ネジの永井

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      あれは何年前だっただろう。たまに通る環七の陸橋の下に妙に目立つ看板があったのダ。
    ネジの永井と大書きされていて、文字の大きさがいつも気になって・・・・・・・


     でも、そうそうネジで困ることもないから訪れる機会もなかったんだ。あるとき必要に迫
    られてようやく行ったわけ。だいたいのネジ屋さんは小汚い引戸を開けると、すぐにカウン
    ターがあって、そこで注文するスタイルなんだけど、ここはすべてが違っていて驚いたの。

     まず、入口脇にウィンドー・ディスプレイが。今日はレンチとドライバーが展示されてい
    たけど、これは定期的に模様替えする。確か、最初に行ったときはスニーカーのような安全
    靴がずらりと並んでいたような。うーむ、それだけでもただのネジ屋ではないことは一目瞭
    然。で、中に入るとすべて開架式になっていてどんな商品でも手にとって見る事ができる。
    うーむ、すごいぞ、とね。思ったわけですよ。商品がネジだから、客が手にとったネジを別
    の場所に戻したりしたら、もう大変でしょ。たった一本だって間違えて渡したら信用問題だ
    し、もしそのネジを使って組み立てようとしてネジ山を壊したりしたら補償問題も発生しか
    ねない。だからふつうのネジ屋さんはネジを客に触らせたくないのだろう。思い過ごしかも
    しれないけど、私はそう考えるタチなんだからしかたない。

     商品受け渡しテーブル。客とあれこれの店主。永井っていうんだから永井さんなんだろ
    う。聞いた事あるかもしれないけど、すっかり忘れてる。奥には事務所があり、その手前左
    にはトイレがある。

     しばらく前から店頭にポスターが
     店主は合気道をやってるとのこと。うーむ、合気道とネジ、いずれもマジメということで
    は共通性を感じます。対応は常にニコヤカだけど、芯は通ってるんだろう。鍛錬しとるんだ
    ろう。そう言えばサンダンスさんの一人がトライアスロンをやってるけど雰囲気は似てい
    る。しなやかな筋肉、むろん贅肉はないのだろう。とはいえ男の身体にゃ興味はないから
    ね。あ〜そうかい、てなもんですけど。

    受け渡しテーブルの下も、ご覧のとおり。店内のどこにもプラケースはあるんだ。きっと、
    プラケースにはかなり精通してるんだろうなぁ。しかも、どんなちっちゃなとこにでもしっ
    かりと商品説明がされているから見事なもんですよ。

     横も、上にも商品がビッシリ。まったくムダな空間を寄せ付けない堅固な意思を感じる。

     膨大なネジやボルトですから、重量は相当なものでしょう。棚はスチールアングルの骨組
    みでしっかりしています。そして注目すべきは、ネジの棚の前に取り付けられている扉状の
    薄い商品パネル。むろん、左右にコロコロ移動します。

     下はアルミフラットバーがレールで、扉板下部の戸車という仕組み。右に見えるグレーの
    スポンジは戸当たりのクッションでしょう。

     そして上部はL金具に回転軸を取り付けたもので支えている。多分、この部分はいくつかの
    既存のパーツを組み合わせたものと見た。経済性、加工性などを考慮した優れたアイデアで
    はないか。このアイデアに至るまでには試行錯誤があったことは私の経験からいっても確か
    なこと。ローマは一日にしてならないのでアリマス。

     
     上部は扉パネルですが、下部もこのようになっている。この店はこと収納に関しては重層
    的で、奥行きのあるアイデアが満載。この収納も奥行きは極めて薄く通路の邪魔はしない。

     もう少し奥行きのある下部棚もある。2本のレールが床に固定されている。重量商品はここ
    に収納されるのだろう。上記の下部棚は一本レール、こちらは二本だからね。

     さらにこれ。これは比較的最近作ったんじゃないかな。木製棚にキャスター。軽量でかさ
    ばる商品用でしょう。

     主力商品はネジやボルトだけど、そこから派生するあらゆるジャンル(工具、研磨材、
    テープ、切断&ドリル刃、ロープやボンドなど)に目配りされた商品がズラリ。これらは
    きっとお客さんから問われ、ならばと次々と揃えていったのだろう。言ってみればネジを
    ベースにしたセレクトショップのようなものか。しかも、永井店主は、あらゆるものの配置
    を考え、隙き間なく商品で埋め尽くすのが好きなんだろうから(好きでなくちゃこうまで収
    納に執心はできませんて)、鬼に金棒ネジに釘(ネジに釘は単なる語呂合わせ)。だから、
    まさに、彼にとってこれを天職と呼んでもいいのかもしれない。

     当たり前だけど、長いボルトもあるのんじゃ。さらにアルミアングルも。ま、こんなこと
    は取り立てて紹介するほどのもんじゃない。店内を一見すれば、長いボルトなんぞ置いてな
    いわけがないことは誰にでもわかることだから。

     数回訪れた後にふと目にしたのがコレ
     写りがよくないけど、ちっちゃなガラス壜にカラーメッキされたこれまた極小のネジが綿
    に包まれてそっと封入されている。ネジ屋でありながらこんなもん作る洒落っ気に感心した
    んだ。面白がっていただければ、喜んでいただければそれでけっこう、ってなもんじゃろ
    う。これを見ていつかカラーメッキされたネジを使ってみたいもんだと思っちゃいるけどな
    かなかね。でも、そのうちきっと注文させていただきますよ。褌(ふんどし)引き締めて
    待ってらっしゃい。

     今回訪れたのは、スライドレールなる金具を板に取り付けるためのネジ探し。この金具は
    ドイツ製ですからネジだってもちろんドイツ製。そんじょそこらの店では相手にしてくれな
    いだろうなんてことは充分考えられる。だから、私は何も考えずにネジの永井に直行するの
    だ。
     これがスライドレールの取り付け穴。すごいでしょ。なんでこんなに穴が並んどるんだろ
    うか? 長い金具の前方と後方にこんな感じで穴が開いてる。友人に聞いたら、いろんな
    メーカーの要望に応えていった結果だとか。それぞれのメーカーはこの穴の中から自社に合
    う穴だけを使うわけだ。で、この穴に合うネジはというと、
     これなんです。丸頭で長さは12ミリで太さは4ミリ。丸頭の高さが高いと引出しの側板を
    こすっちゃうから低くなければならないし、細くなると緊結力が弱くなるし、長くなると板
    を突き抜けてしまう恐れがある。ちっちゃなもんだけど重要なものなのです。

     最初に対応していただいたのはいつもの若いスタッフ。若いに似合わずしっかり者なん
    だ。ほとんどの用事ならこの方で済むんだけど、ちょっと込み入ったリクエストになると永
    井店長に一日の長がある。今回も、最初に出してくれたネジは頭がちょっと大きかった(で
    も充分使えたと思うんだけど)けど、永井店長が出してくれたものは瓜二つ。やはり年齢に
    伴う経験値は数枚上だと言わずばなるまい。右がドイツ製、左が永井。

     ドイツの会社は自社製品のために専用のネジも作っているらしい。例えば、
     こんなもの。ずんぐりむっくりで頭はきわめて小さい。下穴を開けておいて締め付けるタ
    イプ。そして頭には定番の、
     いわゆるプラスネジなんだけど、さらに4本の溝が追加されている。だからねじ回しの方も
    8つの角がある。つまり、4つの溝で締めるより8つの溝のほうがしっかりと締まるだろうと
    いう発想。そりゃ確かに言えてる。言えてるけどな〜、そこまでやるかい。げに凄まじきゲ
    ルマン魂ってなもんで。

     で、結局今回のお買い上げはこれ。50本入りで500円ちょっとですから安いもんですよ。
    いつも思う事なんだけど、私が買うネジはせいぜいが数百円から高くても3000円程度。ネジ
    はとにかく安いからさ、これで商売が成り立っていることが不思議なんだ。たまに数本しか
    買わないときもあるけど、そんなときは領収書の方が高くつくんじゃないかって心配にな
    る。その領収書だって、商品数が膨大だからレシートが自動的になんて出来ない相談

     だからいつも手書きです。毎日こんな領収書がワンサと溜まることだろう。それを束にし
    て、片っ端から整理するんだろう。台帳に書き込んで商品の在庫を把握して、そろそろ仕入
    れておかないと足りなくなりそうだぞ、なんて会話が飛び交っているんじゃないのか。きっ
    とそれはたまに出て来る奥様?の担当なのか。いや、きっとそうなんだろう。仕事とはいえ
    アッシなんかにゃ到底できませんもん。まったく、大袈裟ではなく神業ですよ、これは。パ
    ソコン入力で整理するたって元はアナログ手書き領収書なんだからさ。レコードをCDに焼く
    ようなもんで、手間は半端じゃないでしょ。それとも、なんか必殺のアイテムがあるんだろ
    うか? さらに、こんな方の家の中はどうなっているのだろうか? とてつもなくキチンと
    整理されているのか紺屋の白袴といった態なのか? 私の妄想は膨れ上がりジャックと豆の
    木のように、天に昇るのダ。

     ネジに関する事なら、空振りに終わって手ぶらで帰ったことはいまだにない! 私が希望
    するもの、あるいは極めて近いものがすぐに出て来る。また、ネジ以外でも的確に近似商品
    を出していただける。場合によっては相談に乗ってくれもするんだ。しかもですよ、一個で
    も売ってくれるわけだから、私にとってはネジ類の最後の砦みたいなもの。言っちゃあなん
    だけど東急ハンズなんか目じゃない。比較するのもきわめて失礼、論外です。そんな店なの
    で、大量買いでもないし常連でもない私は訪れる時間にはそこそこ気は遣う。このテの店は
    午前中は出荷で忙しいもんだ。だから、よほどでない限り午後に行く。それぐらいの常識は
    わきまえていないと申し訳ないってもんです。

     行ったときにちょっと立ち話。このブログを読んでるとのことを知り、思わず穴ならぬビ
    スのプラケースに入ろうと思ってしまった。目の前でブログのことを話されるとどーにも恥
    ずかしい心が先に立ってしまう。技術大国ドイツのことなんかにも話しは及んだけど、ネジ
    で話しが盛り上がる相手なんかそうそういるはずもない。でも、私の友人T氏ならばきっと心
    ゆくまでネジ談義が叶うことだろうて。もしも、永井店主がお酒をたしなむ方ならば、ある
    いはウーロン茶でもけっこう・・・・・・・・・・一度お手合わせ願いたいもんだ。

    神は細部に宿る、もちろんネジにも・・・・・・・・・・・・の、店主でした。


    ごっこ遊び

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        前回の記事の途中で、キャスター付き収納の奥行きを2センチ小さくしなければならない
      ことを忘失したことが発覚。すでに組み上がっている箱を輪切り(四角だけど)切断せねば
      ならない。私の工房で切ろうと思ったけど、待てよ、デカイから揺れるな、学校の工房の工
      房に甘えちゃおう、ってことでアシスタントのI君の事前承諾をとり、行って切ったのが、お
      とついのこと。
       
       ご覧の通り、学校の昇降盤は大きいので箱を載せたってビクともしない。私の工房では機
      械が小さいので切断中に揺れるだろう、それが恐い、万一切り口に段差が出来たりしたら修
      正の腕はないから。できるだけ直角に箱は作ったけど、微妙な角度違いはあるに決まって
      る。それをよっこいしょと位置を変えながら切ると必ずどこかに多少の段差は発生する。ほ
      んのちょっとならカンナで修正できるけど1ミリ以上の違いとなると、かなり自信はない。な
      んせトウシロですから。
       おかげで、まあまあうまくいった。許容範囲の段差です。帰りにシトロエンの工場に寄り
      書類を渡そうと思ったんだけど昼休みでだ〜れもいないんだ。ま、いいか、と車に乗り込も
      うとしたときにスガツネのカタログを思い出す。こりゃマズイでっせ。この収納に使うキャ
      スターはスガツネ工業の製品で、三冊のカタログのキャスターの部分だけが見当たらず、し
      かもカタログが古いので新しいのをもらわなくてはならないと思って家を出たけど、忘れて
      いる。もらえるのはショールーム、学校から近いので寄ればよかったんだけど、我が身はす
      でに家に近づいているから、引き返すのはしゃくにさわる。でも、注文しないと遅れてしま
      う。だから、今日もらわないとマズイのですよ。
       やむなく引き返し、厚い三冊のカタログを二部づつもらって、一部は学校に寄付するため
      に再度学校に行くと、知人がいて(輪切りのときもいたんだけど)ちょうど話しもあったか
      ら(帰路の車中で話しがあったことを思い出したんだけど)隣りの喫茶店で話し込む。着席
      と同時にタバコを忘れたか?と思ったら、すでにテーブル上にあるんだ。それを見る知人は
      「大丈夫かいな?」というアリアリの表情。すぐにタバコを出しておいて、出しておいたこ
      もすぐに忘れる。老人力発揮の現場を見られて恥ずかしいようなきまりが悪いような。かな
      り話し込んで、別れて帰る車中で話をするんなら散歩しながらお花見しながらのほうがヨ
      カッタなぁ〜と思い付くもすでに遅し。学校の近くには桜の名所がいっぱいありますから
      ね。この時節、なにも喫茶店なんかで話さなくても、と思うものの後の祭りってやつです
      よ。ああ、絶好の機会を逃してしまった。桜満開の今だけど花見はしてない。ごめんねA
      さん。カンベンな。
       なんだか、ありとあらゆること瞬時に忘却の彼方に飛び過ぎて行く。どんどん忘れて行き
      それをカバーするためにあたふたしている。恐いっていうより喜劇ですよ、これは。そのう
      ち、忘れることが行動の前に来てしまい一歩も動けないなんてことになるんじゃないか。こ
      れじゃ、まるでガマガエルじゃないか。
       そんな店主でもここ数日は収納作りに精を出している。朝は8:00に起き出してパン朝食を
      食べて地下にこもり作業にとりかかる。
       箱本体は出来あがり、そこにこのような引き出し用の金具が取り付けられるという案配。
      この金具は4段
       引き出しの箱加工も終わり
       ちょっと組んでみる。ちょっとキツかったか? と思わないでもないけど、とりあえずい
      いんじゃないか
       こんなふうに一見まじめに仕事してるんだけど、今朝シャワーを浴びてるときにふと思っ
      たんだ。こりゃ「ごっこ」だな。今回は「職人ごっこ」だな、ってね。「ごっこ」を調べて
      みると『或る物事のまねをする遊戯にいう』とある。例として鬼ごっこや電車ごっこが紹介
      されてた。朝も早よから職人のまねっこですかい。でも、ごっこは遊びですから長続きはし
      ないもんです。だから職人ごっこもず〜っとというわけにはゆきません。今で言うならさし
      ずめ「プレイ」ですかね。職人プレイ。なんか怪しい感じがいい。それに気が付くと今まで
      の私の人生ぜ〜んぶが「ごっこ」だなと腑に落ちたワケ。先生ごっこ(これも相当怪しいけ
      ど)、結婚ごっこに親子ごっこ、仕事ならデザインごっこかい。こりゃいいや。当たって
      る。それもかなりのズバリ。音楽好きだから、その場合は音楽ごっこかいな。オーディオ
      ごっこに老人ごっこ。なんにでも当てはまり私の気持ちと一致して気持ちいい。
       ナルホドね。私はごっこフェチであったわけだ。そんなら誰にも負けませんよ。ごっこの
      プロと自慢出来る。人生遊びじゃい! それの何が悪い!! ♬ちっちゃなときから ちっ
      ちゃくて〜〜〜〜〜、今もごっこ三昧で時を過ごす。そう思えば気が楽、なかなかの発見と
      自画自賛。友達ごっこに恋人ごっこ。遊びだからといいかげんにすることはない、マジメ
      にごっこするんだい! 相手の心を最大限に思いやり、最高級の気遣いに包まれた完璧な
      ごっこには自信満々。こんなこと楽しめる相手には至福のひとときを差し上げましょう。ほ
      んのちょっぴりの不快不満も与えることはないっす。こちとらごっこのプロですからね。完
      全無欠なごっこ遊び。楽しすぎ面白すぎてデイトが終わらないことを願う二人。これぞ垂直
      の大騒ぎの真骨頂。なんか調子に乗ってるな。でも、そう考えると神様のごっことも言える
      かも。カッコイイじゃないっすか。私も神ならあなたも神、同じ神なら遊ばにゃ損損。♬
      ごっこしましょう ごっこしてぇ〜〜〜〜、ってね。
       もしも、いつか私に恋が芽生えたとしたら、私は銀座松屋一階にある竹の杖を買いましょ
      う。その杖をついて歩きながら脇には女性が支えながら歩くことでしょう。脚は悪くないけ
      ど杖をつく。これならだれも不審な目で見ることはないし、ごっこを楽しむ両人もいたって
      満足なひとときを過ごせるでしょう。いいな〜、これ。やってみたいな〜、こんなこと。
      昔、左卜伝が脚も悪くもないのに松葉杖ついて撮影所に来たことがあったけど、私もついに
      それができるようになったのか、と感涙にむせび泣く。♬あ〜りが〜あたや ありがたや〜
      さてと、職人ごっこに戻ろうかい・・・・・・・・・・・・の、店主でした。

      キャッチコピーも天才的

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          ナンシー関が急逝してもう11年になるのか。早いもんだよなぁ。疾風のように現れて、疾
        風のように去って行く・・・・・ほんにあんたは月光仮面のようだったのし。Wikipediaで調
        べればわかることはそっちに任せるとして、今生きてれば51才なんだね。実に惜しい人を亡
        くしたと思わざるを得ませんのし。今、なぜナンシー関なんだ。数日前に本を書棚に戻そう
        としたときにたまたま目にし。ふと、手にしたらやめられなくなって。よくあるでしょ、そ
        ういうこと。

         でパラパラとめくってみたら、なんだ、目次だけでも充分面白いじゃんか。消しゴム版画
        も凄かった(山藤章二も認めてたから)けど、筆も立つしキャッチコピーのセンスも抜群。
        TV批評の三冠王みたいな感じ。書棚には、ナンシー関リターンズと聞いて極楽と何をいまさ
        らと文庫2冊があり。扱うのは旬の人物ばっかりだったから若い人は知らないかもしれない。
        けど、私にとっては無性に面白くって大なる影響も受けたから、書いておきたいと思ったわ
        けだ。

        「なにがどうして」テレビ地獄篇
        「大人になった」安達祐実につきまとう「不吉な予感」
        松たか子「紅白出場」が森口博子に思い知らせたたたきあげあげの限界
        大女・素子ちゃん、バカ女レポーターはあんたの役回りじゃない
        単純すぎる欠点が先送りする「鶴瓶はおもしろいのか」の判断
        森口博子以上にやっかいかも、新手の頑張り屋鈴木紗里奈
        初老の空間においてのみ機能する、若者代表としての山瀬まみ
        マイ・リトル・ラバー」だぁ? 人前でよく名乗れるな

         ほかにもいっぱいあるんだけど、私が選んだのはこの8っこ。私の一押しは森口博子。こ
        れらにはもちろん面白すぎる文章が添えられている(っていうか、そっちがメインなんだけ
        どさ)

        同書の・・・・・CM煉獄篇
        本当にぶっちゃけてしまった中井貴恵CM 顔のシワ
        20年我慢したんだ言わせてくれ。桃井かおりよ、ふつうに喋れ
        無言の否定が生んだ悲劇 華原朋美の「ひゅ〜ひゅ〜」における私たちの責任
        外したな。やりすぎだ。カッコいい竹野内豊カゼ薬CM
        三浦友和「洋服の青山」のCMは容赦なく哀しい

        「何をいまさら」この人を見よ
        松井秀喜  マグロ漁帰りの「救世主」
        鈴木保奈美 「余力無き」女優
        相原勇   「無邪気」という名の確信犯
        高嶋政伸  顔面「ぬいぐるみ」状態
        国生さゆり 長渕剛教の声高な「巫女」
        田中義剛  「訛り」だけで食っている男

         松井秀喜と清原和博はいずれも超高校級と言われた。体力技術もさることながら「絶対年
        ごまかしてる」という点でも。清原はお母さんのお腹の中に5年はいたと感じ、松井は人生の
        どこかに空白の年月があり、その空白の何年間はきっと遠洋漁業のマグロ船に乗っていたと
        喝破している。いや、喝破っちゅうほどじゃないけど、その、まぁ、なんというか目の付け
        どころとか妄想の素晴らしさがスバラシイ。ああ、あたしにもこんな着想力が欲しいもん
        だ。

         そして高嶋政伸にも触れなければならない。彼の共通相手は沢口靖子。『しかし、高嶋と
        沢口は生身の人間であるのに、演技がぬいぐるみなのだ。まず、沢口靖子。この人の方が純
        粋にぬいぐるみ的である。もう、ぬいぐるみそのものと言っていい。本当に顔の横でコブシ
        を動かして怒っている演技を見たこともある。沢口靖子の場合、実際に身体の末端まで神経
        が通っていないのではないかという「鈍さ」を感じさせるところがポイントだろう。ジャイ
        アント馬場に関してよく言われる「誰かが馬場の中に入っている」と似ているが、沢口靖子
        も何か一枚着ているような感じだ。すごく通気性が悪くて遮断性の高いものを着ている。そ
        う考えれば彼女の一挙手一投足がぬいぐるみ然としてしまうのも納得できよう。』

         同書の解説は群ようこ。『嘘か本当か知らないが、沢口靖子が外国で、日本のお姫様の姿
        で、パーティ会場の入口に立っていた。ある外国人は彼女のことをお人形だと思い込んでい
        て、「そばにいったら、動いたんでびっくりした」といった話しを聞いたことがあり、その
        お人形性と相俟って深く納得した』とある。話しは、高嶋よりも沢口靖子になってしまった
        けど、そのぬいぐるみ性は高嶋は顔だけに対し沢口靖子は全身だからいたしかたない。

         以前。文字で爆笑はムズカシイと言ったけど、アタシャこれを読んで突発的に声を上げて
        笑ってしまった。特に沢口靖子に。言い得て妙なんてもんじゃない、感心するなんてレベル
        じゃない、本質をズバリと言い当てるセンスなんてものは天才と呼ぶにふさわしい。今さら
        ながら希有な人を亡くしたもんだ。

        最後に「ナンシー関 リターンズ」から紹介
        「えらいすんまへん、わし今酔うてます」
         87年10月22日 TBS「新悟のお待ちどうさま」にて。木曜レギュラーのやすしは、3日後の
        競艇日本選手権に向けて減量のため、10日間酒しか飲んでいない、という状態での生出演。

        『笑った。出て来た瞬間から千鳥足。しかし、冒頭、カメラ・客席に向かってこう頭を下げ
        られると仕方ない。この言葉に続けて「しかし、絶対勝ちます」。後半に「芸人に常識を求
        めるな」。終わりに「今日はすんまへん」。番組45分中、本当にこれだけしか喋らず。正味
        の話』

         なんと暖かい視線なんだ。やすしのことは認めてて好意も持っていることが言葉のはしば
        しから伺える。考えてみるまでもなく最後の漫才師であり、しかも天才的であったやすし。
        片やきよしはいかにも俗物性丸出しで、こと漫才においてはやすしの足元にも及ばない。そ
        んなことは誰でもわかることだけど、どうもきよしはわかっていないようだ。両者の違い
        が。ま、私は関東だから関西のことをとやかく言えないけど。

         こんなナンシー関だけど、なんたってその時々のことでしかなかったから忘れ去られるの
        も早い。旬の魚の味が後に残らないのと同じように。言ってみれば料理みたいなものか。そ
        の瞬間は美味しさが実感するけど、それはあくまでもそのときだけのもので後に残るものは
        なにもない。料理、演劇、Jazz、バレエなどライブでしか味わえないものなのでしょう。し
        かし、もっと俯瞰して見てみれば人生だって人類だって国家だって地球だって宇宙の歴史か
        らみればほんの一瞬の出来事なんだから、時の長短なんていったところでなんぼのもんでも
        ないのとちゃいますか?

        ワテを評して欲しかった・・・・・・・・・・の、店主でしたのし。


        授業=個人商店説?

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            昨日、長く講師をしている専門学校の今年度の全体講師会に行ってまいりやした。すべて
          の講師が参加して学校全体の方針説明や新人事の発表、さらに各科に別れての分科会が目
          的。まずは、学校長の挨拶。今年で東京デザイナー学院は50周年、私が14才のときに誕生し
          たことを知り、ふ〜ん。一浪してから私が入学したときは創立後5年目だったの・・・・ふ〜
          ん。今の学生はもちろん生まれてはいない年代のこと、に、しばし思いを馳せ、思わず涙が
          にじむ。なんてことは、あるわきゃナイナイ。

           その前に、喫煙所で懇意にしているK先生と雑談。この方デッサン担当なんだけど、今昔の
          学生気質の違いに慨嘆するわけ。授業の内容は違うけど、アタイも同意できることが多々あ
          るから話しは尽きない。その中で、昔講師をしていた青木先生の話になったわけ。当時の
          デッサンの先生方はかなり個性的というか豪傑というか。例えば、荒木先生のデカパイを飲
          んだ席でむんずと掴んでしまった先生(名前失念)とか、モチーフの石膏像を床に落として
          粉々になったのを丹念に完全修復してしまった和田先生とか。その中でも希有の存在だった
          のが青木さん。元プロボクサーだったから小柄だけど引き締まった見事な身体をしていたけ
          ど、水道橋のマックでハンバーガーを食べていたときに、出席簿を持ち出してしまったこと
          に気が付いて戻しに行くという。そこで、ちょっとタイムを計ってくれと。水道橋のマック
          (今もあります)からお茶の水本校までひとっ走り。途中に有名な急坂があるけど、これを
          二分そこそこで往復したんだ、と。

           帰ってきたら顔色は青かった。そりゃそうだろう。けっこうな距離もあるし急坂もあるか
          らね。わかる人はわかっていただけるだろう、凄さが。この青木さんの別な話、犬事件。
          デッサンの授業に愛犬を連れてきてしまったわけだ。その犬は当然のようにデッサンの教室
          内をウロつきまわる。「犬を嫌がるんだよね」「なんでだろう?」と怪訝顔の青木サン。
          うーむ、こりゃ大物でっせ。絵を描いてる学生に濡れた鼻っ先を突き出されりゃ誰だって戸
          惑いますって。結局、職員室に繋いで授業は無事終わったんだけど、こんな先生はけっこう
          いたわけだ。時代が違うって云われればそれまでだけど、デザインの学校なんだからそんな
          風変わりな先生がいても不思議じゃないと思う店主は、いまの学校はすべてに個性が感じら
          れないことに淋しさを覚えるんだ。

           学校長の話しの要点は「自信」。学生に自信を持たせてほしい、と。うむ、それは私も同
          感。で、と耳をそばだてていると、そのためには「挨拶」を励行してほしい。なんだ、そう
          いうことか。もっと、なにかあるかと思ったけど、挨拶なのか。海千山千の講師に挨拶って
          いうのはどうなんだろう。教育の場で学生に自信を持たせるための秘策、を期待していた私
          の心はしぼんでしまう。期待は少しだけ裏切られ、少しだけ心に傷がつく。彼は、専任だっ
          たころの上司でもあったから人柄や頭の切れ味もわかっているから、過大な期待はしてな
          かったけど、それにしたってもうちょっとあるんじゃないか・・・・・・・・。

           そして分科会。いつも思う事なんだけど、それぞれの授業はそれぞれの先生が営む個人経
          営の商店みたいなもの。それらがズラ〜と並んでいる商店街が学校の授業だと思ているん
          だ。商店街にはとりまとめるための会長がいて、それが学校長ではないでしょうか。個人商
          店の集まりだから、他の授業にあれこれ口を出す事なんかできません。八百屋さんが魚屋さ
          んに聞かれもしないのに「お宅の刺身の盛りつけはこうしたほうがいいんじゃないか」なん
          てことが言えないようにね。でも、同じ専攻内ならばある程度のことは打ち合わせなきゃな
          りません。できるだけ重複しないような課題にするとか、材料は環境に合ったものを選び、
          しかも多彩なもののほうが学生の資質を引き出すチャンスが多くなるでしょう。そんなこん
          なを話し合うんだけど、なかなかこれがムズカシイ。言っとくけど、これはなにも東デだけ
          のことじゃなくってどこの学校だって大同小異じゃないでしょうか。ひょっとすると企業も
          そうなのかもしれません。

           なんたって個人商店だから、自説を固持しがちになります。また、私もそうだけど自分の
          得意手法でしか授業運営できないし、他人のアドバイスになかなか耳を傾けることができな
          い。さらに、私の授業はトイとファニチャーという異なる専攻のミックスクラスだから両方
          の学生のためになる課題設定はそれなりのノウハウやら知恵を絞らないと誰のための授業か
          わからなくなってしまう。先生の自己満足で終わってしまうなんて最悪な事態は避けなけれ
          ばなりません。教師の能力は授業運営を円滑に行い、すべての学生に大なる満足感を与え、
          しかも多くのことを学ばせて、就職してからの役に立つものでなければなりません。そのた
          めの第一歩はどんな課題にするかであることは間違いのないことだと思う。それが端的に現
          れるのが課題名だと信じている店主。だから毎年、授業にあたってはそのことに知恵を絞り
          計画を立てます。

           とはいえ、それはあくまでも私だけの考えかもしれない。なぜかといえば、それが他の先
          生に理解されることははなはだ少ないから。こっちも、個人商店の思いがあるから声高に発
          言することはできないし。そういったあれこれを指令できるのは学校なら学校長だし、学科
          なら学科長でしかないことはわかってる。講師の経験年や年齢が高いからといって自説を布
          教することなんかできるわけがありません。そんなとき思うのは、私の力量以上の授業はで
          きないし、学科は学科長の力量以上のものにはならないないし、学校は学校長以上のものに
          はならないってこと。自分の資質以上の人生は歩めないってことにも通じる古今不変の理論
          です。何事にも限界はあるってことですよ。無限の可能性もあるけど、それを疎外する無限
          の限界も存在するってことですよ。問題は、疎外する無限の限界をどうやって崩すかってこ
          とじゃないっすか。

           そして思うんだ。自分の限界は自分に大きな影響を及ぼす存在からのアドバイスや刺激が
          ないと崩すことができないことを。もっとも大きな影響ってなんだろう? 死かもしれない
          し別れかもしれないし。恋人かもしれないし家族かもしれないし友人かもしれない。天変地
          異かもしれません。だけど、震災による原発事故という大なる影響を受けたって日本は原発
          の代替え手段を講じる方向性を打ち出さないことを見てもわかるとおりに、原発事故でさえ
          日本政府には大したことじゃない影響だったってことです。むろん、これは個人のレベルや
          学校のレベルでも言えることです。影響を受けるには、影響を与える存在(や事件)に対す
          る尊敬やら敬愛やらとにかく相手を見る「目」がないと、存在がいくら巨大でも崇高でも正
          しくとも影響を受けることはできない。

           「目」は、生まれ持っている人もいるし、経験や教養で養われることもあるだろう。この
          人からもたらされる情報は信じてみよう、この人の言うことなら耳を傾けよう、このデザイ
          ナーの作品なら理解しようと努めよう、この作曲家ならとことん掘り下げてみよう。ま、こ
          ういうこと。それは、ふだんの生活でも、学校の授業でも、仕事でも趣味でも、恋人でも同
          じことじゃないかと思うんですよ。こんな「目」を持っていないひと養われていないひとに
          何を言ったところでノレンに腕押し牛の耳に念仏でしかない。それが私の心に居座っている
          から、これは! と思う人にしか深い心のたけは言いません。それなりの人にはそれなりの
          対応しかしないけど、踏み込んでくる人には出来る限りの対応はしまっせ。ひねた老人だけ
          ど心は開いているつもりだから。とはいえ、なかなかね、いないんですよ。ドアをノックし
          たり、開いた扉から一歩踏み込む人が。

          何事によらず、ノックしないと扉は開かれないのダ・・・・・・・・の、店主でした。


          村越クン!

          0
              私の家の真ん前の家からキャスター付き収納家具を頼まれてしまいました。あぁ、そうい
            えばこういうモノ作ってもらえるかな? たまたま前の道路で顔を合わせたときに、そうい
            われてしまって。その彼、店主よりも2才ほど年上なんだけど「村越クン」て呼ぶんだ。い
            つも講師をしている学校では先生だしそれ以外なら村越サンが普通だから「クン」はとって
            も新鮮。まるで小学生に戻ったような気がして懐かしいような不思議な気持ちがウレシイわ
            け。だから、とっさに出来ますよ、上手じゃないけど、と答えてしまって、じゃお願いしま
            すということになったの。
             何度も云うけど、私は決して作るのは上手ではありません。素人に毛のはえた程度でしょ
            う。それを充分に自覚していますからいつも「上手じゃないけど」という言葉が出てしまい
            ます。頼まれ仕事は、なんらか相手はイメージを持っている。これが、緊張の素になるわけ
            で、自分オリジナル作品とは段違いなんだ。年齢とともにこの緊張がいたく苦痛になり始め
            て、だから正直なところあまり気乗りはしないのです。だけど「村越クン」と呼ばれてはや
            らないわけにはゆきません。私は、そういう人間ですから。
             下手だからプロとは違います。先日、この収納のベニヤを張るために知り合いのサンダン
            スさんのプレス機をお借りしたんだけど、そのときにボンド付けの手技を見せられて、こ
            りゃぜんぜん違うわいと思ったんだ。早さ、手際のよさ、ボンドの量、ローラーの後処理す
            べてにわたって圧倒的な違いを思い知ったのです。ボンドを付けるだけでこの違いなんだか
            ら工具や機械、加工のノウハウなんかもっともっと違うんだろう。まったく舌をまく素晴ら
            しさ。でも、そんな私でも作らなければならない状況になったので、プロに伍しての仕事と
            はどんなもんだろうって考えざるを得ないっちゅうもんですばい。ま、技術じゃ太刀打ちで
            きないことはわかってる。だったら何で補うのか?
             図面を描き、材料を計算して見積り金額を出して、模型を作る。ここまでは家具を作るん
            なら当たり前のことだから誰でもおんなじだろう。
             実物模型を作り、相手の家に持ち運んで不具合がないかどうか確認してもらう。以前のY
            テーブルに比べたらこんな大きさは簡単なもんです。技術もないしノウハウもないことを補
            うためにはどうするか。結局、注文を決定するまでにお客さんの不安を解消し、不具合やイ
            メージの違いをなくすことぐらいしか知恵は出ないのです。
             お客さんのテーブル下に収まるから、高さ・幅・奥行きを確認したいのが人情というも
            の。それと、キャスターの種類をどうしようかも話し合わなければならない。前後だけ動く
            のか360度動くタイプなのか。相手は専門知識がないから、実物を見ていただくのが一番で
            すからね。で、奥行きを20ミリ短くすることになったの。で、そのことを今思い出したの。
            20ミリ小さくしないで作ってしまったぜ!!マジで、どうしよう・・・・・・。箱は出来
            ちゃったし・・・・・・・・・。なんてこったい、ブログを書いてる途中で思い出すなん
            て。そりゃ、思い出さないよりはいいことは確かなんだけど・・・・・・・・。こりゃ、エ
            イヤっと箱を切断、大外科手術にチャレンジするっきゃないかぁ。ああ〜〜〜〜〜物忘れの
            老人力が悩ましい。
             こんな感じで箱は出来つつある。これは、裏面。書きながら頭の中は手術方法で迷走して
            るんだ。書いてる場合じゃない、と思うけどボンドが乾くまで手が出せない。切ないのう。
             ブログを書く時はおおよそこんな感じで、と、全体をイメージし落としどころを決めてか
            らにするんだけど。今回は途中でアクシデントが発生したんでイメージは霧散してしまい、
            ここからどう書き進めるか・・・・・心は千々に乱れて、思い出せない。困ったなぁ。気を
            取り直せないなぁ。まずは、一服。冷静になって考えようょ、村越クン。
             ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
            ・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・・
            ・・・・・・・・・・・・・・・・店を閉めて、新聞を取りに行き、夕飯の支度にとりかか
            る。今夜はカレーですばい。ご飯はないからお米を水に浸して、食器を洗い、友人からの
            メールに返事を出して、気分を取り戻すのも大変なんですから。ミスの実況中継で失礼した
            けど、落ち込んでいるわけじゃない。どんな仕事だって失敗はつきものだし、今までの経験
            でミスへの対応力はそこそこあるから。それに、己の老人力アップを日に日に実感してる
            し。ただ、ちょっと気が動転したってこと。対応策はひとつしかないし、それもメドがつい
            てるから大丈夫。多分?
             そうこうしていたら思い出しました。今記事の落としどころが。店主は2年間だけ会社勤務
            してたんだけど、そこはテントや看板を考えて作るとこ。家具とはかなり離れている業種だ
            けど多くの事を学ばしていただきました。当時は、ラブホテル全盛って感じでいろんな現場
            に行ったけど、五反田にあるエール・フランスという6階建てのラブホの責任者になったの
            です。学校じゃ木工しかやらなかったけど、ここでは金属加工がメインですから数えきれな
            いほどの失敗がありました。うまく行った現場はいまだに思い出せない。で、そのエールフ
            ランスなんだけど、各階2室あるから全部で12室。その全部屋の金属加工すべてを私の会社
            が請け負ったの。一番驚いたのはステンレスの浴槽。底が四角に抜けている穴があいてるん
            です。ここにガラスをはめ込み、さらに下に鏡を斜めに取り付けて、女性の入浴を男性が隣
            室のベッドから目の保養って案配。SMの部屋もあったりで面白かったんだけどね。
             ステンの浴槽なんて作れるの? と思っていたら社長が手配してスンナリ出来上がってき
            たのにはビックリしました。既製品に穴を開けたわけじゃなく、特注ですからね。何も知ら
            ない私は驚いたわけです。この浴槽も失敗したけど、強気で乗り切って、各部屋も失敗続出
            したけど、なんとかなった。何もしらないし、誰も教えてくれない、まことに頼りない責任
            者だけど、今考えると失敗したってしょうがないじゃんって思える。学びながらどんどん仕
            事をしてゆかなくちゃならない、あらゆることが後になって気が付く始末だから。現に社長
            だって失敗を叱責することはなかったしね。そりゃ誰だってわかるようなひどい失敗には
            怒ったことがあったけど。しかたない失敗には怒ることはなかった。そういう点じゃ良い会
            社でした。
             なんとかなったけど、なんともならないのが納期。間に合わないんですよ。どう考えて
            も。そこで、社長は私に指示したんです。悪いけど、村越君、これからは現場の前にトラッ
            クを停めてそこに泊まり込んでくれ、と。ホテルのオープンに間に合わないことはどうしよ
            うもないけど、誠意を見せようって戦法を決断したのです。どっちにしろ間に合わないペナ
            ルティ(お金です)は発生するんだけど、それを少しでも減額するべく情に訴えようとする
            のです。一生懸命にやっている姿を見せればクライアントだっていささかの同情の心を持つ
            んじゃないか。ペナルティを払うことは覚悟してるけど、それをただ黙って待つんじゃなく
            何か行動を起こして打開策を講じることに私は感心したんです。
             そうか、一生懸命真面目にやれば少々のミスには目をつぶってもらえるかもしれないの
            ね。下手でも失敗しても最後のさいごは一生懸命というドンクサイことに行き着くんだ。そ
            の心さえ忘れなければ世の中なんとかなるもんだ。そのことを教えられた貴重な体験だった
            んです。一生懸命やったってなんともならないことはあるだろうけど、だからといって最
            初っからイイカゲンな気持ちでやっていたんじゃ人の心の奥底にある情を引っ張りだすこと
            はできません。それが仕事の根本原理だと思うのです。こんなヒネた店主だって、心の中
            じゃけっこう誠心誠意なんですぞ。おちゃらけてエロ連発していたって心の井戸の底には澄
            み切った清水があるんです。それも蒸発したり地下にしみ込んだりして残りわずか。味見す
            るんなら今のうちだよ。美味しいよ、きっと。だから今回の失敗も、不真面目な仕事の結果
            というわけではないし、一生懸命な結果なんだからそれはしかたない。打開策もあるからさ
            ほど落ち込むってわけではないのです。
             それが私の心の核心だから、人を利用する人にはホント心の底から嫌気が差してしまいま
            す。たとえ、それがその人自身気が付かないうちでのことだとしても。人を利用することと
            誠心誠意とは真逆の心ですから。私は人を利用することが一番嫌いなことだから、身近には
            居ないでほしいと思っちゃいるけど、仕事の付き合いもあってなかなかそうもゆかず、実に
            不快で顔を合わせるのもイヤ。愛想笑いも引きつるんだ。世の中ままならないもんです。人
            を利用するテクニックもレベルがあり高度であれば気が付くのが遅くなって、気が付いた時
            のがっかり度や落胆度(同じやん)や自分の鈍さや愚かさなどがいっぺんにドサッと心に落
            ちて来るから立ち直るのに時間がかかります。人を利用することに比べたらエロ味充満とか
            下ネタ連発とか顔かたちがどうこうなんてホントに些細なことです。つくづく、マジにそう
            思うんです。そうじゃないっすか?
            いろいろあったけど、なんとか・・・・・・・・・・の、店主でした。

            ジュリエッタ・マシーナ讚

            0
               役名 エリザベス・コーディ、演じるはアレックス・キングストンなる女性。現在、
              WOWOWで午後六時から無料放映されているアメリカの救急治療室の再現ドラマは、現地で
              も日本でも一時話題になった。その再放送は第5クール。を、私は毎日観ている。なんたっ
              て月曜から金曜毎日だからちゃんと消化しないと録画がどんどん溜まってしまう。否が応で
              も観なくてはならないのダ。で、このエリザベス。イギリスから渡って来た外科研修医とい
              う役どころなんだけど、肉感的で自立強気なところがいたく気に入ってるわけ。

               これは「仮装」の中のワンシーン。シカゴにあるこの病院、ハロウィンの日は看護婦も医
              者も仮装を楽しむんだ。そのことにもちょっと驚いたけどさ。病院でありながら奇妙な扮装
              で働くスタッフにね。文化の違いといえばそれまでだけど、その時々を楽しもうという心が
              眩しい。イギリスといえば「世界の性革命紀行」で堂々六番目にリストアップされている国
              です。曰く「性的冒険家の憂鬱」の国と題された一文は、こう。

              『ピルはまた、欧米の多くの国でそうであるのと同じように、イギリスの少女たちを早熟に
              した。イギリスFPA(家族計画協会)で見せられた資料のひとつによると、十四才以下の少女
              の三分の一がセックスを経験しているという。イギリスでは女子の十六才(男子は十四才)
              を同意年齢(エイジ・オブ・コンセント)といって、その年齢に達した子がセックスした場
              合には、同意のうえしたものと法律的にみなされる。つまり、女子の場合十六才がセックス
              に責任がとれる年齢と決められている。これを逆にいうと、男性は十六才以下の少女と性交
              渉を持つことができない。とても十六才には見えない娼婦を買ってしまったような特殊な
              ケースを別にして、最高刑は禁固二年である。
               この国の性教育、とくに学校での避妊教育に消極的な理由はここにある。十六才以下の少
              女にはセックスの機会がないはずなのに、なぜ避妊を教える必要があるのか、というのだ。
              そんな立て前論を大人が振り回している間に、現実のほうはどんどん先へ行って、少女たち
              の妊娠、堕胎がおびただしくふえはじめた。そこで、というのか、このあたりが一方で立て
              前を維持しながら他方で現実に対応するのも巧みなイギリス人らしいところだが、政府通達
              によって十六才以下でも医師の処方箋があればピルを渡すことにした。
               となるとこれは、少女がベッドへ行くことの安全を政府が保証したようなもので、十六才
              どころか十四才の30%までが火遊びに参加してきたのである』

               この本はおよそ30年前に出版されているけど、今も状況は変わらないだろう(むしろ、
              もっと若年化しているのではないか)。さらに、興味ある一節。なぜ、日本ではピルが一般
              化しないのかということ。セックスの現場から遠のいて幾星霜の店主ですから、現在のピル
              状況はしかと認識出来てはいないけど普及率が伸びているニュースはとんと聞こえない。だ
              から今でもコンドームが愛用されているんじゃないか。ピルを使えばセックスは四畳半の密
              室からスポーツと変わり、それを受け入れられない日本人はコンドームをまるで化粧品かア
              クセサリーのように手を加えるのではないか、と。海外で日本のコンドームのようなタイプ
              を見かける事はほとんどない。らしいのだ。

               で、エリザベス嬢。開業医である父親に「大丈夫よ、わたしは付き合う男で変わるような
              女じゃないから」と言うのですよ。こういう強気な言葉にはあっさりコロリの店主。同僚の
              黒人男性に「こんな職場じゃ恋人を作るチャンスない。それはあなたもわたしも同じで
              しょ。今を楽しみたくない? だから・・・・・・いいでしょ?」と迫るのだ。子供はいる
              けど結婚はしてない恋にオクテの外科研修医の黒人はタジタジ。結局、寄りにあがらえず付
              き合うことになって蜜月の時を過ごす。しかし、ずいぶんして「もともとあなたとわたしの
              間には恋人としての問題が山積みだし、もう2週間もデートしてないから実質別れたもおな
              じこと。だから、はっきりと別れましょう」とあっさりきっぱり宣告する。あっけにとられ
              る黒人研修医、さっぱり顔のエリザベス。いや、まっこといいんであります。

               じゃ、そういう女性がイイのかと言うとそんなことァないんだ。柱の陰でひっそりタイプ
               VS どうよ!と胸張り迫るタイプ。私が憧れるタイプと合うタイプは違う! 断じて違いま
              す!! 私の場合は。なんたってこの身で試して実証済みですからね。胸張り迫るタイプは
              疲れるから長続きはしない、ひっそりタイプは物足りないけど付き合うストレスはこれと
              いってないから長続きするわけ。でも、なぜか性懲りもなく胸張り迫るタイプに憧れるこの
              心は一体なんなのだろう・・・・・か。毎日食べるお米に飽いてイタリアンを食べたくなる
              ようなものなのだろう・・・・・か。今の時代、男性は草食系といわれ強い女性がもてはや
              されているようだけど、両人がそれでよければ何も言うことはない。でも、でも、真の心は
              どうなんだ、男性諸君よ。わたしはそこんとこを聞きたい。


               じゃ、柱の陰の代表は誰かっていうと、映画「道」のジェルソミーナを演じたジュリエッ
              タ・マシーナにとどめを刺す。云っとくけどジュリエッタ・マシーナ本人がいいというわけ
              じゃなく、あくまでもジェルソミーナを演じているジュリエッタがいいということで、ここ
              んとこ間違えないでほしい。

               ネット画像だからボケボケだけど。映画冒頭で登場した扮装。背負っているのは竹のよう
              なものを束ねたモノ。ちょっと知恵遅れだけども、大道芸人に買われた姉が亡くなったので
              妹を買いにきて、海辺で遊んでいた彼女が呼ばれて。大枚なお金と引き換えになにやらわか
              らないままにボロバイクで連れ去られ物語は始まる。

               行く先々の道ばたで大道芸を演じいくばくかのお金を稼ぐ。夕食のレストランで皿をパン
              でなめるようにこすり取り食べた後に一瞬こんな表情。この居酒屋、テーブルには安っぽい
              紙がクロスの代わりに敷いてあるけど、片付け終わった後に店主がバサ〜っと紙を丸めるこ
              とにも感動しました。なぜか。

               左は暴れん坊で無学な肉体派芸人のダンナ。演じるは、アンソニー・クイン。まさにうっ
              てつけです。それを見つめるジェルソミーナ。瞳が輝いています。まさに絶品の顔立ち。も
              うホントに・・・・・・・・・・大大大大大好きなんです。

               この映画を観たのは20代前半でしたけど、観終わった後しばらく椅子から立ち上がれな
              かったことをハッキリと覚えている。それほどカンドーしたのどす。世の中にこんな素晴ら
              しい女性がいたんだ、と。短足タレ尻も、顔かたちも、行動や動作や話し方も、すべて気に
              入ったんだけど、魅力はそれだけじゃない。とある道ばた、宿でもあるバイクで一夜を明か
              した朝、気がつくとなんかの種を蒔いている。明日にでも別の場所に移動するにもかかわら
              ず彼女は種をまく。どひゃ〜、スゴイ。いっぺんで惚れましたわい。昨日も明日もない今そ
              のときを楽しむというような心が私を魅惑する。外見はパッとしないけど、心は限りなく
              ピュア、天使か女神のようなんだ。人を疑うなんてことはめったにないし、物を盗むなんて
              ことを含めた善悪の心も強烈に持っている。なんと素晴らしい人なんでしょう。

               あぁ、それなのに無学な肉体派芸人は精神不安定になった彼女を捨ててしまうのです。そ
              して、後年亡くなったことを知り、悔いて一人夜の海辺で泣く。だから言わんこっちゃな
              い。こんないい女なんかめったにいるもんじゃない。それを捨てりゃ天罰が下るのもしかた
              ないってことよ。以来、私は魅了されっぱなしでさ。女神のように崇め奉っているのでアリ
              マス。そしたらあるとき映画監督の井筒和幸さんも「道」を崇拝してて、イタリアの撮影地
              まで出向く番組を目にしたの。な〜んだ、井筒さんもそうだったの。同行の士と出会えてう
              れしいなァ。ロケ地へ行けばオートバイも見れるし、なにやら博物館もあるみたいで、それ
              を観るためだけでイタリアに行ってもいいと心の底で思い続けているのでやんす。

              女体の魅力は、タレ尻にあり・・・・・・・・・・・の、店主なのだ。


              春夜の怪

              0
                  昨日土曜日。
                 ちっぽけな毛髪をこざっぱりするのに青山まで出かけます。床に落ちた毛髪の量で料金を
                算出してほしいといつも心で思うけど、そんなセコイこと云えないからお礼をいって後にし
                て恒例の青山めぐり。タバコを吸いたいと喫茶店を探すも、なかなかなくって結局根津美術
                館まで歩いてしまったの。交差点の角になにやらコジャレた店を発見、フラフラと中に入
                る。そこはMiele(ミーレ)なるドイツの電機メーカーのショールームでさ、贅沢な
                空間の使い方にビックリ。広大といっていい部屋に申し訳程度の商品が展示されているん
                だ。この立地で、二人の女性スタッフで、しかも商品は極少。会社の規模が察せられる。ス
                ゴイことですよ、これは。今のいままで知らなかった・・・・・・・Miele恐るべし。世界規
                模がヒョイと顔を出す。説明してくだすったのは妙齢なる美店長のW嬢。おっとりしてて感
                じいいんであります。一階はキッチン製品だから私は用なし、誘われるままに二階に行けば
                長大なテーブル。スゴイんであります。幅は1mほどで長さたるやどうでしょうか、感じと
                しては10mはあるかと。ゲッ。トップはコーリャン(確か)という白い人造石で触れても継
                ぎ目は一切見当たらない。ゲゲッ。

                 ほどなく美店長のW嬢が微笑みながら登ってこられてしばし歓談。話せば長くなるからや
                めとくけど、たまには出かけみるもんだ、なにか発見はあるもんだ。帰りの通りはイッセ
                イ・ミヤケが何店かあるんだけど冷やかして歩き本命の本店で思わず半ズボンを買ってし
                まった。カード魔術の術中にはまり、三回ローン。あぁ、こんなもの買うていいんだろう
                か。そんな心に、どうせ死ぬんだから買える時に買うたらええヤンと悪魔がささやく。

                 夜は、ぼんち倶楽部で「ミーティング・ヴィーナス」を観る。いや〜恐い映画でっせ、こ
                れは。東欧の指揮者がパリでオペラ公演、のいきさつが物語の軸。恐いのは指揮者のカミサ
                ン。お定まりの指揮者とオペラ歌手(グレン・クロース)の道ならぬ恋、それに気付いたカ
                ミサンは烈火のごとく怒りまくり寝ている娘を起こし、猛烈になじるわけ。子供を楯にする
                妻という構図はよくある。けど、これは最強のコンビとも云えますからね。指揮者も負けて
                はいない、あきれた子供は寝ちゃう、けど言い争いは続き。カミサンの最終宣告、ここは私
                の家、どこへでも出て行きなさい!! ここまでも充分身の毛のよだつ店主。すねに傷持つ
                身だから他人事とは思えず、十数年前の出来事がフラッシュバック。でも、恐いのはそれか
                らが本番。出て行こうとする指揮者の脇をすり抜けてドアの鍵をガチャリと掛けて「どこへ
                も行かせない」ときたもんだ! 華麗なる変身、瞬時の前言撤回! 

                 心とうらはらに口をついて出る言葉はちがうんだ。出て行け!の心は、出て行かせたくな
                い。わかっちゃいるのか、「出て行け」に力を得てのココロの指揮者。心は千々に乱れてい
                るんであります。娘カミサンにはすまないとは思うものの燃え盛る恋の炎に勝てる消化剤は
                存在しない。言い争いながらテラスの扉を開けて鍵をポ〜ンと放り投げて手すりにもたれて
                婉然と微笑むんだ、カミサンは。もう正視かないませぬ。この数分感は息を呑み私の心はい
                ろんなことがないまぜになって冷静ではいられない。洋の東西を問わずにこうなってしまう
                んだから、恋の力は恐いのさ。身も世もあらぬ指揮者は夜の街をさまよいながら・・・・。

                 グレン・クロースはベッドの中で20年前に知り合いたかったなんてことも言うのだ。常に
                恋の出会いは遅いかジャストしかなく、早いってことはあり得ない。両者にとって出会いが
                ジャストタイミングなんてことそうそうあるわけがないから、どっちか片方にとってあるい
                は両方にとって遅い出会いがほとんどなんじゃないか。だからこそ「もっと早く出会いた
                かった」というセリフは千金の重さを持つものなんだろう。

                 いろいろあってオペラは成功してのラストシーンは、舞台上と下で見つめ合う歌手と指揮
                者の目と目は潤んでいるんだけど、切り替わるカットでベッドの上でTV中継を観ているカミ
                サンの目も演奏の感動で潤んでいるのだ。どーする、指揮者。恋のときめきをとるかカミサ
                ンとの信頼をとるのか、恋の命は短いけど信頼は末長い、恋はときめくけど信頼はときめか
                ない。どーするのだ、指揮者よ。♬あなたな〜らどうする〜 あなたな〜らどうする〜

                 観終わって、晩ご飯を食べようとしたら変な声が聴こえてさ。なんかが鳴いてるような。
                ?と思って玄関へ、さらに外に出たら。玄関先に
                 毎年我が家にのっそり出て来るガマガエル。それがなんとセックスしとるんじゃ! 映画
                の恐怖におののき忘れる間もなくこれだから、意味もなく妙な不安にかられる店主。暗いか
                らわかんなかったけど、よく見ると三匹いるじゃんか。雌の上に小柄な雄が二匹重なってて
                真ん中の雄がクォンクォンと鳴いている。しかし、それにしてもまったく動かない。なにを
                考えてるのか、目はきわめて冷静に見える。

                 しばらくして見たら
                 こうなっとる。片方の雄はあらぬ方を向いててさ
                 なにを思うのか疎外された雄

                 そこまではまだよかったんだけど、朝起きて息子にメダカが食べられている、カエルが水
                槽にいると教えられあわてて見ると二匹水槽に沈没しててさ。死んだように動かないんだ。
                 卵生んじゃったたのね。竹の棒で引き揚げてみれば案の定生んでるんだ、卵。

                 引き揚げられた二匹はピクっとも動かない、けど死んではいない。つっつくと少しだけ動
                きますから。

                 だんだん温かくなってきて、春の営みもここかしこ。頭じゃわかってるけど、まさか家の
                庭で展開されてるとは知らなんだ。私の家の裏隣りは大きな農家なんだけど我が家との仕切
                り塀はないからきっとそこからやってくるカエルちゃん。年にすうかい潜んでいるカエルを
                発見してちょっと驚くことがこれまでだったけど、今年は堂々の登場ってことに相成った次
                第。私や人間の営みとはカンケーなく生きとし生けるものすべてがこうして日々を送ってい
                ることに想いを馳せる良い機会ではありました。

                恋は恐いが、だからこそ惹かれるのか・・・・・・・・・・・の、店主でした。


                前衛としてのお笑い

                0
                    『いや、たしかに新劇俳優協会っていうところに所属していて、喜劇人協会には属してい
                  ないんだけど、ざっぱくにいえば僕はやっぱり笑わせるっていうことが僕の仕事だなァと。
                  新劇たって、このごろよくわからないけど、まァ、新劇の土俵の中で笑わせることをやりた
                  い、残る生涯もそれに徹していきたいなというふうに思います。中略。笑わせる仕事ってい
                  うのは、それが実演的な、芸能人的な仕事でなくても、文章でも何でもいいんだけど、人を
                  笑わせる仕事をやってる限り、いつでも現役でいられるっていうか、現代に生きていられる
                  と思うんです。その笑いが成功する限りは』 『人を笑わせるっていうことは、いやでも
                  最先端なんですよ、時代の』
                   
                   ええ、お涙のほうは時間がないですよね

                   『そうなんです。だから笑わせることが出来る限り、それでお金のチェンジが成り立って
                  いる限り、その人は現代に生きていると思いますよね。ただ、意図的でない場合はありま
                  す。本人はわかんないんだけれども、その時代のおかしさにマッチして笑われているとい
                  う・・・・・』

                   ガッツ石松とかたこ八郎とか

                   『大屋政子センセイとか』

                   大略

                   『何たって一番はっきり変わるのはセックスですからね。カーブは急にガタンとなる。だ
                  から駄目なものは駄目だっていうふうに正直にやろうとね。ほら、そういう意味じゃ、駄目
                  は駄目でまた成り立つのね、いま世の中が全部(笑)。笑いと似てるんですよセックスは。
                  笑う時って人間何も考えないでしょ。でも泣く時はいろいろ考えてる』

                   そう、ひとの目にどう映ってるかとか、この涙はどの位効果があるか、とかね。

                   『もうそろそろ泣き止もうとかね、一生懸命頭の中が働いている。ところが笑ってる時っ
                  てのはポカッと頭、空になるんです』

                   面白いなァ、云われてみればそうですね。

                   『これに似てるものは、僕はどうしてもセックスのイク時。直前までは天井の節目や畳の
                  目かぞえたり考えるけど、オットットッという時は(笑)、オホホ〜ンと忘我、空白・・。
                  それともうひとつ云うと「売笑」っていう言葉があるでしょ』

                   売春のことね。あ、それから春画を笑い絵、ワ印(じるし)とも云いますね。なるほど
                  セックスと密接にからんでる。

                   『そんなこんなで、笑い=セックスと思うんです。だから、当分の、ただコケにするもの
                  を見つけて毒づくテレビの笑いは、SM流行りと、きっとどこかでつながってますよ』

                   長い引用で失礼しました。文藝別冊「永久保存版 小沢昭一 芸能者的こころ』での山藤
                  章二との対談(小説現代/84年四月号掲載)の一節なんだけど、なるほどなァ〜頭のイイ人
                  は目の付けどころが違うなァ〜といたく思ったの。中西龍のナレーションでは、幸せのかた
                  ちは大体おんなじだけど不幸せのかたちは様々と云ってたけど、笑いに時代性はあるけど涙
                  にはないってことと相通じるものがあると思うんです。どちらも、そういえばそうだと感じ
                  られますから。永遠の笑いなんてものがあるのかどうかわからないけど、店主が今でも笑え
                  るのはチャップリン唯一人。あまり好まない人もいるらしいけど、私は相変わらず笑えてし
                  まいます。それと、ダイラケ。といっても知らない人もいるでしょう。中田ダイマル・ラ
                  ケットを縮めてダイラケ。若かりし頃の漫才CDを入手して時たま聴くけど、これも同様に笑
                  える逸品。中でも「ぼくの発明」は発想のトンデモナさと掛け合いの素晴らしさに圧倒され
                  てしまう。

                   私が発揮する笑いなんてどうってことないレベルであることはわかっちゃいるけど、笑い
                  が時代の最先端、つまり前衛であるならば、笑いに興味があり笑わせることが習い性になっ
                  てること=現代に生きている証拠だということじゃないかしら。心強い限りでなんか自信が
                  持てる。なんたって笑いに関しちゃ一家言お持ちの両人の御発言ですから、こんな確かなこ
                  とはありゃ〜せん。今朝、トイレでふと思い付いたのは、これらお笑いは言葉や動作による
                  もので文字はどうなのか?ってこと。浅薄な知識で恐縮だけど、私は小沢昭一と筒井康隆し
                  か思い付かない。そこで、小沢サンの「私のための芸能野史」を取り出して読んでみた。そ
                  の中の「トクダシ」がとっても面白くて困っちゃうんだけど、これだって爆笑とはほど遠く
                  口元がほころぶといった感じでしかない。トクダシとは元々映画用語だったけどストリップ
                  界で使われるようになって一般化したものです。念のため。

                   筒井さんの小説の中で笑えたのはなんだったか、と。これがなかなか思い浮かばないのよ
                  ね。チンコがバスタブの排水口にすっぽりはまり込んで大騒ぎの「陰嚢録」、オナニーする
                  と特殊能力で想った相手の居場所に転送されちゃう「オナポーテーション」(同級女生徒の
                  家族揃っての朝食に下半身丸出しで物体転送されたのはかなり笑えたけど)、日本沈没のパ
                  ロディで「日本以外全部沈没」ぐらいかな〜。もっとあったような気はするけど思い出せな
                  いから。思うんだけど文字で笑うというのはなかなかむずかしいことじゃないでしょうか。
                  目とか耳とかに比べると読むという行為は頭の回路を通過するような感じがします。だから
                  一拍遅れるというか笑いが引き起こされる直前の数百分の一秒で冷静になっちゃう感じがす
                  る。目と頭の間にスイッチがあるんじゃないのかな、文字の場合は。笑うにしても声は出な
                  くて、心の中でクックッとか頬がゆるむといった態のもんでもあるし。

                   文字でさえ笑うのがムズカシイんだから、家具や雑貨で笑わすなんてことはさらにむずか
                  しい。だいいち、一般的にはモノ(物体)を見て笑うなんてことは失礼だという思いがある
                  でしょうし、そもそもモノと笑いが結びつかない人がほとんどだから。せいぜいがユーモア
                  を感じる程度でしょう。笑うというよりは、面白さを感じて微笑むとか今ならカワイイと声
                  をあげるぐらいしか期待出来ない。面白いと笑いは似て非なるもんだし、いわんやカワイイ
                  とは遠い親戚だと私は思うんだ。言葉と動きによる笑いさえ現代の最先端で前衛だっていう
                  んだから、モノで笑わせるということの存在点はどこらへんなのだろう、か。前衛の前衛だ
                  から最前衛なのか? でも、それって宇宙のはじまりビックバンの成り立ちのその一瞬に近
                  づけば近づくほど分析理解の進みが遅くなって永遠に到達できないことと似てるんじゃない
                  か。笑いの前衛のさらに最先端はダイラケと思ったほどは遠く離れているわけじゃないのか
                  も知れない。

                  わかったようなわからないような・・・・・・・・・の、店主でした。



                  ガマの油

                  0
                     ランボー 怒りのなんとやら。ランボーは乱暴者だった。なんてくだらない語呂合わせなん
                    だ! 恥ずかしいやら情けないやら。んなら書かいでもええやんか! でも、こんなしょう
                    もないギャグを楽しんでくれるひと・・・・・いない?・・・いないか・・・いないよね。
                    あ〜ぁ、そんでもって、ぬーう(by BAKATONO) 過日の怒りの元凶、玄関脇の倒れ防止
                    柵があっという間に出来ちゃって。
                     やれば早い、けど急ぐ気はなかったからさ。でも、こりゃどう見てもやっつけ仕事です
                    よ。ホームセンターの緑棒をぐいっと地面に差し込んでヒモでくくっただけの急ごしらえ。
                    どうがんばったところできれいな仕上げになりようもなく。だから、あんまりやる気が起き
                    なかったんだ。だれがみたって日曜大工バレバレですもん。とはいえ、うまく出来る方法が
                    思い付かないんだから、しかたない。

                     クリスの置き土産もあっという間に荷造りしちゃって、発送するだけ。重さはデカが
                    20kg、中が10kg。これをSAL便でウィーンまで送るといくらかかるのかな?
                     しめて45,000円ほどかかりました。言いたかないけど中身はいろんなものがごちゃ混ぜだ
                    からちょっと大変でしたよ。お膳六客、本、着物、木製食器にお盆、竹籠。特に竹籠はモ〜
                    レツに繊細だからチョ〜壊れやすいの。見たい? ホントに? なら見せちゃおう。こんな
                    ふうになっちょるのだ。
                     なんか、どうってことない写真だったな。失敗失敗。

                     歩いて3分の郵便局だけど、持てないから車で運搬。路駐が恐くて心は焦るけど、いつもの
                    局員じゃなくなにやら慣れない方が担当したから、手間取ることこの上もなし。海外SAL便の
                    用紙にはあらかじめ記入してあったけどインボイスとやらの用紙に同じ事を書かなくてはな
                    らないのだ。すべて英語でこちらと相手先の住所、内容物の数量、重さ、金額を書き込まな
                    ければならない。面倒だにゃ〜。

                     あ〜ぁ、店内の荷物が片付いてずいぶんすっきりしましたわい。お茶でも飲んで一服。さ
                    て今夜のおかずはなんにしょ〜。鮭の切り身があるから、なめこおろしを付け合わせてみよ
                    か。いつもの八百屋さんで大根となめこ、きゅうり三本(いつも本数で悩むのだ)、レタス
                    を買い求めていると、デカイ玉ねぎのようなものを4個抱えている妙齢の女性がいる。思わ
                    ず、それな〜にと聞こうかと。思っただけで、何もできない。八百屋でナンパもありかもし
                    れないとふと思ったりして。でも、こっちの格好はひどい(上下ジャージーだから)。声掛
                    けることなんかできやしません。でも、八百屋でナンパは新手で意表をついてて面白いか
                    も。まだそんなこと考えてる店主。雀百まで・・・・・・でも、諦めましょうね。

                     帰って一服の続き。今日は昨日のご飯が残ってるから炊かなくてもいいんだ。だから、
                    ゆっくり。で、メールをチェックしたらウィーンのクリスからお礼メールが届いててさ。画
                    像も添付されてよし。写真嫌いの店主は、めったに撮られることはない。おのが姿なんて見
                    たくないさ〜。そんな気持ちに関係なく写真が送られてきた。

                     これは京都・スタジオ37でのもの。こんな顔しとるんです。仏頂面してるけど、機嫌が
                    悪いわけじゃないっす。たまたま照明の下に座ってたんで、スポットがあたってるように見
                    えなくもない。どーでもいいことだし、見たくもないだろうけど、ひょいと思いついたこと
                    があったから載せたんだ。これはまだいい。でも、次々と私の実像がさらけだされて、これ
                    じゃあまるでガマの油だな〜と思っちまったわけ。

                     これも京都の昼食時の一枚。写真も好きじゃないし鏡もめったに見ないから自分の顔がよ
                    くわかっていないんだ。たまに見ると老けているのにビックリ。鏡の中に写る顔はどんどん
                    老けてゆくけど、実際の顔は若さを保つ。なんて物語を目にしたので読んではみたものの
                    あっさりと蹴られてしまった本を思い出す。「ドリアン・グレイの肖像」オスカー・ワイル
                    ドだす。年相応と言われれば返す言葉はなけれども、しっかり実像を目にすると冷や汗がタ
                    ラリと背中を流れる。うーむ、これで恋を語るなんてトンデモナイことじゃんか。己を知れ
                    と心が叫ぶ。

                     さあさ、お立ち会い
                     ご用とお急ぎでない方、お急ぎの方もしばしお耳をば拝借つかまりたい
                     手前ここに取りい出したるは筑波山名物 ガマの油
                     ガマと言ってももただのガマではありゃせんぞ
                     これより北、筑波山のふもとはおんばこという薬草を食ろうて育った四六のガマ
                     四六五六はどこ見てわかる
                     前足の指が四本、後足の指が六本
                     あわせて四六のガマ
                     山中深く分け入って、捕らえましたるこのガマを
                     四面カガミの箱に入れ
                     おのが姿におどろくガマは
                     タラリタラリと油汗
                     これを、すきとり柳の小枝にて
                     さんしち二十一にちのあいだ
                     トロリトロリと煮詰めましたる、この油

                     こんなフレーズが思い浮かびましたのさ。なんか自虐的で露悪的で変な奴と思われるかも
                    しれないけど、ブログもけっこう書き続けているから、このへんで顔を出してもいいかも、
                    とね。昔っから顔には全然自信はない。身体にもないし、心にもない。とどのつまり、どこ
                    を押したって自信のかけらも見つからないんだけど、年とってツラの皮が厚くなってきたか
                    ら、多少は言えるようになったの。でも、逆に押されたりするとカタツムリのツノみたいに
                    ひゅ〜と縮んで引っ込んじゃう。外見上は老人の域に達してるんで、だれも押さないから
                    いいようなもんだけどさ。だから、いつ押されるか心はヒヤヒヤ。

                     そしてこれがとどめの一枚。頭薄いっすから、このアングルは困るのことよ。でも、クリ
                    スはそんなこと気にせずに。ってことはなにかい、私が思うほどハゲてることはみなさん気
                    になさらないのかい。なに? もっと若けりゃ気にしてもいいけど、その年じゃ別に不自然
                    じゃないって? そーか、そういうことか。つまりは恋の世界から遠く離れて、論外ってこ
                    とかい。うーむ・・・・・・そして、ウーム。ガマはまだ若いから流れ出す油もあるけど、
                    こちとら油も枯渇してサラサラ肌になりにける。おんや、ま〜。そういうこととは知らなん
                    だ。どーりで、手がカサカサになると思った。

                     これは地下で催した彼ら帰国の送別会。私の手前は会ったとたんにノア君に大泣きされた
                    S嬢。ウイーンでおにぎり屋さんを始める彼らには手巻き寿司がよろしかろうと、新潟・魚沼
                    産のコシヒカリを買い求め、海苔も最高級品(といってもSEIYUだから大したこたァな
                    い)、具材は西友よりもちょっとお高いオリンピックで。ノア君はどこへいってもご飯しか
                    食べません。酢飯が気に入るかどうか心配したけど、食べる食べるで止まりません。具材不
                    要、海苔と酢飯だけで大満足。しかも仲間内ですから、どんなに騒いでも大丈夫。この後、
                    馴れたS嬢と大騒ぎ、充分満足なさったことせう。

                     ついでに書いとくと店主の名前は村越博志。クリス夫妻にはヒロさんと呼ばれ、ちゃっこ
                    いノア君もそう呼ぶ。ちゃっこいけどドイツ語オンリーだからなにをしゃべってるのか皆目
                    わからねど、「HIROSAN」だけはなんとか聞き取れる。彼の友人は世界に二人だけだそうだ
                    から私も鼻が高いってもんだ。っていっても、今だけ。大きくなったら友達いっぱいで忘れ
                    られちゃうんだろう。そういうもんです、子供は。それで、い い の ダ。

                    なんたって禿頭派だもんね・・・・・・・・・・・・・・・の、店主でした。


                    虫はどこに居る?

                    0
                        今朝一番で蒲田税務署に。ほぼ全国民にとってにっくき敵の税金、の申告です。税金を納
                      めるのが義務だとは思ってるけど、遅々として進まない震災被害者の復興や原発処理を見て
                      ると、お金の使い道に腹が立つ。早急に対処なんつっても期限を決めるわけでなし。民社党
                      もひどかったけど、自民党に戻ってどうなるもんでもない。元々の元凶は自民党なんだから
                      さ。国民はそれに見合った政治家しか選べない、って暗澹たる気持ち。言わずもがな、この
                      ことは店主自身にも返ってくることだから、あまり大きな声では言えません。

                       今年の申告は、税金に対する戦闘意欲も失せて、税金をチョロまかすこともなく淡々と処
                      理。大量の領収書を前にして、戦う前から雲霞(うんか)のごとき大量の数字に負けている
                      のであります。こりゃカードゲームだななんてギャグも力にならず、あえなく納税額に降参
                      してしまいました。でもそんなイヤな事はいつまでも引きずってるわけにはゆきませぬ。素
                      早く忘れて楽しく過ごしましょう。そんな気持ちを呼び起こすために聴くのはモーツァルト
                      のピアノ協奏曲集。ピアノ単体ならばショパンの独壇場だけど、弦とのアンサンブルとなれ
                      ばやはりモーツァルトにとどめを刺す。演奏は、ホグウッド指揮・エンシェント室内管弦楽
                      団の7枚組。それを聴きながら、さてどこから手を付けようか次の仕事は。近所の幼なじみ
                      から頼まれたキャスター収納か、あるいは帰国したクリスの荷造りか、はたまたカミサンに
                      頼まれていたバラの花の倒れ防止の柵作り・・・・・・・・・・・・か。

                       と考えてはみるけど、どうにも心は落ち着かない。原因はわかってる。数日前の強風で玄
                      関脇のバラの花が倒れかかって、遅い帰宅のカミサンからの救急要請がそもそも。元々、花
                      や樹木にはまったく興味はない。けど、カミサンは日曜園芸が好き。だけど、忙しいから園
                      芸もほっぽらかしになり、私も興味はないから草花はいささか無惨な様相なわけ。特に高さ
                      のある花は風に弱いし、以前に直してあげるよと約束したけど果たさないままの強風だから
                      たまったもんじゃない。バラは恋に破れた可憐な乙女のように今まさに大地に倒れんとする
                      寸前。だからさ、カミサンが強い口調で手伝ってよ!と言ったことは正しいんだ。正しいの
                      はわかるし元はといえば柵を作らなかった私が悪いなんて理屈VS瞬間的に腹が立つ。どんな
                      場合だって理路整然よりは直感の方が強いし、必然よりは偶然の方が強く心に響く。ですか
                      ら、今回も理屈を押しのけて無性に腹が立つの圧倒的勝利! 猛烈なふくれっ面で応急処理
                      はしたものの、腹の虫は一向におさまらない。

                       めったに怒ることはないけど、一端生じた怒りはなかなか冷めません。しかも怒りは言葉
                      として口から出る事はなく、沈黙に向かうから始末に困る。自分でもわかってるけどどうし
                      ようもないのですわい。瞬時の怒り、さらに長く尾を引くそれを自分で制御することなんか
                      できやしません。心の放置プレイ。昔は機嫌が直るのが遅く数日を要したこともよくありま
                      した。だからね、怒るのが嫌いなの。直りが遅いからさ。今回の怒りの原因はなんなのだろ
                      う、って我が心を覗いてもよくわかんないのです。それまでは機嫌良くTVを観てたんだから
                      さ。虫の居どころが悪かったとしか考えられない。でも、考えてみれば虫の居どころとは良
                      く言ったもんで、まさに言い得て妙な言葉だなぁなんて感心したりして。

                       バラの応急処置はなされたものの私の機嫌が一気に悪くなったことは雰囲気でわかるんで
                      しょう。たまたま居た息子は両親の険悪さを解消しようと取りなしの言葉を発するも事態好
                      転しないと見るや早々に自室に退散。残るはカミサンと私。険悪なムードが漂い、取りなす
                      人もいないならばもはや寝るしかない。ここは、時間に解決していただきましょう。ってい
                      うかそれしか解決方法はないから。で、今朝になって、私の怒りの原因は普段の家事のスト
                      レスが爆発したんじゃないかと思ってる様子がアリアリなカミサン。家事をほっぽらかしに
                      してるなんて独り言を言ったり、朝のパンに目玉焼きを作ってくれたり。いや、そうじゃな
                      くってさ、怒りの原因は私にもよくわかんないんだから、と心では思っているけど、口にす
                      る言葉が見当たらず、ありがとうなんて言いながら食べたわけ。

                       こういう微妙な心の動きを言い表せる言葉なんかないですもんね。言葉は便利だけど、一
                      方では不自由なもんだとしみじみ思うのはこういう時です。一緒に生活してそろそろ40年に
                      なんなんとする夫婦の間でさえ心を理解しあうのはまことにむずかしく微妙なこと。まるで
                      塀の上を歩いてるようなもんだ。ちょっとでも踏み外すとたちまち内か外に落っこちる。さ
                      さいな事から言い争いになり、修復がこれまたむずかしいとなれば、そこそこの気遣いやそ
                      れだけは口にしちゃいけない言葉にガッチリ鍵を掛けておくことも必要。とはいえ、夫婦親
                      兄弟は他人と比べて遠慮や気遣いのレベルはどうしても下がる。言って見れば裸むき出しの
                      心の同居だから軋轢は生じやすく近親憎悪などという奇妙な感情も生み出されることもあ
                      る。情や恩が足かせになることもあるだろうし、年老いて介護が必要になったら近親なるが
                      ゆえの怒りが生じることもままあること。前頭葉の発達によってもたらされた生活の豊かさ
                      がある反面にはこうした負の要素も同量が存在しているのでしょう。なにごとも、良いこと
                      ばかりではない、マイナス面もあるってことを忘れないようにしないと、いつかはバチが当
                      たりまっせ。ってなもんや・・・・・・・・三度笠。ナンチッテ。

                      音楽のシャワー効果で、心はほんのり赤みをさす・・・・・・・・の、店主なのでした。




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