ロバート・グラハムだって
NYから息子が一時帰宅、おみやげにRobert Grahamのシャツをもらった。
その名前アタシャ知らんぞ、誰だ? なにはともあれパッケージに目が釘付け。
なんだかスゴイな。至る所に釣り針が仕掛けられてて、これでもか!
意気込みに圧倒されてしまったわい。
ロゴマークは帽子に指。こりゃいったいどういう意図なのか。元々は帽子屋
でデザインするのはロバートってこと?
持ち手のヒモ、両面にプリント。やるなぁ・・・・・・
鳩目にはリボン、左には縫い目、いずれもプリントだ。やるなぁ・・・・
袋の底にも。どこまでやれば気が済むのか。
中味はシャツでね。こんなかんじ。いかにもNYって色合いでアタイ好み。
襟の裏はいかにもってかんじの刺繍がビッシリ
胸にはジャカジャカ刺繍。刺繍といえばインドか? タグを見れば大当たり
袖の先っぽ。色違いの袖先はこれまた色違いの糸で数ミリ離れて縫い合わされて
いる。やるなァ・・・・・・・・・・・
襟をめくってみれば、袋状に縫われた先端から小片が見える
取り出してみれば・・・・・・。襟先の型崩れ防止なんだろう。洗ったら
抜け落ちないのかしらね。
一通り見て、ネットで探してみたんだけど取り扱う店が見当たらない。
まだ日本に来ていないのか? このブランドは息子の職場のおしゃれサンに
おせ〜てもらったとのこと。う〜む、そうかい、日本未上陸の新参者なのかい。
ポール・スミスは大好きだけどここまで手の込んだ仕事ではない。服も包装も。
手提げ袋だけでけっこうな金額になるんと違う? ポール・スミスはもっと
あっさりしてるというか若者らしい雰囲気だもんな。もっと気軽でカジュアル
だもんな。それに比べるとロバートは、こってりだし、盛りだくさんというか、
あっさりじゃ飽き足らない手合いに「どうっすか?」のように思える。
そしてまたこうも考える。イランで花嫁衣装を繋ぎ合わせたパッチワークで
ソファなんぞを張り包んだボクジャの過剰性はファッションの世界にも影響を
及ぼしているんでないかい、と。
これがボクジャ(BOKJYA)の一例。ロバートのシャツの胸の刺繍との
関係性は疑う余地はないとアタイは思うんだけどなぁ。そしてさらに考えは
飛躍する。アタイの本筋は家具(なにもしてないけんどね)だけど、樹脂が
発明されて以降これといって新しい材料は生まれていない。技術革新の波
から取り残され一次材料ともいうべき木や金属、ちょっぴりの樹脂で
相変わらずいろんな商品が生み出されている業界だ。車だって家電や
パソコンだって技術革新は新しさの大きな要素だけど、家具にはそれがない。
そこで思ったのよ、他に同じような業界はないかと。音楽も似たようなもん
だけど時間芸術だからカタチがない。彫刻絵画も同じような世界だけど
日常生活とはいささかの距離がある。普段や日頃親しんでいて技術革新
がないものこの指と〜まれ・・・・・おんやファッションがあるでね〜の。
布という古典材料は相変わらずだし、染めたりコーティングしたりの加工
に新技術が生まれたといっても小さな変化でしかないんじゃろ。いまある
材料を切ったり縫ったりして新しさを生み出すこと、言ってみればそれだけ
のことなんじゃないかしらね。だから、家具や雑貨のデザインに新味を加える
には偉大な先達であるファッションに教えを乞うのが良策ではないか。そう
思っているワケ。でも、そう考えてみてもお客さんたちは家具に対して
保守的な考えを持っているようで、木の持つ素朴なイメージや名作家具と
呼ばれる安定した判断基準を求めているように思える。家具には新しさと
いう要素が歓迎されていないのではないか。ほんのちょっぴり変えることで
新しさを競っているのではないだろうか。そう思えてならない。
そう考えるとアタイが大枚払ってジャケットを買ったりポールスミスに
傾倒するのも腑に落ちるってもんだ。なんでもかんでも結びつけるのは悪い
クセかもしれないけど、自分じゃ納得してるからな、これでいいんダスだ!。
縄文時代の最後の砦、諏訪湖周辺に思いを馳せる・・・・な、店主でした。
- 2016.06.27 Monday
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- 17:31
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