KIOSK photo story

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     コンペ主催のハーフェレ社からたんまりな画像が送られてきて、それが私に転送された。
    ならば、ここで紹介してみんべえか。記憶はすでに薄れてモヤがかかったように霞んでる。
    受賞したM田嬢(本名は公開されてるけど、なんとなく)が、当日交換した名刺の返事を
    送った中にシラーの詩を添えた返事をくだすった方がいて、その詩がなんとも素晴らしく
    って思わず・・・・・・・・・・・・・


    未来はためらいつつ近づき
    現在は矢のように速く飛び去り
    過去は永久に静かに立っている
     
     
    名前は聞いた事がある、というだけのシラー。こんなステキな詩のオマケも付いて来て
    よかったじゃんか。



     パーティ会場にひっそりと。なんかもうちょいなんとかならんかったかのう


     授賞式&プレゼン会場


     まずは社長のご挨拶。謹んで拝聴せねばならんのですたい


     ありがとさん、と有り難く賞金を頂戴する


     C君握手、M田嬢どうしていいのかわからぬ時の、お得意の微妙な笑顔


     M嬢握手、それにしても両名の服装は早急に対策を講じなければならない


     いよいよ実演プレゼンの始まり〜ザンス、しゃがんでまさに今入らんとするの図


     江戸の担い売りが、数百年を飛び越えて、ここに蘇る・・・なんちって


     あっちへウロウロ


     こっちへウロウロ、審査員もうれしそうでヨカッタですわいな


     C君をサクラにして模擬販売、M嬢マイク片手だからうまくゆかんのですばい


     マジメに構造や部品の説明も、しておりやす


     マイクを持つ方が、この作品を一押ししてくれた恩人審査員


     式とプレゼンが終わりとなりのパーティ会場に移動して、カンパイ


     パーティの最中、いろんな人が遊びに来る


     ホッとしてるC君、慣れぬ日本語ながら懸命に対応する姿が微笑ましい


     いつもこんな具合だ、後方で黄色上着でボーッとしてるのは発端の口火を切ったT野井氏。

     これで今回の出来事はすべて終わった。後は実物作品をウィーンのおにぎり屋さんに送る
    だけ。長い脚を切り、組立部品を作り、梱包し、発送する。果たしていくらかかるんだろう?
    なんせクリスマスまでに届かなければ意味がない。彼の地で開催されるクリスマス・イベント
    で、これを使うんだから。おにぎりを販売するらしい。机上から実物となり、いよいよ実戦
    配備だ。果たしてウィーンの方々の目にはどう映るんだろうか? 楽しみなことであります。
    なんだかんだと慌ただしいこっちゃ・・・・・・・・・・・な、店主でした。

     

    R.Johnson & G.Estefan

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       今日は学校で卒業制作の中間指導。朝モタモタしてたら遅れそうになったので首都高を
      かっ飛ばした。で、指導、一人か二人を除き予想通りの内容進み具合にゲンナリ。もう
      何も申しません、っていうかなんも言えない。高さ50センチほどのフィギュアになんて
      言えばいいのさ。こちとらファニチャーが本職、せいぜい広げてプロダクトデザインなら
      なんとか指導出来るけど、フィギュアじゃなんも知らんもの。そして休憩の一服に向かう
      エレベーターの前でアシスタントのI君に「ぼくたちの指導の時と違いますね」と言われ
      ちまった。確かに興味をそそる作品でないと口数は少なくなるけど、なんにも知らない
      からなんにも言えないってことでもある。でも、そういう批判は素直に受け止めて後半は
      ガンバッた。そして最後の学生が終わったときに、そのまま終わりそうだからあわてて
      一言申し上げたんだ。この学生、一時間以上遅刻したにもかかわらず、発表の時にお詫び
      や事情説明もなく、しれっと始めたの。いや、それはないでしょとね。中間指導という
      大きな節目をナメてんじゃなかろか、そんなこって就職するんかい!! 甘いんだよ!!
      と声を荒げてしまったわけ。遅刻したことを誰も注意しないし咎めもしない。それでいい
      んかい!!! 誰も言わないからアタイが言うしかないじゃん。ホント、もうカンベン
      してくれ。こんなくだらないことでオレの心を乱さないでくれ。でもきっと注意された
      彼女は肩をすくめて「そんなに悪い事?」と不満顔で教室を出たとたんに忘れてしまう
      に違いない。私のクラスはこんなんだもん、辞めたくなるのもしかたないでしょ。

       帰途、新宿に寄って、ユニクロに寄って、帰ってみたら注文していたCDとDVDが
      ドッサリ届いていて思わずニッコリ。学校でのイヤなこと浮世の憂さも飛びまする。
      CDは二枚

       まずはエリック・クラプトン「ME and MR JOHNSON」


       そして本家本元のロバート・ジョンソン。

       以前から嫌いではなかったブルース、最近ふと聴いてみたらスンナリ入ってゆけたこと
      は記事にした。あっけなく部屋に入れて、なんでいままでノックもしないでためらって
      たのか不思議なくらい。クラプトンはジョンソンの曲ばかりで、いいんですわ、これが。
      気になっていた、から、好きになり、で、一気に大好きに、私の心は雪崩たの。もう、
      なんにも言えません。浸って溺れてふやけております。そして、ついにブルースの源流、
      最初のひとしずくに辿り着き感無量でアリマス。9才で音楽に目覚めて、今、64歳になり
      ようやくブルースだから。クラシックからロック、歌謡曲まで一応なんでもござれな音楽
      人生のあれこれがブルースを良しとする。言いたかァないけど、音楽についてはそこそこ
      理解してるつもりだし、聴く一方だけど経験も積んで来たと自負してる私の心はブルース
      を高い峰に押し上げる。モーツァルトもいいし、クィーンもいい、でもブルースもイイと。

       そしてR.ジョンソン。思った以上に録音はいい、いかにアメリカが音楽文化に対して
      誇りに思い敬愛していることの証だ。ギター一本で投げやりな感じで唄うし、ギター奏法
      もクラプトンそっくり。それじゃ本末転倒、クラプトンがそっくりだと言わなくちゃね。
      ギター弾けないからよくわからないけど、そっくりなフレーズがひんぱんに出て来る。
      何を唄ってるのかな? 歌詞がわからないから。でも、私の漠たるイメージとは当たらず
      とも遠からずなんじゃないか。これとクラプトンを聴き比べると彼がジョンソンをどう
      理解して咀嚼しているのかがわかるだろう。これから何回も聴きこんで、すっかり覚えた
      あとでわかることだろう。楽しみなことだ。

       それにしても、クラプトンが「とてもじゃないけどあの世界には辿り着けない」と看破
      したことを多くのブルース唄いはどう考えてるのか? 英語圏とはいえアメリカとイギリス
      だし、黒人と白人の違いもあるし、生活環境にいたっては天と地ほど差がある両者。アジア
      の片隅で、いくら好きだからといって日本人がどうすれば人前で唄えるのか。その心を知り
      たい。彼らが英語ならば、こちとら日本語だい! で、ゆかなきゃ笑われるだろう。黒人
      の苦労苦悩はわからないけど、こっちには税金やイヤな上司や彼女にふられたのや安倍政権
      の酷さ、沖縄ではいまだ戦争は終わっていないこと、たくさんがある。だから、私は玉野井
      徹を支持するんだ。人間だれだって日頃のあれこれがある。喜びごとや悲しみもあるし、
      不満や愚痴だってたっぷりある。それを唄に昇華し、楽しんだり哀しみを分け合ったりする
      のがブルースなんじゃないか。だったら、英語でしか唄わないなんてもってのほかだし、
      人の曲をカバーしたり真似て喜んどる次元じゃ困るのよ。若い時にかぶれてということなら、
      わかるけど、いつまでもそればっかりじゃ、アカン。オリジナルを日本語で唄うのが本筋
      じゃないでしょうか? と、私は思うのですがね。あぁ、言うてもうた。

       DVDはこの二枚

       わざわざ買ってまで観るに価するシンガーはグロリア・エステファンしかいない。
       ブルースの故郷からさらに南に下って幾千里、海を越えたその先にはカリビアン・
      ソウルがこんこんと湧き出てる。今、その代表格、歌姫はなんたって彼女だろう。
      ザビア・クガート、東京キューバンボーイズ、ホセ・フェリシアーノ、ハリー・
      ベラフォンテ、思い付くだけでゾロゾロだ。そんなアタイ、ラテンのとどめは彼女
      であることは間違いない。一気に4枚も入手してしまったからどれから観るのか聴く
      のか手の舞足の踏みどころもない有様。どひゃ〜、なんて贅沢なんだ。我慢出来ずに
      クラプトンちょっと聴き、ジョンソンちょっと聴き、こらえきれずにマイアミライブ
      を観てしまった。オープニング、天井のデカイ白球がユラユラと舞台に向かい降り、
      舞台ではバンド&ダンスの熱狂がスタートしとる。ゼッタイこの球の中に居るんだ、
      グロリアが、と観衆は早くもヒートアップし、ほとんど狂熱状態。白布はハラリと
      脱がされて檻の中にグロリアは登場する。ええぞ、これ。期待通りで。学校の期待
      通りとなんと違う事か。天地スッポンほどの差がありんすわいな。

       これを地下のオーディオでフルボリュームで聴くのよね。踊ってもいい、唄っても
      いい、手拍子も拍手も思うがままだ。なんせ、私一人だから、なにやったっていい。
      もうこれ以上望むものはない。死んでもいい(とは思わない、もうちょっと時間を
      ください、神様)。

       しかし、なんだな。なんでこんなに違うタイプの音楽が同率で好きなんだろう?
      ブルースは昨日作った大根と油揚げとしいたけの煮物みたいだし、ラテンはタバスコ
      たっぷり脂身たっぷりのステーキ(違うか?)みたいだ。地味と派手の決闘みたいだ。
      痩せた畑で汗水のブルース vs 青い海でこんがりビキニ、女っ気ゼロ vs プリプリ尻、
      しみじみ vs 狂乱、居酒屋チビチビ vs グランドキャバレー、もういいか。ま、それ
      ほどの違いがある二つの世界を私は愛する・・・・・・・・心から。

      いや、もう、まいってまうのですワ・・・・・・・・・な、店主でした。

       

      mail from NY

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          NY在住の卒業生・I田君からメール。自慢じゃないけど卒業後もやりとりしてる卒業生は
        いたって少ない。っていうか鎌倉のT中君とI田君の二人だけだから、少ないと言えるほど
        じゃないし、おこがましい。二人とも自立自活してるから偉いもんだ、ふにゃふにゃな私
        とは大きな違いで、あっという間に私を追い抜いて、姿なんか見えやしない。このI田君は
        単身乗り込んで木工の仕事をしてる。短い在学中(二年間)に3〜4回も作品展をやった
        強者だったけど、NYではそんな彼もタジタジになるような猛者がゴロゴロいると聞いて
        いた。なるほど厳しい競争社会は人々を切磋琢磨するんだわ。さらなるスピードに人々は
        翻弄されるのか? その彼から、工房の写真が送られてきたの。


         何年か現地の工場に勤め、自分で始めて間もないからまだまだ自分の工房を持つには
        至らないのだろうか、共同で使う木工工房はこんな感じらしい。相当な広さに感じる。
        手前に通称・丸ノコ盤(テーブルソー)が見える。板を横にも縦にも切断出来る機械だ。
        私が知るこの機械は横に切るためのものがほとんどだけど、これは縦にも切断出来る
        ようだ。きっと大きなベニヤを横にも縦にも切らなくちゃならないことが多いので
        そうなってるんだろう。日本では縦に切るのはパネルソーといって背の高い機械に立て
        掛けて切るんだけど、そうはしないで平べったい機械で両方ともやっちゃえるのがNY流
        なのかしら? あるいは違う使い方なのか? 


         これが彼の個人スペース右側はマキタの大工用の精密丸ノコ盤だろう。現場にもってゆく
        こともできる。ちなみにマキタの製品は一般用は緑、プロ用は青と聞いた事がある。耐久性
        やハードな使い方といった性能全般も違うんだろう。小さい作業台? というより収納が
        メインか。


         というのもこんな作業台があるからね。上に載ってるのが製作中のTV台。材料とか作り方
        とかいろいろ聞きたい事は山ほどある。日本とアメリカじゃ材料の規格も違うだろうし、
        板の組み方やボンドやネジなんかも異なるはずだ。長さの単位だってセンチじゃなくインチ
        だし。


         工房から自由の女神が見える。なんかうらやますぃ〜のう。海のそばなんだね。

         ウィーンとベルリンには何回か行ったことはあるけど、アメリカは未踏の地。だけど、
        ハッキリ言ってあまり興味はない(ゴメンネ、I田君)。唯一、シカゴから南部に向かう
        道は別、中でもミシシッピ州・クラークスデールという町なら是が非でも訪れてみたい。
        61号線と49号線が交わるこの地はブルースのグランドゼロ、まさに聖地。ジョン・リー・
        フッカーやサンハウス、マディ・ウォーターズを生んだ。その昔、第一次ブリティッシュ・
        インベイション?とやらでストーンズ、ビートルズ、クリーム、クラプトンやツェッペリン
        らが次々と訪れてマディとウルフを聴きたがったとある。あるTV番組でそのことを知り、
        ならばと次々と買い求め聴いている。


         三枚組だけど安いんだ。AMAZON様様だ。聴いてみたら思いのほかスンナリ聴けるじゃ
        ないか。なんだ、どうしたんだ。毎日お米を食べて味噌汁に舌鼓を打つ私がなぜにブルース
        を楽しめるんだろか? 日本民謡じゃなく、アメリカ民謡ともいうべき黒人ブルースに心が
        惹かれてしまうのはナゼ? わからんのう。

         番組はさらに進み、北に位置するコモなる町に住むR.L.ヴォイスなるシンガーが登場する。
        エ〜ンだ、これが。クラプトンがDVD「クロスロード」で「とてもじゃないけど自分には
        到底辿り着けない世界」
        と言ってるけど、それは正しいと思うアタイ。あの歌の世界はそこに
        住み生きて来た者でなくては無理なことはなんも知らない店主でもワカル。ましてや外国人
        なんか理解できようはずもない。でも、好きだというやむにやまれぬ気持ちもわかる。好き
        だからやりたい、だけど彼らの仲間入りすることはできない。ならば、どうするんだ。そこが
        問題。あっちの世界にゃ住めないが、こっちはこっちでやろうじゃないか。足元にも及ばない
        ことはわかっちゃいるけど、やめられませんのさ。好きで悪いか? 歌って悪いか? 相手に
        対して敬愛尊敬の心は失わず、謙虚に隅っこでやらせていただくならいいだろう。と、そんな
        気持ちなんじゃないか。

         だからというわけじゃないけど、私は椅子をデザインすることにこれっぽっちの興味はない。
        生まれてこのかた椅子の生活をしたことない私が真っ当な椅子をデザインできるはずがない。
        自宅にはいまだに一脚の椅子もない。ぜ〜んぶ畳だ。座卓でご飯を食べて、すぐにゴロリと
        横になりTVを観る派だ。テーブルならいい、収納だっていい、照明もアリだろうし屑入れ
        だってお手のもんだ。そんな私だから椅子大好きみたいな人物に会うと「マジ?」と思って
        しまう。別にいいんだけどさ、ついついさ、思ってしまうわけさ。
         輸入モノの椅子、あれがいいのこれがいいのと言ってても始まらんでしょ、ってのが私の
        考えだからね。

         ブログを書きつつ聴き始めたJOHN LEE HOOKERは相変わらずダラダラと歌い続けている。
        暑い南部の風を感じるような気がする。歌詞はわからないけど、ひとまず浸ることにします。
        話しはそれから、ってことで。

        ってことで、歩いてみたやストーバル通り・・・・・・・・・な、店主でした。

         

        ついにやり遂げた!!!

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           思えば長い時間がかかってしまった、地下の改装。さきほど完成した。あ〜大変だった。
          なんたってほぼ一人(初期段階でM嬢がヘルプさん)ですからね、根気のないアタイにゃ
          気持ちを持続させるのがね、ちょっとね、大変だったんす。とくにここ数日は天井塗りの
          日々だったから。ひたすら塗るだけってのはいい加減飽きまっせ。とてもじゃないけど
          ペンキ職人なんて無理も無理、大無理。りんごが落下するがごとく塗料も落下、だから
          手も真っ青になって震え上がってしまう。

            ずいぶん洗ったから薄くはなったけど、塗ってる最中直後はこんなもんじゃない。
          手のひら全面と垂れた染料は幾筋か腕を伝って肘まで青く染まってしまった。
           買い物なんか行ったら「なにごと?」なんて思われてるんだろうと思いつつ、
          「流行の病気かかっちまって」なんて言いつつ、晩ご飯の用意をせねばならなかったし。



           そしてこうなったワケだ。床・壁・天井は二色の青、正面の収納はソファに合わせて
          オレンジにした。全体が暗くなったおかげで、ベンチの木目が浮かび上がる風情、いと
          をかし。オレンジも美しいと自画自賛だ。


           蛍光灯を消し、5Wの白熱球だけだとこうなる。精密な仕事をしないかぎりふだんは
          これ。寄る年波、明るい照明はだんだん耐えられなくなってきてるから。そんなことァ
          どーでもいい。問題は仕上がり&雰囲気だ。どうだ! 文句ないだろう!! っていっても
          誰もなんにも​言ってくれるわけはない。せいぜいがこの空間の専属シンガー・玉野井徹が
          どう思ってくれるかしかない。どうよ、徹ちゃん、イケテルかい? ってなもんだ。
          霊界からフレディが遊びに来ても、クラプトンが道に迷って地図を片手に覗きこんだと
          しても文句は言わせないぞい。誰がなんと言おうと盤石じゃん、という思いで心は満タン
          になる。



           アンプ棚正面の照明2点。上は10W白熱球をヘンな陶のオブジェで隠すようにした。これは
          息子が小学生のときに作ったもの。なかなか捨てられないのっす、こういうものは。よく見ると
          棚板の上に明かりが延びてるでしょ。最初、棚下に照明したら棚が遮って棚の上が真っ暗なの
          よね。それでも問題はないんだけど、上まで明るい方がいいでしょ。で、急遽棚を外し取り付け
          板を切って。
           で、下。青いワインボトルに長い電球を入れたんだ。友人O嬢にずいぶん前に頂戴した逸品。
          なにが?てーと、壜の下と横に穴が開けられていて配線が出来るようになっちょるの。これ大変
          なんすよ。ガラスに穴を開けようとすると熱で割れちゃうの。冷ましながら超ゆっくりと作業
          しなくちゃならんの。根気がいるの。そんな逸品をどうやったら生かせるのか? 試行錯誤
          したけど妙案は出ないんだ。で、今回、いよいよ正面からガチンコ勝負! 今までの問題は
          電球を入れると明るすぎるんだ。照度を落としたいんだ。そりゃ変圧器を使えばいいんだけど
          もっとカンタンシンプルな方法はないもんか? と考えあぐねていたんだけど「あっ!そうか」
          ゼラチン使えばいいじゃん。ってことで先日ハンズで入手して使ってみたらマァマァの仕上がり。
          壜の首の部分に問題は残るけど、ま、こんなもんだろう。


           天井はこの通り。写りが悪くてよくは見えないけど濃青淡青のストライプときたもんだ。



           天井照明は二通り。っていっても障子があるかないかだけ。障子があれば明るさは
          マイルドになり、なければシャープな感じ。きっと多分徹ちゃんのライプはシャープ
          な方がいいかもしんない。


           天井の電球は100V対応だけど、ソケットに付いてる配線が細くて100Vまで電圧を
          上げるのは怖い。ふだんは75V、たまに50Vとかもっと下げてみることもある。照度を
          切り替えることで雰囲気もそれなりに変化するもんです。


           最初っからこの位置と決めていたベニヤに書かれたいたずら書き


           でもってちんこい作業スペース。パソコンしか使わないからこれで充分なのさ

           ドイツからはるばる渡ってきたベニヤを使って地下の改装に着手したのが6月初旬だ。
          記事では、6/9、21、29、7/2、13、17、8/25、11/3と8回もなんやかんやで書き
          散らかしてきた。それもいよいよオワリ、終わらない仕事はない!のことわざは今回も
          生きてる事が実証されたのだ(大袈裟だのう〜)。
           問題はここを使い生かしてなにをするかだ。玉野井徹のライブは言わずもがなだけど
          彼も仕事を持ってるからそうそう出来る事ではない。DVDを観ながら飲み会でもいい、
          あるいはひょっとひょっとするとここで仕事をするようになるかもしれない。いや、今
          でも仕事はしてんだけど、もっと、その、なんていうか、本格的な、みたいな。私は
          そんなこと望んではいないけど、流れや成り行きでそういうことになるかもしれない、
          ということで。なんとかく漠然と、そう感じてもいるのでアリマスる。のだ、の心ダ〜。

          さて、一息ついてインテリア茶箱の脚でも作っか・・・・・・の、店主でした。

           

          Mens と Ladys

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             どうも洋服を買うてしまうクセがついたみたいだ。年金小銭が二ヶ月に一回振り込まれるのが
            後押ししてる・・・・・・と、自己分析したりして。どこでなにを買うのか、決まってるような
            決まってないような。でも、決まってるような。中目黒のレストランのO崎さんから紹介された
            JR蒲田駅から徒歩4分のZIRAはたまにしか行かないけど贔屓にしている店。先日、ユザワヤで
            スチレンボードを買ったついでに立ち寄ったの。フラ〜と。いつもの店主が不在。聞いてみたら
            神奈川県の平間駅近く多摩川直近に支店を出したとのこと。へぇ〜、そうなんだ。とか言いつつ
            店内を物色したらば目に止まったコート?がふたつ。ん〜、どうすべえか?? 買うべきか??
            買わざるべきか?? あじゃ〜、古典的なギャグとも言えないな、コレ。いと、で申し訳なし。
            ちょっと迷って買うてしまった。あったんだよね財布にお金が。お金がなけりゃ買わなかったのに。
            カードで買うほどでもないか、という感じだったから。



             危険な白、ケチャップなんか付いた日にゃ目も当てられない。でもね、袖が革だし、
            それ以外はヘタレでフェイクとも言えないヘロヘロな生地。肩のところ、革の始末に
            往生したんだろう、どーにもプロテクターのようにこんもりと充実。それにくらべて
            前のボタン部分はてろてろでさ、この対比というかアンバランスさというか、そこが
            いたく気に入ってしまって。もちろん暖かさこの上もなし。今の時節はちょっと暑い
            って感じも否めません。

             で、帰って数日後にZIRA HEADQUARTERSなる別店に行ったんだ。周辺は格別
            なんにもない。通称ガス橋通りに面して・・・・・・・・あったあった。この辺りは
            商店もないしのんびりしてると言えば聞こえはいいけど、つまりは過疎地みたいな
            もんだけど、その感じがなんともいえず悪くはない。湘南みたいな感じと言ったら
            誉め過ぎか。顔なじみの店主と店主、コーヒー飲みますか? なんて言いつつ道路を
            渡って買ってきてくれて二人で店前で煙草をプカプカ。路面店だから誰に遠慮もなく
            喫煙できる素晴らしさ。いいな〜、これ。自宅から車で5分くらいにこんな店ができた
            んじゃ、たまんないな。

             店内をひとまわり。ここはMens ONLY、英語で書けばイイってもんじゃないだろ。
            とは思うけど、ちょっとシャレさせてくれ。けっこうな付き合いだからけっこう買って
            いる。靴なんか半分以上はここで買ったし、コートもようけある。今、格別必要と
            する服はない。ないんだけど・・・・・・・・・。


             これが目に止まってしまった。緑と真っ赤のツートン。くだらないことをあれこれ
            言いながら、ふとコレに。ほんのちょっと考えてるとあっちの店主曰く「リバーシブル
            デスヨ」と。えっ! リバーシブル? どれどれ、ほんとだ。

             さらに店主曰く「マップコートっていうんですよ」と。マップコート? 知らんぞ
            そんなもん。どこがマップなんだ・・・・・・・・・


             ポケットは二つあり、一個は横に一個は縦に切れている。その縦の方を開いてみれば
            奥がツーツーになってて背中に広い収納がある。あぁ、ここにマップを入れるってこと
            なのね。にゃーるほど。うまく考えたもんだ。さらにさらに店主は教えてくれる。曰く
            「ハンティングコートの一種で、ホンモノのハンティングコートはこういう感じで、
            ほらね、ここに獲物(鳥類です)を入れるの、ほらね、血の跡があるでしょ」と実物
            を見せながらおせ〜てくださる。にゃ〜るほど×2 いろいろあるんだ。いや〜勉強になる
            なァ。

             言い忘れたけど、このZIRAは古着屋です。だからそんなに高くはない。白いコートが
            6000円ほど、赤緑が一万円弱。友人のギターに比べたら安いもんだ。私のオーディオ
            と比べたって同じこと、とてもじゃないけど2万円以内でギターやアンプなんか買える
            もんじゃない。酒も飲まないし女遊びをするわけでもない(相手がいない)ギャンブル
            は一切やらないし。だから、これくらいいいじゃんかと後ろめたい心を得心させる。

             で、昨日行き付けの美容院でいと少ない髪をカットしていただき、いつも通りに青山に。
            髪を切ってイッセイ・ミヤケを見て回るのは恒例になってる。外苑前から表参道まで散歩
            しつつマックのポテトをほおばりつつ。本店を訪れると顔見知りの店員が近寄るけどこれと
            いって目に止まるものはない。言っとくけどLadysですよ。本店は、あの倉又史郎の設計
            で名高く、MensとLadysが隣り合ってる。いつも真っ先に訪れるのは左側のLadys。
            いずれまたとかなんとか言いながら通りに面した店を覗き込む。イッセイ・ミヤケは
            いくつかのブランドを持ってて、それが通りに点在してるから。かなり以前、コートを
            買う直前までいってやめたHAATなる店に、なんかありそうでフラフラと。ほとんどが
            Ladysだけど臆することなく突き進む。この歳になれば恐いものなしだ。

             相対した店員さん、いかにも初心者丸出しでドギマギしてるのが手に取るようにわかる。
            しかも鼻の下唇の上に横に一筋の線がくっきり。ありゃりゃ。人相の天才・五味康祐に
            よればこの部分(確かジンチュウと呼ばれる部位)に横筋がある女性は同時に二人以上の
            男性とベッドを共にした過去を持ってると断言してた。そうかい、そうだったのかい、
            ホントにそうなの? と思わず聞きたかったけど、そうはゆかない。気にはなる心は
            おくびにも出さず店内をテキトーに探してたら、あったんですよコレが。いいじゃんか!! 

             目立たないけど、かなりいいでっせ。しかし、それにしても高いのう・・・・・・・。
            ニットだからコートでもなし、カーディガンにしちゃ裾が長すぎる、シャツジャケットの
            類いか、どうにも中途半端なんだけど、困ったことにこういうの大好きだかんね。聞けば
            季節の合間にちょっと出してみるという感じの商品らしい。着てみようかな? なんて
            言いつつ試着。大体において私の場合、試着するってことはほとんど買うってことなんだ
            けど。ま。一応、確認ってことで。Ladysだけど着れるじゃん、やっぱり。その間も件の
            店員さんはいろいろ話しかけて来る。別の店員さんが「これ、最後の一着です」と言うんだ。
            だめだってば、それ言っちゃ。弱いんですから、最後の・・・の一言に。それにしても高い
            んじゃないか? 贅沢もほどほどにせんかい VS 一度しかない人生買うべきだろう、迷うね。
            外に出て陰にかくれて一服。そうだよな、一度しかない人生だもんな、伝家の宝刀、カード
            出しちゃうか。出しちゃうぞ・・・・・・いやいや冷静になろう。数日前にコート買った
            ばかりじゃんか。しかも立て続けに2着も。でも、あっちはれっきとしたMensのコートだ。
            しっかり暖かい。こっちは薄いニットだ、違うだろ。

             店に戻ったら「おかえりなさい」なんて言われちまった。買う気まんまんなのは先刻
            お見通しなことは間違いない。しかも、なおも迷ってる私に「寒ければ上にコート羽織れば
            いいんですよ」なんて必殺の殺し文句。そうか! コート着ればいいんだ。丈の長いコレに
            合うコートは二着持ってる。いずれもLadysだし、文句なしだろう。あ〜その手があるんか。
            で、ついに買ったのさ。チャンチャン。

             ニットなんだけど裏表の色が違う。二枚を縫い合わせてるかと思ったんだけど一枚なんだ。
            二枚だったらほどいて中に真綿入れれば相当暖かくなると思たんだけど、それは叶わない。
             で、その後、東急ハンズまで歩いて照明用のゼラチンを買い、センター街付近で3コイン
            ショップにフラフラと入ってしまい、高額ニットと同じような柄の暖かいパンスト(なんて
            呼ぶのかわからない)のようなものを買う。こっちは安い、300円だ。もちろんLadys。

             そんなアタイ、今じゃ下着以外はすべてLadysということも少なくない。どっかにLadys
            を着用してるのがほとんどだ。およそ17年前、ファッションの恩師というべき方の薫陶を
            受け、それまで着てた服を一掃処分して変身しつづけ行き着いた果ての涯がLadysとは。
            恩師はなんておっしゃるだろうか? 成長なのか堕落なのか、まともなのか狂っとるのか、
            聞いてみたいけど会うことはできない。住まいはわかってるけど・・・・・・・・・・。
             しかし、服の変化とともに仕事として教師としてのデザインセンスも変化向上したこと
            は確かなことで。それもかなり相当な好影響と自信をもって自覚してるからこの道筋は
            間違っていたとは思わない。絶対に、だ!

            男性はどこかにLadysを着用し、女性はどこかにMensを着用すべし。これが鉄則と断言
            しておこう!!!

            と、相変わらずナンチャッテ・・・・・・・・・・・・・・・・な、店主でした。

             

            A嬢の物語

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               昨日、頼まれていた美容室の受付カウンターを納品したので、気分が軽い。作ったのは
              私じゃない、学校のアシスタントだ。予算がないから知り合いの木工所には頼めないし、
              いささか大きいので私の工房では作れない。私が作らないからといって締め切りに間に合う
              のか? プレッシャーはある。今日が開店だから間に合わなければ大変なことになるから。
              でも無事間に合ったし、出来映えも喜んでいただけたからホッと一安心、記事を書く。

               愛車フィットにギリギリ載せることができて運搬の途中、A嬢の卒業制作を考えていた。
              このところことあるごとにヒマさえあれば考え続けているんだけど、安定構造のメドが
              立たなくて途方に暮れて。どうしようか? アイデアが出なければこのままズルズルと
              あてどもなく試行錯誤して結局なんてことない作品が作り上げられてしまいかねない。
              卒業制作は学生自身が考えて作るもの、教師はアドバイスだけ、って考えは理解できる。
              でもね、アイデアが浮かばず行き詰まっているのを傍で見ててなんもしないというのは
              ちょっとイケナイんじゃないかというのが私の考え。それも細かい部分のことではなく
              作品の根幹に関わる重大な問題点だから、学生自身一人で考えることははなはだ困難
              なことは長い経験でわかってる。いただいている給金に見合う仕事をしないような
              イヤな気持ちになってしまうし。

               運転しながら考えてスケッチしたりしてたら、ふっとあるアイデアが浮かんだ。こりゃ
              いいかもしれませんぜ。解決出来るかも。と、思って電話したんだ。そして夕方話し合いの
              場を持つ事になった。アシスタントのI川君とA嬢と私の三人。ちょっと寒い一階の学生
              ホールで。A嬢の作品は、革と数本の木の棒だけで椅子を作ろうというもの。しかもそれに
              座って野外でギターを爪弾きたいという代物。世の中にゃ多くの椅子が作られているから
              この手の椅子もいくつかあることは知ってる。でも同じ構造じゃやる意味はない。革しか
              使わないから一作目の試作はグニャグニャ、どうやってみてもこれがちゃんと座れるように
              なるなんて到底思えない。それは私だけじゃなく当の本人だって充分に自覚してる。何か
              別の構造を考えないと・・・と思うものの、それがなかなか。これを解決打破しないことには
              一歩も進むこと叶わない。で、急遽、話し合ったわけ。

               私一人であれこれ考えたってアイデアは出そうもないことはハッキリしてる。私とA嬢の
              二人でもダメ、だから三人での場を持ったワケ。車中で考えたアイデアは早々にボツになり
              話し合うことおよそ一時間、ふっと頭に閃いたアイデアに一瞬恍惚となる。これでOKか?
              という確信の一瞬はそうそう体験できるこっちゃない。でも、それが訪れたんだ。よくいう
              女神が微笑んだ瞬間だ。思わず学生ホールの天井を見上げてしまった、私。ひょっとして
              女神が見えるんじゃないかとね。そしたらかすかに天使の羽だけがうっすらと見えたような
              ・・・・・・。早速、スケッチを描いて両人に説明しつつ、そのアイデアが果たして現実的
              なものかどうかを確認する。しばしの時を経て・・・・・・大丈夫じゃんか! 両人も理解
              してくれて、言葉には出さないけど「OK」サインが顔に出ている。あ〜〜〜〜〜良かった、
              これで教師としての責任が果たせた。顔が立ったというもんだ。

               革は引っぱりには強いけど押されるとグニャグニャになっちまう。引っぱりだけで椅子を
              作ることはできないんだ。押し(突っ張り)に強い材部品が必要なことは誰だってわかる。
              椅子の座面に革を使うなら三本の棒を内側に引っぱるでしょ、その下に外に突っ張る部品
              があり、さらにその下で内側に引っ張れば安定して座れるでしょ。その方程式は崩れる
              ことはない。ニュートン以来の物理法則だ。問題だったのは外に突っ張る部品をどうするか
              ということ。ホントは革だけで作りたかったんだけど、純血主義もわかるけど、そうは
              ゆかないのが世の常で、どうしたって突っ張り部材は必要だろうというのが私とI川君の
              共通した考え。彼女もそれに気が付き始めてる。だから、そのアイデアがもたらされて
              一同心の底からほっとしたの。これで作業を一気に進めることができる、とね。構造に
              解決の糸口が見えたらもう安心、I川君も次々とアイデアが浮かび、呼応するようにA嬢も
              意見を交換し合う。こうなればしめたもんだ、あとは放っといても自然と出来上がるもん
              です。車にしても電車にしても、最初に動かすのに大変な力が必要だけど、いったん
              動いてしまえば小さな力と勢いでどんどん前進するでしょ。それとおなじこと。

               卒業制作の作品傾向は激変し続けている。多くの学生は、自分の好き嫌いだけで考え、
              好き嫌いだから相談する必要もないし、モデルを作って検証する必要もない。つまり、
              他人と交流したり共感したりなんてことはほとんど眼中にないように見える。しかも
              作品のサイズは急速に縮小の道を辿ってるから、家でも作れてしまう。一応、指導時間は
              あるんだけど来ても相談することもないからまったく無駄な時間なの。わざわざ時間を
              かけて学校に来る必要なんかないじゃん、と思うのがフツウだろう。だけど、学生は幼児
              みたいにおとなくしく従うの。なんの疑問もないように見える。それが近年耐えられなく
              なって来てる店主。一見みんな出席して机に向かって黙々と作業してるように見えるけど
              中味は実のある時間ではなく、ただただ時間を浪費してるように感じられてしかたない。

               そんな中、A嬢の作品だけがバウハウス以来のデザインの伝統を受け継いでいるんだ。
              単に好き嫌いだけじゃなく、小さなアイデアの可能性を相談しながら育んでゆき、頭で
              考えて、スケッチし、モデルを作り、改良点を考えて、スケッチし、再度モデルを、と
              いうプロセスの王道を歩んでいる。そんな存在は彼女一人だから、私もI川君も彼女が
              居ない事なんか考えるだに恐ろしい。休んだりしたらやることがな〜んにもなくなって
              しまうからさ。まさに掃き溜めにツル、空に輝く一番星。私だってI川君だって学生を
              指導するという仕事がしたい、させてくれと待ち構えてるんだけど、肝心の相手がいない
              んだからどうしようもないの。専門学校にしては贅沢過ぎる木工設備も泣いている。
              誰も使ってくれないんだから、すすり泣いてるに違いない。考えてみればもったいない
              話だし異常事態と言えるだろう。ここ数年それが顕著になってきてる、モノ作りの
              末期症状とも言える。これは東デだけでなく日本全体のことなんじゃないか。モノ作りの
              意欲や情熱は急速に冷えてきて、出来上がった時の喜びもほとんどないんだろう。

               けど、多くの学生はモノ作りが好きだと、そういう仕事に就きたいと願っているらしい。
              おいおいマジかよ、と思わざるを得ないんだ。他人と相談することが不得手で、小さな
              アイデアを発展させ育ててゆくプロセスを経験することもなく、ひたすら自分の世界で
              あれこれやっとるだけで仕事ができるのだろうか? まるで身の回り1メートルぐらいの
              井戸の底、狭い世界でしか生きていないのに、チームプレイという大海でスイスイと泳ぐ
              ことができると出来ると思ってるんだろうか?それが不思議でならないんだ。まったく、
              不思議でならないの。発言するのが苦手なのはA嬢とても同じこと、無口で何を考えて
              るのかよくワカランのだ。けど、彼女はそれを良しとは思っていないのはわかる、直したい
              と思ってるんだろう。でも、車は急には止まれないし人はすぐに変わることなんか無理。
              そんなことぐらいわかってる、この歳になればね。自分の弱点を克服したいと思ってる
              けど、どうにもこうにもというのが他の学生と違う所だ。そんなら修正の手助けをして
              あげようじゃんかと思うのが人の情けってもんだろう。

               昨日の三人での打ち合わせで彼女は話し合う事の大切さ、その効果を実感しただろう。
              私でさえ実感しいささか興奮もしたほどだから。これから数ヶ月、完成までにはいろいろな
              障害が横たわっていることだろうけど、気付いている自分の弱点を少しでも直せる手掛かり
              を見つけられることを心から願わずにいられない。自分で考え、スケッチで確認し、モデル
              で確認し、相談し、意見を交換しあう過程で話し合い方進め方を学ぶことができます。
              技術や知識も確かに重要だけど、このこと(進め方や話し合い方)こそ学校で学ぶべき
              最も大切なことではないだろうか。知識はなくとも技術は未熟でも若者としての生き生き
              としたアイデア(本人は自覚できないかもしんないけど)は持ってるだろう。それを先輩や
              先生と対等な意識で自由に話し合えることが出来ればアイデアはより良い方向に導かれるに
              決まってる。そして、それはきっと会社でもできるに違いない。

               最後に断言しておこう!
               A嬢の作品は間違いなくプロダクト科の上位に輝きます。間違いありません。なぜなら
              正しい過程を歩んでいるから。ちゃんと相談し、私とI川君の知恵とノウハウを自分の考えと
              融合させることが出来れば(きっと出来ます!!)良い作品にならないワケはない!!!!
              こう言うと彼女にプレッシャーを掛けることになるかもしれないけど、それでもなお、私は
              断言します。満々たる自信を持って挑んでください、と。アイデアは悪くない、かなりイイ線
              いってます。内包している可能性は相当高いし深い。アイデアをよく理解してあげて無理強い
              させないでスクスクと育ててあげましょう。三人寄れば文殊の知恵です。一人で悩まないで
              ことあるごとになんでもいいから相談しましょう。昨日の会議で三人の意思は統一されたし
              自由に話し合える下地は出来ました。安心してなんでも相談できる環境は整っています。
              あとはあなたが自分のアイデアを慈しみ可愛がり可能性を引き出してあげるだけ。盤石な
              スタッフが控えていることをくれぐれも忘れないでね。

              なんだかエールみたいになっちまった・・・・・・・・・・な、店主でした。

               

              続・続 コンペ「キオスク」

              0
                 週一日の授業で学校へ行って来た。午前中は、2年生の卒業制作の指導。数名の学生と
                打ち合わせをする。搬入までおよそ2ヶ月半、追い込みが迫ってきてる。一名は皮革と棒
                だけで椅子を作ろうというなかなか相当な難敵デザイン。皮革だからグニョグニョユラユラ
                まるで軟体動物のようだ。皮革だし野外に持ち運びする椅子だから多少の(かなりの?)
                不安定性はやむを得ない、けど、倒れちゃこまる、その加減をどこらへんにしたらエエのか?
                私の知る所彼女が考える構造で作られた既存の椅子はない、それはむずかしいことの故か?
                ようワカランけど、とにかく構造的に安定させることがなかなかね。学生の作品だからアタイが
                出しゃばっちゃいけない。そんなことはわかっとる。でも、目の前で苦闘している学生がいて、
                その作品がなかなかの資質で、ひょっとすると大化して傑作が生まれる予感があるんなら、
                黙ってるわけにはゆかんのばってん。ほいだからあっちはあっちでこっちはこっちで密かに
                試作を作っちゃおうと思ってもいたしかたないでないかい。隠れて試作して、当の本人に
                それとなく聞いてみて「是非、見てみたい」というなら見せて参考資料にしていただくのは
                反則技かいのう・・・・・・・・・・・・・・・・??

                 そして午後、一年生だ。相変わらず2名の学生が真っ先に相談に来る。しかも長時間だ。
                こんな授業でも弱肉強食の掟は生きている。均等に質問時間を割り振るなんてことはしない。
                聞きに来ない学生が悪い、授業内で質問出来なきゃメールでもいいし、私の店に直接相談に
                来てもいいよ、といってもだ〜れも来ないんだからさ。で、そのうちの一人M田嬢と話してる
                うちに講師仲間のH先生がこのブログを読んでると聞かされた。ゲッ、マジっすか!!! 
                オノノキわななく店主。思わず少量失禁してしまった。というのも、先代のT田学校長が
                その昔プロダクト科の学科長をしてて、あるときに飲み会で先生同士が大論争になって、
                それがH先生だと聞かされた覚えがある。論争の主題はバウハウスってんだからアタシャ
                びつくり。音楽にゃモーツァルトかビートルズ、デザインだったらバウハウス。誰だって
                その存在を無視することなんかできっこない。そんなバウハウスで論争出来ること自体がスゴイ。
                アタイなんかその昔1万5千円も出して巨大な英書を買うたものの居並ぶ教授の顔写真に恐れを
                なし、中味は観ただけ読まぬままだからさ。

                 そしてある時、あるパーティで「ところでHさん、なにか趣味はあるの?」と聞いたんだ。
                どうもパソコンには興味はないし、車、バイク、カメラなどプロダクトデザインを志す者として
                通過儀礼のようなさまざまに見向きもしないことについつい。そしたら「料理ですよ」と。
                り、料理かい。そこかい。な〜るほど、奥が深いもんな〜〜。と、いたく納得したんだ。料理と
                デザインがどこでつながってるのかなんてこたぁどーでもいい、とにかく料理で得心がいったの。
                そしてとどめは、数年前の卒業制作の審査のとき。多くの作品が次々と登場し、しばしの質疑
                応答があるんだけど、どうしようもなく出来の悪い作品もあるわけで、みんな我慢して質問
                したり、さもなくば沈黙して時間の過ぎるのを待つんだけど、「もう、いいんじゃないですか」
                とさりげなく冷徹に言い放つの。まるでゴルゴ13みたいなんだ。飽き飽きしてるアタイは心の
                中では大拍手の嵐なんだけど顔は引きつっている。そんな厳しい言葉は到底口に出せないから。
                みんなが心に思ってる事をサラリと言ってのけるなんざ、並じゃありませんぜ、旦那!?

                 だから今もプロダクト科全講師の中で最も注視してる存在なんだ。皮革の卒制の学生から
                「H先生は安定のための金属リングは×って言ってました」と聞かされてやっぱりねと、すぐに
                そのアイデア引っ込めてしまったほどだ。そんな彼がこのブログを読んでるとなれば気を
                引き締めなければなるまい。大阪のN谷氏には、行末のおさまりとお笑いレベルに気遣い、
                T野井氏にはブログの根底考え方に気遣い、そして新たにデザイン論客のH氏に気遣わなくては
                ならないのか? なんか渋谷大交差点を人混みを分けながら進むような気持ちがする。うーむ。

                 そこで学生コンペ「キオスク」だ。と、上記とはなんのカンケーもないけど。今日、複製を
                預かってきたから、公開しようと思ってね。


                 公開されている扉の表紙。丸めて保管してあったから押さえてないと丸まっちまう。
                しかも上の方はシワシワが丸見えだ。


                 扉を開けると中に写真がごっちゃりと見えるではないか。


                 開けるとこうなっとる。図面や数字は一切ない。これには貼られていないけど白い
                吹き出しの中にカンタンな説明文がここかしこに貼られている。提出寸前に、いかに
                なんでもこんなプレゼンでいいのか? と思ったけど、迷いは禁物と一気呵成に梱包
                して発送してしまった。


                 左側のアップ。中央に部品図ならぬ部品写真。学生二人を床に寝かせてパチリ。背景の
                ちっちゃな写真は製作過程や本体部分写真。


                 右側は、近くの公園でナンチャッテお店ごっこの写真。背景は、集まったお客さん
                (工房に居た学生がサクラになってくれ、近所の方々もけっこう来てくれた)


                 再々出す事もないけど、これが私たちの学生が考えたキオスク、フルショット。よく見て
                いただければ右側の脚の先端がちょっぴりめくれている。


                 ほらね。全身写真をプリントアウトして、丁寧に切り抜いて糊で貼ったから、剥がれてくる
                ところもあるの。これを切り抜いたのはC君。ていねいな仕事ぶりに驚かされた。糊もちゃんと
                したかったんだけど細いから糊がはみ出て下手するとオレンジ水玉の台紙に糊がくっついちまう。
                やってみるとわかるけど、けっこう大変なんでっせ。


                 いわゆる目伏せ写真、犯罪者や被害者の顔写真で使われるアレ。意味はないけど、単なる
                写真じゃツマランでしょ、ってのが我々の考えでさ。この写真を見て思わず立ち止まって
                くれれば儲けモノってね。現に、ある審査員は「なぜ、目伏せにしたの?」と聞いてたから。
                かなりのインパクトはあったんだろう。


                 表紙左側には等身大のキオスクがあるけど、右側にはこれといってネタはない。
                といってなにも貼らないわけにはゆかない。そこで細長い台形の紙にカンタンな説明文を
                つけたわけ。上はコレ


                 下はコレだ。我々は目伏せ写真と同じ考えで店名をバナナンとして、謂れを書いた。
                宮沢賢治だ。目伏といい賢治といいそこいらじゅうにフックを用意した。フックとは
                目を引き気を引くなにか。作品の底流に流れる考えやちょっとしたユーモアだ。こんな
                ことがなくても作品の説明にはなるけど、単なる説明でしかなく人の心を打つものとは
                なり得ない。つまりエモーショナルな感情が湧かないってことだ。審査員のご苦労を
                慮って微笑みをプレゼントして差し上げようと、我々が知恵を絞ってのこと。それを
                理解していただけたことはことのかウレシイことだし自信にもつながること、この上
                もなし。


                 そして最後はコレ、

                 本体を吊るための革ベルトだ。さて、このベルトはどっから出て来たものでしょう?

                 けっこう長いっす。ヒントは肩付近の縫い目・・・・・・・・・・・・・・・・・。
                受賞会場でこのベルトの出所を見抜いた方がいました。出来るなオヌシ!! 
                ほいでもって正解はキャブという椅子を切り刻んだもので〜〜〜〜〜〜す。

                 その昔、雨中、車で帰る途中に道ばたでこの椅子が打ち捨てられていたの。17年前
                くらいでしょうか。以来、この椅子(金属フレームは捨てちゃったから革だけの)は
                私の事務所の引き出しに眠っていたのだ。それがようやく陽の目を見て・・・・・・。
                うれしいなァ〜と喜んどります。しかも、それがはるばる海を渡ってウィーンに行くんだから
                世の中わからないもんだ。そして、この革の残りが行く当てもなく地下に眠ってるんだ。
                いったいいつになったら成仏させてくれるんだい、とばかりにうらめしげに見つめるんだ。
                だから、私は最初に書いた革の卒業制作で使ってあげようと思ってるワケ。雨に晒されて
                至る所シワシワノビノビで使い道は制限されまくり、うまく生かす機会は17年もなかった
                から。今、この時を逃すと遺品になってしまうかもしれないし。

                これで最後、さて明日は美容院へ納品だ・・・・・・・・・・・・・の、店主でした。

                 

                学生コンペ しょにょ2

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                   本コンペを紹介してくれたT野井氏がコメント欄で絶叫している。「このブログをご覧に
                  なっている皆様各位、何かしらのご投稿を是非お願い致します。」と、穏やかな文章だけど、
                  私には絶叫してるように思えるの。でもね、今までだってめったにコメント書く人居なかった
                  から、この記事で書こうっていう人が出現するなんてことあるはずはない。私はそう思うの。
                  そのことを気にもしないし、期待度もゼロなんだ。マジで。

                   バトンタッチという言葉が前記事で出たんだけど、その追加というか補正予算というか。
                  もうちょっと補足しちゃおうと思ったワケ。彼、T野井氏が私にコンペの存在を知らせたのは
                  なんらか期待があったってことなんだろうと私は考える。専門学校で教師をしてるのは先刻
                  ご存知なんだけど、ひょっとすると学校絡みでなんか面白くなるんじゃないか、ということ?
                  と、私は理解したんだ。学生に声を掛けてだ〜れもやらないってことなら、それはそれで
                  しかたない。でも、誰か一人でもやってみま〜すと言ってくれちゃったら、なんかオモロイ
                  ことの始まりの始まり。つまり、彼は私にコンペをバトンタッチしたわけです。バトンを
                  受け取った私は、彼にお礼のメールをした。専門学校で教えてる歴40年以上のアタイ、多くの
                  審査を経験してるから、審査の大変さはよくわかる。ならば、たくさんの作品に目を通す
                  難行苦行のその合間、ささやかな笑みを浮かべる事ができるような作品をガンバリます、
                  と彼に伝えたの。

                   思わずニッコリしてしまうような作品、審査員の方々ご苦労様と肩ならぬ心を揉んで
                  差し上げられるような作品を目指したわけ。そんな微笑ましい作品を作るには話し合いの
                  場も笑いが絶えないようにしなくてはなりませんよ。ちょっとふざけ過ぎじゃん、という
                  程度でちょうどいいのかもしれませんのじゃ。むやみにマジメは厳禁、脱力して、適度な
                  いい加減さがあって、みたいな作品。それを実現するためにはメンバー構成は超重要だす。
                  メンバーは、妄想爆発少女M嬢とはるばる台湾から殴り込みを掛けに来たC君の二人。
                  M嬢はそのままで充分過ぎるほど、一方のC君はキチン仕事の真面目な好青年。全員が
                  おふざけだと収拾不能になっちまうけどC君が重しになってバランスは満点。いや〜、
                  なんたってこのメンバー構成が優秀賞につながった一番の理由であることは間違いない。

                   キオスク作品は彼らも作ったことはもちろんだけど、アシスタントの二人の手も借りた。
                  たまたま遊びに来ていた卒業生のO君にもご指導いただいた。そうして大体の骨組みが出来て、
                  二つのドーナッツの周囲の形をどうするか、色をどうするかを学生二人に決めてもらった。
                  これが小さなバトンタッチ。いずれも期待通りの仕上がりで作品はグンとワンランクアップ。
                  で、かなり完成形に近づいてきた段になり、どうも上の方が淋しいよね、とM嬢に言ったら、
                  なんと数日後に彼女は赤い水玉のカエルの卵状の奇怪なグルグルを作ってきたんだ。これには
                  オドロキましたよ。彼女が考え、彼女が作った100%オリジナルだもんね。これを上部に
                  這い回らせたらピタッと作品が決まったかんね。それはそれは素晴らしいアイデアでっせ。
                  この水玉のおかげでプレゼンペーパーの紙も決まったし。私が彼女になんとなく足りない
                  ことをバトンタッチしたら、期待以上の成果物を持ってきてくれたんだ。こうでなきゃ
                  いけませんよ、仕事っちゅうのはさ。このグルグルでなんらかの入賞は確実だろうと思った
                  ほどの出来映え、いと満足なり〜。

                   常に相手の期待以上の仕事をしていれば自ずと道は開かれます。わかってくれて引き上げて
                  くれる人も出て来るでしょう。期待を裏切らなければ関係は途切れることはなく、好印象は
                  うなぎ上り間違いなし。期待を悪い方向で裏切れば信頼は崩れるし、いずれ関係は途絶える
                  ことになる。使える奴ってのは「期待を裏切らない奴」とも言えるだろう。前回苦言を呈した
                  作品を展示する担当者や学生が在籍する学校関係者は、私の期待を裏切った(ある意味期待
                  通りと言えなくもないけど)ことに私は失望したわけ。その方々が20代ならともかく30代
                  40代ならば問題は深い。なぜなら年令を重ねると誰も注意してくれまへんがな。これで
                  いいのか? なんか足りないものはあるのか? 見過ごしていないか? 自分の立ち位置
                  を確認して、謙虚にいろいろ思いめぐらさないとこれからヤバイかもしんないっす。

                   実物も出来ていよいよ提出作品をまとめなくてはいけない時にC君の出番が回ってきた。
                  M嬢、アタイ共々パソコンはからっきしだからC君がいないとどうにもならんのですわ。
                  プレゼンの扉アイデアや上部左右の◯写真にしても、彼ら二人のアイデアだった。つまり
                  二人の学生と取り巻きのさまざまな知恵が結実しての作品だったてこと。それも、
                  それぞれの関係の中で期待を裏切らないプラスの力が見事に融合した結果だったってこと。
                  誰が言うでもない、見事なチームプレイだったってこと。たまたま今回は受賞に結びついた
                  けど、これが残念な結果になったとしても過程で得たことは多いし、なによりも愉しい作業
                  だったってことで充分、実りの多い時間を過ごせたことだけできわめて満足である。

                   このコンペ、昨年のテーマは「シェルター」だったとか。今年は「キオスク」だ。聞けば
                  昨年よりも大幅に応募が増えたらしい。その原因は東北大震災の余波だとかのたまわった
                  審査員がいたけど、そんなわけがあるはずない! 原因はテーマにある!! 少なくとも
                  私はそう思う。シェルターっていう響きはなんとなく負のイメージ、閉鎖的なイメージが
                  あるじゃんか。なんか建築家が好みそうな感じもする。出題者だって応募者からテーマを
                  期待されていることを忘れちゃ困る。期待を裏切らないテーマが続けば応募者は増加し
                  主催するハーフェレ社だって力は入るに違いない。さらに疲弊した建築業界にビタミン剤
                  の役割を果たせるかも知れない。コンペっていうのはそういうもんじゃないか。
                   さておき、昨年のシェルターなら受賞は困難だっただろう。キオスクというテーマが
                  幸いしたという要素も多大だ。受賞会場で「来年も是非応募してください」なんて言われた
                  けど、それはどうだろうか? テーマに恵まれ、メンバーに恵まれた末の今回だから来年は
                  どうなるもんかわからない。しかも、こちとらひねくれた老人だから、私にではなく学校に
                  案内状が来た日にはへそ曲げちゃうかもしんないぞ。
                   それよりなにより私が生きてるかどうかわかんないし・・・・・・・・・・・。

                  なんて扱いにくいオジイサンなんだ・・・・・・・・・・・・・・・・な、店主でした。

                   

                  学生コンペ

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                     今年の何月だったか、畏友T野井氏からコンペの紹介があった。それがコトの始まり。彼の
                    会社と同じドイツのハーフェレ社主催の学生コンペ。テーマは「KIOSK」。ん? なんだ、
                    なんだ・・・・・・・・キオスクってかい。オモロそうじゃんか、私の授業で告知してみんべか。
                    ということで一年生と二年生の30人程度に軽〜く話してみたら、手を挙げたのは2名なのさ。
                    やっぱりね、さっぱりね、いと少なしときたもんだ。コンペに応募することのあれこれな面白さ、
                    自分の実力を試してみたいという欲求、そんなことはあまり興味がないんだろう。強く参加を
                    呼びかけたってうまく行くはずもないのは経験でわかってる。無理に誘うようなもんでもないし、
                    やる気のない学生を相手にするのは疲れるからさ。授業の課題として参加するんならまだしも
                    (それもなかなかうまくはゆかんのだが)、授業外だから私にすれば完全なサービスだからね。
                    カンのイイ学生ならほんのちょっとのことでも聞き耳を立て応ずるだろう。それが女神の後ろ髪を
                    掴むってことだ。でも、そんな気のきいた学生はね・・・・・・・・・・・。
                     大人気もなくそういうふうに思っちゃうから、呼びかけはささやかなもんだ。

                     でね、その2名と話し合いおおよそのイメージが出来上がり、学校の工房で作り、写真に
                    撮り、締め切り消印当日に発送。なんせ、授業外でやらにゃあイカンので、進みが遅い遅い。
                    まるで闇夜の牛、横板に飴、なめくじのお散歩。で、しばらくしたらぬゎんと優秀賞を受賞
                    しちまってさ。学生二人は小躍りして大喜び、アタイは無言で数度頷く(そんなカッコつけて
                    どうするんだ)。最優秀の次、賞金も15万円もいただけちゃう! なんて太っ腹なんだ。
                    その授賞式とプレゼンとパーティに行ってきたわけ。場所は東京青山にあるドイツ文化会館
                    OAGホール。

                     受賞作品はこれだ。また、facebookには審査風景が紹介されていて、審査員が指差している
                    オレンジ色のが我々の作品なの。受賞の連絡を受けてから再度コンペの内容を確認したら
                    どうやら建築科の学生に向けてのことらしい。う〜む、知らなんだ。知らないことは恐ろしい
                    もんだ。闇夜に鉄砲が当たってしまったのかい。最優秀賞は芸大の大学院か、偏差値高いんだろう、
                    きっと。入選の学生も大学だ。大学だからって臆するところはないけど、なんたって4年間だし、
                    こちとら2年間だし、しかも当方一年生(入学して半年経つかたたぬかのど素人)だから一体
                    どういうこと? なんだと不思議な気持ちが湧かぬでもない。

                     コンペ参加が決まり最初の話し合いで指導教官として一言申し述べたと思ってくださいな。
                    曰く、東デ(東京デザイナー学院)には、立派な木工機械や設備があるからこれを生かさぬ
                    手はない。と、おおよそこれだけだ。これぐらいのことは言っていいだろう。学校だから教育の
                    一環としてということもあるし。実物を作るってことになれば大きなものはできやしない。
                    駅の売店のようなサイズは到底ムリ、せいぜいがおでんの屋台程度(それでもデカ過ぎて無理
                    だけど)にならざるを得ない。豆粒ほどの小さいキオスクしか作れないだろう。そんな小ちゃな
                    店ってあるんだろうか? 調べましょうということで、まずはしばしの探索行。

                     小さいってことは移動もカンタンだ。移動するには軽くなけりゃアカン、ならば材料は最軽量
                    の木材になるか? 桐か?? しかもカンタンに組めなければならないし、小難しい技術や知識
                    がなくたって、誰でも作れるものがいいに決まってる。ま、ここまでは誰が指導したって
                    当たり前な前提条件でしかない。2年制の専門学校だし、参加の学生はいずれも一年生だから
                    パソコン知識や技術なんかたかが知れとる。とてもじゃないけど大学生と肩を並べること
                    なんかできやしない。彼らになくてウチの学生にあるものといえば木工施設しかないでしょ。
                    自分たちの強味を生かして仕事を進めなくてはならないことはどの世界でも共通だろう。

                     そんなことから三人の共同開発はスタートした。で、調べた結果、担ぐのはどうだろうか? 
                    と。昔むかしのその昔、街中で歩いてモノを売る商売があった。豆腐に風鈴、金魚なんてものも
                    売ってたし、近頃じゃ「大福」も売ってる。そんなこんなが分かってきて、そんなら大福の
                    代わりにお菓子なんかいいんじゃないか? 歩く駄菓子屋じゃ! 飴いらんかね〜なんてね。
                    江戸時代なら天秤棒でも良かったかもしれないけど、棒が長いし(電車移動が出来ない)、
                    重量バランスもムズカシソウ。だったら、中に入れるようにしたらどうかいな。中に入るんなら
                    ドーナッツ形にしてさ、三本脚を差し込んでさ、とあれよあれよとアイデアは展開してゆくわけ。
                    う〜む、なんてスムーズなんだ。学生二人とのチームワークは抜群。彼らとでなけりゃこんなに
                    自然にアイデアが伸び伸びすることなんかなかったろう。と、そのときも感じたし結果が出た
                    今も感じてる。

                     老教師と学生が話し合いながら進める、というと教師が指示を出し学生は言われた作業を
                    やるだけなんて思われるかもしれないけど、そんなセコいことアタイはやらんのよ。年令
                    経験は大差があるけど、話し合いは対等でなけりゃあきまへん。対等に意見を言い合える
                    間柄でなけりゃアイデアは自由奔放にノビノビしないもんだす。いくら教師が頑張った
                    ところで、いくらアイデアが秀逸だったとしても、最終形は魅力的なものにはならない。
                    そこで問題になるのは、年令経験を無視してというか乗り越えてというか、とにかく気に
                    しないで自由に意見を言えるかどうか。多くの学生はここでつまずいてしまうんだ。自由に
                    ディスカッションができない。遠慮か内気か自信のなさか、とにかく発言がなくお通夜みたい
                    になってしまう。居心地の悪い沈黙に支配される。こりゃマズイでっせ。発想とか能力以前の
                    持って生まれた資質みたいなもんだからね。対等な気持ちで話し合えないことには、なにも
                    進められないってことにもなる。

                     受賞パーティで入選の京都工芸繊維大学の学生と話したときに、そのことを尋ねたの。
                    あなたがたの作品は三人だけで考えたの? そうです 誰か相談出来る先生は居なかったの?
                    いました なんで相談しなかったの? 相談することを考えつかなかった あぁ、やっぱり!
                    あんたがたもそうなのかい。誰にも相談しないで自分たちだけで考えたんだ。20代の若者の
                    経験や知識なんか知れとるやんけ、なんで先輩や先生の意見を参考にしないのか!! ま、
                    そこまで言ったわけじゃないけど、およそそんなことを言ったら、そうですね、なんて今
                    気が付いた様子がありあり。東デの学生だけじゃない、大袈裟に言えば日本全国の多くの
                    若者は先人の知恵や経験を参考にすることそのものに気が付かないらしい。それでいい作品が
                    生まれるわけはない、底の浅い作品、どっかで見た事があるような作品、しか出て来ないのは
                    むべなるかな。あぁ、無情。関係ないけど。

                     昨日、会場から実物作品を持って帰ってきた。プレゼンの時に実物が欲しいっていうから
                    届けたのが戻ってきたんだ。提出したプレゼンペーパーはあちらのものだから戻ってはこない。
                    ちなみにこのペーパー三重構造になってて、扉を開くと写真がごちゃまんと並んでる代物。
                    他のすべての作品はパソコンで作りプリントアウトしてるから一枚の紙の表だけでしかない。
                    応募要項には裏を使っちゃいけない、なんてことは書いてない。なんで裏も使わないのか?
                    そんなことはどうでもいいんだけど。東デの作品は、この扉写真だけじゃ作品の半分しか
                    見る事はできないし理解度も半分。さて、これをどうやって展示するのか? と内心期待
                    してたんだけど、どうしようもなかったんだろう、表紙だけの展示となる。ネットでの公開も
                    同様だ。コンペっていうのは出題者に対して応募者の解答だからさ、真剣勝負って言えなくも
                    ない。作品は展示者にバトンタッチされたわけだ。作品を正しく展示できないとなれば、
                    展示者は作品に負けていると言われても仕方ない。知恵と工夫がない! なんとかせんかい!
                    と私は思う。思ってもいい立場にあるだろう。

                     展示者だけでなく審査員や東デに対しても同じこと。審査員は作品を正しく理解して
                    優秀賞にしたんだろう。一人の審査員は、箱物を作る建築(家)に対して「それでいいのか」
                    という根源的な問いを突きつけられたような気がしたと賛辞の言葉もいただいた。その一言
                    だけで充分、理解していただいたことに感謝し豊かな気持ちにさせていただいた。一方の
                    東デはどう考えるのか? 真っ先に考えなければならないのは集客宣伝のためにこの作品を
                    どう扱うのか、ということだろう。学生が生み出した成果なんだから、学内外に使い道は
                    山ほどある。しかも実物があるんだから。学生ホールに展示してもよし撮影し直して貼って
                    もいいと思うんだけど・・・・・・・一切の提案はない。せっかくの宣伝好素材を使うこと
                    に気が付かないんだろう。ハーフェレの展示者同様に東デの関係者も作品を正しく理解する
                    ことなく、負けとるんだ。授業を受け持たせていただきお給金もいただいている学校だけど、
                    こういうことでアタシャめげるのよ。仕事なんだからバトンタッチされた成果をどうやって
                    次につなげるのかは、受け取った側の力量次第です。生きもするし死にもする、それが仕事
                    ってもんじゃないか。

                     今回のようにポンッと作品が出現すると周囲に波紋が広がるもんです。その波紋の反応で
                    取り巻く方々の資質や視点や能力が見極められて大変オモロイ。今回の作品を正しく理解
                    してるのは友人T野井氏と中目黒のレストランのオーナーO崎氏と審査員の中村拓志氏の三名
                    と私は見ている。この方々には感謝してもしきれない。感謝の心は井戸のように深い。私に
                    とってはこの三人だけでいい、きわめて満足しきっている。さらにもう一名の理解者がいる。
                    オーストリアはウィーン在住のクリス氏だ。受賞を知らせ、写真を送ったら即こちらに送って
                    ほしい、クリスマスマーケットに使いたいと返事があった。彼の奥さんが現地でおにぎり屋
                    を営んでいて、その関係で。うれしい提案だ。作品の到達地点にふさわしい。なんたって
                    現実の生活の中で作品の魅力が問われる事になるんだから。よりリアルなあれこれが楽しめる
                    もんね。

                    まったく教師生活の掉尾を飾るにふさわしい出来事だったぜい・・・・・な、店主でした。

                     

                    ぼんち倶楽部よ、何処へ?

                    0
                       なんだか慌ただしい。とはいえ忙しいなんて言えるほどじゃない。忙しいなんてこんな
                      もんじゃないだろ。店主が三十路を越えたあたりで二年間働いた会社、この時に比べたら
                      まるでヒナタボッコのようなもんだから。朝は定時(9時だったか)に事務所で打ち合わせ
                      が始まり、夜は何時に終わるか皆目わからない毎日。あるときなんか夜11時過ぎに一人で
                      テントを取り付けに行ったことがあったっけ。間口2メートル以上あるパイプで出来た骨組み
                      だ。相当げんなりしつつトラックで出発したら、すぐ信号無視で捕まってしまい、パトカー
                      を呪いつつぶんむくれて現場に向かったことが忘れられない。夜中に、工事に向かうこと
                      なんかなんでもないという会社だった。社長は2才年上のやり手、そんときすでに5階建て
                      の自社ビル持ってたし、正月三が日なんにもしないでいると身体が腐っちゃうってほどの
                      働き者。十人ほどの社員は彼に引きずられるように必死こいて仕事三昧。これが、忙しい
                      ことの私の標準基準だから、今の慌ただしさが忙しいなんてみっともなくて口に出せない。
                       その会社、2年間しか耐えられず辞めたんだ。で、その後聞いた話によれば件のモーレツ
                      社長がある日蒸発してしまい、若い娘とラーメン屋を始めたとか。マジで! それを小耳に
                      はさんだアタシャにわかには信じられず、ちょっと唖然としてしまう。あんなに働き虫が
                      ラーメン屋かい、残された奥さんと子供二人、それと会社はどうなるんだい?? 結局、
                      自社ビルは売りに出され、奥さんと子供たちは悠々自適だけど社員はちりじりバラバラ。
                      こんなこともあるんだ・・・・・・・と、若い私は感慨にふけったのダス。

                       いろいろな思い出がある会社、けっこう大変な会社だったけど、考えてみれば教えてもらった
                      ことも少なくないし、そんときの経験がその後の仕事に大きな影響を与えたことは確かな事。
                      お金をいただいた上にお勉強までさせてもらえる、厳しかったけどイイ会社だった、と。

                       で、ぼんち倶楽部だ。地下の改装(ベニヤの床、壁、天井の青色染色)を始めたとはいえ、
                      その前から休止状態。いや、映画は観てるんですよ。数日前はピアノ・レッスン、その前は
                      尻啖え孫市、ショーン・コネリーの007シリーズ4本、女はそれを我慢できない、お嬢吉三、
                      剣鬼
                      とね。映画は観続けている。けどぼんち倶楽部はお休みなの。お休みのそもそもは、
                      次の上映予定を記事にする時に、映画の内容を書かなきゃならんでしょ。あらすじを書く
                      なんてもってのほかだし、未見の場合にはあらすじも書けない。なんかテキトウな文章で
                      お茶を濁すのもいやだし、ってことでパタッとキーが打てなくなってしまったのっす。
                      ぼんち倶楽部についての反響もほぼ0だし、だったら休んじゃおう。って思ったのっす。

                       当たり前だけど、映画や音楽ってのは他人と共感共有することが、ことのほかむずかしく、
                      なかなか同好の士とは出会えないもんです。出会えたとして共通の話題で会話が持続する
                      なんてことは奇跡だろうし。なんせ、この歳になればなにごとによらず一家言持ってる
                      もんだし、臈長けた心は奇妙に折れ曲がりところどころに節もあったりしてさ。ねじれて
                      いじけた様はまるで盆栽の松だ。そんな老人にとって楽しいひとときの会話なんて、よほど
                      気の合う方でなけりゃ、よほどそのことがわかっている方でなけりゃ、よほどそんあこたァ
                      知ったこっちゃないと暴走する方でなけりゃ・・・・・・続かないもんです。つまり、
                      こっちがなんらか興味惹かれるお相手でなけりゃつとまらないもんだ。あぁ、なんて身勝手
                      なんだ。そんなワガママな老人だから、お相手が見当たらなけりゃじっと我慢でいるっきゃ
                      ないじゃんか。そう思ったのですばい。

                       女はそれを我慢できない主演はジェーン・マンスフィールドだ。マリリン・モンローの
                      近縁種オッパイ満タン腰はくびれての女優だったとしか知らない。確か、彼氏とドライブ中に
                      事故にあい首がちょん切れてしまった壮絶な最後を遂げたと聞いたことがある。しかも、
                      なにやらコトに及んでいたという尾びれも背びれもつきまくった逸話も流れた。この映画には
                      当時のミュージシャン
                      がバリバリ登場する。1950年代だから、アタイだってまだヨチヨチ歩きの
                      カワイイお子ちゃま。名前だけは知ってる歌手がわんさか出て来るけど観た事ない人ばかりなの。
                      でも、最後に出て来たプラターズは知っとる。なんせ我が音楽人生の源流も源流、最初の一滴
                      だからね。私の姉が最初に買ったレコードがコレ、まさにすり切れるほど聴きまくり、数年前に
                      オークションで同じレコードを買っちまったほど。そのプラターズのステージが観れたんだ。
                      今じゃプラターズを話題に出来る人なんかいないし、ましてや音楽の源流の一しずくの人なんか
                      居るハズもない。私の再会の感激をわかろうはずもない。そんなことはわかってる、誰だって
                      同じようなコトやモノを持ってるだろう。

                       尻啖え孫市の場合は中村賀津男だ。主演は中村錦之助で孫市の役、弟の賀津男は豊臣秀吉、
                      織田信長が勝新太郎といった案配。錦之助はほぼ絶好調という感じで豪快に女の尻を追い回す。
                      賀津男の豊臣秀吉は、一見小心者風だけど、ずるくしたたか相手の心を読み切り確実な手を
                      打つ。常に下から見上げるような視線がたまらなく魅力的なんだ。孫市の陽、秀吉の陰だけど
                      妙に気が合い敵対関係になりつつも気のおけない友人としての奇妙な友情が続く。もう信長
                      なんかそっちのけでさ。中村賀津男なんかすでに風化しちゃって知る人もなくみたいな。さらに
                      こんな賀津男の魅力を語り合える人なんか居るんだろうか?? 居ないに決まっとる!!

                       そんなアタイだからさ、ぼんち倶楽部の休止もやむを得ずってことなの。改まって書くこと
                      でもないけど、それなりに続いてきたし無言で消え去るってのも締まりがないでしょ。

                       もう歳なんだからさ、独り隅っこで生きてればいいじゃん。ちょっと厭世的にもなっとる。
                      落ち込んどると思わないでもない。長い人生いろんなことがあるわいな。階段だって坂だって
                      昇りと下りは同じだかんね。さてクイズです、東京には昇り坂と下り坂どっちが多いでしょう?
                      なんてね。上昇と下降は抱き合わせの表裏、イイ時もあるし不調の時もあるわけで。人生いろいろ
                      島倉千代子も亡くなってしまったわい。なんかかなりやけっぱち、変な方向に行ってるなと
                      思わないでもないけど、指が止まらないんだからしかたないっす。赤い靴のようですわ。

                       な〜に、生まれる時も一人なら死ぬ時も一人だい! 
                       カラ元気の元気のうちという名言もあるけど、それで行こうか飽きるまでと考えたワケ。
                      なんか私の人生の節目に差し掛かってるのか、はたまたそう思い込んでるだけなのか?
                      ようワカランけど、

                      と思いつつも刻一刻と時は過ぎ行く〜〜〜・・・・・・・・・・・・・・な、店主でした。

                       


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