恐れ入って平伏じゃ
先日、学校に行ったときに教室で渡されたのがコレ。
相手は二年生。「?」なんだこれ??ポスター四つ折り??? でね、中を見たらさ、
コトラーなんだ。過日記事にしたコトラーの新聞記事。去年の12月、日経新聞に
一ヶ月掲載された「私の履歴書」。ゲゲ、なんてこったい。なんでこんなもん持ってる
の? ってね、思ったワケですばい。
ことの発端は、教室で雑談してたときにあれこれ授業の話になり、H上先生のことも
出たの。そんときにコトラーの講義を受けて、そんな人が居ること知らなんだ、なかなか
よか内容であった、なんてことを言ったんだよね。そんなことすっかり忘れたアタイに
すっと渡されたという具合。きっと、コトラーに興味を持ったアタイなら為になると
思ったんだろう。
去年の授業の時にH上先生の講義で登場せしコトラー、まさに絶好のタイミングで、
その彼が自身のことについてあれこれ書いている。で、授業で紹介したんだろう。ま、
ここまではよくある話。問題は、その後。なんたって一ヶ月の長丁場だからさ、切り抜く
たって大変だ。学生が日経を購読してるわきゃないし、駅で買うたって長続きさせるのは
ナカナカだ。買い忘れて読めなかったなんてことも再々、抜け落ちた記事は図書館で
コピーするしかないだろう。
そんな大変で面倒なことを我が校の学生がやることに驚く。まったくもってだ。
まさか、H上先生が、この記事を全部まとめてレポートにしなさい!なんてこと
言うわきゃないだろ。私の想像するところ「こんな記事があるから読んでみたら」
という軽い紹介であったに違いない。そんな軽いお薦めをですよ、一ヶ月の長きに
渡って続けることはかなりの難事、その継続心の源泉はいかなるところにおわし
まするや? いやもうまったくもって驚キ桃のキ山椒のキなんだわさ。
ひねたアタイは、どうせこんなこと言っても学生は聴いてないんだろ、紹介しても
行かないんだろ、読まないんだろ、と思いつつ授業で話をするのが常。そんな諦めの
心ってどうなの?もっと熱血せんかい、と思わないではないけど、事実その後の反応は
ないからさ。どうしたって考えは否定的に流れてしまうのはむべなるかなと思ってる
ワケ。それが、どうだ。こんな学生が居たんじゃ、考えを改めなくてはならないじゃんか。
う〜む、そしてウ〜ム・・・・・・・・・・・・・・・。
でもなぁ、こんな学生は滅多にいるもんじゃない、砂漠に針みたいなもんだろ。
多勢に無勢に押し流されてしまうアタイ。イカンなぁ〜。
詳細に観れば、紙の色が違う。やっぱりな、新聞とコピーが入り混じってる。
そして角になにやら切り紙接着。なんだコレ?。なんかに貼ったのか? 多分テープ
だろ。それも四隅。気になるなぁ、これ。今度会ったときに問い質さなくては
なるまいて。
それにしても、授業で聴いたことを聞き漏らさずにきっちり実行する学生が居る
ことがウラヤマスィー。この先生の言う事なら確かだろうという信頼感がなければ
出来得ない偉業?だからね。まぁ、H上先生はアタイと違って風貌も服装もなにやら
しっかりしてるし仕事や発言だって頑丈で、なんかデザインの幹線道路みたい。それに
比べて軽薄短小、おふざけエロ満載なアタイだからさ、言う事の重みはないだろうし
チャラけたお調子者と思われてもしかたない。それがアタイの表看板でもあるし。
いろいろな先生が居てこそ豊かな学校である、なんてこと思ってはいるけど・・・。
それにしてもこんな物件が出て来ることにうらやましさを感じてしまいます。
コトラーにいささかでも近づけるか?・・・・・・・・・・な、店主でした。
相手は二年生。「?」なんだこれ??ポスター四つ折り??? でね、中を見たらさ、
コトラーなんだ。過日記事にしたコトラーの新聞記事。去年の12月、日経新聞に
一ヶ月掲載された「私の履歴書」。ゲゲ、なんてこったい。なんでこんなもん持ってる
の? ってね、思ったワケですばい。
ことの発端は、教室で雑談してたときにあれこれ授業の話になり、H上先生のことも
出たの。そんときにコトラーの講義を受けて、そんな人が居ること知らなんだ、なかなか
よか内容であった、なんてことを言ったんだよね。そんなことすっかり忘れたアタイに
すっと渡されたという具合。きっと、コトラーに興味を持ったアタイなら為になると
思ったんだろう。
去年の授業の時にH上先生の講義で登場せしコトラー、まさに絶好のタイミングで、
その彼が自身のことについてあれこれ書いている。で、授業で紹介したんだろう。ま、
ここまではよくある話。問題は、その後。なんたって一ヶ月の長丁場だからさ、切り抜く
たって大変だ。学生が日経を購読してるわきゃないし、駅で買うたって長続きさせるのは
ナカナカだ。買い忘れて読めなかったなんてことも再々、抜け落ちた記事は図書館で
コピーするしかないだろう。
そんな大変で面倒なことを我が校の学生がやることに驚く。まったくもってだ。
まさか、H上先生が、この記事を全部まとめてレポートにしなさい!なんてこと
言うわきゃないだろ。私の想像するところ「こんな記事があるから読んでみたら」
という軽い紹介であったに違いない。そんな軽いお薦めをですよ、一ヶ月の長きに
渡って続けることはかなりの難事、その継続心の源泉はいかなるところにおわし
まするや? いやもうまったくもって驚キ桃のキ山椒のキなんだわさ。
ひねたアタイは、どうせこんなこと言っても学生は聴いてないんだろ、紹介しても
行かないんだろ、読まないんだろ、と思いつつ授業で話をするのが常。そんな諦めの
心ってどうなの?もっと熱血せんかい、と思わないではないけど、事実その後の反応は
ないからさ。どうしたって考えは否定的に流れてしまうのはむべなるかなと思ってる
ワケ。それが、どうだ。こんな学生が居たんじゃ、考えを改めなくてはならないじゃんか。
う〜む、そしてウ〜ム・・・・・・・・・・・・・・・。
でもなぁ、こんな学生は滅多にいるもんじゃない、砂漠に針みたいなもんだろ。
多勢に無勢に押し流されてしまうアタイ。イカンなぁ〜。
詳細に観れば、紙の色が違う。やっぱりな、新聞とコピーが入り混じってる。
そして角になにやら切り紙接着。なんだコレ?。なんかに貼ったのか? 多分テープ
だろ。それも四隅。気になるなぁ、これ。今度会ったときに問い質さなくては
なるまいて。
それにしても、授業で聴いたことを聞き漏らさずにきっちり実行する学生が居る
ことがウラヤマスィー。この先生の言う事なら確かだろうという信頼感がなければ
出来得ない偉業?だからね。まぁ、H上先生はアタイと違って風貌も服装もなにやら
しっかりしてるし仕事や発言だって頑丈で、なんかデザインの幹線道路みたい。それに
比べて軽薄短小、おふざけエロ満載なアタイだからさ、言う事の重みはないだろうし
チャラけたお調子者と思われてもしかたない。それがアタイの表看板でもあるし。
いろいろな先生が居てこそ豊かな学校である、なんてこと思ってはいるけど・・・。
それにしてもこんな物件が出て来ることにうらやましさを感じてしまいます。
コトラーにいささかでも近づけるか?・・・・・・・・・・な、店主でした。
- 2014.11.22 Saturday
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- 14:31
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