る。という私は相手のことを考えていないちゅうことになるんだけど。お互い様ってこと?
朝ご飯をいただき出発しようかと思ったらオリンピックの閉会式。なんとはなしに観てい
たわけですが、これがなんとも、どーしたもんかの内容で内心不満たらたら 国旗を模した
道路はいいけど、出てくるものがなんともちっちゃい これじゃ会場の人は見れません楽し
むことできません もっとスケールでかくせんかい! 遊ばんかい!! 司会もひどいぞ
舞台上の出来事を説明しているだけじゃね そんなことは誰でもできるぞ 歌手も知らない
し それにしてもどーしてもっとスケールの大きな演出が出来なかったもんでしょうか
言っても詮方なきことだけどフレディが生きてたらなァ ど派手な動きで会場を一つにまと
めたでしょうに 最後の方でクィーンの残党が出たけどなんか痛ましくって見てられない
早死にはスターの証です いつまでも生きていちゃ伝説にはならないのでアリマス
それにつけても思い出されるのはLIVE AIDのクィーン、ウェンブリーのクィーン。曲、
動作、演出、どれをとっても無敵だと思うのは私だけ? 特に客席との掛け合いは見事 大
きなキャラクターの風船を飛ばして客が空中高く跳ね上げたりみんなで引っ張り込んだりし
て遊ぶアイデアは秀逸でした。オリンピックの会場なら大きな気球を5〜6個用意してポン
ポンと遊べばいいのにね。できるでしょ、そんなこと。どーしてしなかったのかな。危ない
からかな。でも、面白いのにな。きっと草葉の陰でフレディも喜ぶでしょうに。
なんてこと言いつつ、出立したわけ。駐車場に行って車を出そうとしたら目の前に散歩の
男性。連れているのが猫でね。家族一同、思わず最近逃げた我が家の猫を思い出し涙目。な
んでこういうふうにしなかったのか。こうすれば家中を走り回っていた我が家の華(はな)
ちゃんだって逃げる事はなかったかもしれない。思わずしんみりしたのでした。
逃げた華ちゃんは真っ黒な雌猫。裏の農家の広大な庭には数匹の猫が住んでいるんだけど
真っ黒猫はどうやら2〜3匹いるらしく、どれが華ちゃんか見分けがつきませんのです。子
猫の時は夜どこにいるのかわからないし、黒猫はそこが弱点なんですよ。あ〜ぁ、生きてる
だけでもいいんだけど、とにかくやるせないのであります。
ということで、まずは伝飛鳥板蓋宮跡(でんあすかいたぶきのみやあと)に。今回の宿泊
地・桜井市は古墳で有名。観光の一番の目的は、纒向(まきむく)遺跡と箸墓古墳だった。
だけど、多分もう埋め戻されているだろうし(宿のご主人は埋め戻されたと)、古墳も単な
る生い茂る丘みたいなものだろうから想像力と知識が欠如している私が行ってもしかたな
い。せめて昔の状態で見れるところと思って行ったんだけど、これがやっぱりなにもない。
敷石が敷き詰められていて、どこになにがあったのかさっぱりわからず。唯一、井戸の跡が
それらしく残っていたわけで
無理言って悪いんだけど、もうちょっと掘ってくれないかな。枠だけあって穴が全然ない
ってのも味気ないよ〜。せめて1mくらい掘り下げていただいて井戸のイメージを残せない
ものか。わがままは承知の上だけど。黄色く写っているのは忘れ物?のお財布。立派なブラ
ンド品なんですわ。どーしたのかな〜。遺跡のミステリー、なんちって。拾うのもなんだし
ってことで、そのまま放置プレイ
雨のそぼ降る中に佇む愛車フィット。え〜、写真でんな〜。見た感じと写った感じに違和
感がありません。今旅行の一番の写真です。緑の中に青が映える、美しい〜なぁ
さていよいよの石舞台古墳。もっと山の上かと思ってたら、違いました。小高い丘と言っ
た感じで周囲の山々に抱かれている。古墳そのものはもちろん、周囲の環濠が雄大でが美し
い。ちょっと惚れ惚れしてしまいます。しかも雨だからしっとりと落ち着いた雰囲気が醸し
だされて、言葉もない。
まさに巨石でして。教科書や雑誌などで見ているけどやっぱ実物は雄々しく雄大です。
こんなおおらかで素朴なものが日本にあったことが不思議でならない。こんな感覚は私の中
にも生きているんだろうけど、もう小さすぎて見つからないような気がします。日本文化は
繊細とか優美、もっとちんまりしてるようなイメージだけど、それは後世のことなのかしら
ん。やっぱ京都のイメージなのかな。それはそれですっかり慣れ親しんでいるし立派なもん
だと思うけど。奈良の不器用でいささか無骨な感じも悪くないと。偉そうに言っちゃう?
巨石の間に隙き間がある。左右の石で支えられているので、ここが接していません。わざ
とそうしたなんてことあるの? こんな重いものを 出来る? たまたまそうなった?
それにしても、この巨石登ってみたくなります。充分登れる感じだけど、立て札がそれを許
さない。無念残念。後ろ髪を引かれる思いで・・・・・飛鳥寺へ
そして飛鳥寺は飛鳥大仏。なんせどれもご近所にあるから車だとすぐなんですよ。609年
の造られたというから今からおよそ1400年前。大神神社の大鳥居の耐用年数1300年はこの
あたりからはじき出されたのでしょうか。ともあれ、以来、寺が焼失しつつもこの仏像は一
歩も動かず、そのままの位置に鎮座ましまする。火災による罹災で大きなダメージを受け、
かなりの整形が施されていることを説明の方からお聞きする。ここでは適当な人数になると
説明してくれるし写真もOKという素晴らしい対応は文句のつけようもありません。さすが
奈良、太っ腹なのであります。
すぐ隣りにある蘇我入鹿の首塚へ。なんにもないところにポツンと。まったく、強者の
夢の跡といった風情で、これはこれで・・・・・・・・いとをかし。
首塚と飛鳥寺の間に田んぼがあって、そこにタニシが群生しておりまする。カミさん共々
タニシに注目&写真撮りまくり。この写真はちょっと見にくいけど立派なひげで動き回って
いる様子は壮観。それにしてもなんでこんないっぱいタニシがいるのじゃろか?
駐車場に帰って料金を払おうとしたんだけど誰もいないんです。ひょっとしてお寺で払う
のかしらと向かったら、入口脇のお店の方が「払わないでいい」と。なんか申し訳ないよう
な気もするけど。再度、お店兼料金所で声を掛けてもそこは沈黙の海。ふと見たら事務机に
は、週刊誌に毛筆練習。なんか小学生の時にはやったような気はするけど、今、この時代に
ということにおどろいた。いや、変っていうわけじゃないんですよ。決して。でもなんだか
奇妙な雰囲気で、私好み。思わずパチリ。
そして、いよいよ法隆寺へ。もう何回も行ったのですが、何度訪れてもスンバラシイ。
端正で、キリリとしてて、隅々まで神経が行き届いている感じがなんとも。境内は広々だし
往時を偲ばせる敷石や塀も充分満腹になってしまいます。
広い大通り。気持ちいいっす。ここでチャンバラごっこしたらリアルだろうなぁ、なんて
ことを思いつつ
前方に、塀がね、壊れている若しくは壊れかかっている現場に遭遇。支え方も古めかしく
まことにけっこうな趣き。
支え柱の根元、地面には瓦のようなものが直角に受けてある。穴を開けてそこに柱を埋め
るなんて野暮な事は許しません。きっちりした仕事ぶりに拍手が鳴り止みません。
何度見てもいいでんなァ。元は極彩色だったんだろうけど、色が落ちた佇まいも渋くて
まことにけっこう。専門知識はないけど、建物の部材も太からず細からずでとっても良い
バランスに思えます。
拝観料1000円也を支払っていざ中へ。柱の補修跡も綺麗です。最初からこんな意匠に
なっていたかの錯覚にとらわれます。
どーしたらこんなにぴったりハマるのかしら・・・・・・・・・。
「あおによし」の青色と丹色。いやーけっこうな色の取り合わせです。古代の色がズバリこの色そのものだったのかどうかわかんないけど。当たらずとも遠からずなんでしょう。
宝物館?を出たところにあった石と庭木のコラボ。いや〜いーですよ、これ。他でもこん
な作庭はあるんだろうけどね。今の私にとってなかなかの発見なんざんす。いやね、灰皿を
作ろうとガラス皿が4個あるんだけど、その皿を木と組み合わせるアイデアが見つからな
かったんですよ。こんな庭木のように木を削ることは出来ないかもしれないけど、こういう
感じは悪くありません。とんだ拾い物、グッドなヒントをいただきました。
これで奈良はおわり。大阪経由で京都へ、さらに京都縦貫道路で京丹後市は溝谷に。義母
のお見舞いをしてから無事到着。翌日は義父の三回忌。地域の方々が集まっての合同法要で
すがこれがなかなか興味深いものでして。お寺に集まった数十人は祭壇に向かって右が
男性、左が女性とくっきり分かれて着席。これはこの地域だけのことらしいけど、向こうに
見える女性陣を見ることは、ことのほか楽しいのであります。きっと「あれはどこの娘
だ?」とか「あの息子は立派になったなぁ」などと品定めするんだろう。いわば結婚の事前
調査みたいなものでしょう。きっと、そうに違いない。なんてあらぬ妄想を抱きながら、あ
っと言う間に法要終了。
翌朝は曇っていたけど、昼頃から晴れて娘夫婦が念願の海水浴。カミさんの強い希望で
琴引き浜へ。鳴き砂で有名なこの浜辺、海岸に温泉も湧き出ていてタダで入浴できるという
なかなかの場所。海が近いこのあたりはどこでも泳げますけどね。昔は箱石という浜で泳い
だけど広い浜を我が家で独占したこともたびたび。そんなこたぁどーでもいい。
海に向かってなにを想うか、この三人。なんか絵になるでしょ。カミさんと娘と息子。
奈良の愛車フィットと並んでこの写真は私にとっては宝物のようなものでして。まことに
よろしい出来映えで自画自賛はなはだしいのであります。
そして最後のワンショット
今まさに蜘蛛の網に捕らえられたアブラゼミ一匹。大好きなファーブルの気分を一瞬
だけ味わえました。でも、飽きっぽい店主は長い間観察できません。せいぜいが数分ですか
ら、これからこのセミがどうなるのか、なんてことは確認するすべはない。
これで今年の夏はほとんどおわり。今も裏の農家でセミが鳴き続けているけど、晩夏の葬
送のようでもあり、なんだか物悲しい。あっと言う間に秋の気配が忍び寄り、暑かった夏は
思い出の彼方にフェードアウトするんでしょう。ともあれ、今年は久しぶりに充実した夏を
過ごす事ができまして・・・・・・・・・・・
エガッタエガッタ・・・・・・・・・・・・・の、店主でしたわい。