妖艶 三宅宏美

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     かねてから憎からず思っていた三宅宏美。その最後ともいうべきお姿を、昨晩膝を揃えて
    居ずまい正しく拝見させていただきました。オリンピック女子重量挙げ48キロ級。多分、こ
    れがロンドンオリンピックにおける私の白眉のひとときであったことは間違いのないとこ
    ろ。これから数々の競技を見る事にはなるでしょうが、昨晩のひとときには及ぶべきもない
    ことは明らかだし、TVを観る熱中度は低下することでしょう。

     彼女の、なにが私を惹き付けるのか。鍛え抜かれたちびっこい肉体、顔かたちも一因では
    あるけど、バーベルに手を掛け持ち上げる一瞬の間に訪れる表情の変化、妖艶さがなんと
    いっても一番のチャームポイント。実に色っぽいのであります。人より1kgでも重い重量を
    差し上げればいいという他の競技者とはまったく異なるオーラに陶然とさせられます。しか
    も、最後の試技で失敗した後の仕草には、ユーモアや愛嬌、ことを成し遂げた充実感、開放
    感がないまぜになった心が見事に映し出されていて素晴らしかった。

     銀メダルをとれたことは彼女の競技生活の掉尾を飾るにふさわしいものではあるけど、そ
    れがないとしても充分に魅力的だし、私の彼女に対する想いは変わる事はないでしょう。

     解説者も極めて冷静で好感を持ちました。クールに競技の行方を占い、競技者の心の動き
    や準備行動について述べています。やたら情緒的なことばの羅列、絶叫することが氾濫して
    いる中で極めて秀逸な解説です。唯一の不満は宏美ちゃんのジャークが始まる時に、前競技
    者の判定で宏美ちゃんがなかなか試技できず、その時の父親の義行さんが大きな声で関係者
    に文句を言っているのをみて「コーチは冷静でなくっちゃ」と言ったこと。
     なにを言うか。このコーチあってこその今がある。父・義行氏がこういう性格であること
    は宏美ちゃんだって分かりきっている。父娘が12年間生活を共にしつつ練習に励んだ裏には
    言うに言われぬつらいときもあっただろう。なんといっても肉親だから。そういう関係の
    両者を一般的なコーチ像に当てはめてはいけません。きわめて特殊なんですから。

     それに比べて柔道はいけません。日本の武道から世界のスポーツへと移り変わった瞬間か
    ら柔道は変質せざるを得ない宿命を背負いました。日本的なるもの、武士道精神を外国に理
    解できるはずもないのに、いまだにそれを求めている心がなんともアホみたいで。袖を持つ
    とか背中を持つとかいわゆる変則組み手や技に対することの不満が充満しているけど、世界
    を舞台にしたときからそんなことは当然わかっていること。変則なんて言う言葉の裏側に
    は、正しいという世界が認識されているわけで、その正しさは日本という世界でしか共有で
    きないもの。

     有名にはなりたいけど、有名になったらプライバシーを侵さないでほしい。そんなことを
    言うジャリタレとおんなじような気がする。柔道の正しさを求めるのなら日本の中でやれば
    いい。弓道をみてごらんなさい。素晴らしい正しさを今も共有し求め続けています。剣道も
    空手(特に沖縄)も同様です。世界の人々に柔道の素晴らしさを理解してほしい、というこ
    と自体は悪くないけど「精力善用 自他共栄」という嘉納治五郎の精神を理解してくれ、な
    どということを外国に強要しちゃいけません。もう武道ではなくスポーツなんですから。

     一本を狙い続ける姿勢は美しいけど、それを世界の国々に理解されることなんか不可能で
    すから。日本という離れ島に生き続けた文化の一端としての柔道は世界から見たらかなり
    特殊な精神世界です。なんたって地続きじゃないから人の交流は少ないし、つまり混じり
    合った中から生まれたのではないということでね。そこんとこをわかっていないと、今後も
    スポーツとしての柔道はいつまでたっても脱皮できないのではないか。なんてね。たまには
    マジなことも考えるわけです。

    柔道についちゃちょっとウルサイ・・・・・・・・・・・・店主でした。




    ストーミー・ウェザーとブラック・タイツ

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        ミュージカル映画に熱中し始めたのはいつ頃だったろう。20代後半から30代前半にかけ
      てのような気がする。最初に観た映画は覚えていないけどジュディ・ガーランドは今でも私
      のアイドル。オズの魔法使いで一躍トップスターになり「虹の彼方に」はアメリカ第二の国
      歌とまで言われているけど、成長するにつれ薬物と奔放な男性遍歴で生活はズタズタ。ハリ
      ウッド・バビロンという本の晩年近くの写真は哀れ、最後は便器にまたがって自殺したと
      か。私はそんな破滅型スターに大きな魅力を感じてしまいます。イースター・パレードも大
      変よろしかったけどスター誕生が頂点でしょう。これでアカデミー賞が穫れず凹んで更に生
      活は乱れに乱れ・・・・・・・・。

       こんなタイプの女性を見るといつも「私だったらなんとか出来たかもしれない」とついつ
      い思ってしまいます。悲しい運命を私がひっくり返してみせる、と。いや実際は出来ないん
      ですよ。あくまでも出来るような気がするってこと。それをひょいと友人のT氏に話したら
      「オレもそう」と言ってくれまして、いやはやそう思う男性(女性も)はいるんだなァと改
      めて思ったのはいつの日だったか。確か赤とんぼが飛んでたな、なんちって。

       これらの映画はもちろん、ビデオ。すでにミュージカルの全盛期は過ぎ去りつつありまし
      た。誰に聞いたって黄金期は40〜50年代、49年生まれの店主はまだまだヨチヨチ歩き真っ
      盛りですから同時代に観れるはずはナイ。淀川長治じゃないんだから。あれからすでにざっ
      と30年、先日オークションで入手したストーミー・ウェザーは未見の最後の砦ともいうべき
      映画で、それこそ私にとっては「まぼろし」とか「伝説」の霧の中に隠れていた名画。とは
      いえ、たまにオークションやアマゾンで見かけてはいたけどなんといっても超高額。確か
      3万とか5万円くらいはしていたぞ。とてもじゃないけど手は出ません。それがようやく
      手に入り、期待はいやがうえにも高まります。

       ストーミー・ウェザーはアメリカ品。日本のデッキでは無理なことは知ってたけど、ひょ
      っとしてパソコンなら観れるかもと思い990円でゲット。国内では製作されていないよう
      です。でもって試したらパソコンでのみ鑑賞できたのでアリマス。うれし過ぎる。

       内容はもちろんVERY GOOD。◎。字幕はない、けど音楽と踊りを観たいからノープロブ
      レム。主演のレナ・ホーンは写真の通りで単なる添え物。出演者はすべて黒人、中でもレナ
      は白人顔のハーフだしどう見ても整形してるから、美形で少し歌える程度だと思っていたん
      だけどアタリー!。そんな小物はどーでもいーんざんす。

       早々に登場したのがファッツ・ウォーラー。名前だけは知ってたけど、これがイイの。
      ピアノ弾きながら歌います。表情や動き、指使いにゾクゾク。いや〜芸人だねぇ。こんな人
      いなくなったねぇ。しかも、どうみてもゲイなんだから文句ありませんて。観ながらふと
      思ったんだけど、私は芸人が好きだったんだってこと。そうか、芸人ずきなんだ。な〜んだ
      そういうことか。あっという間にひどく納得。ウーム・・・・さらにウーム。

       今のタレントさんにはいるのかな、芸人。タモリは芸人じゃない、タケシも。かろうじて
      さんまがそれっぽい。北島三郎は明らかに芸人タイプ。美空ひばりも同じく芸人。あと誰だ
      ろう? エルビスは芸人だけどマイルスは違います。ティナ・ターナー、フレディ・マー
      キュリー、アレサ・フランクリンこれすべて芸人タイプ。あとモーツァルトも。ヘンデルは
      ちがうしビバルディもむろん違う。萩本欽一も違うし。ギリギリの境界線にいるのがレイ・
      チャールズかなぁ。スリー・グレイセス、エルトン・ジョンは芸人だけど石川さゆりは×。
      ちあきなおみは◎だけどビートルズは×。

       あぁそうか、と、芸人でないと魅力を感じなかった私に気が付いたのだ。だからビル・エ
      バンスも今イチだったしベートーベンにも手が出なかったワケが分かったのですわい。って
      ことはですよ、私の作品にも芸人志向のなにかが含まれているってこと? そういえばそう
      だ。ありますよ芸人魂が。学校の課題だって今作っている商品だって、そうなんだ。ヘェー
      ほぉー、なるへそ。齢63才にして私自身の奥の奥に潜んでいたモノがヌ〜っと顔を出して
      まぶしそう。こりゃ私にとっては素晴らしい発見。今まで観たり聴いたりしてきて、集めた
      ものたちが一瞬にしてズラ〜っと長い廊下に連なっているようで、チョー気持ちいい(by
      KITAJIMA)

       いや〜なにが発見のきっかけになるかわかりません。そんな調子でキャブ・キャロウェイ
       暗くて顔がわからないのがゴメン

       髪振り乱してのキャロウェイ。いーです。縄のようなものはチェーンです。腰から下げて
      床に届くようで届かない。歌、動き、表情すべて文句なし。これまたまさに芸人。憧れます
      惚れます。一緒に酒飲みたいっす。動きながら歌いながらの客との掛け合いは絶品ですぞ。
      これを真似たのがクィーンのフレディだと思ってる店主。フレディのライブでの掛け合いこ
      そが客席と一体になるってことじゃないんっすか。ただ歌ったりちょこまかと動いたりする
      だけじゃね、魅力が生まれるわけがない。

       これは別の人。コンビの靴、長々のチェーン、上着はチェック。まことに派手でうれしい
      限り。昔、大枚払って茶と白のコンビを買ったけど、白い部分がすれてすぐ傷になったなァ。

       そしていよいよクライマックス。真打ち登場。なんたってニコラス・ブラザースなんで
      あります。NHKの特番で観て以来の大大大ファン、番組ではグレゴリー・ハインズがこの
      踊りを激賞しつつ紹介してたけど、その前後が観れずに待つ事幾星霜。ついにその日がやっ
      てきました。タップの名手もいろいろいます。アステアとかね。だけど、大道芸で鍛え上げ
      たようなタップといえばこの二人にとどめを指します。あきらめなければいつかは叶うもん
      だ、なんてね。
       オーケストラの台の上で踊り

       ピアノの上で踊り

       最後は特製ステージの上で大ジャンプ。この技は、彼らの十八番。あしを180度開脚した
      まま床に着地の大技は痛すぎて観ていられない&面白すぎて笑わずにはいられましぇん。
      でも悲しいかな二人のタップダンスは、長くても数分です。これ以外に出演した2本の映画
      を持っていますが、もう他には見当たらない。多分、この映画が彼らの頂点なのでしょう。
      もっともっと他の作品を観たいけど・・・・・・・・・・・残念無念。

       右はブラック・タイツという映画。これも未見の最後の砦。こちらはバレエのような古典
      的?なダンス。赤い靴で有名なモイラ・シアラーがお目当てだったんだけど、あれ? 顔違
      うじゃん。どーしたの? 調べたら赤い靴のときは22才でこれは30代。大ブーイングです。
      しかも踊りがパッとしません。こんなもんかいな。そもそも赤い靴は相方が良かったし振付
      けもいい、映像表現そのものが良かった。だからモイラ・シアラーは能力以上のものが出せ
      たのかもしれません。それに比べてジジ・ジャンメールとかシド・チャリシーの方がはるか
      に魅力的だし、芸人の匂いを感じさせる。芸人という視点に目覚めたわたしは、生まれ変
      わったように見通せるようになった感じがします(あくまでも感じなんだけど)。

       興奮醒めやらぬ・・・・・・・・・・・・・・店主なのであります。



      年金の試練

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          昨日、以前からカミさんにせっつかれていた年金の受給申請に行って参りました。
         現在、63才と4ヶ月の店主は充分な有資格者。ずいぶん前に書類は届いていたものの、開
        封一読後すみやかに戻封? とにかく難解で理解できないんです。説明されている内容はわ
        かるんですよ。多分。だけど、文体というか熟語というか、読み慣れないことばが並んでる
        という印象が強烈でとてもじゃないけど歯が立ちません。ふだん読んでいる小説なんかとは
        てんで違うんであります。

         だからほっぽっておいたんだけど、いつまで生きてるかもわかんないしね、とにかく貰え
        るものならということで。書面では到底わかんないから相談所に出向いて一気に片付けちゃ
        おうとガンバリました。まずは年金のシステムがどうなっているのか、大づかみに理解した
        いので下見の相談。私は学校での共済と2年間の会社勤めでの厚生年金と自分で払った年金
        の3本立てなのでちょいと複雑であることが判明。中でも大きな問題は、共済と年金の関係
        らしいのであります。

         共済と年金は別個のもの、それぞれに申請して、それぞれから私の口座に振り込まれまれ
        るとのこと。そんなことも知らなんだ。問題なのは、共済と年金の支払った期間を合算しな
        いと計算できないこと。まずは個人年金の支払い期間証明書を発行してもらい、それを共済
        に送り、共済での支払い期間証明書を発行してもらって、再度個人年金の相談所に行って手
        続きしなければなりません。うーむ、説明されてもよくわからない(っていうかまったくピ
        ンとこない)。説明を受ける私の脳ミソはみるみるうちに満杯となり。

         しかも、年金の正規受給年齢は65才。私は63才ですから繰り上げての申請になり、その
        年齢に応じて支払額が減額されます。つまり早くもらうと支給額は減るってこと。いくら減
        るのかは一覧表でわかります。さらに、繰り上げ申請には、一部と全部の2種類があり、こ
        れまた減額率が違います。この「一部」は何に対しての一部なの?と果敢にも質問したんだ
        けど、丁寧な説明にもかかわらず私の頭がついてゆけません。俺ってこんなに頭悪かったん
        となんかヘコみます。

         話しを聞くとどうやら75才とか80才とかが損得の分岐点らしい。情けないけど「らしい」
        としかわかんないのです。なんかこれからの人生を占っているようで気持ちはよくない。
        いつか死ぬことは漠然と理解してるけど、それが何才の何日かなんて冷静に考えることは
        なかなかかなりむずかしい。そこにお金が絡んできます。損得といっても数百万とか数十万
        の単位ではなく、せいぜいが数万円とか数千円ですから、なんだかかなり空しいというか。
        残りの人生の日々を数百円数千円で計算されるようでかなりシュールな気分が疲れを倍加さ
        せるのでしょう。

         でも、そんなこと気にしてたら前に進めませんから、机の上で相手の指示通り名前を書
        き、生年月日を書き、記号や番号を書き続け。個人年金の窓口から共済の窓口へ車を飛ばし
        て、そこでも次々と促されるまま書き散らかして、再び個人年金の相談所に行って見事成し
        遂げたのであります。人前でこんなに文字数字を書いたことはないだろう。しかも変な角度
        で書くもんだから妙に字が汚い。こりゃまるで金釘流だなァなどと思いつつひたすら書き続
        けるしかありません。

         とはいえ、なにごともいつかは終わりが来るもんで。オワリマシタ。ヤッター。あー疲れ
        た。帰宅したらどっと疲れが出てきよってなにもする気がおきません。ようようお米は研い
        だけど料理なんかとてもじゃないけど出来るわけがない。カミさんが帰ってきても食事の
        準備はなにもなし。しかたなしにラーメンを作って食べてるのを横目で見ている私。ゴメン
        ネ、勘弁な。今日ばかりはお許しあれ。

         年金相談所のトイレに張り紙。便器の足元にある黒い石の上に足を載せておしっこして
        欲しいと。2台の小便器の真ん前に一枚づつ。さらにごていねいに中央にも。とにかくお
        しっこを外に漏らさないでくれー。貼者の強い気持ちが押し寄せてきます。

         この中央の張り紙、さらに小さく張り紙が、セロテープでばっさりと。どういうことなん
        でしょうか、これ。小さな紙は後で貼ったんだろうけど、意味あるの? どういう気持ちな
        の。ってね。世の中いろいろ、人の気持ちもいろいろ。不快ではない、面白いのさね。

         これから残りの人生で頂戴できるお金を一日で解決できたわけだから良しとしなくちゃ。
        2〜3ヶ月後から私の口座にお金が入ります。個人年金は年額およそ70万円ですから2ヶ月
        に一度およそ12万円弱が。貯金なんかしたことないから、何に使おうかなァなんてことを
        考えています。でもね、欲しいもの特にないし。趣味はオーディオだけどめぼしいものは
        揃っているし、女性関係はまず望めないし、CDとかレコードっていっても大した金額じゃな
        い。洋服も同じで、さほど興味もない。小銭が自由になった時には、使い道が見当たらな
        い・・・・。

        困ったもんだ・・・・・・・・・・・・・・・・・・の、店主でした。


        女神 セリーナ

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           ウィンブルドンです。なんといっても。そしてセリーナ。タイトルの女神はめがみでは
          なく「じょしん」と読んで欲しい。ぜひに。ブログに書くつもりはなく、あまりにもTVが
          つまらないので準決の録画を観ていたら、こんなセリーナが。ウーッ、凄い目だァ〜。これ
          試合が始まってすぐでさ、これはブログに書かなきゃと思ってカメラを用意して最初っから
          再び見始めたワケ。それにしてもこの目ヂカラ・・・・・・シビレます。

           こんな魅力的なキャラクターはそうはいませんもん。私しゃウィリアムス姉妹の大ファン
          ですからね。力強くてしなやかで、しかも妖艶。なんてったらいいんでしょうか。言葉を
          失ってしまいます。ただ強いだけとか上手いとかはいるけど、そんなもんだけなら別にどう
          ってことない。ちっちゃな時から練習して上手くなってけっこうなことだけど、存在そのも
          のが魅力的な選手はそうそういるもんじゃない。

           昔、レンドルとマッケンローという素晴らしい好敵手がいたけど、それに比べたらアザレ
          ンカはいかにも役不足。可哀相だけど、仕方ない。なんたって格がちがいます。

           休憩中の二の腕。たくましいなぁ。色っぽいなぁ。何処見てるのかなァ。

           試合中にふと見せる表情や仕草が官能的なんであります。官能的などという言葉では物足
          りない、セックスアピール全開中とでも言っちゃおうかな。まさに。何をお考えになってお
          られるのかセリーナ様。敬語も全開。

           そしてまた休憩。伏し目がちな女神(じょしん)は心の中を見るのかはたまた過去の恋人
          を想っているのか。どうみても試合の分析をしているようには見えません。まったく不思議
          な神秘を秘めた双眸に惹き付けられる。

           そして躍動シーンの数々。モハメッド・アリは「蝶のように舞い、蜂のように刺す」と
          言われたけどセリーナの場合は「軽々と跳躍する黒犀(クロサイ)」でしょうか。まったく
          見事な動きは圧倒的、素晴らしいの一語。堪能のひととき。

           小さなガッツポーズもサマになり

           でっかいガッツポーズもご覧の通り。絵になりますな〜

           お尻を見ちゃってごめんね。だけどこれもガッツポーズだから。

           試合を見るのは二回目。いろいろと気づくことがあります。なんといってもセリーナの
          シーンが多いこと。女王ですから写る時間も多いんだろうけど、存在そのものが絵になり
          ますからどーしてもカメラを惹き付けるんでしょう。それに比べて相手役のアザレンカの存
          在の希薄なこと、かわいそうなほどです。小さなときから一生懸命練習してやっと準決まで
          来れたけど相手はセリーナ。どうがんばっても勝てないことは彼女自身が一番わかってるこ
          と。だけど試合は続けなくちゃならない。天賦の才の違いは目を覆うばかり、アザレンカの
          心中察するにあまりある。

           ミスショットしてもこの顔です。なんか微笑んでいるようにも見える。どう見てもわざと
          ミスしてるとしか思えないショットがたびたびあって。一方のアザレンカは、セリーナの
          ミスで得点するしかありません。相手の好プレイを上回って得点することはほとんどない。
          悲しいかなそれが現実。それでもがんばるのがエライ。

           番組はBBCでしょうか。とにかくセリーナを執拗に追い続けます。アップも半端な数では
          ありません。異常なほどのクロースアップもあって感服し涙が滲みます。最初は小指を狙っ
          たショット(としか思えない)。次は顔面超アップ。これを見たらセリーナ怒りますよ。鼻
          の穴丸見えですもの。女性に対して失礼!なんじゃないかしら。なんてね。

           そして勝利のポーズ二態。なんせ動きが派手ですから見てる方も伝わり度合が大きい。
          こんな選手は当分出て来ないでしょ、きっと。だから今のうちに観ておかなくちゃなりませ
          ぬ。そうは思いませんか。

           この準決はそれでもまだ良かった。決勝はもっとひどくて悲惨だった。第一セットが1-6で
          セリーナの勝利だから。すでに先が読めるってもんです。だから事実上の決勝戦はこの準
          決と言える。力の差は歴然だけど決勝は最後まで観たかった。けど解説の女性がうるさくて
          さ、我慢できずに止めてしまったんです。言いたくないけど(なら言うなって)、声が良く
          ないんです。鼻づまりのような気に触る声。ただそれだけでキライっていうのもなんだか
          な〜と思わないわけではないけど。だけど、それだけじゃなくて解説の内容も大いに不満。
          だって圧倒的にセリーナが勝っているのにやたらアザレンカをほめる。判官びいきにもほど
          がある。ファンとしてはもっともっとセリーナを褒めんかいってね。だから、ついつい、大
          した選手でもなかったろうに物言いが偉そーなんだよと八つ当たり。

           それがイヤで今回は英語解説を聴きながら。ほとんど何を言ってるのかわからないのが
          いい。それと解説者同士の笑い声もあったり、セリーナのスーパーショットに「ウップ?」
          と聴こえる感嘆がたびたび。なんか自然で楽しんでる様子がありありで、日本語解説との
          違いに少し驚いた。NHKだからしょうがないか、でも民放だとヘンなゲストがだらだらと喋
          るだろうし、場違いな絶叫も出るだろう。もっと自然で的確な解説を日本語で聴きたいもん
          だ。

           実はセリーナよりもヴィーナス・ウィリアムスの方が本命の店主。どっちかというと
          セリーナは短躯ですから。その点ヴィーナスはすらり、いいでっせ。しかも顔がいい。
          ちょっと泣き顔のところがたまりません。でね、この会場にも当然来てて何回も写るんだけ
          ど隣りの男の子が誰だかさっぱりわからない。この男の子途中で寝てたりしてたんだけど、
          ヴィーナスに起こされたりしてました。だけど、試合が終わって最後に写ったこのシーンを
          観たとたん「ヴィーナスの子供!?」。だってこの二人の表情瓜二つでしょ。打ち合わせで
          もしなけりゃこれほど同じ顔はしませんて。きっとこれは親子なんじゃないか。そうに決
          まってる。勝手に思っているのであります。

          それにしてもこのシーン、さすがBBC・・・・逃しませんなァ。

          とかで、楽しませていただきやした・・・・・・・・・・・の、店主でした。



          筒井康隆とダンヒル

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              邂逅ってのは大袈裟だけど、筒井さんの小説が朝日新聞に掲載されることになりました。
            20年ぶりです。氏を知ったのは結婚後にカミさんから教えられて。それ以来のファンです。
            単行本はずいぶん読みましたし、全集も買いました。私のデザインに対する考え方、ものの
            見方には大きな影響をもたらしましたし、オーバーに言えば血肉になっていると言えますで
            しょうか。

             もう77才になるんだなァ。私とは14才違い。最後の作品という意気込みで書くつもりだ
            そうだけど、その気持ちは少し理解できる。若い時に「こんな小説なら書けるかも」と思っ
            た店主だけど、氏の膨大な読書量を知るに至ってトンデモナイ考えであったことを知り。若
            いってことは恐ろしいことを考えるもんだと改めて思い知った次第。でも、若さとはそんな
            無謀なことも平気でやれる、やってみようと思うことそのものが核心のような気もして。
            だから決して間違っちゃいなかったとも思うのであります。

             氏の小説は常に新しさが執筆の動機になっているとのこと。今回は枕詞を含む古語とのこ
            と。以前、このブログでも紹介したけど「残像に口紅を」のバリエーションの一つなのかも
            しれません。残像ではあいうえお五十音が各章で一つずつ消失しつつ物語は進行するという
            驚異的な小説だったけど、今回のは失われつつある古語がすがたかたちを変え浮かんでは消
            えるものなのでしょうか? とにかく7月13日(金)から掲載が始まるので大きな愉しみと
            なるでしょう。

             すでに新聞そのものが消滅する日が近いとも言われていますから、小説内の古語と掲載さ
            れる新聞そのものがダブってみえます。ネットで読める記事小説情報などに対する技術や規
            格も日進月歩ですから、いずれは紙媒体の情報は消滅するのかしら。といっても、その頃に
            は私は生きていないだろうからカンケーないけど。

             と、書いてる途中で煙草を買いに一走り。思えば、去年の震災でタバコ工場も被害を受け
            て愛煙?の銘柄が姿を消し、大慌てで探しまくりました。地震の影響はこんなとこにもあっ
            たんです。コンビニには銘柄というよりは国産煙草そのものが姿を消し、一向に棚に並びま
            せん。そこで記憶を頼りに古くからのタバコ屋さんに行ったら少しずつだけど入荷があっ
            て、以来その店で買っているわけ。母娘が営んでいる店は大のお気に入り。

             世をあげての嫌煙嵐、余波はライターにも及んでいます。私はカートン(10箱入)です
            から必ず百円ライターがおまけで付いてきます。10箱が煙になるまでに百円ライターは使
            い切りませんから、どんどんライターだけが増え続けることになり、気が付けば両手に余る
            ほどになってしまいます。さらに、最近は子供の火災事故防止とやらで着火がやけに固くな
            ったりスイッチが付いたりと面倒でイライラする操作と成り果てています。

             子供が触るところに置くことが問題なんであってライターに罪はありません。問題なのは
            親でしょ。しかも、使いやすいべきである商品をわざわざ使いにくくするって行為そのもの
            が大きな問題ですよ。デザインの背信行為であります。改良ではなく改悪なんですから。そ
            れを考えるデザイナーも大変でしょう。お心うち察します。一昨日、知り合いの材木屋さん
            に行ったらさる大学の木工授業で女生徒が指を4本切り落とした大きな事故があって、すぐに
            危険な木工機械を撤去してしまったとのことを聞き、ライターを同じだと思ったのです。

             痛ましい事故ではあるけど原因は木工機械ではありません。指導方法とか機械使用のマ
            ニュアルの不備によるものです。その結果、製材はすべて前もって申請し、材木屋さん
            で行ってもらうようになったとのこと。これは、学生にとってはかなりのストレス。大きな
            材料が届いた後に製材するのであれば考える時間があるけど、事前に製材寸法を提出すると
            なると各部品を正確に把握しなくてはなりませんから。未熟な学生にとって大変な作業です
            よ、これは。

             話しが逸れてしまいました。ライターです。私は着火のストレスがだんだんと怒りになり
            ついにライターを買ってしまいました。天下のダンヒルです。
             昔はライターといえばダンヒル・デュポン・カルティエが御三家みたいな存在だった。で
            私はなんといってもダンヒル。渋くて目立たない控えめなところがいい。ずっしりとした
            重さといい蓋の開け閉めの音が素晴らしく細い火口からの炎の姿かたちにもうっとりしてし
            まいます。

             さらに精緻な作りの内部機構。ふたをはね上げるスプリングが右の丸棒で左は着火部分。
            実にうまく出来ています。こういう優れものを入手すると必然的にタバコの量が増えてしま
            います。今でもダンヒルの新品はかなりの高額でしょう。多分4〜5万はするんじゃないか
            しら。もちろんそんなお金はありません。オークションで2980円でした。出品された方は
            かなり凄い方で、送られた商品には英文の取説まで付いていました。いまどきこんな方が
            おられることが驚きです。なんたって滅亡寸前のライターですからね。

             考えると筒井さんの古語とライターのダンヒルは、失われつつあるという点で同じ意味の
            ような気がします。長く生きているといろんなものが消えては生まれることを目にします。
            盛者必滅会者定離、さよならだけが人生だァ〜。

            ちょっとおセンチ・・・・・・・な、店主でした。

            土佐日記です

            0
               竹中労による美空ひばりについての本を読み、ひばりの歌の本筋は中山晋平野口雨情にあ
              り、さらに晋平雨情の行き着く先は紀貫之の土佐日記。との説に心惹かれて日記を読み始め
              ました。さらにさらに、ひばりとマヘリア・ジャクソン&エルビス・プレスリーの曲をパソ
              コンに取り込み、シャッフルして聴き始めましたのであります。
               はてさて、その行き着く先は・・・・・・・・・・・・何処に?

               ひばりは「歌声は永遠に」「オリジナル・ベスト50」の全65曲、マヘリアは「NEWPO
              RT 1958」「Amazing Grace」の全35曲、そして「ELVIS 2ND TO NONE」「ELVIS
              GOSPEL」はエルビスで全44曲、の締めて144曲。これをバラバラに聴きながらしばらく
              過ごすことになるわけです。私は以前から音楽のシャワー効果っちゅうものを唱えておりま
              して。それは何かというと、聴き続けることはシャワーを浴びていることと同じでだんだん
              薬効(ってほどじゃないけど)が皮膚を浸透してからだに心に沁み渡るというもの。証明
              する手だてはないけど、ゼッタイにあると信じているわけ。

               ひばりは竹中氏からプレゼントされたマヘリアのレコードに大きな共感を覚えた事実、ま
              たエルビスは私自身がひばりとの多くの共通点を感じる歌手だからゆえ。この三者いずれも
              出自は庶民、曲を作らず歌い手に徹底し(ひばりは数曲の自作曲があるけど)、専門家の評
              価は決して高いとはいえず(芸術性は極めて低評価)、しかし大衆に愛されたことはことは
              誰でも知ってるもんね。ちなみにマヘリアとエルビスはいずれもゴスペルがふるさとでして
              これも奇妙な因縁と言えなくもないか。

               しかしなぜにそこまで私はひばりに肩入れするのか。

               それは畢竟わたしのもの作りの指針になりそうだからということ。デザインの世界を志し
              てはや40年。今までも今でも考える時の核心がないのです。そりゃ先輩諸氏の作品はたく
              さん見て来たので知識は増えたし、そこそこ年相応の教養も多少なり身に付いているとは
              思うけど、それらを駆使しても「これでいいのダ!」という確信はない。特に、日本人であ
              るからには日本的なるものを内包してないとならぬ、というかそうであるべきだという考え
              が頭から去ることはないのです。

               今の地面が過去の遺跡の上に積み重なって出来ていると同じように、今の私、あるいは
              私が考えるデザイン(私の場合それはファニチャー、いわゆる家具なんだけど)は過去の
              文化の上に成り立っているものであるはず。そこで問題となるのが、その過去の文化って
              一体なに?ってことでさ。歌麿とか光琳とかいってもなんかかなりピンと来ない。民芸も
              同様で、いくら勉強してもさっぱり掴めませんでした。私の頭が悪いのかもしれないけど
              あまりにも実感できないので「ほんとにみんなわかってるのかいな?」とついつい思って
              しまいます。

               今、ゴミバコを考え試作してるんだけどかたちに迷い立ちすくんでいて。家庭用45リッ
              トルのビニール袋がそのまま使える大きさ。厚さ9ミリのベニヤで作るんだけど、4枚の板
              を組み合わせて四角い箱を作り、蓋と底板を取付けて箱になる。おおよその構造や作り方は
              誰が考えても同じようなものになるんだけど、4枚の板の形がね。四角だけじゃ真面目す
              ぎていやだし、かといって丸くしたり曲線を使うってのもどうなの。曲線ってのは感じは
              柔らかくなっていいんだけど、線の根拠がないわけですよ。どうにでもなりますからね、
              曲線は。

               こうでなければならないという部分はいいけど、どうでもいいという部分はむずかしい。
              伊丹十三が言ってたけど「女、公衆電話をかける」といったなんでもないシーンがむずか
              しいと。その気持ちわかるな〜。家具だって繋ぎ合わせるところとか目的のある部分は
              合理的に考えればいいんだけど、そうじゃない部分がね。合理性が使えないところはどう
              すればいいんかい、と悩むんですよ。結局、大した根拠のないままに、な〜んとなくとな
              ってしまうわけです。

               そんな時に美空ひばりのエッセンスをひとしずく。あーら不思議、もやがかかって見え
              にくかったものが、みるみるうちに天下晴れ。くっきりとあるべきかたちが見えてきまし
              た。直線だって曲線だって、合理性という無粋な考えなんか使わないでもイケまっせ。ほら
              この通りってなもんで。粋でいなせとか情といった英訳不可能なことばを使いましょう盛り
              込みましょう。なんて、そんなことにならないかね〜。

               土佐日記ざんす。

               昔むかしの庶民の生活がよみがえります。なんか少しだけひばりに近づけた気がする。
              気のせいかな? 錯覚かな? はたまた・・・・どうなん?? 中でもこの一文がお気に
              入りの店主。
               『さて、十日(とをか)あまりなれば、月おもしろし。船に乗りはじめし日より、船には
              紅濃(くれないこ)くよき衣着(きぬぎ)ず。それは海の神に怖じてといひて、なにの葦陰
              (あしかげ)にことづけて、老海鼠(ほや)のつまの貽貝鮨(いずし)、鮨蚫(すしあは
              び)をぞ、心にもあらぬ脛(はぎ)にあげて見せける』
               これが原文で、

               「さて今夜は十日過ぎなので、月が美しい。船に乗り始めた日から、船中では紅色の濃い
              派手な着物は着ません。それというのも、海の神を怖れてのことだといいながら、(そのく
              せ)何の悪いことがあろうかと、少しばかりの葦の陰をよいことにして、ホヤのつれ合いの
              イガイやアワビのすしを、人の見るのも気づかずに、着物の脛まで上げて見せることでし
              た」これが訳文。

               今読んでるところは、船の旅日記ですからね。このホヤとかイガイとかアワビは言わずと
              しれた女性器の別称です。女陰(ほと)ともいうし、九州ではボボとも呼ばれる。そういえ
              ば昔ボボ・ブラジルという頭突きで有名なプロレスラーがいたけど、その名前を心配する
              人もいた。あるいは、ソンコ・マージュっていうミュージシャンの師匠がマンコ・マージュ
              というウソのような名前で、来日したらどうするの? とこれも密かに話題になりました。

               相変わらず品下がりっぱなしの店主ですが、言いたいのは性に対してかくもおおらかな
              のが昔の日本で、それが改まってしまったのは儒教だかの影響であるとかないとか。だから
              そんなに昔のことではないらしいんだな。話しがだいぶ逸れてしまったけど、要は旧きを
              訪れて新しきを知るみたいな、今の私にとっては差し迫った必要情報であり尽きない興味
              好奇心がそそられる事柄なんざんすゥ〜。

               と、ゴミバコにも呻吟している真っ最中・・・・・・・・・・の、店主でした。


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