傷だらけの人生

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     薄くなった毛髪の被害が頻発している今日この頃、のオレ様だ。先日も見事
    額に柱がヒットして、今も草丘のように盛り上がっている。事の発端は、友人
    クリスが古民家を改装して、帰国する前のパーティでの出来事。う〜む。

     玄関上がり口が心地よい。以前は、30センチ程度の狭いもんだった。これを
    二枚の古材でけっこう広大な板敷に。思わず、「式台」という言葉が思い浮かぶ。
    高さに制約がある昨今の建物は、床と地面の差がとれず、アタイの家もご同様で
    10センチ程度しかない。靴を履こうにも座ることができず、将来が案じられる。
    それに比べてこの式台、高さ充分だからゆったり座って靴を履けるってもんだ。

     閉鎖的だった押し入れを取っ払い、採光のための開口部を設置、外にテラス。
    テラスの下は猫の額ほどの平地があり、そこに基礎を作り柱を据えたもの。
    崖上だから見晴らし極めて良好、もっと向こうの樹木を伐りたいのは山々なれど
    足場がないから叶わぬ夢。今回の改装の一番の眼目はこのテラスだろう。

     ご近所に住む方々が来訪、しばしテラスで談笑。手前の白髪の方が最長老、
    昔のことを聞いてみたら、山頂付近にタンクがあるんで水道の出はイイ、
    しかしそれは丘の上部だけ、麓近くになると上からではなく下からの給水
    だから、当初はほとんど出なくって、水洗トイレに水が流れず往生したと。
    そこからトイレの話になり、50〜60年前は自分で汲み取って穴の中に捨てた
    んだと。その後、汲取車(若い方は知らんだろう、トラックにタンクを載せ、
    太いホースで各家の便槽から吸い取るの)が来るようになって助かった。
    けど、麓から丘上まではかなり距離があるから、ホースは届かず、途中の
    仮タンクにいったん溜めて、そっから違うホースで車に、ということになった
    らしい。う〜む、そういう歴史を踏み越えての今があるのだ、侮れませんな。

     そして今回の事故現場だ。テラスの手前、中央やや右に上から下がっている
    柱があるでしょ。コレ、下が腐ってるんで切って上だけ残してあったんだけど、
    この写真を撮った直後にヒョイって感じでテラスに上がろうとした、まさに
    その時、アタイの額が激突、衝撃でメガネが飛び、テラスにころりんこ。ガーン
    ですよ、もう。

     思い出すのはちょっと前。近所の魚屋さんの冷蔵ケースを覗き込んで、頭を
    上げたとたんに設置されてる裸電球に後頭部をゴツン。裸電球って言っても
    丸いんじゃなくピラミッドのような三角形のものでね、その角になんだわさ。
    軽く瞬間的にぶつかっただけなんだけどさ、妙に痛い。っていうかヒリヒリ
    するんだよね。おかしいな?と思って、放置しておいたらヤケドしてたのさ。
    毛がないからな、頭皮むき出しだからな、当たれば傷はしょっちゅう、しかし
    ヤケドは人生初めての出来事で、生きてる限り油断めさるなってことでゲス。

     そこで思い出すのが「傷だらけの人生」。言わずと知れた鶴田浩二だ。こんな
    唄あったんですよ、その昔。アタイはヤクザ映画でしか知らんけど、この唄は
    流行語にもなったりしたなぁ。そして、もう一曲「後ろから前から」by畑中葉子。
    当時だって大顰蹙もんのエロ味満載。よくもまぁ、このような曲がまかり通った
    もんだ。

     手足にも傷はあるが、年老いてくるとアタマに及ぶ。自宅キッチンの食器棚
    の扉を開けっ放しにしておいたとこにコツンはしょっちゅうで、懲りないこと
    甚だしい。気を付けようにもカラダは勝手に動くし、ないに等しいチェック
    機能は瞬時の出来事にまったく対応せず。ああ無情、ナンチッテ。

     応急手当に忙しいクリス。笑顔が恐いな、まるでデーモンのようでもあるのう。
    事故直後には畏友T野井氏が冷蔵庫から氷を持って来て冷やしていただき、そして
    のクリス。ああ、持つべきものは良き友だな〜。なんて、柄にもなくね、思った?
    左小指で指し示しているのが被害現場、そしてアタイは次郎君の如く反省している
    ように見えなくもない。

     それにしても何故に頭部に被害が集中するんだろか。傷だらけの人生、それも
    後ろから前からかい。なんだかなぁ〜、名誉の負傷とは無縁なりしぃ〜なのだ。

    災いは忘れるヒマもなくやってくるのダ・・・・・・な、店主でした。
     

    ダクダク汗プルルな腕

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       盛りは過ぎた、とはいえ暑い。自慢じゃないけど自宅ではエアコン未使用な
      アタイんち。かぼそい扇風機が一台だけでガンバッとる。4畳半6畳つながって
      る部屋にエアコンは一台、しかも30年近く前のもの。冷えるのに時間がかかる。
      あんま冷えないし部屋と廊下は障子だけで仕切られてるのが追い打ち。だからさ
      面倒で使わないんだよね。

       誰も来ないにかかわらず着々と改装中のファクティオ、喫茶店化への一山を
      昨日越えた。

       いただいたキッチンコーナー収納、デカくてどうにもならずやむなく分解

       材料を再利用してちんこいカウンターに。こんなもんは序の口だい

       喫茶店化には避けて通れない流し台を90度回転

       こうなる。蛇口と排水が決まってるから位置は動かせない。これも軽い
      腕試し程度だからどうってことない。

       冬寒くてどうにもならない入口扉は、

       じぇんぶ外してスッカラカン。広大な開口は魅力的だなぁ。この作業は
      30分もかからず汗かく間もナシ。

       さてとお立ち会い、大汗腕プルルを引き起こしたのは、この作業。本年卒業
      M美嬢の作品をお預かりし展示してるんだけど、床に置くと狭くてどうにも、
      喫茶店には大きな障害なの。でね、前から思案していた天吊り決行。

       床に一台だけ完全体を残し、後の3個は天井に。軽いとはいえ持ち上げると
      なるとけっこうな重さでさ。脚立に登りつつ、えいやっとばかりの重量挙げ。
      66才のやることか? なんて思いつつ、この程度の高さが一番危険なんだよね、
      落ちると大変だぞ、と言われたことを思い出しつつ、脚立の上で難行苦行。

       作品台座?は三分のアイナットで固定。一個だけで。建物を作ったときに
      埋め込んであったナット、確か照明を取付けに使われていたものと記憶する。
      そのナットに長ボルトを8センチに切って、クルルと取付て、台座の穴に通して、
      最後にアイナット。こんな説明じゃわかんないだろうなあ。
       問題は、穴とボルトが合わないこと。天井だからさ見えないんだよね。指先も
      届かないし、穴に棒が入らない。ん? 変な想像してんじゃないでしょうね。
      棒(ボルト)に穴を入れようとウロウロしつつ、あっと言う間に腕プルプル
      汗は滝のように流れる。世界を見渡しても、今の時間こんなことで苦悶してる
      のはアタイだけだろ。

       
       ここが厨房になる。右が接客用のカウンター、左が水回り。あとはここを
      仕切ればいい。客席?と厨房が仕切りなさい! と保健所から厳命されち
      まったもんな。はて、床には地下に通じる穴がポッカリだ、どうする?

      日に4回もシャワー浴びてしまったじゃんか・・・・・・な、店主でした。
       

      あなただけは・・・別

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         誰だったかな? 誰かをネットで探してたら、吉田日出子に巡り会い、当然の
        ごとく上海バンスキング。地下で仕事、一番困るのは気晴らし、誰かと会うことは
        むろん、話すこともないし、相手はネットの文字だけで、気分の転換はなかなかな
        難事。もともと作ることに没頭できるタチじゃないし、まるで蝶のようにヒラヒラ
        あっちゃこっちゃブラブラしてないと持たないからな。ってことで、一服の時は
        もっぱらネット、これしかない。でもな、ニュースにはオモロいこと少ないし。
        2〜3のほぼ毎日覗き込むブログも本業忙しいらしく、なかなか新しい記事を書いて
        くれないし。

         そんな折の吉田日出子。知ってはいたけど、観たことはない、聴いたこともなく、
        ないないずくしのオレ様。とりあえず大田区図書館ネットワークで検索したらば、
        これがあってね。CD取り寄せて聴いてみたらイイんだ。なかなかなんてレベル
        なんてことではなく、かなり相当イイ。小学生の時に端を発した音楽三昧人生、
        偉そうに言っちゃならぬとは知りつつも、経験から良し悪しの判断は信用出来る
        と自負してるんだわさ。

         歌手はウマくなきゃイヤ、一節聴いてわかるような声質が望ましい、十代や
        二十代の尻の青い娘っ子にアタイ好みの唄なんか唄えるわけはない、あれや
        これや口うるさいアタイだ。素人に毛の生えたような歌手なんか屁のカッパ、
        そんな有象無象はアタイの人生に不要!とココロで叫んでるワケ。しかし、
        吉田日出子は別、あなただけは別なのよと言いたい。こうして書いてる地下で
        日出子が唄いまくってる様なんて〜ものはですね、まったく贅沢極まりなし
        なんだわさ。

         「あなただけは、別」この言葉は、最高の賛辞と心得ているワタシ。言って
        もらいたいな〜、この言葉。すでに無理かな〜とも思ってるこのことば。
        年寄りはキライ、でもあなたは別、エロハラ親父は大嫌い虫酸が走る・・・
        ・・でも、あなただけは別。あぁ、なんて心地よい響きだろう。そんなこと
        言ってもらえたら死んでもいい、でも死にたくはない、あなただけは、別。
        できれば耳元で囁いてほしいぞなもし。

         吉田日出子の唄、決して上手くはない(と思う)、声量、音程、いずれも
        ギリギリな感じで絶妙なバランスだい。しかし声質はいい。時にささやき、
        時にそこそこなボリュームで唄い、緩急自在で心地よい。これみよがしな
        唄い方は皆無、小さなクラブかなんかで酒飲みつつ聴ければと夢見る心地を
        望む我あり。こんな歌声の持ち主ならどうぞ一緒にと声もかかったことだろう。
        ジャズマンなら誰もがそんなことを思うに違いない。そんなことしたのかも
        知れないけど、アタイは知らないからな、きっと彼女はそんなことちぃとも
        思わなかったんじゃないだろか。あれは舞台でのこと、唄だけ取り出して
        どうこうなんてことじぇんじぇん興味はありません! なんかそういう人
        なんじゃないかしら。

         ある意味、こういう点じゃプロはアマチュアにかなわないんじゃなかろか。
        唄えるんならばどこでもということではなく、気が向いたら唄いますという
        気質はアマチュアならではのものと考えるアタイだ。どんなとこでも唄う
        プロ魂も魅力的なら気が向かなきゃ唄わないっていうココロも同じように
        魅力的。矛盾してるけどさ、ま、そういうもんだ。

         おもむろにパソコンでCDに焼きつける。いずれ買うかもしれないが、
        まずはってことでね。そしてFITにも録音しておこう。と思ってはみたけど
        彼女の唄は薄暗い地下でこそ真価を発揮するのかも、ち〜とばかりお悩む。
        ついでに大瀧詠一しゃんのBest Alwaysも。仲良しから頼まれてたからな
        を思い出して。ほとんどの楽曲は聴いて、これが最後と思って入手した。
        これが良くってね、仲良しに聞いたら欲しいと。

         いわずと知れた没後緊急制作のベスト盤

         こんな写真もご本人に思い入れがあるからちっともイヤミではない。
        これが別人なら、いかにもなポーズは一体どういうつもりなんだ!と舌打ちする
        ところだけど、彼だけは別、カッコつけたいんだろ、そういう時もあるしな、
        それも一興、そんじゃアタイも真似っこしてみようか。そんな思いに駆り立て
        られるから不思議だ。

        仕事ほっぽり出して、こんなことしてる場合?・・・・な、店主でした。
         

        時は流れて人心も・・・

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           墓参に帰省、昨晩帰京。義父義母いまはなく、心が離れてゆくこと止めどない。
          特に義父はある意味かなり尊敬もしていたし、彼がいない郷里はちぃ〜とも魅力を
          感じることがなくなってもうた。私の母が、祖母が亡くなったあと、米沢の実家に
          行く気持ちが失せたと口にしてたことが今になって身にしみる。父母なき今、
          残るは兄弟親戚ということになり、それまで見えなかったいささかの不満が
          少しずつ顔を出し、気まずい関係になることはよくある話。微妙な均衡が
          崩れると人間関係なんてもろいもんだと思ったり。時はよどみなく過ぎ去り、
          あらゆるもの流転するなり。柄にもなくそんなこと考えさせられてしまったわい。

           帰路、京都で一泊し、比叡山に行く。比叡山といえば延暦寺だろ。あの信長に
          絶滅させられてしまった曰くがベッタリと引っ付いていて剥がそうにも剥がせない。
          なんて、そりゃアタイだけの思いかしらね。駅からレンタカーで行けば思いのほか
          近し、小一時間もかからず、山行の麓に到着だい。登るノボルのぼるんだ、これが。
          こりゃ信長軍兵士も大変だっただろうな、とか思いつつ、まだまだ登る。で、
          山頂付近の駐車場に滑り込む。全山これお寺みたいな感じで、これまた広大。
          お目当ては根本中堂、理由はない。なぜか根本中堂の・・文字に曵かれて善光寺?
          なんだそりゃ。

           あいにくというかいつも通りというかカメラを忘れ、ネット画像の転用で失礼。
          たしか、この階段の左下にある。

           入口で靴を脱ぎ、正面に見えるのが根本中堂。さほど広くない中庭

           苔むした風情、右に石作りの囲いの中に竹

           そして左にも同じように竹がある。う〜む、竹なんだ。

           中に入ればデカイ柱が林立、なにやら他の寺と違う雰囲気が充満してるんだ。
          ここが中陣というらしい、そして正面の格子戸(正式名称不明)の向こう側が
          内陣というらしい。透かしてみれば内陣は薄暗く、仏像らしきものは見えない。
          たまたま法話が始まって、聞けば内陣にある仏像と民のわれわれと目線は同一
          と。仏像は大きいし台座の上に載ってるから高さはある、目線はどうしたって
          下向き(民からは上向き)にならざるを得ない。それを同じにしようってことは
          あちらを下げなくちゃならない、ってことで3mほど低くなってるんだと仰る。

           なあるほど、と感心しながら覗き込む。内陣の床は石敷、中陣から見下ろせば
          はるか下にうすぼんやりと床が見える。このボケ写真の、左側が中陣なんざんす。
          そこからこの内陣を観るといった具合。中陣と仏像の距離はけっこうある。
          にゃんとも不思議な空間、思わずウットリ。ヘェ〜知らなんだしらなんだ。
          そういうことになってるのかい。こりゃ凄いわ。なんたって仏像とアタイの
          目線が一緒ってことがね、スゴイと思う一番の理由。んでもって二番は、床が
          石敷き。思わず映画「宮本武蔵」の中で槍の宝蔵院と錦之助武蔵が戦った道場を
          思い出してしまった。あそこの床は瓦のようなもんが敷き詰めてあって、
          いかにもっていう名シーンだった。

           開山以来灯しつづけたお灯明は、すでに1200年を超えているとか。流転する
          日々の時間の中、続けることの大切さ必死さに頭が下がる。ワシャ、到底そんな
          ことはできないかんね。

           昔っから映画でも偉い人を写すときは仰角でと相場は決まってる。仏像に
          してもしかりでね、同じ目線でなんか聞いたことない。同じ目線ってことは
          ですよ、同じくらいの偉さをアタイが持ってるってこと? 偉さにも大小あって
          ということなんだろうけど、こりゃ卓見ですぜ、ダンナ。そういえば彼方此方に
          「一隅を照らす」の文字が、う〜む、聞いた事はあるこの一文の出所はここ
          だったのかい。そ〜かいそ〜かい、んならアタイだって、数ミリ程度をいやいや
          数ミクロン程度を照らすことは出来るのかもしれず、目線同一の資格は充分に
          あるのと違いまっか。

           日本仏教の道場ともいえるココ、聞けば誰もがうなずく著名な方々が学んだ
          聖地とも言える。あ〜ぁ、知らなんだ。齢66才にして延暦寺を知る、なんて
          こったい、無知にもほどがあるってもんだ。情けないのう。それはそれとして
          この建物、思想がかたちと結びついていてお見事なり〜。

           話は変わるよどこまでも? 前回記事の西畠清順氏の展示会の什器写真を
          送ってもらったんでご紹介しておこう。こういうもんだ。


          盛夏も終わったようだし、仕事せにゃ・・・・・・・・な、店主でした。
           

          誘われて銀座

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             仲良しに誘われて(いざなわれて)恋の銀座に。お目当てはポーラ ミュージアム
            アネックスで開催されている「ウルトラ植物博覧会 植物図鑑」。目下、注目を
            集めている西畠清順氏が集めし植物の数々。そうだ! コンパスの芯!! と思い
            伊東屋に寄るもむなしく撃沈。在庫はなく取り寄せになるとのこと。昔は町内の
            文房具屋どこでもにあったもんだ、なんて老人の愚痴。製図器具の存在すでに
            風前の灯火、小粒な鉛筆芯の先っちょみたいな芯、どこで売ってるんだろうか? 
            時流は移り、つまりはそういう時代になったってこと。

             雨が降るかもと雨傘持参、一向に降る気配なく、暑さに耐えかねて先を急ぐ。
            建物に着き、三階の会場。薄暗き中、およそ90㎝角の台に大皿鉢一つひとつに
            植物が鎮座し、白布の真ん中を一直線に切れ目を入れ、鉢と植物の根っこを覆う。
            主役は植物、だから薄暗くして柔らかなスポットライトを当て、幹葉花以外は
            すべて白でという展示がスバラシイ! しかも、安価であることは好感度大。
            しかし、この白布はどうやって掛けたんだろう? けっこうな大布ではあるけど
            真ん中部分に切れ目があるだけで四囲は切断させてはいない。ってことはですよ
            上から掛けたか、根っこを鉢に据えたときに被せたのか。上から掛けるにしても
            大枝もあるからさ。う〜む、カンタンそうに見えるけど、こりゃなかなかの
            難事なんでね〜の。


             会場で配布されているパンフ


             全部の植物に解説がついている。しかもこども用まで。こりゃ大したもんだ。
            仲良しが「これ」と見せてくれた一文にはキンタマとある。銀座でPOLAでも
            堂々のキンタマ。凄いな、遠慮容赦なく自由自在な精神。いたく感心。


             こんなのもある。

             私が目にするパンフの多くは、通り一遍のどうってことない内容がほとんどで
            エピソードなんかほとんどない。数多あるパンフの中でも抜群秀逸であることは
            疑う余地なし。わかりやすく興味を惹きつつも植物への愛情が溢れている名文
            がゾロゾロ。専門的な知識をこれみよがしに披瀝することもなく目線はあくまでも
            低い。短文ではあるけど、相当な時間がかかってるだろうし、西畠氏本人の手に
            なるものであろう。スタッフに任せるなんてことしたくないんだろ。そんな
            アレコレが読み取れるステキな冊子に感心しきりなアタイ。

             階段で二階に、別にどうってこともなく、入口の雰囲気が良くってフラフラと
            入店。HIGASHIYA。什器がスバラシイ、店内もスバラシイ×2。真ん中に和紙で
            包まれた一室が浮いている。端っこから覗けばどうやら客席のようで。予約
            すればここでお茶できるんだろうか? まるで茶室だな、コレ。いやはや、
            イイんでアリマす。お菓子屋さん、ドカンな展示台というか商品ケースというか
            白木の厚板が眩しくってたまりませんな。いつか、再訪せねばなるまい。

             さてと・・・・・・・暑い。どっかで涼もうと思ってたら伊東屋ロゴのある
            発見。もしやコンパスの芯、と入店を伺うも中の雰囲気は違う。立ちすくんでいる
            我々二人を見るに見かねてかどうかわからないけど、店内のスタッフが扉を開け
            「どうぞ」。カランダッシュ? 聞いたことないな。鉛筆といえば青の
            ステッドラーか緑のファーバーカステル、あるいは三菱のユニしか知らんのだ。
            66年生きて一度も耳にしたことがないメーカー、なんてこったい。いかにも
            この道数十年が滲み出ている年配男性スタッフがスイス製と言う。スイスといえば
            メッキでしょ、と知人T野井氏からの受け売りで返すと「よくぞ言ってくだすった」
            とばかりに話しかけてくる。ようやく出会った理解者と勘違いなさってるんだろう、
            こちとらな〜んも知らんボケ老人、でも風体からそう解釈なさってドンドン話は
            盛り上がる。せっかくのご縁、4本の鉛筆を買い求めて、そいじゃまた〜〜。

             暑さに変わりはなく、名店ルノアールに緊急避難。さすが銀座、店内の様子、
            スタッフともにきわめて好感度大。妙齢きわめて個性的な女性スタッフに
            注目しつつ、もう一人の若年スタッフに注目しつつ。妙齢スタッフは絶妙な
            ダミ声いと麗しく髪型姿形もほぼ満点、若年のほうはまさに映画「オズの魔法使い」
            に登場した東の魔女?と見まごうばかりの魔女鼻でウットリ。そんなこんなを
            仲良し相方と話しながらのひとときは絵にも描けない美しさ? なんてね。

             夕闇迫りけるも、しばしも休まぬ暑さ、資生堂に行ってみたいと相方。せっかく
            来たんだからトコトンなんだろう。冊子「花椿」を頂戴し、地下のギャラリーを
            覗く。もうこれ以上の行軍は相成らん、さてと帰ろうか、道行く人々を目にすれば、
            なんとまぁ外国の賓客の多いことよ。二人に一人は中国系かと思われるほどの
            勢いに圧倒されてしまうんだわさ。路駐のバス多く、巡回のパトカーに注意されて
            一旦退去、見れば続々と後が続いて、これじゃイタチごっこだな。ここらへんを
            うろつき回っているバスは十数台であるに違いない。中国経済の旺盛ぶりを、
            改めて感じてしまう、今日この頃でごじゃりまするう。

            理解し合える仲良しの誘いは至福のひととき・・・・・・・な、店主でした。
             

            まだらなやる気

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               暑い熱いで日が暮れる。頻発してる年齢のせいにはしたくない、が。暑いせいか
              朝起きるのがどんどん遅くなる。起きて、シャワー浴びながら体操、軽い朝食して、
              録画観て、気が付けばもう昼。食欲もないから昼食後回し、こんなに暑くちゃ仕事
              なんかできない、とかなんとか言い訳三昧で、あっと言う間に午後を過ごす、と
              いった案配。これは一体どうしたことか、やる気の行く末が案じられる。

               敗戦記念日が近づく、NHKで集中的に戦争のことについて放映、こんなアタイ
              でもせめてもの気持ちで観続けているワケ。観続けるといったってただ単に観る
              だけだし、寝転んでのことだからな、これといって反戦活動してるわけでなし。
              昨日は、特攻についてと広島原爆の下でなにが起きていたのかの二本。特攻の
              終末期、胴体布張りな複葉練習機で特攻したことがあったことを知る。もちろん
              そんなもんで戦果があがるわけもなく、でもさらにそれで行こうと全国の機体を
              集結し、本土決戦に備えるんだと。練習機だから銃が備えられてるわけでなし、
              なんたって複葉だから遅いだろ、実際に特攻してみて戦果はほとんどないにも
              かかわらず、あいかわらずバカの一つ覚えみたいに繰り返すことのアホらしさ。
               お金もなければ材料もない、知恵もない。冷静に考える事なんか出来ない状況
              には違いないんだろうけど、それにしてもひどすぎる。もうヤメにしようと、
              自分で決断することが出来ないんなら、他人からの力を頼るしか方法はないと
              いうのが道理だろ。

               これ、原発再稼働でもおなじこと。片っぽで廃炉処理のメドがまったくない
              にもかかわらず、またやろうってことだ。ヤメられないんだな。自分からヤメる
              と言えないんだ。歴史は繰り返す、始めたらヤメられないのは日本人だけなのか?
              新聞だってTVだって、政府の情報を垂れ流すばかり、中立な報道という拘束に
              縛られて身動き出来ない有様。こうして淡々と事は進んで行き、事態は悪化する。
              原爆級の津波があってもヤメるってことはないんだから、誰かが言ってたように
              ミサイルかなんかが撃ち込まれない限りオワリにすることなんか出来っこないか、
              共産党に政権とっていただくしかないんとちゃいますか。

               で、原爆だ。落下三時間後に撮影された二枚の写真を解析して、どのような
              状況であったのかを理解しようという企画。古いネガを最新技術で修復し、そこに
              居た人々を捜し出し、証言を元にCGでそこにいた人々の動きと音声を再現する。
              さすがNHK、感心してしまったぞなもし。あまりのリアルさに驚嘆し、あれこれ
              考えてしまう。専門医に聴き、火傷の程度がどれくらいのものかを分析。原爆の
              熱で、体内の血液が一瞬にして水蒸気になって、表皮と真皮の間に溜まって、
              小さな刺激でもズルリと表皮が破れてしまうと、真皮が出て来て、真皮の表面に
              顔を出した神経枝が痛みの大元。人間が感じる最大級の痛みであるとのこと。
              う〜む、そういうことなのか。そんなことがあちこちで繰り広げられているんだろ。
              気が重くなって来る。

               原爆はなぜ日本だけに落とされたのか、そこには人種差別の意識があったとの
              記事も読んだことがある。そういう意識があったかもしれないけど、なんたって
              日本の軍部が自分で戦争をヤメられないんだからな、原爆の悲劇はひどすぎると
              思うけど、それじゃ他にどんな方法があるのか? こんな考え短絡的なのかなぁ。
              もっとやんわりした方法があるんだろうか。一切の戦いをやめて、じっと待つ、
              いわゆる兵糧攻めくらいしか思い付かない。でも、そんなことしてたらいつ終わる
              かわからない。国民全部が餓死するまでには何年もかかるだろうし、第一全員が
              餓死したとしても軍部はヤメると言わないに決まってる。日本が戦いを打って出る
              武器もなければ燃料もないんだから前進することなんか出来ないんだけど、それは
              敗戦してわかったことで、当時はわからなかったこと。たとえ、わかったとしても
              今までの経緯もあるから、大和魂なにがあるかわかんないという思いもあるだろう。

               つまりはこうなるしか方法はなかったってことかいのぅ。げんなりだ。

               そこで前回積み残しの平和にもアイデアが必要ってこと。平和が当たり前なこと
              ならばわざわざ憲法で明文化する必要はない。日本の九条が世界でも希有な戦争
              放棄であるなら、世界ではそんな憲法はないってことだ。ってことは、戦争は
              しますよってこと。時と場合に応じてという条件付きだけどさ、結局は戦争すると
              いうことだ。な〜んだ、みんな戦争したいんじゃん。戦争したくてしたくて
              たまらない、ってことか。つまりは本能ってこと? もしも本能であればこりゃ
              問題でっせ。本能を止める方法なんかないからな。生きる=戦争ってことかもな。
              平和は当たり前って考えは捨てなきゃならないかもね。

               人類の欲望は戦闘であって、平和を望むのは抑止力にしかなからないの?
              もしも、そうであるんなら平和の魅力を理解させるにはアイデアが必要だろう。
              あらゆる知恵を絞り実践しなければならない。それには平和によって儲かる何かが
              いるんじゃないだろか。資本主義社会ではなんでもかんでも商品になるのは
              当たり前。売っていけないものはない。例えそれが武器でも、だ。人間の欲望は
              果てしないからな、欲望を抑えちゃ人類は生存できない。果てしない欲望の根源は
              なんだ? 金か? 豊かな生活を維持するためには金が必要だ。やっぱ、金か?
              残念だけど金に匹敵するほどの欲望はアタイには思い付かない。

               だったら金儲けになる平和を考えようよ。平和推進できる「何か」は何?
              こりゃムズカシイのう。商品か? 思想は金にはならないから、やっぱ商品に
              なるのかな。平和推進のための商品、一体どんなもんだろう。皆目見当もつかない。
              けど、そうは言ってられないアタイ、はてさてとか言いながら考えてみた・・・

               が、情けないことにさっぱりアイデアが出ない。唯一の手掛かりはSEXっきゃ
              ない。なんだい、またSEXかい。そもそもSEXは種の保存(子供を産む)ではなく、
              コミュニケーションの手段であることは「性の進化論」で述べられている。SEXを
              すれば心穏やかになり戦いを回避できる役割がある、らしい。それには一夫一婦制
              ではなく誰とでもSEXできる文化が必要、らしい。SEXを促進させるための商品?
              大人のおもちゃではあるまい。あれは代償道具だからな。むろんコンドームでは
              ない。もっと別の視点が必要なんだろ。相変わらずのおバカなアタイの脳ミソは
              作動停止で、プルルとも針は触れない。

               SEX奨励金ってのはどう? 射精していくら、挿入していくら、裸でスリスリ
              でいくら。証明書に両者捺印して、場合によっちゃ愛液精液添付。男女が出会う
              場所も必要か? 政府首脳は無条件で月数回の性交渉の責務を負う。SEXにおける
              高額所得者激増、みんな血ナマコになってSEXしまくることが平和に繋がるんなら
              風紀の乱れの弊害なんてどうってことないのと違いまっか。そんなバカな、と
              お叱る方々もおられましょうがね、んなら他に平和推進戦争放棄を進める根本的な
              方法を述べていただきたい。

              ふざけちゃいない、大マジメ・・・・・・・・・・な、店主でした。
               

              平和だってアイデアは必要だろう

              0
                 アホだなって言うのは驕慢なことなのだろか。驕慢を改めてしらべてみた。
                おごって人をあなどること、とある。おごる=驕る、自分は他と隔絶した高い所に
                あり、質が違うのだと思い上がる意。また、その立場で行動する意。そないなコト
                なぜに今?、再々再読な本に出て来たんよ。藤沢周平「漆の実のみのる国」、
                米沢藩中興の祖・上杉治憲の側近であるところの竹俣当綱(まさつな)が
                自分自身驕慢な心の持ち主であったことに気が付いて、年齢とともに抑える
                ことができなくなり、これじゃ辞めるっきゃないかと思ってはみたけど藩主が
                辞めさせてくれない。能力もあるし今までガンバッテきたんだから、貧乏藩を
                ここで放り出すことは許しがたい。最後まで付き合ってくれんか。
                ま、そういうことでね。

                 かくいうアタイも驕慢な心は充分にあることは承知している。自分のことを
                差し置いて他人様アレコレ。当綱同様、年齢とともにコントロールすることが
                むずかしくなってきて、つい口に出したりしてしまう。去年学校を辞めようと
                思った理由の一つではあるんだ。心で思ってること自体なんだか汚れたように
                思えてイヤなんだけど、口に出せばイヤな感じは倍加する。でも止められない。
                なんでオレに相談しないのか、オレ様だったらもっと良いアイデアが出せるのに、
                他人の馬鹿な真似はもちろんのこと、自分自身の高慢な心も含まれていて正直
                困るのことよ。

                 国立競技場にしても平和にしても、そういうアタイは心の中でアレコレある
                ワケだ。すでに政治問題化しつつある国立競技場、感情を移入すべきところは
                どこなのか。この期に及んで出来るの出来ないのと騒々しいことだけど、放置
                していた関係各位がなんも仕事をしていなかった故のことで、赤っ恥をかけば
                いいのと違うか? それでもいいんじゃないのか。むろん国際的な信用は落ちる
                だろうし、文化を軽視すること、お金がないから出来ないの、そこらじゅうの
                言い訳責任なすりあいはみっともないったらありゃしない。

                 尊敬する五味康祐師は、文化はお金に換えられないなんてことおっしゃって
                ましたっけ。音楽好きで、良き音を聴くためのオーディオに多額の銭っこを
                惜しげもなくつぎ込んでおられた。国立競技場が真の文化&技術の金字塔で
                あるならば2500億だって安いもんじゃないっすか。五味さんの足元にも
                及ばないけど、こんなアタイだってオーディオには相応の出費を惜しまない。
                それはオートバイにしたって恋愛(遠き昔だ)にしてもおなじこと。文化で
                あることに違いはない。真に必要と決断したらば、お金も惜しまないアタイが
                いるし、おのおの方の皆様方だっていささかな心当たりはあるのと違いまっか。

                 ただ単に安いか高いかの議論は意味がない。そもそも金額の基準がないの
                だから。過去の競技場?そんなもん比較にならん。日本のみならず世界、人類
                にとって意義深いものと考えるんだったらイイじゃんか。単なる国威発揚とか
                じゃ困るんだよね。そんな小さなことではなく、ここは一番宇宙を目指そうじゃ
                あ〜りませんか。でもな、そいじゃ誰が真の意義であるかどうかを判断するのか
                ってことですよねえ。う〜ん、困りましたな。キリストが生きてれば適任者?
                仏陀とアッラーとで共同宣言でもしてもらう?そうはいってもすべて故人だし、
                宗教を持ち出すと増々混乱しそうだし。

                 安藤忠雄が日本全国民を相手にして堂々の論陣を張る、カッコいいっす。
                そもそも神代の昔から、に始まり、古今東西の歴史的建造物に言及しつつ、
                いかに今回の案が素晴らしく大金をはたいても惜しくはない、日本のみならず
                世界いや太陽系、さらに宇宙に輝く金字塔であるとぶち上げていただきたい。
                内容、文体ともに素晴らしく説得力充分ならば、賛成できなくとも理解は
                してくれるのと違いまっか。あれだけ立派な建築家ならば、彼を信頼しよう、
                やらせてみましょうよ、となるかもしれない。どうよ、安藤サン。今からでも
                遅くはないですぞ。

                 あるいはさ、巨大なJV連盟を作って、どうぞやらしてみてくんねえと
                建築各社の共同声明でも悪くはない。国内なんて目じゃない、世界を相手に
                宇宙まで仕事の場を求めるんなら、トントンか多少の赤字でも挑戦する価値
                充分なんじゃないっすか? これまで儲けさせてもらってここで恩返ししない
                なんてコタァ出来ません。どうぞ請け負わせてください。技術を見せましょう、
                映画にして儲けましょう、世界中が是が非でも観に来たいと思わせましょう。

                 そこで総合プロデューサーは、誰にしよう?? 一人じゃムリ、チームを
                作って? なんて所詮ダメ。やっぱ一人でしょう。みんなで賛成した案なんか
                どうせろくなもんじゃないというのが世の常。そこで登場するのがアタイだ。
                ああ言ってしまったか、我慢出来なかったんだろ、出来なかったんですばい。
                アタイがやったろうじゃないか。決断はアタイがするけど顧問は必要だろ。
                それは筒井康隆氏しかいない。文学の世界ではあるけど理論と実践の両輪を
                駆動する希有な才能、そしてドタバタギャグユーモアも充分であるからに。
                まさに適役に違いない。話し合いの中で、筒井さん、ここんとこどうしよう?
                なんてね、 ああ、気持ちいいだろ〜な〜。やってみたいなぁ〜。

                 すでに式典の司会は決まってる。初音ミクに決まってるやないか。立体ミク、
                ホログラムってんですか?画面にじゃなく、そこに居るがごとくの立体視可能
                な存在でのご登場。あらゆる技術陣総動員してさ。冠たる日本文化の象徴的
                存在でもあるアニメ、その大御所であるなら異論は極めて少ないだろう。
                そして唄は富田勲さんにお願いしよう。テーマ? 言うまでもなく宮沢賢治
                だ。自然と人間の共生、しかも銀河にまで届く視点の持ち主であれば世界を
                相手にしても極めて秀逸なメッセージになるに違いはなかろうて。はてさて、
                これなら間違いはない。ヘッヘヘ。

                平和がどっか行っちまった、ゴメンね・・・・・・・な、店主でした。
                 

                快児慶児

                0
                   いや、だから、字が違うんだってば! 開示掲示? ん〜もう。ホンジャ、
                  海事刑事??・・・・・相変わらずくどいこって。つまりは快事そして慶事の
                  ことなんだわさ。

                   その昔、銀座にあるシエスタというスペイン料理店に行ったときのこと。店内
                  のレジは鎮座したクラシックカーの車内、雰囲気はよろしい。数回通ううちに
                  「あれ? オレを知ってる?」と感じたことがあった。数回といっても数年の間の
                  ことで、常連ではない。めったに来ないそんな客をいちいち覚えてるわけがない。
                  でも、知ってるのか?と錯覚してしまうような「何か」がある。それは一体なに。
                  あるときそんなことを考えつつ席に着いて考えた。店内に入った瞬間のことである
                  ことは間違いない。はて、と愚考すること数分・・・・・・・・・・そうだ!
                  あ!」だなに思い当たる。この「あ!」、「いらっしゃい」と来客を迎えるのは
                  フツー、ここでは「いらっしゃい」の前に「あ!」をつけるんです。
                  「あ! いらっしゃい」ってことになるワケ。どうやらこれがお客さんに錯覚を
                  感じさせる武器というかアイテムというか、そういうもんなんじゃないかと。

                   アタマいいなあと思ったんだ。こんなカンタンなことで客の心を掴むなんて。
                  常連でもないのに常連であるような錯覚を感じさせるアイデアがスバラシイ。
                  この話には後日談があって、「あ!」に気が付いた後に再訪したときに「私のこと
                  知ってる?」と意地悪く聞いてみた。「知ってますよ、大勢で来られましたよね」
                  と即答、それを聞いてすっかり理解した私、なぜかってーとその店は常に二人で
                  しか行かないかんね。でも、ウソでもいいの、なんたって客商売だからさ、客と
                  店主がほんの一瞬でも心が通い合えばいい、そういうもんだと私は心得てる。

                   このことが妙に心に残ってて、幾星霜。数年前にアレッシーのショールームを
                  見学させていただいた時に、商品開発で最も重要と考えてるのがEMOTIONで
                  ある、ことをおせ〜られてね。なぬ、ってことで調べてみたのよ。「情緒。感情。
                  感動。心理学では情動という」まぁ、どこで調べてもこのような意味で、わかった
                  ようなわからないような。以前から、アレッシーの商品群には一目も二目も
                  置いていたから、商品の持つ魅力の根源がEMOTIONであるかもしれない、と
                  思ったんだよね。わかったようなわからないような語義であるなら、これは多分
                  英語の意味と日本語に翻訳した意味とに違いがあるんだろ。だから理解しにくい
                  んだろ、と思ったわけですばい。

                   簡単に言えば目に止まるってことかいの。イイなと思うことなんだろ。思う心
                  に強弱はあれどもなにかしらの印象は残るんだろうし、記憶の片隅にあり続ける
                  にちがいない。現に私がそうだったからな。でね、このEMOTIONは「あ!」と
                  同じようなもんじゃないかと思い始めて再び幾星霜が経ち、そして今回の快事
                  慶事に着地したワケ。

                   と、ここまでが前段、今回は長いっすから時間がなければいずれまたにした
                  ほうがいいかも。

                   数日前に講師をしてる東京デザイナー学院のプロダクト科会議があってね、
                  暑い最中に出掛けてね、崇拝(大袈裟ではない)している唯一の講師の方が
                  見せてくれた一枚の大判ポスター。聞けばスイスのデザイナー?が集めし膨大な
                  道具の数々の写真がズラリ。以前お話ししたとかなんとかおっしゃりながら
                  こういうのお好きでしょとかなんとかでお持ちいただいたご様子。ボケな当方
                  すっかりそんな事忘れてて、思いがけない事態にアタマが追いつかない有様。
                  詳しく見たいけど会議は始まろうとしてるしでためつすがめつ観るには至らず、
                  二三の写真を観ただけでその場は終わったんだ。問題は、このポスターでは
                  なく、このポスターにある道具類が一冊の本になってることで、きっと
                  アマゾンで入手出来るだろうから、本の名前かなんかを連絡していただければ
                  ありがたい、とかなんとかでその場は終わったんだ。

                   会議が終わって家に帰り、茶箱の脚を旋盤で削っているときに、ふと思った
                  のよ。このポスターのことを。よくある好きで集めた趣味の品々を公開する
                  だけのものであるはずがない、あるいはカタログ本の類いであるはずはない。
                  なぜなら著者はスイス人だしデザイナー?だし、なによりも崇拝しているH上
                  先生がそんなゾッキ本を私に紹介するはずはない、断じてだ。

                   ひょっとして、長年抱いているアタイの悩み?  「あ!」とEMOTIONに
                  関係しているんじゃないかって考えが浮かんだんだ。魅力的な商品(作品)
                  にはなにかしら魅力の元になる「なにか」がある、それは状況に応じて千変万化
                  するもんだけど、人々の心の琴線を刺激するような「なにか」がきっとあるに
                  違いない。そのヒントがこの写真集に潜んでいるのかもしれないし、著者は
                  そのことを意識しているじゃないだろうか。ま、そんなことが一瞬にして頭を
                  駆け巡ったんだわさ。

                   そして翌日、かの講師からメールで連絡、思った通りアマゾンで予約販売
                  が始まってると。すかさず、いささか長文のメールを送る。その一部は、
                   ならば、洗練されたベストセラーではなく、もっと泥臭い生まれたての、
                  売れるとか売れないとかの考えが付与される以前のモノの中にこそ、モノの
                  機能やかたちの幸せな融合(結婚?)が見出せるのではないだろうか、という
                  のが本書に対する私の考え。私の考えが間違っていなければ、著者の考えも
                  同じようなものではないだろうかと思うんですけどねえ。

                   そして返事が来て、
                  ご明察の通り、あの本の副題は「No Name Design」です。

                   「
                  ご明察の通り」、この短文が今回の快事慶事なんだ。うれしいじゃないか、
                  ねえ。一冊の中味も定かではない本を通じてのやりとりで、お互いが理解
                  し合えてさ、同じような心智を持っていることがわかってさ、それは遠く離れた
                  スイス人も同じような考えであったこと、これらのことが私をいたく幸福にする。

                   誰かが必要に応じて作ったなにかしらの道具たち、それは狭い地域で重宝され
                  受け継がれてゆく。世界各地で、様々な人が様々な状況で知恵を出して作る品々、
                  時を経て洗練の度合いを深め、あるときに世界に広がってゆく。モノが作られて
                  ゆくというのはそういうことだろう。評判が高まれば、もっと作らなければ
                  間に合わない、ってことでビジネスとなってゆく。その中でベストセラーなる
                  商品も生まれてゆくんだろう。でもな、ベストセラーとなるには万人受けする
                  べく変身せざるを得ないし、その結果元々の魅力は摩滅させられて魅力は薄味に
                  ならざるを得ないに違いなかろう。世の中そういったもんだ。

                   このことは音楽でも言えるんと違うか。世界各地の民謡しかりだろう。日本の
                  民謡だって元々は地元の労働唄だったのが相手が全国となれば抑揚とか発音だって
                  ツルリとしたもんになっちゃうじゃないっすか。アメリカ生まれのブルースに
                  しても同じようなことで、かのクラプトンがアメリカ黒人の元祖ブルース唄い
                  にはかなわないとギブアップしたのが何よりの証左だろう。確かにクラプトンの
                  音楽はスバラシイし私も好きだけど、アメリカ南部の地元黒人の唄に比べれば
                  泥臭さはすっかり消えてキレイで洗練されたものになってるし、いい意味での
                  素人くささは微塵もない。プロだからしかたないけど、魅力度においては素人に
                  かなわないと思うことも少なくないざんす。

                   で、このだ。買う事にためらいはないけど、唯一の問題は私のこれからに
                  なにかしらの影響があるやなしやってこと。今までの経験で、買ってはみたけど
                  買ったことで安心して読まずにそのまま書棚にってことがあったかんな。そして、
                  買ったし目を通してもみたけど、さっぱり読み解けないってことも心配の種。
                  こちとら学者ではないからな、理論の整合性正しきことを確認して良しとする
                  気なんかじぇんじぇんないんだ。私がこれから作ろうとしている唯一の商品
                  (=作品)は屑入れしかない。屑入れって言うと多くの知人はけげんな顔なさる
                  けど、そんなこたぁカンケーネー、アタイはアタイの信じる道を行く、なんちて。

                   その屑入れを考えるにあたって、ゴミを入れてしばらく保管する機能面、室内
                  での佇まい、それらをうまく融合させることができればデザインに従事している
                  者としての役割を果たす事ができる。たとえそれがいささか程度なもので
                  あってもだ。デザインって名称や業種が生まれる前から、モノは作られていた
                  よね。技術の巧拙もあるだろう、文化の違いもあるだろう、でも人の生活に
                  欠かせないとまでは言えないけど必要と感じた人が工夫して作ってきたモノたち。
                  使えればいいということじゃなく、美しさとか面白さとかときには奇妙なとか
                  なにかしらの作り手受け手の思いが込められたものであることは確かなコト。

                   そこに秘密や秘訣があるのかどうかわからないけど、少なくとも多くの人々が
                  好感を持ったベストセラーといわれる品々を眺めてみても詮方なし。この本の
                  ように特定の個人が琴線に触れた品々の中にこそ扉は用意されていると私は
                  信じる。と、ここまで書いちゃ、買わないわけにはゆかんのだろうなぁ。

                  超長々でご迷惑の段、伏してお許しいただきたい・・・・・な、店主でした。

                   

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