妖艶 三宅宏美
かねてから憎からず思っていた三宅宏美。その最後ともいうべきお姿を、昨晩膝を揃えて
居ずまい正しく拝見させていただきました。オリンピック女子重量挙げ48キロ級。多分、こ
れがロンドンオリンピックにおける私の白眉のひとときであったことは間違いのないとこ
ろ。これから数々の競技を見る事にはなるでしょうが、昨晩のひとときには及ぶべきもない
ことは明らかだし、TVを観る熱中度は低下することでしょう。
彼女の、なにが私を惹き付けるのか。鍛え抜かれたちびっこい肉体、顔かたちも一因では
あるけど、バーベルに手を掛け持ち上げる一瞬の間に訪れる表情の変化、妖艶さがなんと
いっても一番のチャームポイント。実に色っぽいのであります。人より1kgでも重い重量を
差し上げればいいという他の競技者とはまったく異なるオーラに陶然とさせられます。しか
も、最後の試技で失敗した後の仕草には、ユーモアや愛嬌、ことを成し遂げた充実感、開放
感がないまぜになった心が見事に映し出されていて素晴らしかった。
銀メダルをとれたことは彼女の競技生活の掉尾を飾るにふさわしいものではあるけど、そ
れがないとしても充分に魅力的だし、私の彼女に対する想いは変わる事はないでしょう。
解説者も極めて冷静で好感を持ちました。クールに競技の行方を占い、競技者の心の動き
や準備行動について述べています。やたら情緒的なことばの羅列、絶叫することが氾濫して
いる中で極めて秀逸な解説です。唯一の不満は宏美ちゃんのジャークが始まる時に、前競技
者の判定で宏美ちゃんがなかなか試技できず、その時の父親の義行さんが大きな声で関係者
に文句を言っているのをみて「コーチは冷静でなくっちゃ」と言ったこと。
なにを言うか。このコーチあってこその今がある。父・義行氏がこういう性格であること
は宏美ちゃんだって分かりきっている。父娘が12年間生活を共にしつつ練習に励んだ裏には
言うに言われぬつらいときもあっただろう。なんといっても肉親だから。そういう関係の
両者を一般的なコーチ像に当てはめてはいけません。きわめて特殊なんですから。
それに比べて柔道はいけません。日本の武道から世界のスポーツへと移り変わった瞬間か
ら柔道は変質せざるを得ない宿命を背負いました。日本的なるもの、武士道精神を外国に理
解できるはずもないのに、いまだにそれを求めている心がなんともアホみたいで。袖を持つ
とか背中を持つとかいわゆる変則組み手や技に対することの不満が充満しているけど、世界
を舞台にしたときからそんなことは当然わかっていること。変則なんて言う言葉の裏側に
は、正しいという世界が認識されているわけで、その正しさは日本という世界でしか共有で
きないもの。
有名にはなりたいけど、有名になったらプライバシーを侵さないでほしい。そんなことを
言うジャリタレとおんなじような気がする。柔道の正しさを求めるのなら日本の中でやれば
いい。弓道をみてごらんなさい。素晴らしい正しさを今も共有し求め続けています。剣道も
空手(特に沖縄)も同様です。世界の人々に柔道の素晴らしさを理解してほしい、というこ
と自体は悪くないけど「精力善用 自他共栄」という嘉納治五郎の精神を理解してくれ、な
どということを外国に強要しちゃいけません。もう武道ではなくスポーツなんですから。
一本を狙い続ける姿勢は美しいけど、それを世界の国々に理解されることなんか不可能で
すから。日本という離れ島に生き続けた文化の一端としての柔道は世界から見たらかなり
特殊な精神世界です。なんたって地続きじゃないから人の交流は少ないし、つまり混じり
合った中から生まれたのではないということでね。そこんとこをわかっていないと、今後も
スポーツとしての柔道はいつまでたっても脱皮できないのではないか。なんてね。たまには
マジなことも考えるわけです。
柔道についちゃちょっとウルサイ・・・・・・・・・・・・店主でした。
- 2012.07.29 Sunday
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- 11:18
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