「サイコ」プチ分析 2

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     世間はゴールデンウィークでかまびすしいけど、毎日が日曜日のこちとらなんのカンケ〜
    もないのっす。昨日は猫の額の狭き庭で草むしり、今日は地下の大掃除(明日、お客さんが
    くる)に精を出す、ってもんだ。 

     さてお立ち会い、いよいよシャワーシーンなのだ。
     と、その前に、今調査の測定機器たる我が家のデッキを紹介せねばならない。一時停止に
    しておいて、1コマづつ送ることが出来るんだけど、30コマで一秒間であることが判明(っ
    てほどのもんじゃないけど)。1コマは0.0333............秒で、これが目安。ふと、気になっ
    て人間の目が確認出来る最小秒数を調べてみた。ライトの点滅を視認できるのは、0.03秒と
    ある。ウーム、同じやんか。なるほど、そういうことになっとるわけか。

     ついでに映画フィルムのコマについても。映写機で送られるのは毎秒24コマ。フィルムの
    長さの単位は確かフィート(ft:30.48cm)だったっけ。1ftには16コマあるから、1秒映
    写するためには、1.5ft必要だってことになる。3ftで2秒ってことだ。なるへそ。ならば、1
    コマの秒数はて〜と、0.041秒。人間の視認限界が0.3秒だからほぼ同じということだ。
    へェ〜、いつ誰が考えたモノなのか。ほぼ一致しとるやないか。あいや〜、寄り道勉強も馬
    鹿にしたもんじゃない。

     ジャネット・リーがシャワーを浴び始めてから、殺された後カメラが浴室外にパンするま
    での時間は、およそ2分33秒。内訳は、
    殺害に至るまで・・・55秒・・・7カット・・・1カット平均、およそ 7.85秒
    殺害中・・・・・・・22秒・・ 31カット・・・  〃   、〃      0.70秒
    殺害後・・・・・・・76秒・・ 13カット・・・  〃   、〃      5.84秒 

     ざっと、こんな構成になっている。改めて言うまでもなく殺害中の1カットの時間は異常に
    短い。それを際立たせるために、前後は比較的ゆったりとしているんだろう。一応言っとく
    けど、この資料はぜ〜んぶを一覧表にしてみないとわかりにくいんどっせ。ブログだと縦一
    列で時系列の沿っての案内だから、全体を俯瞰して眺めることができませんのじゃ。まる
    で、女体を顕微鏡でなめるように追ったって全身がわからないようにね。それと、なんたっ
    て素人計測だからデータは精密ではありません。間違いがあることをご理解いただきの上っ
    てことで、よしなに・・・・・。では、

    殺害前 No.1 
    双葉さんはヒッチコックについてこう述べている「だいたい旦那(※ヒッチコックのことで
    す)はサンマのヒモノみたいな女優に異常な性的魅力を醸成するのが名人だが、この映画の
    ジャネット・リーまた然りである」と。やせ形でデカパイがヒッチ好みなのは有名だけど、
    それにしても、サンマの干物っていうのはちょっとひど過ぎやしないかい。そう言われちゃ
    うと、全部がそう見えちゃうから。困ったもんだ。

    殺害前 No.2
    シャワーのノズル仰角は、殺害後にも1カット出てきます

    殺害前 No.3
    サンマの干物が水浴びしてる

    殺害前 No.4  方向を変えて3カットのシャワーシーン

     殺害前 No.5 干物でも色っぽいっす

     殺害前 No.6 横からのシャワーノズルは、殺害後にも1カットある

    殺害前 No.7 
    シャワー浴びるシーンは、全部で6カット。その間にシャワーノズルが2カット挟まれる

    殺害前 No.8 (3分37秒)
    内訳:0秒〜  シャワーを浴び始めてから、カメラは徐々にズームして
       2分3秒  〜 彼女はフレームアウトし、カーテン画面のみ、後ろに人物の影
       2分34秒〜 カーテンを開けて母シルエットでいきなり登場

    矢が放たれる直前、弓を引くがごとく、ゆったりとしたテンポでカメラはズームし、人影が
    ぼんやり見え、近づいてくることにより緊張は急速に高まる。微妙なカメラワークに感心。
       
    殺害中 No.1 0.56秒 バストショット
    殺害中 No.2 0.62秒 顔のアップ
    殺害中 No.3 0.59秒 口元のアップ
    一気に高まるサスペンスの三段論法というべきか。遠くから近くへ3カットで見せる。わか
    りやすく合理的なカット割りだと思うんだけど。なんせ、素人だから。

    殺害中 No.4 0.83秒 シルエット母、ナイフを振り上げ〜切り下げる
    ナイフと母は、ほぼ全カットが黒くシルエットで表現される。鋭利な刃物がシルエットで表
    現されることの恐さ。そして3〜4カットだけが輝く刃面との対比は上手いと思うんだけど。
    なんせ、素人だから。

    殺害中 No.5 0.59秒 正面から切り下げる
    ザッ、ザッ、ザッという効果音との相乗効果が素晴らしい。

    殺害中 No.6 0.43秒 シルエット母、ナイフを振り上げる

    殺害中 No.7 0.39秒 女、右手を上げる

    殺害中 No.8 0.76秒 俯瞰ショット 母、右手を女左手で押さえ、もみ合う
    右手で乳房を隠している。緊急事態にもかかわらず。時代の情勢はまだ乳房をスクリーンに
    さらけだすことを許していなかった。乳房はヒッチコックも言っているように「女性の肉体
    のタブーの部分」に属していたのである。アメリカの映画製作倫理規定第7条第2項(「淫ら
    な、もしくは過度の、露出は禁じられる」)を打ち破って、画面に女(黒人娼婦であった
    が)の乳房まるだしの裸体が公式に認められた最初のアメリカ映画は、1965年の『質屋』
    (シドニー・ルメット監督)であった。(定本 ヒッチコックの映画術 晶文社から引用)

    殺害中 No.9 0.99秒 叫ぶ女の顔

    殺害中 No.10 1.43秒 ナイフ2回切り下げる
    ナイフと身体は近接することはまったくない

    殺害中 No.11 0.89秒

    殺害中 No.12 0.73秒
    スローモーションのせいか画面はきわめてボケている

    殺害中 No.13 0.69秒 ナイフ、振り上げ〜切り下げる
    女性のボケ画像と比べて、母のシルエットはきわめてシャープなのだ

    殺害中 No.14 0.56秒 叫ぶ顔、右左に振る

    殺害中 No.15 0.46秒 ナイフ、切り下げる
    母のシルエットは、カットを重ねるごとに近寄って来る

    殺害中 No.16 0.46秒 叫ぶ顔、左から右に振る

    殺害中 No.17 0.66秒 シャワーを切り裂くナイフ
    シャワー越しのボケた画面、突如ナイフがシャワーを切り裂きが一瞬キラリと光る。鮮烈な
    カット。

    殺害中 No.18 0.79秒 叫ぶ顔、左から右に振る

    殺害中 No.19 0.26秒 シャワーを切り裂くナイフ 拳が少し見える
    シャワーを切り裂くナイフとボケボケの叫ぶ顔がカットバック。恐怖感はいやがうえにも盛
    り上がる。

    殺害中 No.20 0.39秒 叫ぶ顔を振る

    殺害中 No.21 0.29秒 シャワー切り裂くナイフ 拳がハッキリ見える
    無惨な殺害シーンを象徴する名ショット(だと思うけど、なんせ素人だから)。

    殺害中 No.22 0.29秒 腹にナイフの切っ先が刺さる
    マネキンなんだろうけど短時間だからとてもじゃないけど見破ることはできない。ナイフの
    刃の輝きがスパッ〜と切れ、ス〜ッとなんの抵抗もなく腹に突き刺さることを想起させる。
    このシーンを見破った植草甚一さんには今さらながら頭は上がりませぬ。まったく。

    殺害中 No.23 0.33秒
    刺されて顔が歪む、これが殺害の頂点、致命傷なのだろう 

    殺害中 No.24 0.39秒 振り上げたナイフ
    そんな女性になおも繰り返されるナイフの残虐

    殺害中 No.25 0.33秒 女背中ともみ合う母の手
    オッパイの後ろ姿?がチラリと拝める

    殺害中 No.26 0.56秒 左手を伸ばして、抵抗する

    殺害中 No.27 1.13秒
    初観でも息を呑んだ名シーン、浴槽を流れる肉片が残酷さを倍増させる

    殺害中 No.28 0.46秒 顔振り、左から右へ

    殺害中 No.29 0.33秒 女、両手万歳。なおも、ナイフ切り下げ

    殺害中 No.30 0.86秒
    立ち位置が変わり、脚の向きも変わるのだ

    殺害中 No.31 1.86秒 手の影〜後頭部
    手の使い方が印象的、この後にもタイルを這う左手と共鳴するようだ

    殺害終了 No.1 1.06秒 母、退出

    殺害終了 No.2 4.23秒 タイルをつたう手のアップ
    ズリズリと下がる下がり方が素晴らしい

    殺害終了 No.3

    殺害終了 No.4
    極大から極小へ、ヒッチコックお得意のカット

    殺害終了 No.5
    唯一の全身俯瞰ショット、だけどもシャワーで隠されて背中だけがぼんやり見える程度

    殺害終了 No.6
    これも店主大好きカット、止め具の外れ方が素晴らしい

    殺害終了 No.7 浴槽の外にドタッと倒れかかる

    殺害終了 No.8
    殺害前のシャワーノズルと重なる

    殺害終了 No.9

    殺害終了 No.10
    殺害終了 No.11
    シャワーシーンの白眉とも言えるカットのつなぎ方。無惨なシーンの中に咲く一輪の花とも
    言うべきか。後退しながらやや回転するカメラワークにうっとり。なんて上手いんだ。

    殺害終了 No.12
    殺害前のNo.6と重なる

    殺害終了 No.13
    顔のアップから机上の札束を包んだ新聞紙にカメラはパンする。微妙で精密なカメラワーク
    に惚れ惚れしてしまう。映画を学ぶにはサイレント映画を作りなさいと言っていたヒッチ
    コック。セリフもなくカメラワークだけで状況を軽々と説明してしまいます。

     この他にも興味深いシーンの連続なのだ。殺された彼女を、車ごと沼に沈めてしまう場面
    で、沈みかけた車が途中でとまってしまい、どうなるんだ? と思っていたら、また沈み始
    める。まるで観客を手玉にとっているようだ。また、大金を盗んだジャネット・リーが映画
    半ばであっさりと殺されてしまうという大筋でもヒッチコックお得意の手法が用いられてい
    る。「燻製にしん」と訳される映画手法。日本語訳ではとてもわかりにくいけど、件の定本
    から一部を紹介させていただこう。
     この映画を最初の部分は、ハリウッドの用語でいえば、「燻製にしん」というやつだ。つ
    まり、殺人が起こる瞬間が完全な不意打ちのショックとなるように、観客の注意をよそにそ
    らしておくトリックだ。ジャネット・リーが大金を盗んで逃走する冒頭の部分を意図的に
    長々と綿密に描いてみせたのも、果たしてこの女はつかまらずに逃げきれるかどうかという
    点に観客の注意を向けるために必要だったのだ。盗んだ4万ドルのことをあえてしつこく強調
    したのも、そのためだ。最初から最後まで、この4万ドルの札束の入った封筒がどうなるのか
    と観客に思わせておくためだった。
     観客というものは、映画を見ながら、いつも映画そのものより一歩先んじて、「そうか、
    もうこれからどうなるかわかったぞ!」と思いたがるものだ。この観客心理をわきまえたう
    えで観客をうまく完璧に誘導してやらなければならない。

     どーです。だから映画はやめられないって思うのは店主だけか? 目の前に差し出された
    映画を次々と観て、一回観たからもういいや、なんて言ってちゃいかん。と、思うのは私だ
    けかもしれないけど、映画ファンと称するならば骨の髄までむしゃぶり尽くすようなことが
    あってもいいのじゃないか。ぜんぶの映画に対してそういう姿勢で臨むわけじゃないけど
    さ。これは! と思う映画には作品を深く理解したい、作者の意図に迫りたいと思わないで
    はいられないのでアリマスる。

    思わず、力が入りましたわい・・・・・・・・・・の店主でした。ほな、サイナラ


    鍋敷きの作り方

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        まずは、載せるための鍋を用意しなくてはならないし。今回の鍋はコレ
       鍋というよりもフライパンです。鋳物で重い。知り合いのレストランは、これでリゾット
      を調理し客席テーブルでゴリゴリとおこげをこそぎ落とす。だけど、敷いていた白い皿が悲
      鳴をあげているようで痛ましい。痛ましすぎる。ならば、店主が作ろう。相変わらずの余計
      なお世話心がムクムクと動き出し。

       工房には、以前大量に作った木皿の残材が数枚ある。天然板の端っこが30センチ程度。短
      いから使い道はないし、先端はこのように割れてささくれ立っているのだ。鍋敷きならば、
      この割れはそのまま残すことが出来るし、そうすれば生きるだろうと考えて。長い一枚の板
      の両端にしかないこの端材、考えてみれば贅沢なもんだ。この割れ部分を使わないでも鍋敷
      きはできる。けど、それだとすっきりしすぎてしまうしレストランには似合わない。ちょっ
      と荒々しい感じが好ましいと私は思ったんだ。だから、この板がなければ鍋敷きを作ろうと
      は思わなかったことは確かなことザンス。

       まずは、製作のための型(治具ともいうか)を作らなければならない。
       6ミリのベニヤを丸くくり抜き、斜めの脚板を接着する。なぜ斜め脚なのか。それは載せら
      れたフライパンが斜めに置かれるようにしたかったから。テーブル状に置かれる皿やグラス
      はすべて水平状態でしょ。そこに斜めフライパンが置かれれば見た目にも変化するし、より
      立体的で豊かな食卓になると思ったワケ。ちょっと大袈裟な言い様だけど。

       ひっくり返して、両面テープで板に固定

       トリマーという機械で溝を掘る。型は斜めに固定されているので、掘り込みも斜めにな
      る。円の上部にうっすらと溝が見えるでしょうか? 固定が両面テープだけなのでいきなり
      深く掘ることはできない。焦らず少しずつ刃を出さなくてはならぬのだ。

       ハイ! これが溝の完成。左は浅く右は深い溝が掘り上がり〜

       ここから手仕事に移る。ノミと木づちで斜めに底を掘る。左には薄いベニヤを溝に差し込
      んであるけど、ノミの暴走保護のため。これがないと、ノミの先端が勢い余って先にある板
      に食い込んでしまうでしょ。

       しばしの作業でこんな感じ。鍋の下になるから、丁寧な掘りは必要なし。鍋がカタカタい
      わないようにある程度の平面が出ていれば問題はないの。以前の木皿に比べれば超カンタン
      なのだ。

       で、もう一つ型を作る。四角い板をフライパンに馴染むような外形にするためのもの。店
      主は、この形で少々悩んだのであります。円じゃ味気ないし、さりとて妙に凝った形にする
      のも変だし。で、ご覧の通りのかたちになった。なんだと思いますか、これ。gtyはgetty
       imagesのしるし。実はこれ、ワイングラスの画像から作図したもの。右の赤っぽいのは赤ワ
      インの部分。三カ所の◯は板厚、真ん中の円はフライパンの外径。イタリアンレストランだ
      からワイングラスは必ずある、円に近いしアクセントの突起も確保出来る。このグラスのア
      イデアが浮かんでからは作業は一気に進んで、あっという間に出来ちゃったんだ。

       小さな穴を開けて、下にある板の溝の位置合わせ。これがないと、下の板が見えないから
      位置合わせが出来ません、のだ。

       型板を鉛筆でなぞって、糸鋸盤で切り抜きます、とこのようになる。糸鋸で切り抜くと必
      ず凸凹が出来るけど、最後にベルトサンダーで軽く削ればキレイな円弧が短時間で完成す
      る。

       フライパンを載せて確認。板の厚さが目立つから、下側をトリマーで削り取ります。そう
      すれば板厚は薄く見えるし、持ち上げる時の手掛けにもなるから使いやすいだろう。

       このようになる。すでにオイルをしみ込ませてあるから、これが完成の姿。下の写真の凸
      は、ワイングラスの脚の部分を模した。ここは、なんにもなくて円状でもいいんだけど、ポ
      イントになるものがないとなにか足りない感じがするから。板幅が少なかったから両側はキ
      レイな円弧にはならない。自然の肌目が黒く見えてしまうけど、それはそれで素朴な感じが
      出てていいんじゃないか、とね。

       これが全裸の鍋敷き。思ったよりもカンタンにできたので拍子抜け。なんだ、こんなもん
      か。みたいな。このフライパンは大小あって、これは大の方。昨夕、小の試作を持って行っ
      てOKをもらって大を作ってみたの。店に行って、ついでに扉の丁番を直し、ビールとツマミ
      をいただいたて帰ろうと思ったんだけど、珍しくヒマなもんだから、レストラン店主と話し
      込んでしまい、ワインも出されて数杯飲んだらすっかり酔っぱらっちゃってさ。夕飯を作る
      意欲はあっという間に霧の彼方に消え去ってしまった。

       飲食の激戦地、中目黒で開店して10年。大したもんです。でも、向こうの店主はいささか
      の屈託を抱えている。真っ当な料理を提供し、内装や雰囲気も良いし、接客の気配りも万全
      だから10年続けることができた。フェラーリを乗り回すことはできないけど、商売としては
      マアマア順調。なんだけど、何かが不足してるという気持ちが拭えないらしい。それはなに
      かというと、お客様同士の交流。訪れたお客様が隣席の客と話しがはずみ・・・・というこ
      とがほとんどない、と。お客同士のムーブメントというか、なにか面白い集まりやイベント
      のようなものが自然発生しないことの「なんだかな〜感」。仕事をしてるだけじゃ「つまら
      な〜い感」。わかるな〜、その気持ち。

       FACTIOには客がほとんど来ないから、客同士のどうのこうのなんて期待0%。でも、教え
      ている学校では、授業で教え、また来週ね、の繰り返しじゃつまんないから、なにかやった
      ろかいと学生との関わりを画策するも、なかなかのう。要は、年老いた教師なんかと授業外
      で関わるのはめんどうじゃん、そもそも学校そのものにそんな期待はないからさ、なのかも
      しれない。レストランの客と学校の生徒、年齢層や環境も大きく違うけど、共通するのは
      「探す心」の枯渇のように思える。好奇心ともいえるし人生を愉しむ心の希薄さとも言える
      かもしれない。レストランは美味しい食事とワインを楽しむ場所、学校は専門知識と技術の
      習得だけでいい。そういう思いの方々ばかりのような気がして「ツマラナイ」のでありま
      す。

       専門学校で教えてすでに40年以上のワタクシ、記憶に印象深く刻まれている学生(卒業
      生)は片手に満たない。私に魅力がないことは疑う余地はないけど、果たしてそれだけの理
      由だろうか。このことをレストラン店主に告げ、だからさそれはとってもむずかしいことだ
      し、時代が影響しているのかもしれんぜ、などと嘯いたりして。ま、こんなこと書いたって
      どうなるもんじゃないってことは委細承知してるけど。それにしても、面白い人はいないの
      かい! と言いたくもなるじゃあ〜りませんか。

      違いまっか?・・・・・・・・・・・・・・・・の、店主でしたぁ。

      「サイコ」プチ分析 1

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          このところNHK-BSで、ヒッチコックの映画が連続上映されている。A・ホプキンスが主演
        した「ヒッチコック」にあわせてのことだろうか。なんにせよファンの私にはうれしいこ
        と。画像が精細だしキレイだから。先日、放映された「めまい」なんか色のきれいなことに
        目を見張り〜の、ウットリし〜の。このミニ・ブームにあわせてかどうかわからないけど週
        刊文春の小林信彦のコラムで「サイコ」のシャワーシーンについて書かれていた。その昔、
        植草甚一が、このシーンの中にマネキンらしき女体にナイフが刺さっているというのだ。こ
        のシーン、刃物と身体の接触が一切ないというのが定説だったから、この発言は刺激的。

         私が持っているビデオだと一時停止がむずかしく(このシーンはとても短いカットの連続
        だから)なかなか判定することができないんだ。でも、息子が買ってくれた我が家のデッキ
        ではどんなに短くても瞬間瞬間を一時送りできるから、ナイフが刺さっているかどうかを
        キッチリ確認出来ると思ったわけ。1960年のこの映画、すでに名声を獲得していたヒッチ
        コックは、あえて白黒映画にしたんだけど、それは浴槽の血がリアルすぎるということも
        あったとも言われている。ヒッチコックの本はいろいろあるけどフランソワ・トリフォーと
        の対談集がきわめつきだろう。


         サイコも当然取り上げられている。映画を観て本を読んで、さらに映画を観ての繰り返し
        で映像表現の作法がよくわかる。映画を楽しむのに作り方や構造なんかわかんなくてもいい
        んだけど、観るだけファンとはいえ私はもっと映画に肉迫したいタチなの。だから、植草さ
        んの発見をこの目で確認したい。この本の中には件のシャワーシーンが掲載されていて、
         ナイフが腹にちょっとだけ刺さっていることがわかる。主演のジャネット・リーは引っ込
        む仕掛けのナイフだと言ってるようだけど、この刺さり方はどうみたって実際に刺さってい
        るとしか思えない。植草さんがコレを見抜いたのは多分上映当時なのだろう。その時の話し
        を小林さんが取り上げたのだと思う。この本の出版は1966〜67年とあるから本が出る前に
        映画館で何回も観て発見したんでしょう。恐るべき執念と感嘆してしまう。余談だけど、
        昔、NHKラジオ(FMじゃない)で、クラシックレコードを放送中(生です)に針圧を間違え
        たことに気付いたスタッフが、そ〜っと針の上に一円玉を乗っけて調整したことを、聴取者
        が気付いて指摘したという伝説がある。動いてる針の上に一円玉を乗せる知恵と技術も大し
        たもんだと思うけど(針はほんのちょっとした振動でノイズが出ますから)、それを聞き逃
        さない(針圧が変わると微妙に音が変わります)方もすごい。一体、どんな聴き方をしてい
        たんだか、それを問い質したい。それにしても往時は、音楽にしろ映画にしろ、鑑賞者はそ
        れほど真剣な態度だったことに舌をまく。

         ヒッチコックは撮影前には映画全部が頭の中に入っていて撮影は格別面白くないと読んだ
        記憶がある。理論家肌だし、撮影は全員スーツで白手袋着用もあながち誇張でもないだろ
        う。その、証拠といっちゃなんだけど「鳥」の絵コンテを見ればそのことがよくわかる。
         1カットごとに絵を描いたものが絵コンテ。ヒッチコックのはこのようなリアルで精密なも
        の。これが映画撮影の台本みたいなもんで、これに従うってわけだ。絵コンテを描く監督も
        いるし、使わない監督もいるだろう。どっちがいいということではなく、それは監督のやり
        方なんだからどちらも正しい。要は、どんな方法にせよ良い映画が出来れば誰も文句は言う
        まい。

         ちなみに、敬愛する映画評論家の双葉十三郎さんは、同じくヒッチコックの「疑惑の影」
        を解説するのに絵コンテを描いている。
         映画を観て単にいいの悪いのと言ってるだけじゃなく、微に入り細に入りの説明はこれぞ
        映画評論という気がする。淀川サンはこんなことしなかったけど、彼は「映画の天使」だか
        らいいの。別格ですから。お茶の水のアテネ・フランセの映画上映会で一度だけ会ったこと
        があるけど、登場するやいなや観客のきわめてやさしい心のこもった拍手が忘れられない。
        もう、そこに居るだけでイイという空気が場内に満ちあふれててさ。それにひきかえ、他の
        評論家たちは、観た映画の数や映画史を遡ることもなく、人生を映画に捧げるという覚悟も
        なく、構造分析もせずに、あーだこーだ言ってるだけだから安気なもんだ。と思わざるを得
        ない。最近は、映画評論家そのものもいなくなってしまって、片手間に映画評をやってるよ
        うな怪しい人しかいなくなってしまったから、さらに困ったもんだ。と、店主は思うのであ
        りますよ。

         そしてシャワーシーン。7日間かけて、キャメラの位置を70回も変えた。女性の肉体的な
        タブーの部分は一瞬も見えない。乳房を画面にださないようにするためにいくつかのカット
        はスローモーションで撮ったなどなど。これを読み、実際に映像をコマ送りして観ると映画
        がより深く理解出来る(ような気がする)。昔、「第三の男」の全カットを一覧表にしたこ
        とがあったけど、そんときには大した学習はできなかったと思ったけど、一見ムダだと思わ
        れる営為は私の血となり肉となっているのだろう。確信はないけど、そう感じている。この
        他のシーンの技術的な解説もとても興味深いものがあるけど、ヒッチコックが一番力説して
        いるのは、次の部分、

         わたしの最大の満足は、この映画が観客にすばらしく受けたことだ。それが私にはいちば
        ん大切なことだ。主題なんか、どうでもいい。演技なんか、どうでもいい。大事なことは、
        映画のさまざまなディティールが、映像が、音響が、純粋に技術的な要素のすべてが、観客
        に悲鳴をあげさせるに至ったということだ。大衆のエモーションを生み出すために映画技術
        を駆使することこそ、わたしたちの最大の歓びだ。「サイコ」では、その歓びを達成でき
        た。観客をほんとうに感動させるのは、メッセージなんかではない。俳優たちの名演技でも
        ない。原作小説のおもしろさでもない。観客の心をうつのは、純粋に映画そのものなのだ。

         ちなみに、製作費は60万ドルで興行収益は3,600万ドル。今のレートで換算すれば、製作
        費は6千万円、収益は36億円。実に60倍だったことが彼の発言を証明している。でも、この
        額はこの翻訳本が出版された時点(1990年)のことだと思われるから、収益はもっと高額に
        なってるんじゃないか。収益を上げることにこだわったヒッチコック、初観の客を増やすこ
        とも大切だけど、再観の客を増やすことにも心を砕く。だから、彼の映画は一度観てから再
        び観なくてはおさまらないような工夫や仕掛けが随所に織り込まれている。何回観ても耐え
        られるようなものが良い映画なのではないか。少なくとも私は思う。そして、それは音楽で
        も同じだし、デザインでも同じ事だと考えているわけです。

         なんでもヒョイヒョイと考えを応用するのは私の悪い癖かもしれないけど。木製家具の場
        合に当てはめてみると頷けることが少なくない。確かなことじゃないけど、日本で一番売れ
        たといわれるのが、このスツール
         秋田木工というメーカーの曲げ木の椅子。軽くて、積み重ねが出来る。小さいから日本の
        空間で使いやすいし、全体の姿も日本的。あまり個性的ではないから、どんな部屋でも使え
        るんじゃないか。家具は、デザイナーや作家が個性を発揮させたいがために、妙に奇妙さを
        狙ったり、技術を誇示したり、伝統という枠を意識しすぎたりしがちだけど、このスツール
        はそういった作り手の思いはほとんどなくて、まったく自然に佇んでいる。売れることがす
        べてだとは思わないけど、売れるには相応の理由があるわけで、この椅子には家具デザイン
        のエッセンスが満ちあふれているのだろう。サイコとこのスツールを比較検討することは良
        いアイデアなのかもしれない、などとふと思ったりして。

         ビデオを観ながら、リモコン片手に写真撮影したのはおよそ50カット。ここに掲載するの
        は長くなりすぎるから、次回の記事で紹介します。最後に、双葉十三郎さんのサイコの採点
        は75点なんだけど、予告編は80点なの。へ〜、本編よりも予告編のほうが高得点なんだ。そ
        したらそれを観てみようか、ってね。

        http://www.youtube.com/watch?v=U2Ql6km0v-g

        おまけ(サイコ 予告編の双葉評)
        司会者 :期待の名画の予告短編です
        映画史家:かかる予告編は史上最初で、ヒッチコック主演映画として国宝的価値を有するも
             のでアル。役者が一人も出ない予告編という点でも史上に類がない。
        慎重派 :記録映画以外はネ。
        パーキンス:オレなんかより先生のほうがずっと役者だよ。
        正直な客:ナンダロ〜このタイド。馬鹿にしてるよ。肝心なことはみんなしゃべるのをやめ
             ちゃうなんてさ。
        スリラー作家:ヒッチコック映画最高のサスペンスとユーモアですナ。
        宣伝部 :あんまり賞めないで下さい。肝心の本編が売れなくなると困ります。

        第一話はこれにて、続きはいずれまた・・・・・・・・・・・・の、店主でした。
         

        確かに、間違っちゃいない

        0
            先日、写真集を買いに恵比寿の写真美術館に行ったことは書きました。ついでに銀座まで
          足を伸ばし伊東屋でゴム印を。モーツァルトの年譜を運命手帖を書くためには年代や年齢、
          ケッヘル番号などのための必須アイテム。行間が5ミリしかないから文字高はそれ以下でない
          とならない。途中でハンズにも寄ったけどろくなものがない。で、本家の伊東屋となる。こ
          こになかったらしかたない。けど、やっぱりさすがの伊東屋です。ありました。


           せっかく銀座まで出たんだからと隣りの松屋でガスボンベ購入。オークションで3000円で
          入手したダンヒル製。この店ではボンベしか買わない。並んでいる商品はとてもじゃないけ
          ど手も足も出ない。大層なカタログももらっちゃったりして。私の年齢から、いつかなにか
          買うんじゃないかと思っているんだろう。でも、ボンベしか買わないんだ。ちなみにダンヒ
          ルライターの新品は96,000円也。買う人いるの?って聞いたら、なかなかいません、と店員
          は答える。そりゃいないだろうさ、とご満悦の店主。イヤな奴なんであります。

           どーでもいいことだけど、松屋の駐車場はものすごく古くて大型車が入らない。私のFIT
          だって左右がギリギリですからね。入らない大型車はこの立体駐車場の前にあるところに。
          機械も古いから一見の価値有り・・・・だと、思うけど。

           歳とって一番面白いのは、どんな高級店にでも気軽に入れること。ポケットに千円しかな
          くっても冷やかし半分で店員と会話が出来る。「いいね、これ!!」なんていっても買う気
          はない。でもそんなことは相手にはわからない。そこが、とっても面白いんだ。これが若い
          時には、若さ故に買うわけないじゃんと思われて、対応もつっけんどんになるけど私の年齢
          では絶対にそんなこたぁないんだ。まことにていねい、しっかりと対応してくれる。けど、
          私は買わない。

           同じフロアにある紳士服をぶらぶら。イッセイ・ミヤケのジャケットに目が止まったけど6
          万円じゃ手が出ない。ポール・スミスの財布に目が止まり1万5千円(ぐらいだった)。うー
          む、今の財布は一回破れたのをボンドで補修してるし、カードが4枚しか入らないからとっ
          ても不便。どうしようか・・・・・・・・悩みつつ・・・・・・・。でもなぁ、店員が寄っ
          て来ない。気のきいた対応だったら買ったんだけど、遠くで見てるだけなんだもん。けっこ
          うなしぶしぶな我慢で、なおもぶらりんこ。そしたら、アニエスBで壁に掛かったシャツを発
          見。うーむ、こりゃ〜いいぜ、ユリちゃん(ユリちゃん、久しぶりの登場です)。どうだ
          い、まったく、けっこうじゃんか。財布と同額。女性店員の対応もよかったし、試着が大嫌
          いだから、即購入。で、帰って着てみたら襟ぐり(っていうのかな)首回りがものすごく開
          いていて、どーにもこーにも。ありゃりゃ、失敗こいたかな。こりゃ、難敵だぞ。襟が開い
          ているのは着たことない。こんなシャツ着るのは危険きわまりないって、冒険ダン吉かい。
           でもせっかく買ったんだし、これもいい試練かもしれないと思い直し・・・・。そのう
          ち、授業に来て行くから、このブログを読んでる学生がいたら覚悟?して待ってろや。って
          ほどのもんでもないけど。

           相変わらず本題に入る前の前書きが長い。長過ぎまっせ、ったく。でね、懇意にしている
          中目黒のバランチェッタで昼ご飯を食べようと。行ったんだ。たまにしか行かないからさ、
          売り上げ貢献のために2000円のランチ。と、ビールを注文。店主のO崎さんとあれこれ雑談
          してたら、これが来た
           接写左はタケノコを生ハムで巻いたもの。これは前にも食べたから美味しさは知ってる。
          問題は右の野菜トマト煮みたいなもの。これが、ウマイ。いや〜、こりゃぁ〜旨いぜ、ユリ
          ちゃん。緑野菜は九州かどっかのなんとかいうモノ。それとともにホタルイカが混入されて
          いる。こりゃぁ〜旨いぜ、ユリちゃん2。ちなみにこれは前菜。この後メインの肉料理が登
          場。大振りな豚肉と鹿肉が4切れづつ。むろん、野菜炒めも付いているのだが、会話に夢中
          になり写真撮り忘れ。もう、充分満腹なんであります。さらに、デザート(有名な熱々トマ
          トの上にアイスが乗ってる逸品)+コーヒー。これで、2000円は誰がみたって、まったく問
          題はない。

           いつも思うんだけど、一人で昼を食べるのは味気ない。誰か一緒にと思うけど相手がいな
          い。気軽に電話して「いいわよ」と快諾してくれる女性がいないんだ。お誘いするんだから
          おごりはモチロン。だけど、相手がおらんのだ。これは夕食でもおなじこと。私は、この店
          しかいかないし、食後にどこかに行こうなんてことも思わない(ゼロ%じゃないけど)。ア
          メリカじゃないんだから、夕食=デート=ベッドインなんて短絡はない。とはいうものの、
          そんなことを説明するのもダサイじゃん。私のそんな気持ちを理解してくれて、ひとときの
          会話を楽しみながら美味しい料理とワインを飲もうという優しい心根の女性はいないもんな
          のか。あぁ、無情・・・・・・・・なんちって。マジなんだけどなァ〜。待ってるんだけど
          なァ〜。ひとつよろしくお願いしますよ。メールで「OK!」の一言でいいからさ。

           でね、今日、授業が終わって帰宅して、この料理を作ろうと思ったわけなんだ。西友でホ
          タルイカとトマト煮缶詰めを手にとってレジに並ぼうとしたら、すぐ後ろに80代とおぼしき
          女性が手押し車を押しつつ並んでいる。どうぞどうぞと先を譲ったら「卵も・・・」なんて
          言いながら卵のケースに行こうとして手押し車を前に押したもんだからカゴの上に置いてあ
          るヨーグルト大箱とお惣菜のパックが床に落ちて、しかも車は前の女性の脚にぶつかって、
          女性は怪訝な顔で振り返る。いやいや、私じゃありませんよ。とも、言いかねてそれらを拾
          い上げる。戻った老女は「あらあら」なんていいながら、その耳元に「レディファーストで
          すからね」なんて私は囁く。支払いも終わり、帰り際に「ありがとう、おじさん」って言う
          ワケ。

           うーむ、若い人や子供に「おじさん」って言われるのは慣れている。もうすでに老境に差
          し掛かっているから「おじいさん」と言われてもいい覚悟も出来つつある。でも、80才越え
          の女性からの「おじさん」呼ばわりはな。悪い気持ちってことじゃなく、なんかとっても面
          白くてね。新鮮な驚きだったんだ。まぁ、確かに、間違っちゃいないけどさ。誰が見たって
          おじさん&おじいさんですもんね。不満はまったくないけど、相手の年齢との比較(ってい
          うのも変だけど)を考えると可笑しかったのでありますよ。お礼を言われて「いえいえ」
          「またお会いしたいですね」なんて軽口をたたきながら、自転車で帰ったわけ。帰りなが
          ら、そのときの雰囲気が面白くって顔がほころんでしまう。日常の中のほんのちょっとした
          出来事や交わす二言三言が心を和やかにするもんだ。

          年取ることも悪くない・・・・・・・・・・・・・・の、店主でした。


          三國連太郎が亡くなっちまっただ

          0
             三國連太郎が亡くなってしまった。昨日まで元気だったという感じがしてたからあっけな
            かった。まったく個人的な思いだけど、日本の男優では森雅之に次いで三國さんが好きだっ
            たので残念なことだ。とはいえ、充分映画で楽しませてもらったし、相応の年齢だったから
            思い残すことはない。一ファンの私がそういうのはなんか変だけど。ちなみに女優は田中絹
            代が一番で、次いで高峰秀子。でも、今じゃこんな古い役者なんか誰も口にしない。あぁ、
            こうやってなにもかも忘れ去られてゆくんだなぁ。しかし、店主だってサイレント映画の大
            河内伝次郎とかバンツマなんか晩年近くしか知らないし、後年のアラカンだってほとんど記
            憶にない。伏見直江とか山岸しづ江だって同じようなもんだから、いずこも同じ秋の空って
            なもんでね。人のこたぁ言えないわけです。

             十年ひと昔とはよく言ったもんで、年齢を重ねると社会との断絶が増してくる。私が年取
            る一方では生まれて来る子供もいる。教えている学生は20才前後が大半だから、私が45才く
            らいの時に生まれたわけだ。当然のこと、映画や音楽のことなんか話しが通じることはほと
            んどない。でも、私が子供だったときにだって年寄りとは話しが通じなかったわけで、そん
            なことの繰り返しで時代が移り変わるもんだ、としみじみの心。死にたくない、永遠の生を
            求める気持ちもなくはないけど、まわりぜ〜んぶと話しが通じないんなら生きてることの楽
            しみなんかないじゃんか。だんだんそう思えてくる、今日この頃。忘れなけりゃ、新しいこ
            とが頭に入らないってこともありますもんね。しかたのないことと、少しずつ死を受け入れ
            られるような気がする。

             東北震災で出版が延びていた佐野眞一「怪優伝」は2011年11月20日が初版だった。三國
            連太郎との二時間半にわたる対談をまとめたものだけど、こうして亡くなってみるとまこと
            にタイムリーな本だったと言わざるを得ない。以前にも記事にしたけど、この本は10本の映
            画を語り合うという内容。飢餓海峡、にっぽん泥棒物語、本日休診、ビルマの竪琴、異母兄
            弟、夜の鼓、襤褸の旗、復讐するは我にあり、利休、息子。未観は夜の鼓、襤褸の旗の二
            本。新聞で有馬稲子が「夜の鼓」で三國に本気で平手で頬を打たれたと書いてあったので、
            あわててオークションで入札中。そりゃ、なんてったって観なくちゃなりません、このシー
            ン。本の中では、リハーサルから何回も叩かれたから頬が腫れ上がって大変だったとか。で
            も、映画を観ていないからこの部分は読まないでおいたから知らなかった。監督がやれって
            言うからしかたなく、なんて言ってるけど。この本、映画狂の佐野VS怪優三國ががっぷり四
            つに組んでのことだから素晴らしく面白い。細かいシーンなんかも事細かに突っ込んでいる
            しさ。なんも準備もしない徹子の部屋なんかとはワケがちがう。

             私はなんといっても「飢餓海峡」がベストだと思うんだけど、「破戒」の部落解放運動家
            や「切腹」のこわ〜い家老も印象深いし、「金環食」の悪徳政治家も凄かった。飢餓海峡を
            題材した石川さゆりの舞台があるけど、さゆりにアドバイスしたことが彼女のブログに書か
            れている。瞽女さまの役を舞台でやった時、「景色や気配を耳だけでなくもっと顎から
            感じたらいいですよ」と。うーむ、顎かい! 顎から感じるって私にゃなんのことかさっぱ
            り。情けないけどワカリマセヌ。

             艶福家としても名を馳せたことは誰でも知ってる。それを調べてたら加藤嘉のことが書か
            れてて、彼の方が一枚上手だったと。なんたって三度目の結婚が山田五十鈴ですからね。推
            して知るべし。「砂の器」でハンセン氏病の老人は鬼気迫る演技だったけど、終わってから
            若い娘っこと愉しいひとときを過ごしていたなんざ、役者やのぅ〜。で、三國さん。太地喜
            和子との「ガソリンをぶっかけたような恋」が有名だけど、アサ芸+(プラス)で紹介され
            ていたこの一文が秀逸なんで転載しちゃおう。アサ芸とは「アサヒ芸能」なる週刊誌。太地
            の家に行って「息子があと10年したら大きくなるから、そしたら結婚させてください」と頼
            み、同家で3ヶ月同棲した後に、彼は家を出た。らしい。どえりゃ〜ことするもんだ。った
            く。その後、幾年月、アサ芸の企画で両者は再会の宴と相成る。

             喜和子は、まだ「俳優座養成所」に所属していた二十歳前後の娘だったが、三國との恋に
            なりふり構わず、北海道まで追いかけたこともあった。三國は生涯の傑作である「飢餓海
            峡」(65年/東映)の撮影中で、2人の同棲は半年ほど続いた。本誌は、2人の別離から約
            10年後に、最初で最後となる対談を収録している。今どきの役者ではありえないだろう『そ
            の後の2人』の会話は、鋭い切れ味に満ちていた。以下、一部を抜粋してみよう。

            太地 三國さんは、どうしてあの時、喜和子から逃げ出したんですか?

            三國 (ながい沈黙)

            太地 聞きたいの。

            三國 十年目にして率直にいうけど・・・・・あなたのからだにひれふすことがイヤだっ
               た・・・・・・・・。そういうことです。あのころはぼくも若かったし、やり盛り
               だったから毎日でもできた。だけど、それは未来永劫につづくワケじゃない。

            太地 でもよかった。お会いできて。

            ー太地は、場を用意した編集部にも礼を述べ、生涯ただ1人の男との再会を心から喜んだ。


            「喜和子、こんなにうれしそうな顔をして・・・・・・・・」
             再会の写真を見てほほえんだのは、喜和子の長らくの親友だったカルーセル麻紀である。
            筆者がカルーセルのもとを訪れる直前に、大女優の山田五十鈴が95才で大往生したとの報が
            あった。その訃報に、喜和子も亡くなって20年と思い起こした矢先のことだった。
             五十鈴と喜和子には、こんな逸話がある。喜和子の文学座の先輩である樹木希林が、酒場
            で「醜くなったわよ」と毒づいた。この一言に喜和子は、こうタンカを切ったのである。

            「あたしを誰だと思ってるの。あたしの本当の母親は山田五十鈴なのよ!」

             かっちょえ〜の〜。役者たるもの、こうでなきゃいけませんよ。三國さんの愚直で真摯な
            態度はむろんこと、太地さんの最後のタンカも素晴らしい。実生活で母親が誰だかわからな
            かった彼女は、尊敬する役者を母と呼んでいた。私にはこんなタンカは到底ムリだけど、心
            の底には過去に付き合った方々に恥ずかしくないような「今」でありたいと思う。三國さん
            と太地さんの付き合いは一年ほどで終わったようだけど、そのことは彼らの心にくっきりと
            刻み込まれていることだろう。それは誰の心にも同じように存在する。私の人生にとって大
            きな影響を与えてくだすった方に対して礼を失するような「今」ではありたくない。それが
            行動の指針になっているし、北斗七星でもある。直接会った人かどうかは問題ではない、問
            題なのは私の心に刻み込まれたかどうかの一点に尽きる。

             さておき、役者の恋愛遍歴はあれこれ取り沙汰されるけど、それは彼らの生き方や人生観
            のごくごく一部の発露によるものだから、そこだけをあげつらうのは如何なもんだろう。な
            ぜそうなったのか、そうせねばおさまらなかったのか、それは彼ら彼女らの心奥に潜むやむ
            にやまれぬほとばしりにあったんだろう。そこに思いを至らせなければ核心本質を見失うん
            じゃないの。役者や歌手、作家や絵描きのような表現者、デザイナーだって下位とはいえ同
            業です。好奇心や感受性が乏しけりゃ学ぶこともできないし表現することも浅薄なものにな
            ろうってもんじゃないっすか。飛躍しすぎと言われるだろうけど、だから私は処女と童貞は
            表現者としては欠格だと烙印を押すのだ。感受性が豊かであるならば異性に興味を持たない
            わけはないし、恋愛感情は肉体を伴って初めて完結するもんでしょ。でも、そういと必ず眉
            をひそめる人がいるのも世の常。こんな考えが異端であるコタァ百も承知だけど・・・・。

             「役者人生五十年記念・役者 三國連太郎」というビデオがあるそうだ。この中で緒形拳
            と三國連太郎が本音をむき出しにした対談が最大の見どころだと佐野眞一は書いている。
            『三國はその対談で、緒形くんのような醜い役者は見たことがない、と言っている。もちろ
            ん、醜い役者とは、腸(はらわた)で芝居ができる役者という意味なので、三國一流の褒め
            言葉である。だが、醜い役者という強い言葉には、三國の緒形に対する嫉妬心のようなもの
            も感じた。これに対して緒形は、誰も尋ねたことがないこんな質問を三國に投げつけてい
            る。「三國さんに一つだけ疑問があります。なんで『釣りバカ』にお出になるんですか?」

             私も長らくこのことが最大の疑問なのだ。名優にして怪優とも呼ばれし三國連太郎、なぜ
            10年以上もあのような映画に出演し続けたのか? しかも相手は西田敏行である。緒形拳と
            は比べようもない。いや〜いつもシリアスばかりだったからたまにゃと思ってね、楽しいか
            らついつい長居しちまって。まさか、そんなこたぁないだろぜ。歳とって頭がふやけたなん
            てこともぜったいないだろうし。♬謎が謎呼ぶ〜殺人事件〜〜〜〜〜。あ〜あ、いつもこれ
            かい! わからないことは逃げの一手かい!!

            一人悩める老いたウェルテル・・・・・・・・・・・・・ならぬ、店主なのだ。


            美の効用

            0
                週一二度はお茶の水にある学校に行く。仕事の打ち合わせで出かけることもある。しか
              し、それ以外でのお出かけはことのほか少ない店主。たまたま、新聞で紹介されていた写真
              集の一枚が素晴らしかったので、学校直近の三省堂書店に行ったんだ。でも、新聞の切り抜
              きを忘れ、カウンターで問い合わせたら同じ新聞なのに書評ページの中身が違う。?と思っ
              たんだけど、ま、しかたないさ。わからずじまいで帰路につく。

               でね、AMAZONで調べたらあるにはあるんだけど、やっぱ手に取ってみたいじゃないっす
              か。そこで思い付いたのが写真美術館。あそこならあるかも、と。電話したらあるにはあ
              けど出版元から戻してくれとお達しがあって、この電話で予約するんなら取り置きできま
              す、というわけ。なんか品薄らしい。そう言われちゃあ、予約しますよ。買う前に見たいけ
              ど、そうは言っていられない緊急事態だからさ。この写真集、Y.Ernest Satowという日系人
              のもの。私しゃこの一枚に目が釘付けになったのさ。
               「雪のリバーサイド・パーク」NY 1955−57。大好きな美術家・森村泰昌さんの「視線」
              ということもあるけど、この美しさはすごい。「画面のほとんどは雪で、埋もれた樹々や鉄
              柵がわずかに垣間見える。雪の白はハイキーにプリントされ、印画紙の白い地色がそのまま
              雪の色となる。描かないことが空間表現の最高の手法であるという水墨画の美学を、写真と
              いうモダニズムの美学に置き換える。その置き換えにあざとさはなく、なにか、発見の素直
              な歓びに満ちている」と森村さんは書きつづる。さらに「『日本』はこの写真家の心奥に潜
              む見果てぬ夢の美であり、アメリカはその美を育む『今』だった。このふたつが重なった
              『得も言われぬ美』に、アーネスト・サトウの面影を見るのは私だけであろうか」と。私だ
              けではありませんぜ。ここに一人の私も同意見でっせ。そういえば森村さんの写真展を観に
              同美術館にいったんだっけ。

               アシモが登場した「ロボット革命」を観たら、役に立つものを作りたいとスタッフが言っ
              ててさ。そりゃそうだ。それにひきかえ私がデザインするもの、授業でこさえるものたちは
              役に立つのかと問われれば身がすくむ。なくてもいいんじゃないか、との思いが消え去るこ
              とはない。とはいえ、人はパンのみにて生くるにあらずの言葉もあるように、笑いや「美し
              さ」だってなにかしらの役には立つもんだろう。とも思うし。音楽しかり絵画しかり。だか
              ら私はこの写真集に惹かれるのも無理はない。そんな私だから、昔、こんなものも買ってし
              まった過去がある。

               倉俣史郎の「ミス・ブランチ」。ミス・ブランチはバラの造化を樹脂に封じ込めた椅
              子。とても美しく、とても高価だから、とてもじゃないけど買えるものではない。
               限定生産だったらしい。販売価格は200万だったらしい。それが、数年前に海外のオーク
              ションで数千万で落札されたらしい。サッカーの中田も持ってるらしい。らしいの羅列で実
              体は何一つわからない。展覧会でも目にする事がなかなかむずかしい逸品。あるとき、その
              部分現物とでもいえる塊が青山のとあるショップで売りに出されていた。たまたま友人と訪
              れた私は釘付けになり値段を聞く。う〜む、7万円か〜。一緒に売っていた塊には羽毛が封入
              されてて、これが3万円。両方で10万か〜・・・・・・・・・・・・・。一度は諦めたけど
              諦めきれずに再訪。カード使える? もちろん! 分割支払いは? 何回でも! ありゃ〜
              まいったな。買えるじゃん。10回ローンなら月一万か。なんとかなるじゃん。

               で買ったのが、コレ。
               こ・れ・な・の・ダ!! めったに拝観できない秘仏みたいな存在。だけど、ふだんは忘
              れてる。これとコラボレーションして作品を創り出すのが私に課せられた責務。ペリカン万
              年筆のパッケージ程度とのコラボならすぐに出来たけど、コレはなかなか出来そうにもな
              い。この塊を使って木で何が出来るというのだろうか。とはいえ、いつかは、やっちゃる
              ぞ。それまで眠っとれ。この美しさとなんらか競う何かがあるんだろうか、私の中には。今
              はまだまだといった案配だけど。それが熟成されて「これは」というようなアイデアが生ま
              れるんだろうか? 運命の手帖にモーツァルト年譜完全版を成し遂げることと同じようにこ
              ちらもまた私のライフワークと言えるだろう。なんちゃって、ね。

               購入した写真集は思った通りの中身でした。よかばい、よかばい。3360円安かばい。
               人物はオノ・ヨーコ。ごっつ魅力的なんです。あまり好きではなかったし、それは今でも
              同じなんだけど、この写真のヨーコは実に魅力的。ジョンが惚れたのもわかるような気がす
              る。それが一番の発見だったかもしれない。

              贅沢させていただきました・・・・・・・・・・・・の、店主なのだ。
               

              運命の手帖

              0
                  しばらく前、講師をしている専門学校で海外研修旅行があったんだけど、美生徒A嬢から
                「なにかおみやげのリクエストはありますか?」と聞かれたんだ。たしか、行き帰りの飛行
                機の中でのひまつぶしに古本を買うてあげた返礼としてのことだったような。気がするけど
                そんな昔のことは自慢じゃないけど覚えちゃいない。でね、ほんのちょっと考えて「なにか
                拾ってきてほしい」と答えたわけ。私自身、旅行に行ったときに拾うのが好きだからさ。そ
                れは記念品として私の心に残るしね。

                 これは去年ウィーン市内で拾った栗の実。人間が食べる物ではなく、馬が食べると聞いた
                けど。この栗の実はシェーンブルン宮殿近くの道路にいくらでも落ちていたんだ。私はせい
                ぜいこの程度のものを考えていたわけ。でも、研修旅行で道に落ちているものを探しながら
                歩くなんてこと、ちょっと申し訳なかったなもしれないな、と思わないでもない。とはい
                え、そんなことを思たってすでに旅立っているわけで時すでに遅し。ちっちゃな♡を痛めて
                いたわけ。

                 旅行から戻ってしばらくたってから「これ」と渡されたお土産は想像を遥かに超えた逸品
                ともいえる一冊の手帖。
                 どひゃ〜・・・・・・どえりゃぁモン拾うてきたもんじゃ。なんてこったい、望外な代物
                じゃないか。イタリア・Nazareno Gabrielli社の製品。
                http://honyaku.yahoofs.jp/url_result?ctw_=sT,een_ja,bT,uaHR0cDovL3d3dy5uYXphcmVub2dhYnJpZWxsaS5pdC9ob21
                lLmh0bWw=

                 表紙には、MSAS Italcargoの刻印。うーむ、こりゃきっとイタリアの運送会社のものだろ
                う。業務用の手帖に違いない。けっこう立派な装丁だからある程度の役職の方に配られたも
                のだろう。中を開いてみると
                 1992年とある。20年前じゃないか。拾ったのはゴミ箱だったと聞いていたから悪い奴に
                掏られてノートだけが捨てられたんじゃないか。曰くあるもんじゃないか。と思ったけどそ
                うではないらしい。棚かなんか整理していたら出て来て捨てたんだろう。そんなら心おきな
                く使えるってもんです。メモが貼られていたり書き込みもあったりするけど、ほとんど未使
                用ともいえるのよね。

                 これを何に使おうと思案投げ首。遥かイタリアの地、それもゴミ箱から救い出されしの末
                はるばる日本まで旅をして来たというだけで心躍る。決して大袈裟ではなく私にとっては運
                命の手帖と言える。はてさて、なにに使ったら運命の出会いをさらに楽しめるのか? でき
                れば一生手元に置いて愛でるようにしたいもんだ。いささかの後、そりゃ考えるまでもなく
                モーツァルトしかない。すぐに、以前、作ったモーツァルト手帖を手書きで作り直そうと
                思ったのですわい。

                 数あるモーツァルト本の中でも一押し「東京書籍 モーツァルト事典」はずいぶん前に神
                田で購入してある。5000円だったけど、決して高くはない。これを、コピーして張り込んだ
                ものは出来上がっている。だけど、張るとどうしても紙の分だけ厚くなり体裁がわるい。
                やっぱり手書きじゃないとイカンな〜とは思っていたんだ。そうは思っていたけど、手書き
                のためには万年筆を買わなきゃいかんし、かといってそうまでして手書きをすることもない
                か(だってコピー版はあるんだから)と、うすぼんやりと考えていた折もおりに差し出され
                た運命の手帖。こりゃ、手書きせにゃならぬ。そのためには万年筆を買わねばならぬ。

                 ってことで、学校から近い神田「金ペン堂」に行ったのが、昨日のこと。
                http://www.navi-bura.com/main.php/view/main_ca_6/sub_ca_4/0/00091/0/
                 
                 ここに万年筆屋さんがあることは学生時代から知ってる。狭い店内に3人のスタッフが待
                ち構える中「万年筆ください!」「予算は3万円」「出来れば2本買いたい」「細字で、イン
                クは黒」「モーツァルトの年譜を書くのが目的」と運命手帖を見せながらこちらの条件を
                次々と伝える。モーツァルトなんだからドイツ製じゃないと困ることも。ドイツ製万年筆な
                らモンブランが有名だけど、この店はペリカンなんだ。モンブランを希望するんなら他の店
                に・・・・・・。それを、遮って「いや、この店で買いたいのだ!」とゴマをすることも忘
                れない。「それは、どうもありがとうございます」と言いつつペリカンを案内してくださ
                る。

                 一本31,500円のペン先は14金。その半額程度もあるけどステンレス。そりゃ、文句なし
                14金でしょう。なんせ一生もんだし、飽きていつしか使わなくなることも充分考えられるか
                ら、高額のほうが飽きることを予防出来るし。軽口を叩きながら使い方を説明されインクを
                選びのひとときは極上のものであった。しかもですよ、最後に渡されたのがモンブランの販
                促品CD。映画「アマデウス」のサントラ盤がおまけでついてきた。うーむ、そつがない。
                まったく盤石の接客と見た。

                 4つの物体を、

                 紙封筒に無理矢理入れて、

                 さらに手提げに入れてくださる。手提げに入れるんなら紙封筒は必要ないんじゃないか?
                そうは思ったけど、この店のやり方なんだろう。

                 万年筆はペリカンだけど、インクはモンブラン。パッケージが素晴らしい!!! 右の◇
                は布取っ手。

                 箱を引き出すと、このように。キャップが見え、左は固定用のスポンジ

                 これがインク壜。分厚いガラスは輝き、かたちはいかにもドイツ これを素晴らしいとい
                わずして何が素晴らしいんだ。重厚だし、いかにも一級品の雰囲気に圧倒される。1800円。

                 で、これが万年筆。いろいろあったけど、私なりのモーツァルトのイメージでこれを選ん
                だ。軽やかでカラフルな感じはまことにけっこう。書き味だって悪かろうはずもなく、まこ
                とにけっこう2。帰り際、なんども「また来て下さいね」と言われた。なにか問題があったと
                きには対応してくれることは間違いない。いや〜、何から何までけっこうづくめで至福のひ
                とときを過ごさせていただきやした。

                 万年筆のパッケージはインクをはるかに凌駕する逸品だけど、ご紹介することはできぬ。
                なんでや? このパッケージに品物を入れて運命手帖の返礼としたいがため。おみやげの入
                手方法や金額の多寡や値打ちなんか問題じゃない。問題なのは私の心を打つかどうか、その
                一点に尽きる。だから、なにか返礼をせねば私の心は承知しない。相手の負担になるような
                モノではいけないし、私の心を打ったように相手の心も打つような「何か」でないとならな
                い。むろん、お金を掛けるわけにはゆかない。

                 そこに登場したのがパッケージ。これに入るものと見回したら、すぐにあるものに気が付
                いた。そうだ! それにしよう!! ってことで、早速作業に入る事にしよう。このことは
                あくまでも私と相手の個人的なことだからさ、ブログでパッケージを紹介することはできな
                いのよ。あとは作るだけ。素晴らしいパッケージとの勝負。せいぜい負けぬように頑張り
                まっしょ。言うまでもなく、目的は返礼なんだけど、それとは別に私とペリカンとのデザイ
                ン勝負でもある。こんな遊びが大好きな私は喜んで精励しましょう。・・・・・・・しばし
                お待ちあれ、美生徒A嬢。

                ペリカンならKOされてもOKなのさ・・・・・・・・・・の、店主でした。

                そして、プレゼンBOXなのダ

                0
                    プレゼンBOXを初めて知ったのは6〜7年前か。私は50才をはるか越えてからのこと。な
                  んて遅いんだ。その年齢になるまで知らなくて、よくもまぁデザイナーの端くれなどと言え
                  たもんだ。今、考えても冷や汗もんでっせ、ほんま。以前の記事のおにぎり屋さんを始める
                  MARIさんのダンナ、Chrisと出会い、私の授業に来てもらったときに教えてもらったのだ。
                  ことの発端は、学生がA4のクリアファイルを片手に持ちながら説明していた時。「ヒロサン
                  あれはマズイっす、プレゼンBOXをなんで使わないの?」と言われた私はなんのことやらわ
                  からない????????????????????????????????????。
                   プレゼンボードやペーパーならみんなやってるし私だって何回も経験があるからわかるけ
                  ど、BOXってのは一体どげなもん? で、翌週カンタンなモデルを作って来てくれて、それ
                  を真似て作ったのがコレ

                   箱のサイズは7㎝×32㎝×40㎝。中に納まるのボードの大きさによって変わります。材料
                  は厚さ3㎜のスチレンボード。 比較的安価なこのボード、軽い樹脂を紙でサンドイッチした
                  もので厚さが3,5,7㎜といろいろある。軽くて加工性がいいから私は模型やこういった箱なん
                  かで使う事しばしば。けど厚くなるにしたがって直角に切るのが難しくなり、私のへなちょ
                  こ技術では5㎜がギリギリ。7㎜になると到底ムリ。みんなどうやって切ってるんだろう?
                   は開くときの目印。なんせ、全身真白だから開く位置がわからない。ここで迷っていた
                  んじゃ、第一印象が悪くなり、後のプレゼンにも悪影響は必定。またワンポイントにもなる
                  でしょ。これも、今回の補修の一部。

                   もうずいぶん前に作ったBOXだから白いスチレンボードは黄ばんできたし当て傷もある。
                  しかもボンドで接着した部分が壊れてきてもいたので白い布テープで補強したわけ。デザイ
                  ンの仕事の場合、最終完成品が出来上がるまでには、それぞれの段階で打ち合わせをしなく
                  ちゃならないんだけど、打ち合わせのときにはなんらかの成果を見せなくてはなりません。
                  成果はスケッチの場合もあるし図面やモデルの場合もあるけど、それらをひっくるめて成果
                  物といいます。大きな仕事(建築など)の場合には、着手金1/3、工事半ばで1/3、引き渡し
                  時に1/3という具合に支払いは分割されるけど、私なんぞは最後の成果物を納品したときに支
                  払われることしかないから、最初の段階ではできるだけお金は掛けないほうがいい。だっ
                  て、どこで仕事がダメになるからわかんないでしょ。打ち切りになったら一切の入金はない
                  からさ。それまでの努力や経費は無駄骨になりかねない。だから、このBOXも見た目はそこ
                  そこかっこ良く、でもお金はかけちゃいけないのであります。

                   最初のプレゼンっていうのはデザインを始めるにあたっての調査資料とか、それに基づい
                  た自分の考えをまとめて、発表する事。プレゼンボードは適当なサイズの薄板に資料を張り
                  付けたもんなんだけど、そのボードを収納するための箱がプレゼンBOXだっていうわけ。

                   一回目の展開でこのように開きます。穴はボードを取り出しやすくするために開けたんだ
                  けどあまり効果はなかった。ホントは開けたら中にボードが入っているんだけど、見やすく
                  するために取り除いてあります。

                   二回目の展開でこのように立ちまする。左下に溝が見えますか? ここも今回の手直し部
                  分。けっこうな量のボードが斜めに立て掛けられるから重みで倒れることしばしばでね。こ
                  のBOXそのものが成果物でもあるし、お客さんが最初に目にするもんだからあだやおろそか
                  にはできません。箱を開き組み上げる手順もスムーズに出来なけりゃ「こんなこともうまく
                  出来ないデザイナーには頼めない」となってしまう可能性もある。

                   そこにボード(12枚)を立て掛ける。で、こちらが説明者側。ちなみに台紙となるボード
                  はプラダン(プラスチック段ボール)といわれる安価な材料。ホームセンターで売ってま
                  す。色は、白、黒、グレー、乳白色かな。厚みは3㎜、5㎜あたりがふつう。今回のこれは
                  Chrisが身近な残材で作ったものだから色はまちまち。

                   聞く側(お客側)はこうなる。手前(説明者側)にあるボードを聞く人に次々と見せて行
                  くわけ。ま、言ってみれば紙芝居のようなものだけどね。手前にある12枚のボードを説明し
                  ながら相手の反応を見ながら随時つぎつぎとボードの上に重ねながら進行するという次第。

                   これのなにが良いかというと、テーブルさえあればボード自身が自立できること。それに
                  より説明者は両手が使えるし、動き回る事もできる。一見どうってことないことのように思
                  われるかもしれないけど、動ける(腕も身体も)ということは極めて重要なポイントなんで
                  す。さらに、相手の反応を見ながら進行出来ること。説明者は自分の側にあるボードを見れ
                  るので先を読みつつ進められるでしょ。そして、全部終わった後にすべてのボードを並べて
                  質疑応答ができること。多量の情報を見せられたお客さんはいちいち覚えるわけにはゆきま
                  せん。全部を一覧できれば、質問やディスカッションの一助になる。弱点は画面が小さいの
                  で多人数に対応できない。この資料はおよそA4なんだけど、これだとせいぜい15人くらいだ
                  ろう。上海でコマーシャルの仕事に精を出していたChrisは、A2サイズを100枚くらい用意し
                  たというから、重さだけでも大変だ。A2だと40〜50人くらいには対応できるような気がす
                  る。

                   もっと多人数の時はパソコンデータをプロジェクターで映写することになる。これは、ベ
                  ルリンで椅子の新作発表のときに体験した。動画を上映しながら、デザイナーが説明して行
                  くというもの。確かパワーポイントを使ったと聞いたような。これなら数百人にも対応出来
                  る。でも、動画は画像が出ては消えるもんだから観客は覚えておくことができません。終
                  わったあとでディスカッションなんて無理です。お客さんの人数によってだけではなく目的
                  によってどのような方法でプレゼンをしたらいいのか、を考えなくてはならんのでしょう。

                   プレゼン十二か条を説明するためにChrisが作ってくれたボードは、
                   これで全部。彼は、コマーシャルのデザイナーだったので、クライアントにプレゼンする
                  機会はそれこそ腐るほどあったんだろう。それに比べて、私はプロダクトという立体物なの
                  で最終成果物が大きく異なる。映像と立体物ですからね。立体物は図面や模型で徐々に成果
                  物の姿を想像出来るけど、映像は絵コンテやいくつかのカットのスケッチでしかないから、
                  足りないところは想像力で補わなくてはなりません。その想像力の手助けをしてくれるのが
                  これらの画像だろうから、私とは画像に対するこだわりレベルは天と地ほどの違いがあるん
                  じゃないか。なんといってもプロダクト=立体物は、手に取って見る事ができるもんだから
                  さ、この画像はあくまでも補助的なものでいい。それに比べて映像は、これらの画像が成果
                  物そのものといっていいほどのもんだと想像できる。力の入れ具合は段違いであることは間
                  違いない。

                   そんな私だからそこそこでいいと思ってるわけ。でも、そうは言っても低レベルで甘んじ
                  てもいいなんてことはこれっぽっちも思っちゃあいないんでっせ。トウシロにはトウシロな
                  りの自負がなきゃあカッコ悪いしバカにされちゃうもんね。世の中にはプレゼンのプロや上
                  手い人はいくらでもいるだろうけど、私の身近にはChrisしかいないし、彼の仕事ぶりを見て
                  充分信頼出来ると思っているから、私は彼のこの十二枚のボードを真似て真似て真似まく
                  る。そんな経験を重ねてゆけば、おのずと私の能力も上がるだろうという魂胆なんざんす。

                   ときにはこんなエロ味も

                   こんなユーモアも必要なんだ

                   意図や考えを的確に説明出来ればイイってもんじゃない。退屈で面白くもない会議を少し
                  でも楽しくさせなけりゃならない。みんなの心を解きほぐして意見が活発に出るようにしな
                  けりゃならない。それにはお色気や笑いが有効であるに違いない。これは女性であっても同
                  じ事だと私は思うんだ。時間=お金なんだから、大勢が集まることの時間経費はバカになり
                  ません。経費が掛かるけど成果が上がれば相殺帳消しになるからさ。だから、活発な意見が
                  欲しいし、だから、画像にも工夫が求められるってことじゃん。

                   私の人生を変えたモノやコトやヒトと出会ったりしたけど、このBOXもその中に充分含ま
                  れる。私を決定的に変えたヒトは二人(いずれも女性)、コトは音楽、モノはコレかもしれ
                  ない。それほど私には大した遭遇だったんだ。プレゼンのための道具ではあるけど、単にそ
                  れだけのことじゃなく多くのことに気付かされましたよ。まったくもって神棚に飾りたいっ
                  てぐらいの代物は私を少しだけお利口にしたし、物事を深く考えられるようになったのだ。

                  と、思いたい・・・・・・・・・・・・・・・・・・の、店主でした。

                  夏だ! バイクだ!!

                  0
                     それ、ちょっと気が早すぎるんでないかい!。けど、長かった冬を我慢(寒くたって乗る
                    ライダーはいるだろうさ)した末に到来した春だかんね。もう夏はすぐそこ。実質、気分と
                    もに夏といってもいいではないか! 問題あるか・・・・・ないだろさ。

                     先日、横須賀に行ったついでに卒業生が営んでるエスケープなる飲食店に行って来た。
                    http://tabelog.com/kanagawa/A1406/A140601/14023479/dtlrvwlst/907897/

                     たまにしか行かないんだけど、まったりした雰囲気が気持ち良くて隙があったら行きたい
                    といつも思ってる店主。店に入ったとたん犬が叫んでいる。しかし、触っても噛みつかない
                    奇妙な気質の持ち主。ほんのちょっとしたら、まるでウソのようにおとなしくなって、椅子
                    の上に寝ていてさ、さっきのはなんなの?と聞かずにはいられない変身犬。君は、ジキルと
                    ハイドかいな。これからはジキルと呼ぶ事にしませう。

                     そこで一服ゆったりしてたら、同行した学校のアシスタントがサーフィンを習いたいとか
                    なんとか。そんなら、ここで遊ばせてもらえばいいじゃんって。なんたって葉山の長者ヶ崎
                    海岸の真ん前だからね。そして、その店の一階は同じ卒業生のT君が営む革工芸の店という万
                    全の態勢。このT君の店はhttp://www.bluecornparty.jp/で、長きにわたる教師生活の中で
                    もダントツの学生。会うたびに押されっぱなしなんだ。彼もエスケープもサーフィンを楽し
                    む輩はゴマンといるし、ボードだっていくらでもある。むろんお金はかからない。友達だか
                    らさ、そんなケチなことは間違ったって発生しないんだ。言いたかぁないけど「面倒みた
                    ぜ」by Hitoshi Uekiだからさ。

                     私の家からほぼ一時間、今年の夏は数十年ぶりにサーフィンごっこでもすっか。それには
                    車もいいけどバイクでかっ飛ぶに限るだろう。武士に二言はない、それに限ろうではない
                    か・・・・・おのおのがた。異論はあるまい? 幸いにして、我が家には息子のバイクがあ
                    る。HONDAだ。昔はヤマハのSR-500だったけど、今はHONDA。SR-500cc単気筒の力強さ
                    と素晴らしい排気音。マフラーは当時の学生でバイクの師匠だったS君のオリジナル。授業の
                    たんびに「先生、こんなパーツありまっせ?」なんて話しばかりで、作品製作なんか二の次
                    だったっけ。T君が乗っていたのはイタリアの名車。ドカティの900SS
                     かっこええでんな〜。ハーフカウルに伸びきったスラリのマフラー。また、その爆音が素晴
                    らしくってさ。でもこれはめったに乗らなくて、普段の足代わりがヤマハのSR-500だった
                    の。

                     ドカティは450ccのエンジン2個、一方のSRは500ccが1個。ま、すべてに負けてはいるけ
                    どエンジン一個の排気量だけは勝っている。勝ち負けなんか大人げないけど、そういうもん
                    だからね。どっか一点でも勝っていないと癪にさわるもんだからね。

                     その師匠、今は福島県の会津でペンションを経営しとるんだ。  
                     http://www.aizurokumeikan.jp/
                     会わないことすでに20年以上、連絡したら驚くだろうなぁ。超気の良い奴だったから、
                    会ってみたいと思ったりして。ってことで、今年は会いに行くだろうと心に決める。この彼
                    が自分のバイク用にマフラーを買って改造したんだけど音が気に入らない。で、私に譲られ
                    た代物。装着して乗り回していたけど、今イチおとなしい音をなんとかしようと、学校の庭
                    で鉄筋棒を差し込んだらすんなりと突き抜けてしまったのさ。いわゆる直管といわれるもの
                    で遮るものはなにもないから恐ろしい爆音になっちまった。
                     だからさ「いつも環七を走ってるでしょ」と交差点で呼びかれられたこともあったし、上
                    野で白バイに停められたけどイイ音だから許してあげる。なんてこともあったほどの自慢の
                    良音。しかも、全部バラして真っ赤っかに塗装し直したから、目立つ事この上もなし。今の
                    私はあのころからな〜んも変わっちゃいないことの証とでもいえるか。それが、コレ
                     なんで真上からなんだ? と言わないでくんなまし。家を新築したときに工事関係者が屋
                    上から撮ってくれたんだ。私のバイク写真はこの一枚しかない。24年前だから、不肖ワタク
                    シおん歳40才。こんときには、すでに娘は12才息子は10才。このころの影響で息子はバイ
                    クに乗っているのかも。でも、この後学資やらなんやらで維持できなくなって知り合いにあ
                    げちゃったんだなァ。

                     そんなこんながあったけど、今はHONDA4気筒。これはこれで相手にとって不足はない。
                    車はFIT、バイクはCB-400。バイクの経費はぜ〜んぶ息子持ちだから、タダで楽しめる。2
                    速で9000回転の加速なんてものは、油断するとムチ打ち症になるんじゃないかって勢いなの
                    であります。
                     一応言っとくけど色は赤だかんね。

                     HONDAといえばLITTLE HONDA。1964年ビーチボーイズによるHONDAソングなのだ。
                    バイク多しといえど、車種を冠した歌なんかそうそうあるもんじゃない。なんたって。アタ
                    シャ昔っから大好きなんだ、この歌がさ。

                    http://www.youtube.com/watch?v=fEO4yRUE8ws

                    君を朝早く起こすんだ 

                    I'm gonna wake you up early 

                    なぜって君を後ろに乗せて出かけるんだから 

                    Cause I'm gonna take a ride with you 

                    二人でホンダ・ショップへ行くのさ 

                    We're going down to the Honda shop 

                    そしたらこれからの計画を教えてあげる 

                    I'll tell you what we're gonna do 

                    着古したスウェットを着なよ 

                    Put on a ragged sweatshirt 

                    君の行きたい所ならどこでも連れて行ってあげる 

                    I'll take you anywhere you want me to 


                    まず1速から いい調子だ! (ホンダ ホンダ 速い 速い) 

                    First gear it's alright (Honda Honda faster faster) 

                    次に2速 右に傾ける! (リトル・ホンダ ホンダ 速い 速い) 

                    Second gear I lean right (little Honda Honda faster faster) 

                    3速!しっかりつかまって! (ホンダ ホンダ 速い 速い) 

                    Third gear hang on tight (Honda Honda faster faster)

                    もっと速く。 いい調子だ! 

                    Faster it's alright 


                    大きいバイクじゃない 

                    It's not a big motorcycle 

                    ちょっとイカした小さいバイクさ 

                    Just a groovy little motorbike 

                    最高に楽しいヤツだよ。 

                    It's more fun that a barrel of monkeys 

                    2つのタイヤで 

                    That two wheel bike 

                    この町を抜け出すんだ 

                    We'll ride on out of the town 

                    君が好きな場所ならどこへでも 

                    To any place I know you like 


                    まず1速から いい調子だ! (ホンダ ホンダ 速い 速い) 

                    First gear it's alright (Honda Honda faster faster) 

                    次に2速 右に傾ける! (リトル・ホンダ ホンダ 速い 速い) 

                    Second gear I lean right (little Honda Honda faster faster) 

                    3速!しっかりつかまって! (ホンダ ホンダ 速い 速い) 

                    Third gear hang on tight (Honda Honda faster faster)

                    もっと速く。 いい調子だ! 

                    Faster it's alright 


                    他のバイクとは比べ物にならないくらいどんどん登れる 

                    It climbs the hills like a matchless 

                    だって俺のホンダはとっても軽く改造したんだから 

                    Cause my Honda's built really light 

                    カーブに突っ込んだら 

                    When I go into the turns 

                    俺と一緒にバイクを傾け、しっかりつかまるんだ 

                    Lean with me and hang on tight 

                    ライトを灯けたほうがいいかな 

                    I better turn on the lights 

                    だって夜も俺のホンダで走り回るんだから 

                    So we can ride my Honda tonight 


                    まず1速から いい調子だ! (ホンダ ホンダ 速い 速い) 

                    First gear it's alright (Honda Honda faster faster) 

                    次に2速 右に傾ける! (リトル・ホンダ ホンダ 速い 速い) 

                    Second gear I lean right (little Honda Honda faster faster) 

                    3速!しっかりつかまって! (ホンダ ホンダ 速い 速い) 

                    Third gear hang on tight (Honda Honda faster faster)

                    もっと速く。 いい調子だ! 

                    Faster it's alright 


                     どーです。え〜でしょ。能天気で乗り回す心地よさ。生きてるぞ・・・・の実感満載。

                    そしてもう一本の動画。なんの気なしに探すでもなくめっけたのが、コレ・・・・・だ!!

                    http://www.youtube.com/watch?v=aaeKrqJJqm0


                     いや〜久々に腹を抱えての一人大爆笑。世の中にはいろんな人がいるもんだ。ユーモア
                    たっぷりシャレとしても一級品だっせ。アシモのHONDA、F-1復帰のHONDA、がんばれホ
                    ンダ、それゆけHONDA、HONDA HONDA HONDA HONDA...........今年の夏はHONDAで
                    Go!  Go!!  GO!!! だっせ

                     そしてバイク乗りとしちゃ、これにも賛辞を捧げなければならないだろう。
                    http://www.youtube.com/watch?v=QoAiVXpJrMY

                    夏を前にして、早くも少しく狂うとる・・・・・・・・・・・・・・店主なのだ。




                    アタイのプレゼン修行

                    0
                        昨日、頼まれていたキャスター付き引出し収納を納品したから、身も心も軽くなってエエ
                      気分なの。そのことはいずれ記事にするけど、気分がいいから記事を書こうと思ってね。今
                      年度の授業が始まり、来週の授業のためにBOXを補修しながら、このBOXのことを書こうと
                      思ったけど、ちょっと書き始めたらものすごく長くなっちゃうことがわかって、2回に分け
                      ることにして・・・の、1回目。それは、Eテレで評判になった(っている)プレゼンのこ
                      と。どんな仕事だってお客様とか上司とかに説明することはあるでしょ。説明の善し悪しで
                      うまくいったりボツったりするから、説明=プレゼンの良否は時として仕事の行方を占う大
                      切なものであることに異論を唱える方はいないだろうて。特に提案する立場のデザイナーと
                      しては、これをおざなりにすることは出来ません。私が、プレゼンに目覚めたのはおよそ20
                      年も前になるだろうか。その頃は専任、今は講師で勤めている専門学校でのことだった。

                       就職指導の担当だった頃、ある求人票に目が釘付けになった。おそろしく汚い字だったこ
                      ともあるけど、「厚生年金には加盟していないけど、同額のお金は支給します」の一文が気
                      になった。ん? こりゃ一体どういうことなんだ? 年金を希望するんなら個人で入れって
                      こと? なんか年金に対して考えがあるんか? さらに、この会社、採用するのは女性ばか
                      り、むろん社長も女性。おや? これはなんかあるな? と私の心は動いたわけ。そこで、
                      受け持ちのクラスから選りすぐりの女生徒数人を入社試験に送り込んだんだけど、すべて落
                      ちてしまったの。おっかしいな〜? 出来のいい学生だったから一人ぐらいは受かると思っ
                      てたんだけど。どーして? そう思った私は、不合格の理由を聞きに会社まで行ったのであ
                      ります。ちなみに、私が会社まで行ったのはこれが最初で最後、一回こっきりのことです。

                       会社の応接室に通されて、なぜにウチの学生はダメだったの?と問えば。美形の社長曰く
                      「あなたの学生は全員、声が小さいし、目線が下がるんだもの。そんな子は使えないわ!」
                       と明確なお答えが返ってきた。う〜む、なのである。入社には試験があり、その内容は当
                      時渋谷にあった東急文化会館の建替え案を考える事(このビルは今渋谷ヒカリエになっとる
                      んだけどさ)。それを事前に知らされた学生にアドバイスなんかしちゃったんだけど、問題
                      は建替え案の内容ではなく、声の大きさと目線だったわけ。なんも知らない私は意表をつか
                      れてしまったのですわ。しかもですよ「学生が考えた建替え案なんか使えないわよ。だっ
                      て、どれくらいの時間でアイデアをまとめたのかもわからないし、建替え予算も考えられる
                      わけがない。そんなアイデアが使えるわけはない!」と一刀両断。いやはや、気持ちいいの
                      なんのって。すっぱりあっさり斬り捨てられてしまいました。

                       それからは学生に対して「大きな声で、目線を下げないように」とプレゼンのたんびに言
                      うんだけど、これがまったくノレンに腕押し、ヌカに釘。効き目はじぇんじぇんありんせ
                      ん。目線を下げないっていうからは、常に相手の目を見ろってことだからカンペを読みなが
                      らのプレゼンなんか話しにならんのだ。でも、相変わらず卒業制作でさえもメモを読みなが
                      らの学生もいるし、ひどいときにはそれでも賞をとっちゃたりすることもある。こういうこ
                      とが度重なると「物言えば唇寒し秋の空」(だったっけか?)の心境になり、口数も少なく
                      なるっていうのもわかってもらえるかな〜。

                       学生が考えるアイデアは使い物にはならない。それは、時間とお金が絡んでいないからに
                      他ならない。それを少しでも解決する方法は「時間」しかない。だって、仕事を進める上で
                      の予算組みなんか経験のない学生には出来ない相談だもんね。そのことを証明してくれたの
                      はベルリンで知り合った現地の学生だった。描いたデッサンの隅っこに時間が記入されてい
                      たからさ。偉いぞ! と思いっきり褒めましたけど。デッサンの上手下手はもちろん大切だ
                      けど、どれくらいの時間で描き上げたのかを意識することのほうがもっと大切なことなのか
                      もしれない。いや、きっとそっちのほうが大切なんだろう、と思う店主。時間=お金ですか
                      らね。短時間で成果を上げられる方がいいにきまってますからね。

                       それから幾星霜。ずいぶんの後になってから友人Chrisが教えてくれたプレゼンの十二か条
                      の中にもしっかりとその2つの条件があったから、こりゃインターナショナルなんだなと私
                      は改めて理解したわけだ。声を大きくは、
                       これだ。情熱を持って話せ、ということは声を大きくということにダイレクトに直結する
                      (単語の重複かしら)。それにしても、こんな画像よくも探したもんだと今でも感心します
                      な〜

                       友達を作ろうという意識を持ってってことなのか? 英語力がないから、的を得ていない
                      かもしれないけど。とにかく目線を外すなってことでしょ、この画像は。

                       この他に10の注意事項が存在するわけだけど、これを見て私はプレゼンのやり方がようや
                      く理解できたわけです。齢50才過ぎてはいるけど、私にとってまさに目からウロコのような
                      体験でした。クライアント(要は、お客さん)にデザインを説明するときには画像と一つの
                      単語の組み合わせで。意図は明確に表現する。そんなこと知ってる人には当たり前なことな
                      んだろうけど、そのときまで知らなかったからね。わたしにとっちゃものすごいノウハウ
                      だったわけ。そうだったのか、こういうふうにして自分の考えを表現すればいいのか!!!
                       でも、なんでこの年齢になるまで誰も教えてくれなかったんだろう。と、訝しい気持ちが
                      拭えなかったのですわ。だってデザインの本はけっこう目を通していたし、デザインの学校
                      にも所属していたんだからさ。多少なりそんなことを私が感づいてもいいじゃんか。それが
                      ぜんぜんかすりもしないってことは、ひょっとしてちゃんとしたプレゼンをみんな理解して
                      いないんじゃないか? 偉そうにもそんな疑問がむくむくと湧き上がるのを禁じ得ないわ
                      け。

                       でね、この画像はどうやって入手するのかといえば、私はgetty imagesのみ愛好する。

                      http://www.gettyimages.com/Search/Search.aspx?contractUrl=2&language=en-
                      US&family=creative&p=diving&assetType=image#44

                       これで手に入れるんだ。画像を入手するためには、まず単語を決めなくてはならない。よ
                      く言われるキーワードです。他の人は知らないけど、私は英語版しか使わない。英語は苦手
                      だから翻訳ソフトで翻訳したり、和英や英和辞書で調べたり、ときには「ネーミング辞典」
                      なども手元に置きながらの作業となる。これを学生に紹介すると日本語版もありますよ、な
                      んてこと言う人もいるけどさ、わかっちゃいないんだなァ。日本人の私が英語に訳して画像
                      を入手することは、日本とアメリカとの共同作業になるわけで、交流することによってより
                      興味深い画像が発見出来る可能性があるでしょ。また、私の誤訳で思わぬ画像が開けること
                      だって少なくないからさ。言ってみりゃ一挙両得ってなもんですよ。違いまっか?

                       とはいえ、この画像タダではない。明るみに出ると思わぬ請求書が届くなんてこともある
                      ようでさ。だから、私はあくまでも隠密に外に出ない範囲でしか使わないのだ。この画像、
                      最近めっきり画像番号みたいな邪魔なもんが目立って大きくクッキリになってきて。無断使
                      用にプレッシャーを掛けようってことなんだろうけど、ささやかに困っています。

                       私のプレゼン修行の端緒を開いていただいた大恩人の美形社長。最初に受験した学生達は
                      すべて不採用だったんだけど、その後頼まれて一人の学生を送り込んだの。女社長に興味
                      津々の私にとってはいわばスパイなような存在の新入社員。来客に差し上げる飲み物には三
                      段階あって、最上級が珈琲、次が紅茶、一番下が緑茶。これがこの会社の不文律。グラスや
                      お茶碗に拭き残しの水滴なんかついていようもんなら大叱責。言葉遣い、礼儀には極めて厳
                      しい。ボトルに口をつけて飲むことなんか許されない。女性なんだからグラスに移して飲み
                      なさい! と。まるでヒッチコック監督の映画のようなんだ。しとやかさを忘れちゃいけま
                      せんよ、ってこと。わかるなぁ〜、その心。ウチの学生達はボトルに口をつけてぐい飲みば
                      かりだからね。言われてみればその通りで、可愛い顔してボトルを逆さにして飲む姿を目に
                      したら百年の恋も一気に醒めちゃうってなもんです。逆に言えば、ボトル飲みをしなければ
                      それに気が付く人が居るかもしれず、その人はきっと感心するかもしれないってことです
                      よ。ふだんの仕草は侮れませんなァ。いや、まったく。

                       そいでね、社内でなにが一番大変なの?とスパイに問えば、三時のおやつを買いに行かさ
                      れることだと。何を買っていいのか非常に気を遣う。それ以前に、おにぎりを買いに行った
                      ときに間違ってパリパリ海苔を買うてしまったんだ。女社長はしっとり海苔の愛好者でさ、
                      「私の好みもわからないようでは、お客さんの考えを理解出るわけがないでしょ!」こうい
                      う考えなわけ。このことはまったく別の男子卒業生からも聞いたんだよね。その学生は設計
                      事務所に入ったんだけど、給料は安いんだけど服装や礼儀もきわめてうるさくて、困るのは
                      おやつを買いに行かされること。何を買っていいのかわからないんだ。昨日はなにを買った
                      のか、上司は何を食べたいのだろうか? つまり相手の気持ちが読めないと買うおやつに迷
                      うってこと。「何を買ってきましょうか?」なんて言ったら即座に「私の好みもわからなよ
                      うでは、お客さんの考えを理解出るわけがないでしょ!」が返ってくること必定だからね。

                       それを聞いて私は大納得したの。まったく、そりゃそうだの連発で、美形な女社長は仕事
                      も相当出来るぞ、と思い知ったのであります。その証拠に、その会社は今でも存在し、社長
                      は多方面で活躍しているから。今の学校じゃ専門知識や技術しか教えられないけど、仕事を
                      してゆく第一歩はこういうことですからね。それがわからないでデザインの仕事がしたいっ
                      て言われてもなァ・・・・・・・・と、私はいつも思うのですわ。

                       でね、社名には「ラス」が含まれているんだけど、それがどうにも気になってしかたがな
                      い。このラスは一体なんなんだ? と思っていたから、その卒業生にそこんとこさりげなく
                      聞いてみてくんないかな〜、とお願いしておいたの。そしたら、ある日、それがわかったの
                      さ。このラスは宮沢賢治の「羅須地人」からとったものだったということ。ヘ〜、そうな
                      の! 一見恐そうな、しっかり者キレ者社長は、心の中にはロマンチスト精神が満ち満ちて
                      いるんじゃん。人は見かけによりませぬ。心の中では一気に親密感が増大し尊敬できる高み
                      の存在になったことは言うまでもない。しかし、時すでに遅し。その卒業生も自分の志向と
                      仕事内容の違いに気付き、仕事の厳しさもあって早々に退職してしまうのでありました。業
                      界も違うからその後会う事もなく・・・・・・すでに20年。どこかで再会することを期待す
                      るも、そうはゆかない現実世界。

                      思わず感傷的にもなりまっせ・・・・・・・・・・の店主なんですが・・・・・・・・。
                       


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