閑中忙アリ
長く教えている専門学校、二年間の総決算ともいうべき卒業制作、製作のお手伝いで
学校に通う日々が続き、一昨日ようやく終了。今日が、搬入だ。いまごろ現場では
てんやわんやの大騒ぎなことだろうて。そんな騒ぎをよそに、こちとら地下でi-tuneを
聴きながらコーシーで一服のひととき。日頃、なんもしないでグダグダ過ごしている
中で、ちょいとばかり忙しく動き回ったんだもの、これぐらいの腑抜けもいいでしょう。
専門学校としては立派すぎる地下の工房で製作に励む学生たち、作品も違えば志しも
異なる。多くの時間を共にすれば自ずとそれぞれの学生の意気込みが見えて来る。提出
さえすればいいという学生、自分の能力の限界を追求しちゃおうっていう学生、様々
なんだ。学生は、なにかしらの目的を持って入学したんだろう。授業では、先生が
考えた課題を制作し続けたわけなんだろう。それらは相手(先生)の要望に応える
という制約付きだけど、卒制はそんなこたァ一切なく自由に自分の思い通りの作品を
作っていいわけで、学生個人の資質や思いが作品の内容や出来映えにモロ見え。
面白かったのは、他の先生の授業中でのこと。卒業制作の説明パネルのことで指導
されている脇でアタイは他の学生の手伝いをしていたんだ。この先生の授業は朝9:20
から始まるんだけど、遅刻する学生が多く、遅れた学生が来るたびに搬入のことに
ついて丁寧に説明を繰り返すの。あ〜なんて偉いんだ、とね思ったワケ。アタイなら
いちいち説明なんかしないだろう、キミは遅れてきたんだから、他の学生に聞いてくれ
と言うだろうな。遅れて来たアナタに構ってるわけにはゆかない、ちゃんと来た学生を
優先しまっせ、とね。でもまあ搬入3日前だから仕方ないか、作品作りに没頭してて
つい遅れてしまったということもあるだろう。そんなこんなを考えつつ助っ人稼業に
励んでいたんだ。
そしたらば、その先生が驚愕の声を発したわけなのよ。「カーサ・ブルータスを
知らないの!」って。このクラスの専攻は雑貨デザインなんだけど、教室にいる学生
の一人としてカーサ・ブルータスなる雑誌を聞いた事もなければ見た事もないという。
デザインを学ぶ学生ならばカーサ・ブルータスを読んでるにきまってる、そんなこと
確かめることでもないほどに当たり前なこと。そんな思い込みが見事粉砕、で仰天の
御発声となった次第。わかりますよそのお気持ち、痛いほどに。
デザインを志す学生ならば、授業以外に雑誌や映像や本などで学ぶことは不可欠な
ことだろう。以前よりもデザイン業界からの発信力が弱くなって雑誌も少なくなって
きて専門誌はほとんど姿を消し、いまやブルータスやエル・デコ、PENなどの一般誌
で情報を仕入れるしか方法はない。にもかかわらず、知っている学生は皆無、あぁ
なんてこったい、この数誌を知らないってことは、授業以外で学ぼうって意欲はない
ってことの証。そんな心智の持ち主ならば、自分の作品に対する意欲も極めて少ない
に決まってる。授業では、与えられた課題についてあれこれディスカッションしてた
けど、それはうわべだけのこと、内心はあまり興味がなかったってこと? そう、
実は興味はなかった! そのことが一瞬にして理解されてしまった。考え過ぎか??
なにもデザイナーになりたいんだったらカーサ・ブルータスを読まねばならない
と言ってるワケではない。他にもいろんな学びの機会はある。でもね、デザインに
興味があるんだったら雑誌のひとつやふたつは探すだろうし手に取るんじゃない?
そのココロがあるんなら本屋に行くだろうし、表紙を見てピンと来るんじゃないか。
もし、そうしたならば上記の雑誌は間違いなく一読するだろう。つまり、これらの
雑誌はデザイン入門のための最初の一里塚であって、見逃すことは間違ってもない
と断言できることに他ならない。
で、アタイは思うわけだ。多分、デザインを学ぼうと本屋には訪れないんだろう、
デザインの勉強は学校での授業だけ、それ以外の時間にデザインを学ぶことは
考えないんだろう、と。薄々感じてはいたけど、こうして目の前に出現しちゃうと
気落ちしてしまうのもやむを得ないでしょうが。
その教師やアタイにとっちゃ当たり前なことを学生は知らない。当たり前すぎて
口にすることもなかった。それが問題なのだろうか? こんなことは知ってだろうと
いう思い込みがイケナイの? でもなぁ、そうであるならどこまで遡って教えれば
いいの? 釘は知ってる? ネジとかボルトは? サンドペーパーは? 定規や
鉛筆やメジャーは? ってなことになるじゃん。デザインの専門的な事柄を教える
前に、その前提となるあらゆる細々とした事柄を確認せにゃならんのかい。そんな
ことは出来ませんよ、ある程度(これが問題なんだね)は知ってるだろう、こんな
ことぐらいは知ってるだろう、そんな知識や経験が共有出来なくなっている時代が
今なのか。教えている専門学校は特別じゃない、日本のあらゆる学校で起きている
コトなんだろう。日本の若者のモノ作りの最前線はこのような事実が至る所で
出来し、教師は慨嘆してるに違いない、とアタイは睨む。
こんなコト考えるのって年取った証拠か・・・・・・・・・・な、店主でした。
学校に通う日々が続き、一昨日ようやく終了。今日が、搬入だ。いまごろ現場では
てんやわんやの大騒ぎなことだろうて。そんな騒ぎをよそに、こちとら地下でi-tuneを
聴きながらコーシーで一服のひととき。日頃、なんもしないでグダグダ過ごしている
中で、ちょいとばかり忙しく動き回ったんだもの、これぐらいの腑抜けもいいでしょう。
専門学校としては立派すぎる地下の工房で製作に励む学生たち、作品も違えば志しも
異なる。多くの時間を共にすれば自ずとそれぞれの学生の意気込みが見えて来る。提出
さえすればいいという学生、自分の能力の限界を追求しちゃおうっていう学生、様々
なんだ。学生は、なにかしらの目的を持って入学したんだろう。授業では、先生が
考えた課題を制作し続けたわけなんだろう。それらは相手(先生)の要望に応える
という制約付きだけど、卒制はそんなこたァ一切なく自由に自分の思い通りの作品を
作っていいわけで、学生個人の資質や思いが作品の内容や出来映えにモロ見え。
面白かったのは、他の先生の授業中でのこと。卒業制作の説明パネルのことで指導
されている脇でアタイは他の学生の手伝いをしていたんだ。この先生の授業は朝9:20
から始まるんだけど、遅刻する学生が多く、遅れた学生が来るたびに搬入のことに
ついて丁寧に説明を繰り返すの。あ〜なんて偉いんだ、とね思ったワケ。アタイなら
いちいち説明なんかしないだろう、キミは遅れてきたんだから、他の学生に聞いてくれ
と言うだろうな。遅れて来たアナタに構ってるわけにはゆかない、ちゃんと来た学生を
優先しまっせ、とね。でもまあ搬入3日前だから仕方ないか、作品作りに没頭してて
つい遅れてしまったということもあるだろう。そんなこんなを考えつつ助っ人稼業に
励んでいたんだ。
そしたらば、その先生が驚愕の声を発したわけなのよ。「カーサ・ブルータスを
知らないの!」って。このクラスの専攻は雑貨デザインなんだけど、教室にいる学生
の一人としてカーサ・ブルータスなる雑誌を聞いた事もなければ見た事もないという。
デザインを学ぶ学生ならばカーサ・ブルータスを読んでるにきまってる、そんなこと
確かめることでもないほどに当たり前なこと。そんな思い込みが見事粉砕、で仰天の
御発声となった次第。わかりますよそのお気持ち、痛いほどに。
デザインを志す学生ならば、授業以外に雑誌や映像や本などで学ぶことは不可欠な
ことだろう。以前よりもデザイン業界からの発信力が弱くなって雑誌も少なくなって
きて専門誌はほとんど姿を消し、いまやブルータスやエル・デコ、PENなどの一般誌
で情報を仕入れるしか方法はない。にもかかわらず、知っている学生は皆無、あぁ
なんてこったい、この数誌を知らないってことは、授業以外で学ぼうって意欲はない
ってことの証。そんな心智の持ち主ならば、自分の作品に対する意欲も極めて少ない
に決まってる。授業では、与えられた課題についてあれこれディスカッションしてた
けど、それはうわべだけのこと、内心はあまり興味がなかったってこと? そう、
実は興味はなかった! そのことが一瞬にして理解されてしまった。考え過ぎか??
なにもデザイナーになりたいんだったらカーサ・ブルータスを読まねばならない
と言ってるワケではない。他にもいろんな学びの機会はある。でもね、デザインに
興味があるんだったら雑誌のひとつやふたつは探すだろうし手に取るんじゃない?
そのココロがあるんなら本屋に行くだろうし、表紙を見てピンと来るんじゃないか。
もし、そうしたならば上記の雑誌は間違いなく一読するだろう。つまり、これらの
雑誌はデザイン入門のための最初の一里塚であって、見逃すことは間違ってもない
と断言できることに他ならない。
で、アタイは思うわけだ。多分、デザインを学ぼうと本屋には訪れないんだろう、
デザインの勉強は学校での授業だけ、それ以外の時間にデザインを学ぶことは
考えないんだろう、と。薄々感じてはいたけど、こうして目の前に出現しちゃうと
気落ちしてしまうのもやむを得ないでしょうが。
その教師やアタイにとっちゃ当たり前なことを学生は知らない。当たり前すぎて
口にすることもなかった。それが問題なのだろうか? こんなことは知ってだろうと
いう思い込みがイケナイの? でもなぁ、そうであるならどこまで遡って教えれば
いいの? 釘は知ってる? ネジとかボルトは? サンドペーパーは? 定規や
鉛筆やメジャーは? ってなことになるじゃん。デザインの専門的な事柄を教える
前に、その前提となるあらゆる細々とした事柄を確認せにゃならんのかい。そんな
ことは出来ませんよ、ある程度(これが問題なんだね)は知ってるだろう、こんな
ことぐらいは知ってるだろう、そんな知識や経験が共有出来なくなっている時代が
今なのか。教えている専門学校は特別じゃない、日本のあらゆる学校で起きている
コトなんだろう。日本の若者のモノ作りの最前線はこのような事実が至る所で
出来し、教師は慨嘆してるに違いない、とアタイは睨む。
こんなコト考えるのって年取った証拠か・・・・・・・・・・な、店主でした。
- 2015.01.31 Saturday
- -
- 15:55
- comments(0)
- trackbacks(0)
- by factio