心の中の爆笑

0
     「やっとく?」ってことばが爆笑の種。改めて言うまでもないが「やっとく?」
    は「やっておく」の短縮形だ。「やっておきますか?」が元型でしょ。今思った
    んだけど「しておく?」との違いはなんなんだろうね。「やる」「する」の違い。
    「やる」は行動の相方があるってことか。「する」は自分自身が行動の対象なの
    かしら?

     この「やっとく?」は問いかけです。相手がいる。でも「しとく?」も同じ
    ようでもあるな。よくわかりませんねん。相手は自分自身の場合もありそうだ。
    独白。ま、ふつうは「掃除やっとく?」とか「ご飯食べとく?」みたいな使い方
    をするけどさ、アタマにつく言葉が変わるといきなり激変することにふと気が
    付いて、気が付いたのがけっこう後になってからだったんで爆笑は心の中と
    いうワケ。こんな体験生まれて初めてで不思議な感じ。

     「洗濯しておく?」はフツーだけど「SEXしておく?」となるといささか
    ヘンテコになる。この先やる機会がないから今しとこうか?そういうこと?
    SEXは気分が盛り上がったとき、やりたくなったそのときに実行するもん
    でしょ。そんなSEXをあらかじめ済ませておきましょう、そういう考えが
    オモロいっていうかさ。この妄想は以前「真面目」の使い方に端を発して
    いるんだけどね。かの斉藤綾子嬢が「真面目にSEXしなさい!」と著書で
    述べていて、読んだ時は軽いショックを受けたんだわさ。真面目とSEX
    という二つの単語、私の常識では遠く離れた意味の単語が合体することに
    感銘を受けたのよね。

     こういうのを「異化効果」と教えられたのは筒井康隆著「文学部唯野教授」
    だった。確か「限りなく透明に近いブルー」が例として挙げられていた。
    文学の世界じゃ使い慣らされた意味の単語の組み合わせで新味を与えよう
    といろんな試みがなされているとのこと。「愛」なんてことばは代表例で、
    愛の調べ、愛なき世界、至上の愛、愛燦々、いろいろあるわけだけど、
    愛の土俵とか愛パンチという組み合わせはちょっと奇妙で新鮮味が感じ
    られるってこと。つまり異なる単語(しかも意味がまったく違う二語)を
    くっつけることでなんらかのイメージを作り出すというのが異化効果
    らしい。

     閑話休題、こちとらなんたって老人だからSEXは不真面目なことと刷り
    込まれてる。小さな頃から陰でこそこそ禁断のSEXみたいな教育されて
    きたもんで、真面目なSEXって一体なに? と混乱するわけだ。不真面目な
    SEXってのもなんだかなぁとは思うけど。で、「やっとく? SEX」。SEX
    はやるものなのかするものなのか、さあてどっちなんだろう。オナニーは
    やるのかするのか?おぼろげになんとなくではあるけどSEXはやるもんで
    オナニーはするもののような気がする。つまり、なにかしら行動の対象が
    自分以外のことやものならば「やる」、自分自身の行動であるなら「する」
    ということ?

     多分そういうことなんだろう。しかし「仕事する」「仕事やる」同じ
    ような感じもするしな、正しい使い方はどちらなんだろう。ヒマで毎日が
    日曜日なアタイはこんな愚にもつかないこと考えつつ日が暮れる。

     それにつけてもこの「SEXやっとく?」はいいフレーズだ。なんか軽い
    意味でつい「そうしようか」という気にさせられるんでないかい。
    「SEXしたい」「SEXする?」は切迫した生理的心理的状況があからさま
    だけど「やっとく?」には、やってもやらなくてもいい、一応聞いて
    おきますけどという気軽な問いかけで断られてもガッカリ感は軽微な
    もので済みそうだ。使ってみたいなコレ。初対面のお方にも言えそうな
    気がする。言えるわけないか・・・・・ないな・・・・・あるワケない!

    それにしても寒い、寒さゆえの妄想?・・・・・・な、店主でした。
     

    ギリーシューズの類い

    0
       アタイ御用達のZIRAで靴を買うてきたのは昨晩のこと。ブログで見て、
      興味を持つ人は多くはないだろうと思うものの、ひょっとしてってことも
      あるからな。開店時刻に☎して予約、授業が終わって帰り道で目視確認
      即購入。聞けば、履いてみたお客はいたと、履いてみてヤメたんだと。
      ね、やっぱりですよ、危ないあぶない。でもさ、不思議なんだよな、
      こんな靴を試しに履いて買わないってことがさ。好きか嫌いかはっきり
      してる靴だからさ、履いてみて買わないのはなぜゆえ? 



       こんな靴見たことない、なんて呼ぶの? 店主に聞いたら「ギリーシューズ」
      の亜種かなとかなんとか。あぁ知らなんだ、初めて聞く言葉だ。すぐにパソコン
      で見せてくれたのがコレ

       あいや〜、スゴイな。靴ひもを足首で巻いてるのか。う〜む、人に歴史
      あり靴にも歴史ある。欲しいなあ。どうみたって半ズボンだろ? 長い靴下
      に決まってる。


       どれもこれも素晴らしい。で調べてみたんだギリーシューズをさ。

       ゲール古語の「召使い」の意を語源とするギリーの歴史を辿ってゆくと、
      それこそ古代ローマ時代のスコットランドやアイルランド、すなわちゲール・
      ケルト文化圏の形成にまでたどり着くことができます。舌革を敢えて
      取り付けないのは、濡れてもすぐに乾かせるため。鳩目の形状も、
      フィッティングをより容易に調整するため。紐を長くし靴より上の下腿部に
      巻きつけて履くのは、「ぬかるみ」に靴だけはまってしまうのを防ぐため。
      いずれも湿地の多い彼の地での活動に支障を与えない為の生活上の工夫
      あり、以前紹介した
      ブローグと起源は一体的なものと考えられています。
      実際、今日その多くはブローギングも施されており、ゆえにギリーブローグ
      (Gillie Brogue)と呼ばれたりもします。

       
      ということだ。ナルホドなあ、そういうことなんだ。歴史的考察はおよそ
      理解できて一安心、アタイはアタイで楽しもう。なんたって靴下を誇示する
      のがイイ、どんなにガンバッテみたところで所詮は靴の中に閉じ込められる
      靴下クン、それが陽の当たる場所にさあさどうぞと席が用意されてること
      がね、いたく気に入ってるワケ。

       こうだもんなぁ、え〜んでないかい。改めて足首太いな、オレ。それが
      コンプレックスだったな、なんてこと思い出した。ずいぶん前から忘れて
      た。

       Dr.Martensはエアーソール、靴底を見ればうっすらと構造が透けて見える。
      初体験なアタイ履いてみて軽さに驚いた。なんて軽いんだ、好感度倍増だぞ。
      問題があるとすれば寒さしかない、昨日今日の寒波に耐えられるんだろうか? 
      というのも、来週末の卒業制作審査に履いてゆこうと思っている故。寒さに
      耐えられなければ履く事相成らず、とZIRA店主につぶやけば、気合いですよ
      気合いなんて言われちまう。オシャレを楽しむには多少の不都合なんか意に
      介さないココロで行なにゃあならんのだ。

      これで靴箱からまた一足去り行く靴が・・・・・・な、店主でした。
       

      もう買うまいぞ!

      0
         ずいぶん前のこと、友人から古着屋を教えられ、以来このかたアタイの衣料は
        すべてこの店で購うことになって。たま〜に行くどこかのアウトレットで買う
        以外新品の服を買う事はない。その店名ZIRA。行けば必ずといっていいほど気に
        入ったモノがなにかしらあるんで買うてしまうのですばい。そんなこんなで数年、
        すでに靴箱は満杯、タンスも立錐の余地なし。それでも視察を兼ねての訪問、
        今日はなんも買わないよ!とか言いつつ買ってしまう自分がくやしい。唯一の
        対策は行かない事と決めて久しいけど、敵もさるものひっかくもの、ブログで
        入荷のお知らせ攻勢は毎日で・・・・・・・・・・。

         さっきも毎日習慣のネット視察してみたら、こんな靴が

         一部の皮が欠損してる

         履くとこうなり、当然のごとく靴下は見える

         う〜む、いいナ。いいゾ、コレ。一目惚れとはこのことだ。ああ、買うのか
        オレ? 買うんだろうなアタイ! きっと買うに違いない。すでに売れてる?
        そんときにゃ縁がなかったとあきらめよう。でもな、こんなヘンテコな靴を
        買おうって輩はそうそう居るはずもなく、アタイの靴箱に着地するだろう。
         目立ち過ぎと思わないでもない。が、しかし私のココロはこの手に弱いんだ。
        たまにゃ変わった靴作ってみよか、ここんとこを取ってみたらどうかな、
        いいんじゃない、どれくらい作る?、欲しがる人はいるだろうけど少数派
        だろうから、あんまり作れないだろ、なんて会話の末に作ったんだろうな。

         ZIRAの店主とは親しくさせていただいてる、ひょっとしてアタイ向けに
        仕入れ、ホレ欲しいやろ? とほくそ笑んでるような。思い込みすぎか?
        いやいや、以前もそんなこと言われたからなあ。きっと村越サンが気に入る
        と思ってましたあ、この服!なんてね。目の前に強力な餌がついた釣り針、
        ブラリさせられパクリと食いつく悲しさよ。

        Dr.Martens CARRIGAN SIZE UK8(26.5)
        キャリガン?カーリガン?恐らく読み方はそんな感じです。
        内羽値のストレートチップのサイドをくり抜いた様なマーチンらしい
        アプローチ、最初リメイクかと思いました。
        日本国内での流通は少ないらしいですね、本日同系色の靴下を履いてきて
        しまった為わかりづらいですが、もっと明るい色の靴下履いたりすると
        シャレオツかもです。
        ¥8,800- +Tax


        こんな一文が添えられて・・・・・。日本国内の流通は少ないって、
        だめ押しか? ほれほれ、今買わないと二度と出ませんぜ、ってこと?


         ちょっと前にこんなもんも出たんだ。買いたい気持ち思いっきりだけど
        これはレディスだから諦めたんだ。それにしてもこの柄え〜でんな。
        欲しい、着れない、欲しい、着れない・・・・・・・・小さいんだもん。

         そしてまたこんなもんが、

         図書館で何気なく目にしたポール、借りて聴いたらいいんだな、これがさ。
        生まれて初めて楽器を弾かないで唄ったとのこと、バックミュージシャンも
        素晴らしく、このところこれっきゃ聴かないという有様。CDはコピーした
        もののこんな名盤コピーじゃ済まないだろ、買わんかい!とココロに押される
        アタイ。でもなあ、ってことでDVDはどうじゃろか。ライブとはいえ観客が
        いるわけでもないからな、スタジオ録音だからな。とはいえ、ボーナス映像
        もあるらしいし、べらぼうな値段でもないし、買うか? いやいや一回
        観ただけで終わっちゃうってこともあるぞ、行きつ戻りつ悩める爺ここに在り。

        消費社会どっぷりいいのか悪いのか・・・・・・な、店主でした。
         

        おっとり刀でご紹介

        0
           長らく教師をしている専門学校、の卒業生が作品を作り展示の真っ最中は昨日
          から24日(日)マデ。ちょっぴり多少のお手伝いなアタイ、今朝つれづれなる
          ままにネットしてたら友人知人が紹介してるじゃんか。ぼんやりしてたら
          ほらみたことかこの通り、すっかり取り残されてる、あわてて追っかけ紹介と
          きたもんだ。

           年々歳々小粒な学生が多くなって・・・・・と、げんなりな中、突如出現した
          元気っ子、最初の出会いから強烈なパンチを食らってしもた、Yoko Masuda
          プロダクト科にはそぐわない卒業作品を作り、雌伏一年捲土重来第二作という
          ワケだ。自由に表現をしたい、定かではなかれども身中にみなぎるなにかを
          噴出させたいという純粋な想いがカタチになったんだろ、用途もなくただ
          ひたすら、思い悩みつつも作る、人の意見や感想も充分気になるけど、それを
          乗り越えて作り発表することに素直に拍手を送りたい。


           似顔絵の名手と勝手にアタイは思ってるだけど、彼女の手になればアタイは
          このようになる。なんか今にも死にそうだ、死斑のような点々だらけで、
          アタシャ大好きお気に入りの一枚。鼻からピョヨ〜ンと飛び出てる♡花は一体
          なんなんだ? 

           実業とは縁もゆかりもなきアート世界、デザイン仕事は制約やら目的やらが
          網の目のように張り巡らされていて、その糸をほどきつつうまいことやりくり
          しての成果物に仕上げるんだ。それが仕事ってもんだし、それはそれで面白味
          もある、けどなぁ・・・・・・ってなもんでね。そんなセコいこと関係ねえ、
          思うがままに暴走するざんすっていう輩に出会うと己の小ささに身がすくむ。
          作ってはみたものの作品の行く末も考えない、行き当たりばったり自由気まま
          さがウラヤマすぃ。誰でも自由を求めるけど自由な人を見ると恐がったり
          嫌悪するのが多くの人々だ、そんなセリフは確か「イージーライダー」だった
          けど、まさにしょにょ通りでさ、作品を見て理解しようとしてしまうアタイが
          いて、素直に好き嫌いで丸ごと出来ないアタイがいて、我がココロがいかに
          自由でないかトホホでござんす。なんだか字余りみたいでスマンのう。

          興味のある方いかがでせうか・・・・・・・・・・・・な、店主でした。
           

          あれよあれよな荷物

          0
             朝起きてシトシト、昨晩からの雨かと思ったら雪だった。雪かぁ、数年前の
            苦い思い出が蘇る。もうあんなコト二度とイヤでっせ。心静かに降り止むのを
            祈る。パンがないから買いに行ったら駅前は人が列をなす、電車が来ない?
            ウ〜ム・・・・・。今日は週一回学校に教えに行く日、授業は午後それまで
            には復旧するだろと思っていたら留守電に休講の連絡が入っていた。そうかい
            休みかい、んなら地下で仕事すんべえ。暖房ON、ジョニ・ミッチェルを聴き
            ながら一服。

             先週末から荷物が届きはじめて、みるみるうちに数が増え店を占拠。連絡は
            受けていたものの思った以上の大量ぶりで、思案投げ首。

             ウィーンのメッチャマッチャで展示販売する品々、これらを解梱し再梱包
            するんだ。オークションは海外発送できないから当店が中継基地とならざる
            を得ない。中味は、

             こけし。7月の再開店の今回、メインはこけしになるんだろ。そしてですね
            これらの商品の内容確認をしなけりゃならないんじゃないの?ってね。
            なんたって量が多いからさ、注文した商品が届いてるかどうか確認する必要
            あるでしょ。いちいち伝票の発送先を書き起こすのは面倒だから、写真で
            送るか?

             音楽はREBECCA KILGORE「I SAW STARS」に移る。先日、友人から
            頼まれて音箱を作ったんだよね。スピーカーBOXではなくBOXを入れる容器
            というか。てっぺんに乗るモノがあったんでそれにあわせてちょちょいと
            作ったんだけど、これがけっこう良くってさ、調子に乗って当店オリジナル
            商品にしちまえって再制作。

             用途は決まってないけど、かたちがキレイ。手持ちの布を巻いてみたら

             こうなる。上をどうするかは決まってない。でもなんとかなるだろ。

             これは布だけどさ、ニットでやりたいと思って桐生市にある会社まで行った
            わけ。そこで話していたら、覆うんじゃなくて骨に巻いたらどうかって言われ

             ありあわせのニットで巻き巻き。ウ〜ム、思わず唸る。イイのか良くないのか
            わからないじゃんか。イイのかコレ? とりあえず照明入れてみんべえ

             桃色がミスマッチなのでしょうか、イマイチ感が漂うな。オモロいことは
            オモロいけど、そのオモロさはアタイだけが感じるものなのか? ワカラン
            のだもし。

             布にも照明。こっちのほうがいいかも。っていうかいわゆる照明に思える。
            写真じゃわかりにくいけど、外布と内布が重なって悪くはない雰囲気で◯。
            内外別布でやってみようか? 骨は6ミリベニヤだから影が気になる?
            透明アクリルで作れば影は出ない、けど加工が面倒だし高額になるなぁ。
             
             さて、どうしたもんかの思案橋。用途も決まっていないしなあ。ある程度
            完成したらウィーンで展示販売を打診するつもりだから、その場合に備えて
            輸送も考えなくちゃならん。つまり分解し、誰でもわかるような組み立て方法
            にせねばならん。ウィーン向けとなれば和テイストを盛りこまくちゃならん
            ばってん、色を指定して布なりニットなりを作ってもらわにゃならん。
             多くの条件を勘案することがアタイの任務だからな、ここは一番マジメに
            やってみようかいの。

            果たしてどげなもんが出現するのやろ・・・・・・な、店主でした。
             

            バイク呉服屋

            0
               相変わらず藤沢周平を読んでいる。全集は3回読んで、しばらく休止してたけど
              ふと読みたくなって・・・・・・そのままずるずる。いやもうこれは中毒ですな。
              でね、去年末、東京フォーラムで展示されていたニットの商品がいたく気に入り、
              ウィーンで再開店するメッチャマッチャで展示販売できないだろうかと考えたの。
              その旨を手紙に認めて、返事はOK、でもってウィーンに商品写真を送ったんだ。
              そしたらウィーンはオシャレな街じゃないからファッション関係はムズカシイかも、
              そういえばファッションの店はあるけどオシャレな感じはしなかったなぁと思い、
              それならインテリア関係の商品ならいいだろと勝手に考えたワケなのよ。

               とにかく桐生市にある工場に行かなくちゃ話にならないでしょ、行くのはいい
              けど手ぶらでは行けないな、こちとら66才だからさ、なんか手みやげみたいな
              ものがいるだろ。さてと、なにをおみやげにしようか? 思い出したのが色見本。

               以前、ファッションの仕事をしてる方の引っ越しを手伝って、そんとき戴いた
              もん。コレ以外にももらったんだけど、今回使うのはこれだ。メッチャマッチャ
              で展示販売するものはすべからく日本的なものでなければならぬというお達し、
              ニットは日本的とは言えないけれど「色」で日本を表現出来るだろう。って
              ことでさ、この見本帳の色を全色台紙に貼付けたんだ。

               300色ある。これを私の分と差し上げる分それぞれ一冊ずつ計2冊。けっこう
              時間かかるんだよね。それとね、作ってる最中に果たしてこんなもん喜ぶの
              だろうかって疑惑の影がひたひたと押し寄せてくるんだ。多分、使えないだろう
              な、きっと労多くして益少ないに決まってるとかなんとか思いつつ、アタイの
              やり方だからしかたない、物事を始める時の儀式みたいなもんだ、作っては
              みたものの恥ずかしくって渡せないなもしれない、くどくどとそんなこと
              考えつつも手は動いて出来上がってしまったのさ。

               手みやげの一つはこれ、もう一つはタタキ台となる試作。こんなふうなもの
              作りたいんだけどどうかな? ま、そういうことで。

               色台帳を作っているときに、色で藤沢周平の世界に入り込めるような気が
              したの。例えば「路考茶」
               色名の一つ。江戸歌舞伎最高の女形と評された二代目 瀬川菊之丞 が好んで
              用いた 茶色 のこと。菊之丞の 俳名 が「路考」であることから、この名が
              ついた。ややくすんだ渋みのある茶色。江戸時代の女性たちの間で流行した。
               
              この言葉が藤沢さんの小説の中に出て来たんだよね。あらら、って感じ。
              色で江戸時代が身近になるっていうか、リアルに感ぜられるわけ。ふ〜ん、
              なんかイイじゃん。

               この日本の伝統色の中には明治大正のものもあるし洋風名のものもある。
              平安とか飛鳥は遠すぎる、やっぱ江戸だよな、江戸のみなさまは一体何色を
              好んでいたんだろう。茶と鼠はたくさんあったってことは知ってる、紫が
              禁色であったらしいことも、奈良時代は青丹の組み合わせだったし、引幕
              は、


               こんなもんだ。その程度のことは知ってるけど、もっとちゃんと知りたい
              って思ってね、ちょっと調べてみたらさ、ぶち当たったのが「バイク呉服屋
              なるブログ。いやもう凄いんだ、これがさ。ちょっと読んだだけなので断言
              するコタァ出来ないけど、きっと読み応え充分な予感がトラック満載だろう。

               今じゃ絶滅危惧種?と思われる呉服屋さん、それがバイクに乗って注文
              納品?? なんでバイクなんだ、なんで軽トラじゃないんだ。きっと昔
              見かけたデカイ竹籠かなんかを荷台にくくりつけビニールの覆いで防塵防水
              なのか、まさか? いやそんなこと軽々とやってしまうような文体だもんな。
              こりゃ是非一度お目もじしたいもんだ。

              2016年初頭の慶事ではあることよのう・・・・・・な、店主でした。
               

              そういえばRE

              0
                 長年ホッポリっぱなしだった手あぶり、思い立っての手直しから始まった2016年。


                 手前がソレ、後ろの◯は次に控えし火鉢。できあがって、いやこれなかなか
                なんじゃないかってね、思ったワケ。誰も誉めてくれないから自分でね、誉め
                るっきゃない。なんか佇まってるっていうかさ、かたちのバランスいいって
                いうかさ。雰囲気ある!と思うのはアタイだけだろう。

                 炭床(っていうのかな)は22㎝四方、台が50㎝四方、小さなテーブルだ。
                台の色が違うのは以前作った枠の外に新しい材を追加、一回り大きくだから。

                 地下で使うためにこさえたの。以前のは◯火鉢に◯台仕様だったんだけど
                大きくてちょっとなァだったもんで。この地下は、来客が来たときそれも
                かなり親しい人とお茶したり飲んだりする場でもあり、グラス小皿を置く程度
                の台がね、必要なんだわさ。


                 元はこんな小さな手あぶり、オークションで入手

                 台を付けるためにこんな木枠を作ってさ

                 それをネジで固定。手あぶり本体の強度は弱いし精度も悪い

                 こんな隙き間は当たり前。弱い力だけど多くのネジで固定すれば大丈夫で
                ないかい。

                 脚を加工し

                 木枠を加工し

                 組み合わせれば

                 こんな感じになるだろ

                 それに手あぶり本体を下から挿入し、ネジ止めでほぼ完成じゃ。

                 どちら様の家にも古いモノはあるだろ。捨てるに捨てられず、かといって
                置き場所に困るモノ。人間、長く生きていればいささかな思い出をまとって
                いる品々が増えてしまうのが人情。ならばさ、それを直して使えるものに
                したらいい。家はリフォームだけどモノはなんて呼ぶのかな?
                 そう思って・・・・・・・・思い出したのが「RE」!

                 かなり以前に友人のO田さんのグループが「RE」という名称で古材で商品
                作りをしてたことが浮かんだ。REは、Re Born(生まれ変わる?)Re cycl
                (再生)の頭文字。たしかもう一個あったんだけど忘れてもうた。そうだ、
                それ使わせていただこう。ってことで即☎、O田さんはいつもの優しい声で
                「いいですよ、どうぞ使って下さい」と快諾いただき、当店のオリジナル
                商品?に加わる事に相成り申した次第で。

                 聞けばREはエールウールと呼称してたと、そういえば耳にしたことあった
                な、そんな言葉。外国在住の友人が考えてくれたとか、フランス語では
                情報網みたいな意味もあるとか。ネットで調べたけどじぇんじぇんワカラン
                のよね。でもさ、おおよそそんな意味もあるんだろう程度でアタイは充分、
                なんの問題もござんせん。ってことで、店もリニューアルオープンが間近、
                看板メニューのツマミはもとより屑入れとステッキにREが加わったわけで
                慶事ではある。

                 さらに付け加えるならば、mazdaluce3000師のレストアアンプも控えて
                いる。師の手になるアンプで私が入手したものが三台、預かっているのが
                一台、近々掲載予定なんだ。すでにデジタルアンプに突入している今、昔の
                アンプに興味をお持ちの方はいと少なきと思うけれど、時代に逆らうことを
                旨としているアタイ、自分でイイと思う品々を提供出来る場を死ぬまで続け
                たいと思うのでアリマスル。

                年頭のご挨拶方々・・・・・・・・・・・・な、店主でした。
                 

                新年はおめでたいのか?

                0
                   なぜ新年はおめでたいのだろう。相変わらずヒネたココロでそう思ったりして。
                  知人が亡くなり納棺の儀に参加したのが30日、前日飾りは縁起が悪い、とはいえ
                  31日に仏壇神棚を掃除し鏡餅を飾り〜の、近所の魚屋で買ったあれこれを盛付け、
                  ソバを食べての大晦日。子供のときのワクワク感いまいずこ、なんとも慌ただしく
                  って正月のおめでたさの実感はきわめて薄い。

                   それにしても正月準備で商店街、あれこれ買い求めることの贅沢さをつくづく
                  痛感。子供んときにゃお金なかったからな、それもこれも買うなんてこたぁムリ、
                  大枚払うって金額ではないけどさ、イクラ? それも買っとこう、大トロ?
                  それもいいね、なんてふうに買えることの豊かさで、こんなに買ってバチが当たる
                  んじゃないかしら、そう思ったりするアタイがいるワケ。

                   いやね、たまたま思う事があって「鰯雲」を観たのよね。1958年だから昭和で
                  いえば33年か。監督はあの成瀬巳喜男。物語の舞台は神奈川県の厚木でね、田んぼ
                  ばっかりなのよ。駅前の店だってみすぼらしい木造でさ、今の厚木じゃ考えられない
                  ほどの、つまりはどえりゃ〜隔世感なんだ。33年っていえばアタイは9才か、
                  すでにこの世に生を受けて9年もたってて、立派な小学三年生。たった58年前の
                  こと、だけど豊かさの違いは目もくらむほど。そんなこと思うなんて、年齢の
                  せいなんだろうな、きっと。物語は、農家の寡婦が、姑や恋を求めることに
                  悩み、本家と分家という旧弊な家の価値観が崩壊しつつある、当時日本のどこに
                  でもありそうな話しではあるけど。

                   私の母の実家は米沢で、毎夏遊びに行くのは本家だった。歩いて数分のとこに
                  3軒の分家があって、あるとき「お呼ばれ」(晩ご飯をごちそうになりにゆく)
                  で行ったら、あまりの生活の差にびっくりしたおとがあって、本家分家の違いは
                  肌でわかっているつもりだ。その分家は八百屋、裏に併設された豚小屋、売れ
                  残った野菜を餌に豚を飼う、部屋は一部屋っきりで畳なんか毛羽立ってるほどの
                  貧しさ。なんでこんなに違うんだ?と子供ながらに思ったもんだ。ここで聞いて
                  いるNHK-FMで映画「道」の音楽のことを山田洋次と坂本龍一が、ニーノ・
                  ロータのことを話してる。「道」についちゃ並々ならぬ思い入れがあるから、
                  聞き入ってしまってもしかたあるまい。

                   そんな貧しい時代を経験しているから、魚屋で財布を覗かないでバンバン買える
                  ことにいささかの後ろめたさを感じることをわかってもらえるかな。なにも金が
                  あることを自慢してるわけじゃない、三食同じものを食べる事が当たり前だったり、
                  お菓子といえば一斗缶で買い置いてあった同じものだけしか食べないとか、ある
                  昼食でおかずぜんぶが茄子だったこと、それに比べればどちら様だってそんな
                  食生活じゃないんでないかい、今はさ。そういうことを言いたかったわけ
                  なんざんす。

                   飽食時代なんて呼ばれたのはかなりの昔、今はだれもそんなこと言わなく
                  なって久しい。そんなことをふと思うアタイは正月はめでたいと素直に言えない
                  っていうか、かなりの違和感があるっていうか、まぁそんなとこでね。これも
                  年のせいかしら?

                  なんだか妙な内容になっちまったなァ・・・・・・・・・な、店主でした。
                   

                  1

                  calendar

                  S M T W T F S
                       12
                  3456789
                  10111213141516
                  17181920212223
                  24252627282930
                  31      
                  << January 2016 >>

                  selected entries

                  categories

                  archives

                  recent comment

                  links

                  profile

                  書いた記事数:690 最後に更新した日:2023/12/23

                  search this site.

                  others

                  mobile

                  qrcode

                  powered

                  無料ブログ作成サービス JUGEM