した筒井氏これが穴の一つの原因とか。ちなみにもう一つは文学部
              唯野教授。この「残像に口紅」は章ごとに言葉が一つずつ欠けてゆきそれでも物語は進むと
              いう驚愕すべき内容。最初の章では「あ」が次は「ぱ」がというように次々と言葉が欠けて
              ゆきます。

               「あ」がなければ朝日も明日も愛人も青物も使えません。これは凄いことですよ。読み進
              めてゆくに従い物語を楽しんでいるのか言葉が欠けてゆくことに感心するのかようわからん
              ことになります。特に中盤以降にはベッド・シーンが用意されているんだけどこれがまさに
              抱腹絶倒でありまして。50音の半分しか使わずにベッドシーンを描写するんですからいやは
              やなんと言いますか。

               そして本のほぼ真ん中まで来ると
               となっていて以後は袋とじになっちょります。読みたければ袋を破り読みたくなければ袋
              を開かずに返せばよろしい。2冊購入したのはまさにここ。1冊は開封もう1冊は未開封
              なのでした。なかなかないんですよ未開封は。だからね買ったの。誰かにあげる機会がある
              かもしれないから。ってことで。

               開封後も言葉は欠けてゆき最後は一語その前は二語その前は三語というようになるわけで
              すよ。開封後に最後の章を見たくなります。誰だって。つい見てしまいました。私も。やっ
              ぱりその一語か。と納得して前に戻って読み始め。終盤は感心してばかりで物語は二の次。
              最初の設計?段階から計算したのかしらしたのでしょうねほんとにしたのしたのでしょう
              ね。心の中でゆきつもどりつ。不思議な感覚に襲われましたっけ。

               そしてもうひとつ。
               これも昨年末ようやく入手し確かめつつ堪能しました。これは再観ではなく初見。
               いえね決して幻のということではなく。オークションでも出ていたんだけど相応の金額で
              はなかったもんで。いくら名作の呼び声が高いといっても2000円以上は出せません。千円
              以内が相場だと。思いつつ数ヶ月。ようやく入手さっそく鑑賞。いやーさすがに三島由紀夫
              が絶賛しただけのことはあります。久しぶりに心が昂りました。東映やくざ映画の中でも
              屈指の出来映えです。というか日本映画の中でもと言いたいほど。

               そこでね三島由紀夫の絶賛文を読みたいと図書館に予約。現代日本映画論大系幻想と政治
              の間を借り出し読破。ほらねこういうふうに遡行するのですよ。一つの出会いが次々と出会
              いを生み出す。これは懐古ではないでしょう。気になっていた三島由紀夫とひょんなところ
              で出会えました。文章もよろしい。これなら三島の小説も読めるかもしれません。三島の一
              文のタイトルは総長賭博と飛車角と吉良常のなかの鶴田浩二。このブログ読んでる若い人は
              知らんでしょう鶴田浩二。はたまた飛車角と吉良常。

               過去の名作名曲は密やかに息づいています。それを発見した時に蘇るものなのだと私は思
              う。それはまるでエイリアンの卵から飛び出す睾丸を模した幼虫みたいなもの。人が近づく
              までひっそりと。近づく人があればパッと心の中にクサビを打ち込みます。

               そんな出会いを求めて過去に遡行する・・・・・・店主なのでありました。



              お正月でんな〜

              0
                  カミさんが31日まで働いていたので、掃除やら料理やらすべて私が。62年生きてきてす
                べて初体験。新鮮で面白い年末でした。料理はおせちですが当然何一つ作る事はできませ
                ん。全部買い求めたものですが、何を買っていいものやら、売り場はどこじゃいな、果たし
                て高いのか安いのか、なに一つわかりません。お重に盛るのも同じで、なんだかヘナチョコ
                な盛り合わせになったようで。いや〜素人ぶりがバレバレですわ。

                 津波騒動で大変だった昨年でしたが、政府の動きや原発事故に文句は言うものの自分では
                何ひとつ動かなかった店主。あれよあれよという間に一年が過ぎてしまいそうです。一体私
                は何をすればいいんでしょう。と、いつも思案投げ首。心の中にはいつもそれが淀んでいる
                けど、日々は過ぎ去りゆく・・・・・・。

                 そんな店主は、正月は2日放映の番組で笑い転げていました。なんだかなァと思わないわ
                けではないけど、面白いと感じる心は否定できず・・・。NHK BS-1の外人格闘家が日本の
                武道を体験レポートする海外向け番組。初めは弓道。手強いのであります。8段審査の風景
                もあったけど合格率は驚異の1%とか。的に当たることはさほど重要ではない、当てようと
                いうはしたない気持ちが出てはいけない、「当てる」のではなく「当たる」矢を射ること。
                などなど、私は充分に理解できるけど果たして外人にこんなこと理解できるんじゃろか。そ
                んなこんなを目を丸くして驚くレポーターの表情が面白すぎる。

                 関係している専門学校のNY在住の卒業生が数年ぶりに帰国し、彼の作品作りの為に樹脂の
                会社を訪問したことはすでに書いたけど。先方の方が間を置かず東京に来て私の事務所で話
                し合ったと思ってください。午後2時頃でしたけど、座るか座らないかのうちに言葉が氾濫
                し始め、途中で知り合いのレストランに向かう車中も途切れることなく続き、食事している
                最中でもよどみなく続き、いよいよ終電もなくなる時刻になっても終わる気配はまったくな
                し。別れるその時まで・・・・・・。実に12時間近く、まったく止まる事を知らず相手の言
                葉に間髪入れずの言葉の連続は実に素晴らしい体験で、至福の時でしたなァ。
                 これが去年一番の体験でした。

                 いやー実に楽しい一時でした。私は、十数年前同じような体験をしたけどそれ以来で。
                人生に於いて2回目の出来事。まさに言葉の奔流に身を任せる快感です。中国の卓球で「前
                陣速攻」というのがあるけど、そんな会話です。「前陣速攻」は台から一歩も離れず打ち返
                すこと。台から離れて打ち合うことはよくあるけど、離れませんから打ち返すスピードは目
                にも止まらぬ早業。この前の女子世界選手権で中国の二人もそうだったけど、その早さたる
                や凄いものでお互いの反射神経が並外れたものでないと出来ないことであります。

                 十数年前の体験は新宿の地下の居酒屋で卒業生と在校生の女性二人によるラーメン屋につ
                いての会話でした。今でもハッキリ覚えています。片やラーメン屋の娘、もう片方は名うて
                のラーメン好き。この二人による東京のラーメン屋についてのトークバトルはそりゃー見事
                なものでした。聴きながら感心もし、それ以後あんな体験は出来ないだろーなーと思ってい
                たので、それが叶った喜びは望外なものでした。

                 しかも今回は徐々にではなくいきなりでしたから。驚きと喜びが同時に訪れ驚きと喜びは
                瞬時に膨れ上がったのでアリマス。考えてみるとこうーいう会話は徐々にということはなく
                いきなり始まるというのが常。前回も今回もそうだった。この方とはそれまでに1回しか会
                ってないけど、会った回数は関係なく、親しさは一瞬にして燃え上がるのも常。めったにあ
                ることではないけど、そーいうもんです。

                 このようなスピード感のある隙のない会話が実現するのは双方の頭の回転が素早くなくて
                はなかなか実現しない事はトーゼンのこと。相手の言葉に素早く反応し、次の言葉が閃かな
                くては話が発展しません。同じ話の堂々巡りや大して面白くもない内容をいじくり回すこと
                には飽き飽きしてしまいます。でも世の中こんな刺激のない会話が横溢してて閉口してしま
                うのです。もっとピチピチした生きのいい会話、新鮮もぎ立てみたいな会話を求めて三千里
                みたいな。

                 この方とは、これからも会うことがあるだろうけど次回はどんな会話になるのでしょう
                か? 期待して会ったらさほどのこともなく・・・・・というのも常だし。そうでないこと
                を願ってはいるけどこればっかりは相手あることだからどうなることやら。まぁ期待半分と
                いった気持ちで。

                新年早々こんなもんです・・・・・・・・・・・・・・の、店主でした。




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