お笑い五人組?
言わなくちゃならないなんて野暮なことだけど、時代は変わるからしょうがない。
昨日、春物のシャツを探しに馴染みの古着屋ZIRAに行ってきた。ちょうど季節の
境い目だからあまりないんだ。軽口を叩きながらあれこれ探しているとむこうの店主が
一枚のシャツを「これ、どうですか?」。胸にちっちゃなポケットが付いてて「なにを
入れるんでしょうかね?」って言うからアタイは即「コンドームでしょ」っていったの。
そしたら「私もそう言おうと思ってた」と。自分が思ってることを相手が言ってくれた
ことに、いと満足なご様子。満面の笑みだ。わかるな〜、その気持ち。同好の士を得た
というか、同じ考えの持ち主を確認できたという瞬間なんかめったにあるもんじゃない。
こんな一言で理解が一気に深まるってもんだ。
これがさらに高度?になると、相手が期待しているコトを瞬時に察して言葉や行動に
移すということになる。酒の席で、同席の方々がこういうことを分かってると際限の
ない軽口合戦になってとてもじゃないけど2〜3時間なんてあっという間、下手すると
7〜8時間を要するバトルになること必定。ある時にはいじりいじられ、あるときには
諧謔や誰かを俎上に上げてあれこれグダグダするのはまったくもって無上の喜びとしか
いいようもなし。そして、そんな会話が成り立つのはお互い理解しあっているからこそ、
それが根底にあるから軽口は快いものであり途切れる気配はゼロ。まるで壊れた蛇口。
で、五人組だ。終生の友T野井氏、大阪在住のN谷氏、ZIRA店主のS明氏とアタイ。
そして紅一点のM田嬢。この五人が一堂に会することはめったにない。みんな仕事
持ってるし遠いってこともあるし。二人っきりで会っても充分だけど三人になると
オモロさと時の早さは倍加するのはすでに経験済み。デッカイ太鼓判が印肉くっきり
間違いなし。もちろん、これに外部の方が加わったとしてもオモロさが減ずること
なんかまったくないってんだから恐れ入谷の鬼子母神。
思うんだけど他の人はこういうオモロさを体験してんのかな? 必要ないのかな?
先日花見で上野に行ったとき、時間になって帰ろうと片付け終わったんだけど、
なんかみんな立ち話してるの。12〜3人が4つのグループに分かれてさ。そんなの
大嫌いだけど、なんだかみんなそれが楽しそうだから我慢してたワケだ。私のグループ
は学生3名なんだけどなんか授業のことを話してるのね。それがマジメな内容で
困り果てるんだけど、オレがワガママ言っちゃイカンのかなと思って耐えてた。
二次会行くんだったら早くしようよ、ってことをがまんしてたの。それでもついに
我慢出来ずにアシスタントのJ君に「これ、オモロイの?」って聞いたら「二次会
行きましょう!」っていうんだ。なんだ、そうだったの! で、号令を掛けたら
全員二次会に行くじゃんか!!! だったら、そう言えよ。暗い公園で立ち話なんか
意味ないじゃん!!!!
長くて申し訳なし。それで二次会に行ったの。アタイは軽口満々の勢いだったけど
デザインのことを聞かれるからしょうがなく答えるわけだ。もっとくだらない無駄話
をした〜〜い!と思うけど、若者はそれを許さない。ガンガン話しながら、心の中では
いささか飽きがきてる。こんなアタイの気持ちなんかだれもわかってくれないんだ。
でも、まぁ話が途切れないからまだいい。もう一方のグループはすでに終焉を迎えつつ
あるような、線香花火の最後のような、消沈しつつあるような雰囲気。酒席ってのは
いろんな楽しみ方があっていいし、なにも大盛り上がりを求めてるわけじゃないけど、
花見の二次会にしちゃ〜チョコッと大人しすぎるんでないかい。笑い声もないしさ、
それじゃ一体なんのためにここにいるの? もっと無駄を楽しもうよ、とついつい
思ってしまうアタイがいる。
「実用外の贅沢、すなわち『無用の贅』こそが、粋の本質です」、これは杉浦日向子
語録の名文句。「江戸の遊びは、無駄を楽しみ、常に感性を磨き競い合うこと。
不必要と思われるところに機知を駆使することで遊びが文化に高まるんです」なんて
ことも。さらにこれが決定打「遊びって自分の人生なり、命なりを、時間なりスリル
なりと取り引きしてやるものですよ。そういう意味では現代人は遊んでないということ
でしょう」
長くて申し訳なし×2。言ってくれるじゃありませんか。しょにょ通り!!!!!!
音楽だって映画だって笑いだってファッションだって恋だって、遊びじゃぁないか。
カイヨワなるご仁は人間と遊びについて鋭く指摘してたけど、洋の東西を問わず意味は
同じじゃないの?。偉そうにいっちゃうけど、なんかみんな時間つぶしみたいな遊び
しかしてないじゃないの。そんな人はきっと仕事もお金に換えるコトぐらいにしか
思ってないんじゃないの。花見の二次会だって時間つぶしかい、居るだけで淋しくは
ないからってことなのかい、話すことは仕事のこととか学校のこととか(意味としては
同じことだ)そればっかしでさ。嗜み(たしなみ)もないし嗜むことなんかなくっても
仕事はできるし生活もしてゆけるし、時間つぶしの恋をして、時間つぶしに子供を
生んで、心になにも残らずに生きてゆき、これといって後悔もないんちゃいますか。
もともと野暮に生きてるんだろうし、そのことになんの疑問も持たないんだろう。
無駄を省けば誉められる世の中だし、野暮な人は向学心もあるし欲望に対して
ストレートだからさ、そんなこんなが仕事のできる奴と高い評価を受けるご時世ならば
粋だなんだと言ってるこちとらがのけ者になっちまう。そんなこたぁわかってますぜ。
馬鹿を承知で吠えてるわけで、ま、とどのつまりは無駄を排除して成り上がった
TOYOTAの勝利で、こちとら負け犬の遠吠えと言われてもいいんダス。ってね。
杉浦日向子「粋に暮らす言葉」から丸々拝借・・・・・・・・な、店主でした。
- 2014.03.30 Sunday
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- 16:08
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- by factio