ニヤリの真意

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     都知事に舛添氏が当選、ご愁傷さまでございます。なんか増々いよいよって感じだな。
    そんなこととはいささかも関係なく、相変わらず遅い帰宅のカミサン、昨日は珍しく
    早めのご帰館。といっても10時頃だったかな。私の巣は地下だから地上の通路から音が
    響いてくる。歩く音とかね。カミサンが帰ってくると自転車のスタンドを立てる音ですぐ
    わかる。いつもの位置だ。ちょうどそんときわたしはまたしてもTINAのDVDを観てた。
    二時間くらい経ってから家の居間に帰ると「イモ食べちゃった」と。いつも通り韓国
    ドラマを観ながら寝そべりながらのカミサン。イモは干しイモだ。これを焼いて食べ
    ながら仕事の疲れを癒していたわけだ。

     「それオレが買ったんだ」「え、そうなの」「いつもの八百屋さんで」と言ったら
    「どうりで、スーパーで会ったらニヤリと笑ったから変だと思ったんだけど。
    それだったんだ!」


     夕方、寒中をもろともせずアタシャ買い物に行った。なんだか急にチャーハンを
    食べたくなり、おかずは餃子かシュウマイか、ご飯が少ないからラーメンもいるな、
    八百屋さんに寄ってゴマ油の有無を確認してからスーパーであれこれ買って、帰りに
    再び立ち寄る。スーパーと重複する商品もあるけど、どうせ買うならこの八百屋。
    個店は大切にしたいし、なんたって私の料理のアドバイザーでもある。でね、いろいろ
    買って、ふと見れば干しイモがあるじゃんか。カミサン好きだからたまには買って
    やろうか。八百屋の店主(女性です)といつも通り二言三言の立ち話の中で、イモの
    話になり「優しいのね」なんて言われ、「いやいろいろあってさ、せめてもの罪滅ぼし、
    残る人生懺悔の日々だかんね」なんてこと言いつつ、小さな笑会話を楽しんだの。

     そのことあって後、八百屋の女将さんと私のカミサンはスーパーで出会って目を
    会わせてニヤリと笑ったということ。私は、こういうの大好きだからさ、カミサンと
    話しながらいいなァと思ったわけなんだ。舛添氏の知事の一件なんか、なんかいよいよ
    ってモヤモヤなんか吹き飛ぶってもんだ。市井の人々の心の交流、ご近所付き合いで
    ひがな一日暮れて行く、小市民的といわれようと私の心にはズシリとした実感が残る。

     で、この女将。小さな八百屋でガラス戸もあるけど、全面開放だから店内いたって
    寒し。日に日に着てるものが重装備になり、立ってると寒いから座りこんで冷蔵ケース
    に隠れちゃってる。私より少し年下、長年町内に住み続けている。以前は、茶舗だった
    けど、ずいぶん前から野菜を販売している。小さな店だけど、固定客もあるようで。

     行けば必ずちょいと会話を交わす。一見フツ〜のオバさんだけど、私のツッコミに
    反応するしユーモアの資質も満々のようで、私は好き。容姿端麗、若さプリプリも
    けっこうだけど、なんたって中味がね、オモロくなきゃ物足りない。っていうかダメ
    でしょ。会話の応答が、卓球とまではいかなくてもせめてテニスぐらいのスピード感
    や変化がなけりゃ、一時はいいかもしれないけど長続きはしないんじゃないっすか。
    会話を楽しむことは双方が、同好の士みたいな感性の歩み寄りがなによりも大切。
    知識や経験や仕事なんかが違ってたって、世間話をユーモアでふくらませることは
    できる。そんなことがなくたって生きて行ける人もいるだろうけど、私にとっては
    日々のこうしたコトがなによりも大切なことなんだ。

    今日は、短くて申し訳なし・・・・・・・・・・・・・・な、店主でした。

     

    あなおそろしや天罰

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       昨日は大雪、チョビ髭みたいな雪じゃなくドカンと降らせんかい、と雪の神を挑発
      したらなんと26センチも積もってしまった。あの記事を書いた後、店の整理清掃をし、
      ふと思い立って入口の雪かきをしなくちゃな、なんて気軽な気持ちで外に出たわけだ。
      チョコチョコと真似事みたいにやってて、ふと振り返れば二階に通じる階段が大変な
      ことになってる。マズイなこれ。ここも雪かきしないと誰も二階に行けないじゃんか。
      入口はデッキブラシの簡易装備でよかったけど階段はそうはゆかない、スコップ+軍手
      のお出まし。さらにフード付きのコート+キャップを着装、本格的な雪かきの出で立ち
      で、いざゆかん。

       私の家は、二階三階がアパートになってる。小学生で離婚して、母は保険の外交員を
      やりつつ、それまで住んでた家を貸すことで生計をたてようとした。父との生活は
      けっこう豊かだったから家もそこそこの大きさ。4部屋あった部屋の3部屋を間貸し、
      一家は6帖の一部屋で暮らす。仕切りは襖一枚だけ、よくもあんな部屋を借りる人が
      いたもんだと思うけど、当時はそれがフツ〜。朝晩の食事も作ってた。ずいぶん時が
      経って、二階を建て増しし、6部屋のアパートにした。そして平成元年に今の3階建て
      にしたの。むろん借金です。ほぼ一億円だった。いまも営々と返済し続けている。
      アパートのオーナーなんていうとお金持ちというイメージがあるだろうけど、実際は
      そうでもなくてさ、税金もあるし、補修もあるし、いつも満室ってわけじゃないし、
      建物が古くなれば家賃も下がるし、なんとかかんとかやってゆけるといった程度だ。
      現に、子供の学費のために夜のバイトで稼いでた時期もあるし。子供が大きくなって
      年金が入るようになったほんのここ数年ようやく余裕が出てきたといった具合。

       ちなみに店は、元通路だった。それをブロックで仕切りして、ドアを付けて単なる
      物置に。ふとしたキッカケで、店にしようと思い立って、長い時があって今の姿に
      なったんだ。そのいきさつのすべてはは私の頭の中。ほとんど写真はない。

       亡き父の土地に、亡き母が営んでいたアパートがカタチを変えて今もある。前置きが
      長くなってしまったけど、そのアパートの二階に通じる階段が雪で大変なことに、ね。
      なってるわけだ。

       二階に行くための通路。奥に階段が見える。すでに一回目の雪かきが終わった後
      だから、積雪は少ない。ちょっと前はこんなもんじゃなかったッス。でもね、ここは
      ほんの序の口だったんだ。そんなこと気が付かないで、せっせとラッセルするアタイ。


       二階へ通じる階段。ここもラッセル後。スコップで左の手すりの上を、狭い隣家との
      隙き間に雪を捨てる。この作業中に初めて「三階は?」と。あわてて確認に行き、惨状
      を目の当たりにして疲れは倍加するわけだ。


       二階の通路までの踊り場。くどいようだけど、すでにラッセル後ですからね。すぐに
      雪が積もるんだ。


       これが二階の通路。ここは屋根(庇といった程度)があるから積雪はさほどじゃない。
      数センチだ。ドアが積雪で開かないこともないから、ここはこのままでよかんべ。


       いよいよ本丸の三階。もう一心不乱にスコップ使いまくり。高いから雪を投げ捨てる
      のにも神経を使う。なんせ隣家との間は40センチくらいしかないから、バサバサ隣家に
      雪を捨てられない。


       そしていよいよの関ヶ原だ。最初見たときは気が遠くなったぜ。右のドアが4枚
      あるんだけど積雪で開きまへん。なんせ屋根がまったくないから、吹き溜まること
      この上もなし。スコップたっぷりの雪を手すりから地上に投げ捨てることの繰り返し。
      これじゃまるで網走番外地の高倉健だ。ブログで降らせんかい!と吠えたことの罰に
      違いない。天にツバすりゃ、雪となって我が身を責める。うーむ、雪に悶える谷ナオミ。
      ろうそくにわななく一条さゆり、もうなんとでも言ってくれ、これを掻き出さなくては
      三階の住人の方々は部屋に入る事ができないんだからな。私がやるっきゃない。
      なんたって管理費2000円を頂戴してる身、ここを先途に放りまくる。

       三回掻いては母のため、四回掻いては・・・・腰が痛くなる。なんて軟弱な筋肉。
      頑張らんかい、振り絞らんかい。アドレナリンはどこいった。手もかじかんできたし、
      コートはすでに濡れて重くなりつつ。牛歩の歩みで、ひたすらラッセル。ゴルゴダの
      丘を十字架背負ってトボトボ歩むキリストもこんなだったのか、そりゃいかになんでも
      言い過ぎ。例える相手が偉大すぎまっせ。ってなこと言いつつようようのことでドアが
      開く程度まで除雪し終わり、雪の神に懺悔のひととき。悪うござんした、もう決して
      あんなこと言いません、雪はカンベンしてくだされお代官様じゃなくて神様、ホトケ様、
      荒神様、八百万の神々様。雪の降りしきる中、十字を切ったり、三拝九拝したり、揉み手
      をしたりで忙しいアタイ。こうして、散々な雪の行軍はなんとか八甲田を乗り切った。
      なんとまぁ、大袈裟なことよ。神はきっとせせら笑ってるに違いない。

       で一夜明けた今日だ。明日、一年生の最後の授業があることを忘れてたことを思い出す。
      学校から荷物を持ち帰らなければならないから、なにがなんでも車で行きたいの。でも、
      私の家の前の道路にはけっこうな積雪でね。このままじゃ幹線道路に出られない。タイヤ
      はノーマル、チェーンもなし。どうせようか? 融けるか雪、融けないだろう、まさかね。
      明日の午前中までは時間がなさすぎる。ええい、こうなれば毒食らわば皿までの勢いで
      更なる除雪に励んだろか! ためらってる時間はない、いざ出陣!! けどな、萎えるな、
      心がさ、ちびるな。第一、長靴がない。あるのはブーツっぽい革靴があるだけ。あれを
      履くしかないだろ。それにしても気が滅入るな、あ〜ぁだな。

        ここで気なって周辺道路を見に行く。果たして明日車でゆけるかどうか、を。

       前の道路はこんな感じ。遠くに見える道路はすでに除雪が終わってる。なんて偉いんだ。
      ご近所のK城さんが朝も早よから励んだ結果がこれ。もう、なんも言えませぬ。やる人は
      やってるんです。イヤだなんで言ってられない。お礼の挨拶を交わしながら、一通り見て
      回る。なんとか車は出せそうだ。再び家に戻って、子供が雪だるま作ってたから目玉と口
      にと炭をあげて・・・・・・さ、いざ出陣。雪なんかきれいさっぱりどけてやるぞ!

      でも軟弱な筋肉は発奮してくれるだろうか・・・・・・・・・・な、店主なんだわさ。

      やゃ、雪だ!

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         予報通り東京は朝から雪が降り積もっている。困ったもんだ。寒いからな。店の地下
        から出られない。一階はなんといっても寒い、寒すぎるからな。この地下だって、オイル
        ヒーター全開にしても天井が大きく抜けてるから一向に暖かくならん。下着上下ヒート・
        テックで装備してるけど、これって動かないと暖かくならないみたいで。そのことを
        カミサンに聞いたら「皮膚との摩擦で発熱するんじゃない」と言う。やっぱ、そうか
        世上で評価の高いヒート・テックだけど、肝心の効用をよく知らないで着ることの
        悲しさよ。君、着たもうなかれ、なんてね。

         東京の雪、20センチも降ったら大騒ぎ。北の国の方々にせせら笑われてしまう。なんか
        チョビ髭みたいだもんな。あるいはようやく大人になりつつある中学生の口元に生えて
        きた産毛といった程度だ。こんなもんニュースにするほうがおかしい。どうせ降るなら
        せめて1メートルくらい降らんかい。JR全面ストップ! 道路は至る所で封鎖!! 
        学生運動の再来か!!! それぐらいのことせんかい。どうなんだ雪の諸君、手加減
        しないで攻め込んで来んかい。こちとら、風呂に入って待ち構えてるからな。ヌクヌク
        だからな。間違ったって外に出て雪かきなんかしない、買い物だってしない、冷蔵庫に
        あるもので間に合わせちゃう。どんなもんだ・・・・こんなもんだ。なんのこっちゃい。

         ってことで、来週は姪の結婚式で京都に雪、じゃなかった行き(ミエミエだ)、帰った
        翌日にウィーンに行く。京都は新幹線、なんとグリーン車だぞ。昔はグリーン車なんか
        目が飛び出る値段だったけど、今じゃそれほどでもない。私一人だったらそんなこたぁ
        しないけど、カミサンとの道行きだからね。こういう時にゴマを掏らないでいつするんだ、
        と思ったワケ。いやはやセコいな、我ながら。その昔、アタイは桃色事件を起こし、
        カミサンに巨額な負債を負った。日々の生活の中で懺悔し返済の毎日、グリーン車も
        そのひとつ。さらに、あの悪夢よ再びということもなきにしもあらず、万一そんな出来事
        が出来した場合に備えてのささやかな定期預金という目的もある。懲りてないんだな、
        まったく。なんせお子ちゃまだからな。ただ、前回の事件と違うのはこちらの年齢だ。
        行き着くところまで行きたいのは山々だけど、行き着く前に死んじゃうだろうし。
        ああ無情。

         ウィーンは友人のおにぎり屋の視察。昨年開店して大繁盛、こんどはTV取材もある
        らしい。すでに向こうでは有名人らしい。そんなこんなを見て来る。また、TVで知った
        古本屋もある。広大な地下まで山積みになった古本は一見に値するに違いない。宿は
        友人宅だからお金は掛からない。タダだ。気安く付き合える友人だから遠慮はいらない
        とはいえ、そこはそれ、なんかおみやげは必要だ。私が、考えた土産はコレ

         反物だ。おにぎり屋さんは12月末にいったん閉鎖し2月に再オープンする。2ヶ月も
        店を休むことを知った中目黒のレストランオーナーは仰け反った。それでやってゆける
        んですかい、と。この間彼女ら家族はタイに行き、アルプスにスキー旅行と、やりたい
        放題遊び呆けている。しかし、彼女には彼女の戦略がある。飲食店は宣伝が大切、それ
        にはメディアで紹介される事が早道。でも、どんな店だって一度紹介されたら二度は
        なかなかむずかしい。そこで、一旦休止し、再度オープンし、そんときにイベント、
        それで脚光を浴びようという考え方。それを繰り返せば新鮮さを保つことができると。

         なるほどなぁ、それアリだな。でね、そのイベントになんか役立ちそうな物品をと
        考えての反物。向こうでは着物は飛ぶように売れる、着るのではなく飾るためらしい。
        部屋に飾るのね。でも、着物は高額でしょ。反物なら安い、いまどき着物を自分で仕立てる
        人なんかいないからさ、昔の反物余ってると思ってね。しかも柄は派手なほうがいいだろ。
        それには銘仙がいいんじゃないか。となったんだ。とはいえ、反物だけじゃ詮方なし。
        そこで、これが必要になる

         針子だ。ワカルかなこれ。なんだろね・・・・針子だ。くどいな。その昔、布団なんか
        をバラバラにして綿は打ち直し、布は洗い張りして、再度作り直したもんだ。私の母も
        やってた。昔の人は偉かった、布団も作り直すし、着物は仕立てるし、褞袍(どてら)や
        綿入れ、どんざも作ったもんだ。洗い張りは、洗濯した布に糊をつけて干すこと。長い
        張り板はどの家でもあったんじゃないか。で、この針子(しんし)。布をダーっと庭に
        干すときに布の両側に掛けてピンとさせるもの。

         と、ここまで書いて、これ以前記事にしたかも、と。マズイな、忘れてるかも。

         ええい、そんなこと知ったこっちゃない、と書きつづる。だから、この針子は竹を細い
        棒にしたもので、両端にはちょっとだけ引っ掛け用の針がついてるんだ。見えるかな?

         この針で布を引っ掛けてピンと張り乾かす。だけど布の巾方向はこれでいいけど
        長手方向も引っ張らにゃイカン。ってことで、

         張り木が必要となる。

         針に呼応するように穴が開いてる、ここに布をグイと挟めばしっかりと固定される。
        ってなもんだ。布に穴が開くけど、極小の穴だからだいじょうび。

         張り木の両端は丸くなってて、ここに丸環を通して、ヒモで引っ張る。そのヒモを
        長いヒモでどこかに固定する。ウマク出来てるもんだ。で、この反物と針子と張り木
        を使って、おにぎり屋さんの天井にダーっと張れば目立つんやないかと思ったんだ。
        針子や張り木も古いもんだけど、なんたってホンモノだからさ、きっと彼らは気に入る
        だろう。今じゃ、こんな古いやり方知ってる人もあまりいないだろうから新しさを
        感じるだろうかもしれないし。

         と、ここまで書いてゴミネットを回収するために表に出る。今日は可燃ゴミの日で、
        回収後に放置されたネットをしまわなければならんの。いや〜降ってる降ってる。
        そして寒い寒い。千葉に住んでる学生からメールが来て、あっちでは風も強いから
        サンサンという感じで降ってるらしい。ゆりちゃん、こりゃ当分やみそうもねえな、
        吹雪いてきたぜ。

         こういう日には、暖かいコタツで雪見障子のガラス越しに雪を見るなんてこと
        したい。ちょっとしたツマミかなんかあって熱燗をクイッと。横には、カワユイお方
        がいたりして、コタツの中で脚からんだりしてさ、いつしか裾が乱れたりしてさ、
        そのまましどけた姿で、座布団枕にしたりしてさ。クゥー、こたえられませんぜ。
        いつか、やってみたいな、そんなこと、あんなこと。出来る日が来るんだろか、
        来る、来ない、来る、来ない・・・・・・・・・・・。

        あーぁ、やみがたし我が妄想は何処へ・・・・・・・・・な、店主なんだわい。

         

        お子ちゃまは、俺かい?

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           長くかかわっている専門学校、40年近くデザインについて教えてきた。今年で辞めよう
          と思って正月早々手紙を書いた。けど、後任の先生がいないんだろう、継続の打診があり、
          一年限定で引き受けることにした。週一日だし、他人様からみればまったくどうってこと
          ないコトだけど、私にしてみれば卒業して以来長きに渡った関係を絶つことになるわけ
          だから、いろいろあれこれ想うことはある。入学したのは学校の草創期、今では想像も
          できない学生数だったし、それに伴うてんやわんやの事態が次々と巻き起こりオモロい
          ことの連続だった。

           そんな私が今思うことは、果たして教師としてどうだったのか? ということ。それは
          今年の卒制指導に如実に現れて、私が考える指導が学生にとって学校にとって◯なのか
          ×なのか、はたまた△なのかがよくわからないのですわ。それもまったくデス。

           その昔、まだ20代だった我々数人の教師?が、学校からの帰りに学生のアパートに
          行ったことがある。むろん、事前の約束なんかない。学生の部屋は一階で窓ガラスから
          こっそり覗いたわけだ。今じゃ、そんなことしたら犯罪だけど、当時そんなことは
          これぽっちも考えなくて、なんの抵抗もなく、在室を確認してトントンと窓をノックして
          部屋に入って、酒を飲んで泊まったわけ。行く方もゆくほうだけど、受け入れる方も
          たいしたもんだ。当たり前だけど、この学生は女性だ。男子学生の部屋に血気盛んな
          我々がゆくハズがない。で、泊まってなにかあったのか? なにかあったに決まってる。
          誰がだれとどうなったなんてことはベラベラ喋らないからわからないけど、ないはずは
          ない。現にこんなアタイだって途中まで(微妙な言い回しだなぁ)あったんだから。

           その学生は、テキスタイル科(今はもうない)だったけど、私が学科長でね。学生は
          すべて女性(30人くらいは居た)だったから、なにかにつけ羨望の的。飲み会がある時
          は、なんとか女生徒を調達してくれないかと頼まれたもんです。俺は女衒か?なんてね。
          今みたいにカラオケで夜を明かすことなんか出来ないから、だれかの部屋になだれ込むか
          学校に泊まるか(保健室があるからさ)、まったく学んでいるのか遊んでいるのかどっち
          なんだ。でも、みんなそれを不思議がらずに楽しんだもんです。思えば良き時代だった。

           また、学生を巻き込んで演劇もやってたのよね。年一回とはいえ、公演をするには
          かなりの犠牲を必要とします。もう、学校の仕事なんかそっちのけで、台本を書いたり、
          練習をしたり、音楽を編集したり、衣装を作ったり、合宿もせねばならないし、他の
          先生からの顰蹙なんかそっちのけで、熱中してたんだ。それはそれはオモロくてさ、
          トコトンやり抜いたの。公演が終わった夜なんか、火照った気持ちを鎮めるのが大変で、
          新宿で飲んで、みんなで学校に泊まり、そこで特別な関係を持つカップルが何組も
          出来上がるワケだ。でも、それでなにか問題が起きるなんてことまったくなくて、
          みんな楽しく二年間を過ごしたもんだ。思えば良き時代だった。

           あれから今日まで、ず〜とそういう気持ちで学校で教えてたの。私は、木工の授業を
          担当していたんだけど、授業でも同じ気持ちでね。いや、特別な関係を築きたいって
          ことじゃなく、教える教師と教えられる学生が平等な関係で、ひとつの作品をワイワイ
          言いながら、仕上げるってこと。ま、機械を使うから危ないし、不器用な学生は
          手伝わないと完成しないから、やれる限りのことはやるってことでもあったんだけど。
          卒業制作だって同じことでね。だからさ、どこまでが学生の手になったのか、私が
          手伝ったのはどこかなんて区別は出来るわけがない。相談に来ればアドバイスはするし、
          知恵も貸すし、一緒に考え最善の結果になるように手も動かすって案配。そんなこと
          が問題になる気配ゼロ、問題になった記憶もない(忘れてるのかもしれないけど)。
          思えば良き時代だった。

           それがいつの頃からか、めっきり相談に来る学生は少なくなり、相談に来ないから
          知恵を貸すことも少なくなり、手伝うことも少なくなってしまったの。でもさ、去年
          なんか、最後の最後に出来なくなって助けを求めに来たりしたんだ。なんだい、だったら
          もっと早く聞きにきてくれよ、なんてこと言ってられない緊急事態、応急処置を施して
          なんとかカタチにしてあげて、提出する学生がけっこういたわけさ。もっと早くに
          相談してくれれば、いろんな問題点がわかっただろうし、対応策も講じられただろうし、
          つまりは学生のアイデアをもっと高い次元で実現出来たと思ってしまうんだ。そんな
          学生たち、なにもかも自分だけで考えたわけじゃなく、相談した先生もいるわけ。
          その先生のアドバイスで生じた問題が、私に持ち込まれ、なんとか解決したとしても
          なんたって応急処置だから審査の時に処置の弱点を他の先生に指摘される。こちとら
          弱点なんかわかってる、わかってることを指摘されるほどイヤなことはない。もっと
          早くに解決できたことが、遅かったばかりにいいかげんな仕上がりになる。手を貸す
          私には耐えられないことなんですわ。それが仕事とはいえ、です。

           そして年々、授業で教えたことや課題の成果がまったく卒業制作に反映されない
          事態が生まれている。学生は、最後の卒制でやりたいことは決まってて、そこに
          行き着くまでの授業は、しかたないからやってるということなのだろう。そうじゃ
          ないのかも知れないけど、事実、卒制期間になんにも相談に来ない学生が激増してる
          から、私の判断は間違ってると思えない。さらに、それら学生の作品は、私の専門外
          で相談に来られたとしてもなんらアドバイスが与えられないというジレンマもある。
          一体、どうすりゃいいんだ。思案橋。こんな状況はアタイだけなのか? アタイに
          問題があるんか? 卒制期間中、授業に来てもなんの相談もしないから、これじゃ
          時間のムダだから、家で出来る人は学校に来なくてもイイって言ったら、み〜んな
          学校に来なくなっちまって、墓穴を掘った。ウ〜ム、誰もいない教室で一人歩き回る
          のが昨今となって久しい。そんな状況では私は私の存在意義を考えざるをえない。

           でも、会議でそんなこと言っても反応は薄い。学生が誰も来ないことを嘆き、
          これはシステムに問題があるんじゃないかと言ったって雰囲気はシラ〜なんだ。
          そうかいそうかい、これは私だけのことなのかい。私がお子ちゃまだってことなんだな。
          そこんとこは大人の対応をしろってことなんだな。学生が相談に来ても来なくても
          それは私がなんとかせいってことなんだな。いや、なにもケンカを売ってるわけじゃ
          ないんだ。私が抱えてる問題は、私だけのことなのか? そうなら納得するし、
          そうでなきゃもっと楽しく活発な意見の交換が出来るように考えましょうよ、と
          いうことなの。デザイン学校なんだから、学校そのものが元気で学内の至るところ
          作品が展示され、活気に満ち満ちているようにしたいじゃないっすか。それには、
          授業でも卒制でも学生と先生が親しくディスカッションすることが大切なんじゃ
          ないかな〜。なんかとってもよそよそしくて他人行儀な雰囲気に満ちていること
          が問題なんじゃないかな〜、と思うワケですよ。

           例えば話、一人の学生が居て、その学生との話し合いの中で、素晴らしいアイデア
          が出たとする。話し合いの中で閃いたのは私だけど、それはあくまでも話し合いの中
          で生まれ出たもんだから誰のもんでもない。参加してる、みんなのものだ。で、その
          アイデアを検証するために実寸モデルを作ることになる。しかし、それが学生本人が
          作れる限界を超えてるものならば、出来る人が作らなければ前には進まないことは
          誰でもわかること。試作には図面が必要、図面を描き試作を作り、それを取り囲んで
          話し合いをする。この繰り返しでアイデアはみるみる向上してゆく。数度、これを
          繰り返した後、いよいよ最終作品にとりかかる。この段階になっても学生の技術では
          到底作ることはできない。なぜならば、アイデアが極めて優れていると全員が判断し、
          その秀逸なアイデアに肩を並べる実物を作るには、学生よりも優れた技術を持った
          誰かに作ってもらった方がいいに決まってることだからだ。

           むろん、当の本人たる学生の意思を無視することはできない。そんなこたぁ、百も
          承知してる。あらゆる機会をとらえて意思を確認する。学生と先生という立場の違い
          年齢の差があるから、へりくだって少しのプレッシャーも与えないように考えうる
          万全の配慮はするなんてこと当たり前だ。とはいえ、なにごとも100%なんてことは
          ないから学生にいささかの不満もなく進んで行くなんてこともあり得ないのも事実。
          それもこれも分かってのこと、といっても私のワガママが少なからず含まれている
          んだろう。自分の能力の限界にチャレンジしたいという欲は否定出来ないからさ。

           ここで問題が浮上するわけだ。じゃ、それを誰が作るのかってことだ。仕事だったら
          それぞれのジャンルの方々に依頼すればいい。でも学校だからそうはゆかない。何故なら
          作品は出来るだけ学生自身が作るべきものという不文律が存在するから。それじゃ、
          話し合いで生まれたけっこうなアイデアは、学生の未熟な技術で低レベルな作品に
          なってもいいんかい。そんなことアタイには我慢できませんよ。優れたアイデアなら
          それがどこまでのものなのか、日本で世界で果たして通用するものなのかをこの目で
          見てみたい、そんなトコトン昇り詰める欲望を抑えることはまったくもって無理ざんす。
          誕生以来の現場に立ち会って、冷静に「学生が出来る範囲でおやんなさい」なんてこと
          言えるわけがない。だって、アイデアは素晴らしいんだから。

           試作にしろ最終実物にしろ、最も良く理解してる人が作るべきだろう。むろん学生
          本人が最大の理解者であることは言うまでもない。次に、話し合いに関わった関係者
          だ。この関係者は、アシスタントや先生、相談した業者や知り合いも含まれている。
          それらの誰でも、完成品に力を貸してもいいというのが私の考え。力を貸すというのは
          極端に言えば全部関係者が作ってもいいってこと。過激でっせ、これは。学校に限らず
          組織の枠の中では許容範囲があって、限界もある。だから過激な考えなわけ。そのことは
          私も理解してる。けど、秀逸なアイデアを実現したいというもう一人の私もいるわけだ。
          たとえ、その法を犯してでもという気持ちをスッパリ斬り捨てることなんか無理も無理、
          大無理。いままでそうしてきたし、それが100%良くないことだという判断もできない
          から。

           もし、こういった事態に直面した教師がいたらみんなはどうするんだろう。それが
          ワカラナイんだ。マジで。今までオモロそうなことはドンドン踏み込んで果てまでも
          見極めたいとやってきた私、そのことに対するこれっぽっちも後悔はない。でも大人なら
          そこは適当に抑えてやらなくてはならない。しかし、私の心を覗き込んできれば、そんな
          コタァ出来ないと威張ってるお子ちゃまがちょこんと座ってる。そうか、そうだったんだ。
          私は生まれてこの方、この年齢になってもお子ちゃまだったんだ。そこが社会や組織との
          違和感の源だったんか。ようやくわかってきたのが情けない。けど、しょうがいない。
          なんせお子ちゃまだかんね。それにしても始末に困るだろうな、こんな老人。なにを
          いったってお子ちゃまって言われたんじゃ、手がつけられないだろう。

           組織ではやってはいけないこともある、いや、そうは言いつつわかっていないのかも
          知れないけど。そこがお子ちゃまなんだろう。けど、敢えて、けど。それが私なんだ。
          開き直ってるのか? 開き直ってるんだろう。なんせ、お子ちゃまだかんね。それの
          何が悪いと言っちゃう自分がいるんだからしかたない。こんなお子ちゃまな私に教える
          ことを依頼する方が悪い。こんな危険な考えを持ってる子供大人の手綱を操ることの
          難しさを理解してるんか? と、思うけど、残る一年はなにごともなく過ぎ去るだろう。
          例え話に出したみたいな学生なんか、出て来るわけがないから。それは40年経験
          した私だからわかることであって、この予感が誤ることはないだろう。ナンチッテ。

          お子ちゃまオンパレードだな・・・・・・・・・・・・・・な、店主です。

           

          働きものだのう・・・・・

          0
             一月はなんか忙しくってあっという間に過ぎてしまった。普段がヒマだからちょいと
            忙しくなると、すぐにアップアップでバタバタしまくる。他人からみたら、その程度で?
            みたいな感じなんだろ。元来がナマケモノなんだろ、それに年令が加わって、いまじゃ
            立派なおトボケ老人? なんのこっちゃい!

             そんなしょうもないアタイ、このところTINA TURNERのライブDVDを鑑賞してるの。
            イギリスはBBCでのスタジオ&ウエンブリースタジアムとオランダの3会場のものでさ。
            それぞれのライブ、出演者はみんな忙しく働いとるんだわさ。ホント、働き者揃いで。
            主役のティナを筆頭に、バック・コーラス、バック・ダンサー、そしてバンドの面々は
            ♬しばしも 休まず といった具合で、音楽や踊りもいいけど、舞台で働く姿に見惚れて
            しまう。しかも、みんながみんな一人二役だからさ、忙しさに拍車がかかるんだ。

             バック・コーラスの二人は踊りもするし、ダンサー三人は踊りながら歌う。バンド
            だって負けちゃいない。ギターの二人は歌えるし、ピアニストは弾かない時は手拍子や
            身振り手振りで盛り上げ役。それほど多くライブは観てないけど、こんなのは観たこと
            ないっす。衣装替えの時は誰かが歌ってるし、演奏してるし、踊ってる。って、これは
            当たり前か。いや、それにしてもですよ、この働きっぷりは見事なもんですよ。ま、
            御大のティナが先頭を切って動き歌いまくるわけだから、家来みたいなスタッフたちは
            従わざるを得ないってこともあるんだろうけどさ。

             私が観続けてるのは1999年ころか2009年ころの時期のライブ。その間におよそ
            10年あるわけ。99年は60才だったから09年のは70才だ。確かに身体の動きは少なく
            なってます。でもね、なんたって70才だかんね。そりゃ、しょうがいないだろ。って
            いうか70才で2時間近いライブでしかも出ずっぱりなんだから眩しくて目がくらむ。
            まったく、同時代に生まれてよかったぜ。ストーンズのキース曰く「彼女のイメージに
            幻惑されるけど、歌い手としての資質はプロの目から見れば相当なもんだぜ」とか。
            確かに。ウエンブリーのライブでは40年前の映像が流れて同じ歌を今の彼女が歌う、
            映像と舞台で歌うテンポにズレがまったくなくピッタリ一致してる。ってことはですよ、
            彼女のステージでは曲を崩す事なくいつも同じように歌ってるんだな。これって当たり前
            なことなのかどうかわかんないけど。ステージを見てるとなんか自由にアドリブしてる
            ように見えるけど、まったくそうではないんだろう。動きに幻惑されるけど、歌い手の
            技量は揺るぎのないもんなのだろう。

             また、BBCのバースディ・ライブではサプライズのケーキが渡されて、ろうそくを
            吹き消すときに願いを込める。「これからの60年が幸福でありますように」なんて
            こと言うんだ。なんてこったい、120才まで歌う気満々なのかい。う〜む、唸りましたよ。
            年齢なんか知ったこっちゃないし屁でもない。腰が曲がろうが、杖にしがみつこうが、
            どんなことになったってアタシャあたしの道を行くかんね。ウ〜ム、負けそう。すでに
            負けとる。圧力を押しとどめようとするけど、ズルズルと土俵際に押し込まれて、すでに
            俵に足がかかっちまってるんだ。男ムラコシ、ここで負けてなるもんか! 押し返さんかい、
            盛り返さんかい。相手は黒人とはいえか弱い女性じゃんか。力では負けないぞ?ホント??
            ココロでも負けないぞ!! ホントに?? 

            話しはぜんぜん変わるけど、そういえば、この前学生と飲んでたときにTINAの「STEAMY
            WINDOWS」の話をしたら、一緒にいた女子学生の最初のSEXが車の中だったと、隣りの
            男の子が言ってさ。「いやだ〜、なんでそんなことここで言うの」と女子は恥ずかしがって
            赤面。「しょうがなかったんだってば〜」なんてことも言うわけ。この子、ちょっと前まで
            両親の間に寝てたこと聞いてたからね、見直したんだ。へぇ〜、やるな〜。お子ちゃまだと
            思ってたけど、それだけじゃないわい。ヨダレ掛けしながらカーセックスにいそしむ。なんか、
            いいじゃん。そう来なくっちゃいけませんよね。と、私は心の中で拍手喝采!!

             でもね、よ〜く考えてみれば、なんでこんなこと他人にホイホイ話しちゃうんだろ。
            両親と川の字で寝て、両親のSEXの邪魔をすることとか、初体験の話とか。フツ〜、
            しないんじゃないの? きっとこの子は、心の中にあることを気軽に話しちゃうんじゃ
            ないかしら。そこがこの子の凄いとこ素晴らしいとこかもしれない。なんて思ったり
            して。言われても怒るわけでなし、イヤミがないから、好感度は否が応でもUPする。
            私の心の中でも彼女の株価は青天井のうなぎ上り。いや、まったく。

             さて、TINAだ。彼女のファンであるアタイ、いいぞいいぞなんて言ってるだけじゃ
            せんかたなし。やっぱ、実践しなくちゃファンの資格はない。私自身の言動もTINAに
            見られても恥ずかしくないもんじゃないとイケナイでしょ。ま、それはそこそこクリア
            してるんじゃないかって思う次第。仕事でもしかり、学校で教える事もしかり、さらに
            家庭生活でも、恋愛事情でも、守旧派の常識にとらわれず、前向きにヤワイ確固たる
            信条の元に行動してるかってこといつも考えてるのですわ。私の行動を批判されても
            私自身の信条に照らし合わせて◯であるかないか。◯ならば、そこまででなくとも
            少なくとも×でなければ、敵は百万といえども我行かん、が出来るかどうか。そこに
            かかってくるんじゃないのか。TINAのようにね。

             でね、周りを見回してそんな同輩がいるかと思ってみた。畏友T野井氏は充分だろ。
            内輪のことだけどカミサンも17〜8年前に実証してみせたからこれも充分である。
            そしてね、ごく最近三番目の人物がにわかに頭角を現したんだ。近々、時期が来たら
            記事にさせていただくけど、顔に似合わず肝が座ってることを見せつけられて、仰け
            反ってしまいましたのさ。若いに似合わず発想がぶっとくて的を得てる。しかも、
            教えられるわけでなく自ら考え実行するんだからたまりません。それを知らされた
            ときは、その考えのスゴさスバラシさに圧倒されてしまったかんね。なんだか奥歯に
            モノが挟まったような、隔靴掻痒とでも言うべき感じで申し訳ないけど。いずれ、
            ということでごカンベンくだしゃれ。

            いよいよオモロくなってきたワイ・・・・・・・・・・・な、店主でした。

             

            NEW WORLD なのだ!

            0
               きのう、講師をしている専門学校で卒業制作に審査が終わった。卒業制作は二年間の
              集大成、これが終われば二年間のすべての課程が終了したこと、講師という身分から
              解き放されたということでもある。たしか去年、審査風景を記事にしたけど、同じこと
              をやってもしかたない。ということで、これといって写真も撮ることもなく淡々として
              いました。とはいえたった一枚写真を撮ったので、お見せしましょう。


               これだ! 作品は腕輪状のものにLEDが仕込まれていて、LEDを照射することでシミが
              消えるというもの。この展示で私は本体を自立させるために挟んでるガラスが気になった。
              作品を台の上に横倒しにするよりは、立たせたほうが見映えがすることはわかる。透明な
              ガラスに挟みこむこともワカル。問題は、ガラスに刻まれたちゃっこいくぼみ。まごうこと
              なく、これは灰皿だ。灰皿を転用したことは誰が見たって一目瞭然。それが大きな問題
              なんじゃないかと。

              この作品は女性が使うんだろう。今じゃゴキブリのごとく忌み嫌われてるタバコ=灰皿を
              展示に使うのはいかがなもんか? そりゃないだろうとアタイは思うワケ。プロだったら
              絶対そんなことはしない。学生だったらしかたなしか? それでいいんだろうか? プロ
              を目指しているんならいいわけがないだろう。透明ななにかが必要ならアクリルを使うの
              をお薦めする。東急ハンズかどこかでアクリルの筒を買って、適当に切断し、切り口を
              磨く。これでOKだ。金額は2〜3千円、作業時間は2時間程度だろう。そんな時間が
              なかったのかもしれない、わかっちゃいるけどやめられなかったのかもしれない。

               そういう思いもあってアタイは質問したんだ。「これは灰皿だよね?」と。そしたら
              学生は平然と「そうです」。「灰皿を展示に使うのは問題はないかしら?」と、重ねて
              聞いてみた。そしたら、なんでそんなこと聞くの? 問題? どこが? と怪訝な顔して
              いるんだ。ここで私は学生が作品を展示するために灰皿を使うことの違和感をな〜んも
              感じていない事を知るわけだ。そうなんだね、違和感はこれぽっちもないんだ。う〜む、
              こりゃ何を言っても通じないぞ。審査は、質疑応答だけだから指導しちゃいけない。
              よしんば指導したとしても違和感を学生に伝えるには相応の時間はかかっちまう。だから
              私は質問を終わり「私は貝になった」。わかるかな、このダジャレ。

               どうも多くの学生は自分が考えたアイデアは自分のもんだと思ってるフシがある。
              そりゃ考え出したのは自分かも知れないけど、生みだされたアイデアは、世に出た
              その時から自立した存在だとは思ってないらしい。自分のもんだから、どういう仕上がり
              になってもいい、だから他人のアドバイスなんか要らないと思ってるんだろう。こういう
              学生はホント多いんだ。でもね、最近発見されたナントカ細胞みたいなのは、どうなのよ。
              発見したのは若い女性だけどさ、この細胞が人類を救う可能性があるんなら、もう既に
              彼女だけのものではなく世界中の科学者が知恵を絞ってより良い細胞へと進化させる
              べきもんだろう。それを考えると、学生のアイデアは学生の私物じゃないってことが
              わかるんじゃないかしら。先輩たる教師、同僚みたいな友人、いろんな人の意見や
              アドバイスを参考にしつつ、そのアイデアの出自からいままでのすべてをもっとも良き
              理解者たる自分が、問題の少ない、つまり完成度が高い作品に仕上げて行く使命が
              あるのではないだろか。そんなコト考えるアタイは変態なのだろか? ワカンナイ?
              だす。

               写真はたったこの一枚、去年のようにオモロイことがあるわけでもなくあっという間に
              終わってしまった。その後、賞を決めるだけの場を持つ。ま、ここで一悶着あったんだけど
              それはどうでもいい。私も充分予測してたことだし決まったことにとやかくいうつもりは
              これぽっちもない。予測が当たり、納得してのことだ。

               私が指導した作品は一名だけ。他の学生がこれといって聞きにこないんだから仕方ない。
              で、この作品、これからが正念場なのですわ。卒業制作の終着点が審査であり賞であるのが
              多くの作品に共通したことだろう。でもね、この作品はこれが出発点なの、だから卒業制作
              は現時点で最高の試作でありプロトタイプなんだ。これを今後どこまで発展させることが
              できるか、作品が持っている潜在的な可能性を引っ張り上げることができるかが、我々に
              とって課されたことなんですわ。このことは、この作品にかかわった三名(学生とわたしと
              アシスタント)の共通認識であることはダイヤモンドよりも固い。その証拠に、昨晩、
              学生からこの作品の構造についてのアイデアスケッチが送付されてきた。審査が終わった
              その夜に次の案を提示する、その意気や良し。まったくあっぱれな資質と誉めておきたい。
              もうすでに次のステップに移動しようってことの素晴らしさ。私もやる気は充分だけど、
              こんなことされちゃうとズルズルと引きずられるような思いがする。けど、それは決して
              不快なことではない。むしろ喜ばしいことと大歓迎なんだわさ。

               長い教師生活だけど、こんなコト初めてでね、未知のゾーンに突入するワクワク感に
              包まれる幸福感とでも言うべきか。まったく、教師生活の別れを告げる(といっても
              来期も限定付きで一年間講師を受けることになったけど)にふさわしい新たな世界への
              誘いに身もふるえる(ってほどのもんじゃないか)ってもんだ。ここまでは学校という
              枠に閉じ込められていたアイデアが広い世界に大喜び、なんの制約もない自由な世界に
              飛び立とうとしているように感ぜられる。

               まずは三菱マテリアルが主催している学生コンペに応募しましょう。日本のあらゆる
              デザイン学校の卒業制作だけを対象にしたコンペだ。以前、NY在住の卒業生が応募して
              以来、ようやく応募できる作品が現れたんだから。次は、学生の就職用の作品に使われる
              だろう。さらに、海外の展示会に。イタリアのミラノかスウェーデンのストックホルム
              のいずれかだ。そのためには、畏友T野井氏、NY在住の卒業生I田君に声を掛け、ベルリン
              のT氏、ウィーンのC氏、そしてアシスタントのI君、J君にもプロジェクトに誘うだろう。
              その手始めに、作品を持って京都に行く。知り合いの樹脂の会社にこれをアクリルで
              作る可能性を打診しなければなりませぬ。そして、17日から行くウィーンとベルリンにも
              持って行き、プロジェクト参加の可否を聞かねばならぬ。そしてNYの卒業生にも。
              こういう具合でわれわれの今年一年のスケジュールは決まってゆくだろう。

               こんなちっちゃなスツールが、どこまで通用するのか? それを育むのが誕生に
              立ち会った者としての責務じゃないか。どこまで行けるのかわからないけど、可能性を
              信じている少なくても三名の我々は、行けるとこまでゆこうという思いは共通している。
              ここまでのスムーズな三人の関係はこれからも存続するすることに留意すれば、未来は
              開かれるかもしれず、女神が微笑めば更なる飛躍が訪れるかもしれない。なんて魅力に
              満ち満ちているんだ。ロマンの海で遊び戯れることの素晴らしさ、しばしこのひとときを
              愉しもう。いざ・・・・・・・・・ナンチッテ。

              TINA TURNERが導いてくれるに違いない・・・・・・・・な、店主でした。

               

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