そして静岡市清水区
TV紹介されて、連絡があって、お会いして、知り合って、依頼されて、機械を買わなけれ
ばならなくなってしまったのダ。その機械は、木工旋盤。木を回転させながら彫刻刀の親玉
で丸く加工する機械。学校の工房での付き合いは長くまぁまぁ慣れている方だと思うけど熟
練ってほどじゃない。学校の機械は、しばしば使ったことあるし、比較的自由に使えるんだ
けど、やっぱお客さんの依頼に応えるとなると自分用に買わないといけません。で、人に聞
いたり調べたりしたけど、結局この機種しかないらしく。これを扱っているのはネット販売
専門のオフ・コーポレーションしかない。しかし、機械を触ってもみないでいきなり買うな
んてことはできない。出会い系サイトで連絡を取り合っていきなりSEXなんか到底無理なワ
タクシ。ってことで、この会社のショールームが静岡県清水市にあるっていうんでお触りス
リスリして良ければ買うてしまおうってことで行ったわけだ。
依頼されたあまりお客様を待たせるわけにもゆかないから昨日静岡市清水区にある「工房
スタイル」に行って来た。天気晴朗なれど血圧高し、快調なFITは東名高速をひた走る。2時
間弱で到着。
いかにも木工機械のショップという外観。期待は高まる。
電車を模した入口もけっこう。左側にある茶色の物体は足踏み式の木工旋盤。これなら野
外でもクルクルと木工が楽しめるのだろう。以前、イギリスの木工事情をネットで見た時に
紹介されていたものは多分これと同じようなものなんだろう。
中に入り、数種類の木工旋盤を見せていただき説明していただく。対応していただいたの
はリーダーのW辺氏。引き締まった風貌は木工に従事している方に共通した雰囲気が充満し
ている。目指すは木工旋盤だけど、切削刃物と研ぐための機械(グラインダーと申す)と刃
物を安定させるための治具。次々と説明され、それぞれ価格を聞く。う〜む、総額がうなぎ
上りに上昇して心はおののくわけだ。W辺氏は、よりよい製品を勧めるけど、良いモノは金
額も高い。齢64才だから、これが最後の旋盤となることは間違いない。オレが死んだらこの
機械はどうなるんだろうか? 処分されちまうんだろう、なんてことも頭をかすめる。良い
機械を使って、作品(商品)が思わしくない場合の原因は自分の腕なんだからとてもスッキ
リする。変な機械ならば原因が機械なんだか自分の技術なんだかわからない、というモヤモ
ヤ感が残るでしょ。でも、現実としての総額もあるし、第一元々あまり心が動かない旋盤だ
から飽きることも恐い。優秀な機械を買い求めたはいいけど飽きてしまったら宝の持ち腐れ
になる。それが、こわいんだ。
一通り説明を受け、頭を冷やすために外に出て一服。5万円7万円10万円運命の分かれ道、
どうでしたか〜〜〜〜!という口上が頭の中をぐるぐるまわる。夢路いとし喜味こいしが司
会をしていた番組。たしか「ガッチリ買いましょう」だったか。スタジオに並ぶ電化製品、
金額がわからないけど見当をつけて買いまくり、一定の金額内で収まれば持って行ってヨロ
シイ。足りなかったりオーバーならば、それっきり。ザンネ〜ン〜でしたとなる。アレとア
レを組み合わせて幾らになるんだ、飽きないか? 飽きても後悔しないか? 不届きなこと
も考えつつ、決定し、即持ち帰る。グダグダアレコレ悩むのは嫌いなんだ。買うんなら買
う、買わないのなら買わないとはっきりした客でいたいんだ。だから買う機械を指定するの
はものの数分しかかからずアッサリしたもんだ。
で帰路に着くんだけど今旅の第二の目的地に立ち寄るべく東名高速は沼津で降りる。目指
すは修善寺。ここの鯵寿司を是が非でも食べねばならない。BSで観た新日本風土記「駅弁」
で紹介され、思わず涙した舞寿司。親子三人で営んでいる小さな弁当屋だ。ちなみに、この
「駅弁」の番組は音楽が素晴らしく演出も素晴らしい。きっと製作されたスタッフはかなり
の方々に違いない。それならば、なおのこと赴かねばならん。途中で、同行者に電話をして
もらい弁当の有無を確認する。傍で聞いていると、どうやらもう売り切れらしい気配濃厚で
車内は陰鬱な雰囲気が漂う。先方はあれこれ具材の残りなどを確認している様子で、待つこ
としばし。ようやく私たち人数分の弁当が確保出来たらしい。ウレシイぞ、食べれるぞ。
修善寺駅で〜す。この構内に駅弁コーナーがあるけど、指定された受け渡し場所はそこ
じゃない。
駅前にあるペコちゃんなんだ。ごくたまにここでの受け渡しがあるらしい。なんたって冷
蔵庫があるから、なんだろうか。
名前を言ったら出て来たの。弁当が。で、どこで食べようか? 来る途中に川があったか
らあそこで食べましょか。ってことで、川を目指す。
絶好の駐車スペース発見。土手の上、川の直近。ここなら駐禁もないだろうて。
あそこらへんか、
ここがベストポイントだろう。川に足を浸しながら、食べましょうという提案、双手を擧
げて大賛成。靴を脱ぎ、靴下を脱ぎ、ソロソロと川の中。気持ちいいぞ、なんて気持ちいい
んだ。瞬間、尿意を催すけど、私の膀胱は一踏ん張りできるだろう。
テーブルは膝の上、落としたらアウト、だからカメラを持つ手もいささかの緊張。TVで観
た通りの中身。思ったより小柄な弁当。ご飯の上には二匹分の鯵の切り身がみっちりと並
ぶ。美味しそうだ。と、思っていたら同行者が醤油を膝の洋服に撒き散らかしてしまった。
やっぱりな〜、なにかやるとは思っていた予想が大当たり。ひどく不安定な体勢だから事故
が起こるのもいたしかたなきこと。弁当を脇に置いて川でじゃぶじゃぶ洗い始めるんだ。醤
油のシミを絶対に落としてやる意欲がみなぎる。やるな〜、でも膝下はほぼずぶぬれ状態。
そんなことはおかまいなく私は食べ始める。うまいぜ、ユリちゃん。ほんのりの酢、肉厚の
鯵、ご飯も白米ではなく白ゴマの混ぜご飯。ん。鯵とご飯の間になにかある?
ボケでごめん。桜葉の漬け物が一枚はさまってるじゃんか。お店の方々があれこれ知恵を
絞って改良の結果なんだろう。作り手の顔を知ってるから感情移入も容易、いいなぁ〜、
まったく。
食べながらあたりを見回すと
まったく至福のひととき。地下にこもって改修工事ばっかりじゃ心はカラカラになっちま
う。たまにゃ、こういうこともしないとさ。足は川の流れに浸しつつ、お腹は美味しい鯵弁
当で満たされつつ、目に見えるものはおだやかな自然の風景。仕事ばかり、あれこれの人間
関係、お金がどうしたこうした、都会にいるとそんなことが渦巻いているし否応もなく流さ
れてしまう。ほんのひとときささやかなエピソードだけど、そんな日常を豊かにさせてくれ
るもんだ。
釣り人もいたりして
食後の一服。同行者が「そこに大きな魚がいる」と小さな叫び。見ると鮎がもがいてる。
どうも動きがおかしいと思ったら友釣りのおとり鮎。糸が切れて針が笹に引っ掛かって動き
がとれないのだ。あわてて捕まえて鼻カンをはずそうとするけど、これがなかなか。細いス
テンレスの輪は強く指先に力を入れるもそう簡単にははずせない。
糸を焼き切って、しばし格闘、えいや!と注意深くはずしてはみたもののすでに鮎は息絶
えている。私の手の温度もあるだろうし、エラに大きな傷を負ってたし、鼻カンの影響も
あったんだろう。可哀相だけど、このまま川に流そう
名画「黄昏」で、老齢のヘンリー・フォンダが孫と湖でボートに乗って釣りをしていた
シーンを思い出してしまった。夕暮れの美しい湖、小学6年生ぐらいの少年ともう死期が近づ
いているおじいさんの二人っきり。ふと見るとボートの脇でアビ(大きな水鳥)が死んで水
面に浮き沈みしてる。アビの死を自分の死に重ね合わせるヘンリー・フォンダ(この映画が
遺作でした)。まことに美しい風景の中、これから昇る太陽の孫と残照の老人の対比は素晴
らしくも残酷であった。静寂の中、死が支配する夕暮れの叙情性はえも言われぬ雰囲気に満
ち満ちていて、今も私の心の中にまざまざと刻み込まれている。
そんなことを思いながら鮎の死に立ち会う。こんな私の心なんか誰も理解できんだろう。
それは親しい同行者とてもおなじこと。だから、私は友人の多さを誇るよりも孤独を愛する
ことに心は傾く。冗舌で三枚目を自認している私だって、心の底にはいろんなことがないま
ぜになった秘密の小箱を持っている。
なんちゃってネ・・・・・・・・・・・・の、店主でした。
- 2013.07.29 Monday
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- 12:33
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- by factio