日本全国年末だい!
一向にその気が起きずにブログを書いてるんだから。きっと、母が生きてたらそんな
だらしないことと叱られるにちがいない。息子はここ数日間家の周囲と出入口の外を
清掃、その間寝てるわけじゃないけど、掃除には無縁のアタイ。カミサンはけさも仕事に
行ってしまった。いよいよ私自ら家の中と神棚や仏壇の年越し準備をせねばならない。
ここ10日間くらいとあることに没頭していて世俗のことには気が行かなかったの。
なかなかの難行ではあったけどようやく決着がついた、と一息つく間もなく飲み会が
連続し、一昨日は一年ぶりのライブを地下で行った。ギター二本二人での演奏は、素敵な
観客の方々のお力もあってとても良い雰囲気となり、集まった全員気持ちの良いひとときを
過ごすことができましたわい。音楽が人の心を豊かにし共有することで親しみが湧くことを
実感させられた。日頃、ライブなんか無縁であろう初めての観客の方々にはこの場は
どうだったのか? いつか聞いてみたいような気になってしまいます。
で、今朝、いつものようにパソコンで散歩してたらウィーンのクリスのfacebookから
の連絡。送ったKIOSKが現地で組み立てられた一報だ。
彼の家のテラスに持ち込まれた我がKIOSK、いや〜、感慨深いものがありまする。
はるばる海を越えて彼の地でデビューの時を今や遅しと待ち構える勇姿? ガンバレ、
KIOSK!! 軽いんだけどかさばるんだ。
M嬢は上の黄色輪っかがちょうど目の位置になってたけど、クリスは背が高いから、
そうはゆかない。でも頭が出るのも悪くない。一緒に梱包した革の肩掛けベルトは、
きっと短すぎて使えないかもしれないな。
そしてノア君だ。爪先立って叫んでる。なんだこれ? ドイツ語で聞いてるんだろ。
梱包を解いてあれこれな部品がゾロゾロ出てきて、手書きの組み立て説明図を読んで、
ワイワイ言いながら電動ドライバーで組み立て、写真に撮る。そんな家族の雰囲気が
手に取るようにわかる。きっと、いいヘンテコなプレゼントになったことだろう。
学生二人とハーフェレ社のコンペに応募して、幸いなことに優秀賞を受賞して。乞われて
オーストリアのウィーンに渡り。当地でのおにぎり屋さんの軒先か店内かはたまたご近所
での移動販売。やっぱ作品(というか商品というか)は実際に使われてこそのもの、紙上で
あれこれ、審査員の間での評価、が最終地ではない。なんたって使ってみないことには
良かったか良くなかったかワカラナイからさ。そういう点からいってもこの作品はしあわせ者。
とはいえ、まだ組み立てただけの段階だから喜ぶのは早い、真価が問われるのはこれからだ。
私が関係してる学校では多くの場合、なにか課題が与えられて、学生がスケッチや図面で
あれこれ考え、教師が指導し、実物を作り、最終評価を下すというのが一般的だ。それは、
多くの学校でも同じ事だろう。作品の着地点は最終プレゼン=評価がほとんどだ。でも、
作品の真の能力とか真価は実際の社会の中でなんらか実践されないとわからないもんです。
それは音楽だって恋愛(相変わらずの例えでスンマソン)だって同じ事じゃないか。♬で表現
された音楽やハウツー本の中の恋愛なんか猫を写真で可愛がり楽しむみたいなもんで実像に
なんら肉迫していないからリアルではない。♬は聴衆の前で演奏し、恋愛は枕を共にする
ことで現実世界に姿を現し、潜在埋もれていたものが目に見え耳で聞こえ身体で実感できる
ってんもんじゃないっすか。飼えないから写真でしか猫を可愛がれないという事情は
あるだろうけど。
だからこのKIOSKのように実際に使っていただけるということはきわめてウレシイことで
大喜びなんだわさ。今、卒業制作真っ盛りの学校では実物で作れずに縮尺モデルでの作品も
少なくない。それはそれでいろんな事情があることは承知してるしとやかく言うつもりはない。
つもりはないけどそれじゃ物足らないだろうと思うだけだ。ライブで音楽を聴く事もなく
CDやi-padや携帯で音楽を聴いてるだけじゃ物足りなくないのだろうか? 好きな音楽なら
出来る限り近づきたい丸ごと味わってみたいと思わないのだろうか? 映画ならば撮影所に
行ってみたい、絵画ならば実物を観てみたい、海外ならば実際にその場所に行ってみたい、
気になる人なら話してみたいし、好きな人なら寝てみたい、そういうもんだろう。そうして
経験した事が血となり肉となるんじゃないのか。それがその人の教養とか人格を形成するんじゃ
ないのだろう、か。
先日、気になっていた「ある精肉店のはなし」なる映画を観に行ったんだ。忘年会の翌日、
美嬢二人と東中野の映画館まで出向いた。牛を屠畜することを知りたいという好奇心だけで
行ったんだけど、屠畜にまつわる部落差別の問題にも触れ(触れざるをえないんだけど)
お店の方々の誠実でキッチリとした仕事ぶりに感心した。それよりもなによりも解体される
牛が実に美味しそうだと思う私の心に驚いたの。残酷だとか肉が食べれなくなってしまう
なんてことはこれっぽっちもなくて、観終わったら無性に肉が食べたくなって、そのまま
学校近くで有名なトンカツの店「いもや」に直行。牛でなく豚なのはいささか残念だけど。
同行の二人も同じ気持ちになったようで異存はまったくない。牛の命をいただくことに感謝、
それからは肉以外の野菜や魚を食べる時もそれまでとはいささか異なる気持ちで味も違って
感じられるような気持ちもする。ま、映画を観ただけだから偉そうなことは言えないけど。
好きなコト、気になる人、オモロそうな現象には近づきたい、ということで過ごしてきた
これまでだった。それらが私の今であることは間違いない。過程で多くの人に迷惑をかけた
こともあっただろうし、私自身が傷付いたこともあるんだろう。そんな生き方しか出来ないし
それが間違っているとは思えない。これからもそんなことに頭を突っ込みつつ生きてゆくしか
ないのよね。いつどこで人生の終わりが来るのかわかんないけど、どんな生き方をしたって
後悔がないなんてことはないだろうから、その時そのときどんなことでも出来る限りマジメに
誠実に心の赴くままに日々を過ごす事に専念したいもんだ。
ってことで、さぁ掃除に取り掛かりましょうか・・・・・・・・・・な、店主でした。
- 2013.12.30 Monday
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- 11:42
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- by factio