ハイブランド
毎日覗いているブログに「ハイブランド」のことが書いてあった。以前、紹介した
トーヨーキッチンの社長がせっせと毎日書いている。日本にはなぜハイブランドが
根付かないのか、という内容。一部を無断で転載させていただく。
価格は一億六千万
生産台数は限定で499台
受注が始まると一瞬にして世界中で1000台の予約は入ったそうです。
もっと作れば、確実に売れるのに、どうして彼らは499台以上作らないので
しょうか?彼らの企業の目的が徒に企業規模を拡大するという所にないという事だと
思います。企業規模の拡大より、ブランドしてはハイブランド化の強化に企業の目的を
置いているからではないでしょうか?
ウ〜ム、ナルホド、改めてそう問われるとちょっと考えちゃうな。考えちゃうのは
ハイブランドの意味、なにをもってハイなのか? 金額か? 希少価値か? この
「ラ・フェラーリ」なる車は両方兼ね備えてることはわかる。ビジネスとしては金額と
量との問題が問題なんだろう。翻って世界に冠たるモノ作り大国の一つである日本、に
ハイブランドは存在するのか、と考えたアタイ。様々なジャンルに多くのハイブランドが
存在するんだろうけど、ちんこいアタマにゃこれしか思い浮かばない。
1974年から販売されたヤマハのB-1、値段は335,000円也。多くの特注パーツを
ふんだんに用いられてる。今、これを作れば軽く200万円はするだろうと言うのは、
師であるmazdaluce3000氏。この時期各社がそれぞれ競うようにして高級アンプの
生産に励んでいたから、このB-1以外にも隠れた名器は存在するんだろう。けど、
いまだに密かに話題になりオークションで取り引き盛んなのは、私が知るところ、
このアンプだ。
待てよ? mazdaluce3000ってのはハイブランドなのかい?と考えちゃうアッシ。
そんなこと言うと謙虚な師は一言の元に拒否されるだろうけど、少なくともローでは
ないだろう。高額、真摯なトコトン技術、販売された時点の性能に限りなく近づこう、
素晴らしいアンプを一台でも多く後世に残したい、という心智は、なかなかかなり相当な
域だと思っているわけだ。パーツもいよいよ残り少なくなり、代替えパーツだって入手
不可能な時が静かに刻々と迫っている。その完全レストア品が師の工房にひっそりと
眠っている。私が買おうかと思わないわけじゃないけど、8帖ほどの部屋じゃ存分に
力を発揮できないからさ。上記のフェラーリと同じ、買ったはいいけど街中をコソコソ
走らせる、銭湯にでも行ってみんべえか、じゃそれこそ車が泣くってもんじゃないかい。
このB-1の売価は550,000円だ! 宣伝かい? その通り! 宣伝だ!!!そこ行く方々
天下に二つとないB-1は如何かいな?
閑話休題。で、ハイブランド。そのハイの意味はなんだろう、と考えるの。高額だけが
条件じゃないだろう、希少価値が条件でもあるまい。結論を言えば、私にとっては
「是が非でも欲しい」、その是が非でのレベルが極めて高い品物、と考えるのが一番
シックリ来る。使えるとか便利、使いやすいとか飾りたい、見せびらかしたいとか自慢
したいという類いのことよりも、自分と商品(作品)だけの間だけで共有できるモノ、
それを共感と言えるかもしれないけど、つまりはそういうモノがハイブランドなんだ。
音楽にハイブランドはあるんだろうか?なんてことも考えたりもする。モーツァルトは
ハイでブラームスはロー? クィーンがハイでサザンはロー?? そんなことたぁ
あるまい。スタンダードとして残る名曲はハイなのか? ちょっと違うな。モノには
通用するけど音楽には通用しない、それは一体どういうことなんだろう。ワカリマセヌ。
まっ、英語がからっきしのワタクシですからそもそものハイブランドの語義がわからにゃい。
広辞苑にも出ていない。あいまいな定義であれこれ言うのもおこがましいが、ですけど。
最後に、私が持っている数少ないハイブランドはコレ。
友人が作った逸品(私はそう思ってる)、名付けて「指輪な一輪挿し」。どうです、
え〜でしょうがな。一輪挿しというからにはちゃんと生花を生けられるような工夫が
なされているんだわさ。
そういうことで、今日のところは・・・・・・・・・な、店主でした。
トーヨーキッチンの社長がせっせと毎日書いている。日本にはなぜハイブランドが
根付かないのか、という内容。一部を無断で転載させていただく。
価格は一億六千万
生産台数は限定で499台
受注が始まると一瞬にして世界中で1000台の予約は入ったそうです。
もっと作れば、確実に売れるのに、どうして彼らは499台以上作らないので
しょうか?彼らの企業の目的が徒に企業規模を拡大するという所にないという事だと
思います。企業規模の拡大より、ブランドしてはハイブランド化の強化に企業の目的を
置いているからではないでしょうか?
ウ〜ム、ナルホド、改めてそう問われるとちょっと考えちゃうな。考えちゃうのは
ハイブランドの意味、なにをもってハイなのか? 金額か? 希少価値か? この
「ラ・フェラーリ」なる車は両方兼ね備えてることはわかる。ビジネスとしては金額と
量との問題が問題なんだろう。翻って世界に冠たるモノ作り大国の一つである日本、に
ハイブランドは存在するのか、と考えたアタイ。様々なジャンルに多くのハイブランドが
存在するんだろうけど、ちんこいアタマにゃこれしか思い浮かばない。
1974年から販売されたヤマハのB-1、値段は335,000円也。多くの特注パーツを
ふんだんに用いられてる。今、これを作れば軽く200万円はするだろうと言うのは、
師であるmazdaluce3000氏。この時期各社がそれぞれ競うようにして高級アンプの
生産に励んでいたから、このB-1以外にも隠れた名器は存在するんだろう。けど、
いまだに密かに話題になりオークションで取り引き盛んなのは、私が知るところ、
このアンプだ。
待てよ? mazdaluce3000ってのはハイブランドなのかい?と考えちゃうアッシ。
そんなこと言うと謙虚な師は一言の元に拒否されるだろうけど、少なくともローでは
ないだろう。高額、真摯なトコトン技術、販売された時点の性能に限りなく近づこう、
素晴らしいアンプを一台でも多く後世に残したい、という心智は、なかなかかなり相当な
域だと思っているわけだ。パーツもいよいよ残り少なくなり、代替えパーツだって入手
不可能な時が静かに刻々と迫っている。その完全レストア品が師の工房にひっそりと
眠っている。私が買おうかと思わないわけじゃないけど、8帖ほどの部屋じゃ存分に
力を発揮できないからさ。上記のフェラーリと同じ、買ったはいいけど街中をコソコソ
走らせる、銭湯にでも行ってみんべえか、じゃそれこそ車が泣くってもんじゃないかい。
このB-1の売価は550,000円だ! 宣伝かい? その通り! 宣伝だ!!!そこ行く方々
天下に二つとないB-1は如何かいな?
閑話休題。で、ハイブランド。そのハイの意味はなんだろう、と考えるの。高額だけが
条件じゃないだろう、希少価値が条件でもあるまい。結論を言えば、私にとっては
「是が非でも欲しい」、その是が非でのレベルが極めて高い品物、と考えるのが一番
シックリ来る。使えるとか便利、使いやすいとか飾りたい、見せびらかしたいとか自慢
したいという類いのことよりも、自分と商品(作品)だけの間だけで共有できるモノ、
それを共感と言えるかもしれないけど、つまりはそういうモノがハイブランドなんだ。
音楽にハイブランドはあるんだろうか?なんてことも考えたりもする。モーツァルトは
ハイでブラームスはロー? クィーンがハイでサザンはロー?? そんなことたぁ
あるまい。スタンダードとして残る名曲はハイなのか? ちょっと違うな。モノには
通用するけど音楽には通用しない、それは一体どういうことなんだろう。ワカリマセヌ。
まっ、英語がからっきしのワタクシですからそもそものハイブランドの語義がわからにゃい。
広辞苑にも出ていない。あいまいな定義であれこれ言うのもおこがましいが、ですけど。
最後に、私が持っている数少ないハイブランドはコレ。
友人が作った逸品(私はそう思ってる)、名付けて「指輪な一輪挿し」。どうです、
え〜でしょうがな。一輪挿しというからにはちゃんと生花を生けられるような工夫が
なされているんだわさ。
そういうことで、今日のところは・・・・・・・・・な、店主でした。
- 2014.10.31 Friday
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- 14:10
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