よっこらしょ、っと
- 2013.02.28 Thursday
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- 13:12
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- by factio
「大当り百発百中」
娘の腹借り子を産ませ、犬を殺して食いつなぐ、しかも坊主は競輪狂い。色と欲を皮
肉った大人の喜劇!嗚呼なんてバチ当たり。こんな映画、今じゃ絶対作れません!本
作のために髪を剃った小沢の熱演も当時話題の一つになった。
と、こんな感じ。それぞれ約一時間と一時間半の軽〜い映画です。
さらに、http://blog.hiraki.jp/archives/2005/10/16-130558.php
「なんでも数年前、池袋の新文芸坐の深夜興行で、小沢さんの旧作を上映する企画があっ
たそうで、そのとき小沢さんは、上映する3作のうちのひとつを、この「大当り百発百中」
にしてほしいとお願いされたのだとか。ところが日活に確認すると、その映画のプリントは
劣化して捨ててしまったという。仕方なく小沢さんは、自腹を切ってネガから再プリントさ
れたそうなのですが、もしかして、今回ラピュタ阿佐ヶ谷で上映されているのも、そのときのプリントなのかなあ。小沢さん曰く、「わが青春の、元気一杯の映画です」。当時の小沢
さんは30歳を少し過ぎたあたり。なんだ、今のぼくよりも年少なのか。それもまた、ショッ
クだったりするわけですが・・・。
さて、そのころの映画館は三本立ての上映で、うち一本は上映時間の短い作品となること
が多かった、ということを前に書いた。実はこの話も、小沢さんの文章から引っ張ってきた
のだが、当時の日活映画は、石原裕次郎、小林旭の全盛期。小沢さんは、裕次郎や旭の主演
映画にワキとして出演しながら、尺の短い作品では、時に主役をやらせてもらうこともあっ
たのだという。この「大当り百発百中」も、そんな作品のひとつ。そして、今回の春原政久
監督特集では、ほかにも若き日の小沢さんが活躍する作品を見ることができる。さて、石原
裕次郎や小林旭の映画では、主役たる裕次郎や旭は、その映画の主題歌を自らカッコよく
歌っていた。で、若き日の小沢さん、この「大当り百発百中」では、自分もラストシーンで
歌わせてほしいと春原監督にお願いしたそうなのですが。
このラストシーンのくだりは、例の小沢さんのエッセイでも触れられているし、今回の特集上映のチラシでも、エンディングに注目、なんて書いてあるから、一体どんな場面になっているのかなあと思っていた。が、映画を見ているぶんには、小沢さんが書いているほど「実に滑稽で」「ちゃんと喜劇映画の結末」にした、というほどの滑稽さは感じませんでした。むしろ、ごく自然にハッピーエンドが訪れたという印象。満開の桜並木を、小沢さんは新妻役の松原智恵子と一緒に歌いながら歩いていく、というシーンなのですが、撮影のときに監督から指示された衣装が、裕次郎や旭みたいなカッコいい衣装じゃなくて、ツンツルテンの着物姿だった、ということに、小沢さんはショックだったようです。
なんでも、エンディングで自分も歌いたいという注文を、小沢さんはラストシーン撮影の前日に春原監督に突然言い出したそうなのだけど、映画が出来てみたら、その着物姿も、決して唐突ではなく、ちゃんと伏線があるようになっている。
冒頭の「こんな服(=洋服)着てたら、ぼくの詞はダメになっちゃう」というセリフとかで、小沢さん扮する作詞家の及川は着物好きっていう設定になってるんですね。だから、突然着物姿で出てきても違和感はなかった。むしろ、小沢さんカッコいいじゃない、というくらい。
演じる側の主観と、実際に映画になったものを見たときの感じ方が違うというのも面白いものですね。しかも小沢さんの中では、その記憶が40年も鮮烈に残っていたわけだ。
もちろん、歌ってる歌詞は滑稽、かつ珍妙なものでしたよ。
「君と僕とのウッフンバ、夢と希望のウッフンバ」。ウッフンバってなんだよー。」
なんていう記事も発見! もし、当日来てくれた方には昼食と珈琲をごちそうすることをお約束しましょう。ちなみに店主は緑のズボンと赤いチェックのコートに帽子という扮装です。お会いした事のない方は一声掛けてくださいませ。遠慮しないでね〜〜〜〜。
ではでは、新文芸座でお逢いしましょう・・・・の、店主でした。
中国では3000年以上もの昔から、男性が射精を遅らせたり、抑える事でマルチプル・オーガズム(以下MO)を味わうことができることが知られていました。西洋では長い間、射精とオーガズムは同一視されてきましたが、射精とオーガズムは2つの異なった物理的作用なのです。それにも拘らず、西洋では男性の性能力はつまらない射精ばかりに重点が置かれています。本書では、オーガズムと射精を分離し、「束の間の快感しか味わえない射精」を「数え切れないほどの全身オーガズム」に変える方法を紹介していきたいと思います。
男性がMOを体験できるという話は、大部分の人にとっては信じがたいことでしょう。しかし実は、女性がMOを体験でき、それが「普通」であると認知されたのはここ40年の話なのです。世の男性諸氏が自分達もその能力を持っている事に気づき、いくつかの簡単なテクニックを身につければ、ますます多くの男性がMOを体験できることでしょう。
では、なぜ多くの男性はMO体質となる能力を失ってしまうのでしょうか?その理由として、「多くの男性にとって射精の体験が余りに圧倒的なためにオーガズムの体験の記憶が覆い隠されてしまう。そして、オーガズムと射精の区別が付かなくなってしまう」ということが考えられます。
オーガズムが精神的・肉体的ともに「絶頂体験」であるのに対して、射精は単に脊柱の基部で起こる反射と精液の排出に過ぎません。訓練をつめば、あなたも射精反射を誘発することなくオーガズムを体験することを学べます。
プロのアスリートは射精の影響をよりよく知っているでしょうが、男性なら皆射精時の体力の消耗を経験していることでしょう。西洋では射精は男性の興奮が高まった末の避けられない結果であり、セックスの終わりであると考えられています。一方中国では、医師は射精を「小さな死」と呼んでいました。男性の快感の終わりであり、体力を消耗することからこう呼ばれているのです。