カーマスートラかいな!?

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     とあるM嬢とのなりゆきでコケシを作ってたんだ。そんとき、ふと思い付いて

    友人たちが営んでるベルリンの学校でコケシごっこやってみたらオモロいんじゃ

    ないかと思ってね、連絡したワケ。イラストの学校だから、アタイが作ってあっち

    が描くのイイかもとね。しばらしくして、ほんじゃやってみんべえかとなり、

    とにかくスケッチ送ってくんなましってぇことになり。

     メールで送られてきたのよ、これが

     で作ってみたのよ、これを

     で、ぜんぶで18体(って呼ぶのかな?)が出来上がり、即航空便で送り〜の。

    それにしてもテ〜ヘンな時代になったもんだ。小さいとはいえ国際交流だもんな。

    数回で描ける(あっちは毛糸で巻き巻きしたりもしてるけど)チンコイ課題を

    外国で作るなんてえこたァ、アッシが若い時にゃ考えられなかったもんな。

    地球が小さくなったとつくづく感じてしまうのでアリマス。

     

     あっちの学校はイラストを学ぶ、イラストは多くの場合平面(紙とか)に描く

    ものだろ。だから多くの学生は立体のイメージを持ちにくいんじゃないか、コケシ

    のスケッチにしても一方向から見たかたちだ、そのスケッチがいきなりコケシに

    なって、出会ったときはいささかな驚きがあるだろ。現に、アタイだってM嬢との

    やりとりで角材から削ってゆく過程や出来上がりを見て、スケッチが立体に変わる

    ことの驚きはあるんだからさ。

     それと、磨き上げられた木のコケシに描くことの緊張もある。紙ならば失敗

    してもやり直しはいくらでもOKだけど、木はそうはゆかない。水性にしろ油性に

    しろ、一度塗ったら拭き取っても染み込んじゃうから痕跡は残っちゃうもんな。

     

     笑いは「緊張と緩和」が織りなす時間と言ったのは桂枝雀だった気がするけど、

    イラストにしろアタイが教える木工にしろ、なんらか表現活動の場合も同じじゃ

    ないだろか。そして、それを学ぶ場でも、毎日同じコトの繰り返しでは刺激も

    ないってことになり、そりゃマズイんじゃないっすか。毎回とは言わないまでも

    たまにはサプライズがあったり緊張があったりしたほうが感性も研がれるんじゃ

    ないっすか。将来の役に立つことは授業では課題の内容ってことになるんだけど、

    それ以前に学生の意識を刺激して、興奮させて、アドレナリン噴出させることが

    できれば、作品だって良くなるのと違いまっか?

     

     着いたョ〜のメール、数枚の画像とともに送られてきて、完成するのが12月14日。

    ふーん、なんて思ってたら今日荷物が送られて来たんだわさ。なにか送ったという

    ことは知ってたけど、開けてみたれば、

     KOKESHIプロジェクトのミニパンフと

     エディット・ピアフのレコード。それにしてもこのジャケットいいでんなぁ。

    彼らが来日したときに我輩の車であっちこっち行ったときにたまたま流れて

    いたんだエディット・ピアフがさ。好きなんだ、ピアフ。ってことでコレ。

    ま、これはわかるんだけどね、もう一つ入ってたのがKAMA SUTRA

     これだ! ホェ〜ホェェェェェ〜〜〜〜〜〜

     裏はこうなっとるんダ。エロくてキレイだなぁ〜

     で中をみたれば、ぜ〜ぇんぶ文字だらけ。どうぢろっていうのさ。こう

    見えてもオレ様なんちゃってイングリッシュでならば通話可だけど、文字は

    ダメでっせ。う〜む、読めると思ってるのかな? あるいは、解読して英語

    の勉強せいってこと? あるいは、ほんのシャレだから許してチョなの?

     

     早速、とりあえずウィキペディアで検索、「第2部は赤裸々に性行為について

    綴ってあるため、特に有名である」、ふーん、多分これだろとCHAPTER TWO

    を見ればAchieving the Three Endsの副題、そのまま無料ソフトで翻訳すれば

    「三つの終わりを達成する」ということらしい。Achievingが終わりであるのか

    どうかわかんない。アタイは節目と理解したいとこだけど。で、終わりだと

    したら、なんの終わりなのか? 一つは射精か? も一つは勃起しなくなった

    時か? まさか精液が枯渇したってことではあるまい。忍法筒枯らしじゃない

    んだから。

     

     アタイに根気があれば、贈られたこの本でカーマスートラを読破し理解できる

    のかもしれないけど、生憎そんな上等な根気は持ち合わせていないコチトラ、

    宝の持ち腐れになる予想は充満だし、その予想はズバリ当たるに決まってる。

     

    さても気がかりな一冊なことよ・・・・・・・・・・な、店主でした。

     


    コメディ宗徒

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       ふと思い立って、喜劇のお勉強、手に入りそうな本は読了し映画もほとんど観て

      一段落の日曜日午前10時44分、天気いいから洗濯物を干し、珈琲を飲みながら、

      さてどう過ごそうかのう。

       

       年末ということでもなかろうが、インテリア茶箱クラブから次々と脚の注文が

      舞い込み、11月18日の80個が終わりを見透かしたように、12月1日に25個、

      2日に58個。なんだい、天井裏から覗いてるの? どこにあるんだカメラは?? 

      まぁご繁盛でけっこうなことだけど、数物だからなぁ、すぐ飽きるからなぁ、削り

      始めればさほどの仕事量ではないんだけど、なんといっても下準備が面倒だ。

      四角材の中心を出し、ポンチでVみをつけて、コンパスで内外周を描き、もっと

      能率良くできないもんかと考えちゃいるけど、やっぱりこの方法しかないのかい、

      あ〜ぁ、でもってヌウ〜ぅ。

       

       コメディにはギャグがつきもの、ギャグには二通りあって言葉によるバーバル

      ギャグと動きによるサイトギャグがある、なるほどね、フ〜ンてなもんだ。アメリカ

      にはスタンダップコメディがあってNYには素人でも参加できるクラブがあって、

      そんならNYに行ってもいいかなと思ったりして。日本の「オチ」に当たる言葉は

      パンチライン(punch line)、同名の映画を観たら主演はトム・ハンクス、入院

      患者の前でのギャグ連発は爆笑もんだった。ヒェ〜、最初はコメディだったんだ、

      な〜んも知らんで失礼いたしやした。

       

       まずは御大・小林信彦に始まり、高平哲郎、香川登志雄、澤田隆治の4氏の

      著作を読めば、日本(外国もだけど)のコメディの歴史を理解することはできる。

      ステージを観ることはしなかった、すべてTVで観ただけのアタイだけど、登場

      するコメディアンの面白さは肌で感じることが出来ている。書かれている内容も

      リアルに理解出来て、学ぶことの喜びに浸ることができた。とはいえ、エノケン

      やロッパは知らないし、ダイラケにしたとろこで往年の面白さはCDで聴くしか

      ない。それにしても「中田ダイマル・ラケット ベスト漫才集」はオモロかった。

      むろん漫才がなんだけど、観客の笑い声も凄まじくって、といっても一人だけで、

      多分中年の女性、けたたましい笑い声がアタイの笑いを誘うのでアリマス。

       

       モリシゲ、寛美、脱線トリオにてんぷくトリオ、クレージーキャッツ、由利徹、

      まさに錚々たるメンバーで、今思えば夢のような時代だったんだわさ。なにごと

      も頂点にいるときにはわからないもんで、落ち始めてしばらくたってから、アレ

      がそうだったのかと思い当たるもんだ。落語だって円生に聴き惚れ、志ん朝もいた

      もんなぁ。言いたかァないけど面白うございました。

       でも、なんといってもアタイはコント55号に尽きるな。彼らがデビューしたの

      が1967年ころ、そんときアタイ18才、家にはTVがあったし、アタイだって

      コメディを理解する下地はそこそこあった。その後の彼らの活躍ぶりとともに

      アタイの青春があったのだ、ナンチテ。

       

       そのコント55号、役者になった二郎さんは亡くなり、残された欽チャンは

      どこに着地するのだろうか? 古今東西コメディアンの末路は哀れ悲惨な

      ものと相場は決まってる、らしい。モリシゲは喜劇から役者の世界に移って、

      それがコメディアンの大きな転換だとみんなが目指すようになった。いかりや

      長介だって渥美清だって、二郎サンも同じ道を辿った。で、欽チャンは? 

       先日も、特番で取り上げられて登場し、弟子筋たちに持ち上げられていた

      けど、それすべて過去の栄光に対してで、輝いていたころを知るアタイは見る

      も無残、とても観てはいられないんだわさ。せめて、コレくらいじゃないと

      なぁ。

       

       24時間TVの司会がつまづきの始まりだったと本で知る。なるほどなァ、

      いい人が演じるコメディなんか面白くもなんともない、そうタケシも言ってた

      らしいけど、その通りだもんなぁ。生まれ持ったコメディアンの資質は役者

      なんか出来っこないし、かといって老いさらばえた感じの今、コメディアンと

      してなにが出来るんだろうと思ってしまう。そんなこと欽チャン自身だって

      重々わかってるだろうし、目立たないけど仕事はしてるんだろう。しかし、

      アタイは気になるのよね。まだまだ元気そうだし、笑いの世界に一波乱まき

      起こしていただきたいもんだ。乞い願い奉る。

       

      笑いは素人に席巻されとる・・・・・・・・・・・・な、店主でした。

       


      惑う67才、テヘッ

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         イッセイ・ミヤケが年末バーゲン(20%off)、関連ブランドHaatからもDMが

        届き、さらに電話がきたもんだ。今年3月、フラリと立ち寄り、地下に降りたら、

        ジャケットがあって、超高額で怯んだものの、えいや!とカードローンで入手、

        以来顔馴染みになったY嬢からの電話なら、行かねばなるまい。直近の以前棚を

        納品した店で取っ手が壊れた直してちょ、そんならちょうどええわい、ファミマで

        100円菓子五個手みやげ持参で訪れたんだわさ。

         

         店内すでに春物ばかり、ファッションは先取り社会は合点承知してるけど、いかに

        なんでもこの寒さの最中で来春のことをイメージできるほどのコチトラではない、

        それにそれまで生きてるかどうかわからないでしょうが。とはいえ、せっかくの

        お招きならば、なにか安価(たってぜんぶ高いけど)なモンをと考えてはいたけど、

        アタイが着れるものはまったくナッシングゥ。なんたってココはレディース専門

        だから、そりゃいたしかたないんだけんどね。

         

         取っ手は新品を取り替える、と思ったんだけど、これがウマくゆかんのだ。穴の

        位置が違うのだ。以前、なんでこんなふうに付けたんだろう? 自分がやったこと

        にもかかわらず、思案投げ首。結局、今日再チャレンジ、なんだかなぁ、オレなに

        やってんのかなぁ。

         

         そのまま帰るのもいかなるものか? 帰り道の代官山で降りてTUTAYA。小林

        信彦氏ご推薦のキャリー・マリガン2本、大瀧詇一「クレイジーキャッツ・

        デッラクス」、「顔のないヒトラーたち」計4本のDVDを借りる。「顔のない〜」

        1958年のドイツ、すでに戦争は記憶の彼方でアウシュビッツなんか誰も知らない、

        収容所の記憶も生々しい人々が生きているにもかかわらず、そんな状況下、ひょんな

        ことから戦犯を追い求めることになった若き検事。そういうことだったのね、

        こちとらな〜んにも知らんかっとってん。

         

         あっちの人は「あぁまたかい」ってことなんだろうけど、アタイは心打たれ申し、

        日本じゃこんな映画作れないんだなぁ、と思うワケですばい。戦犯だった岸信介が

        首相になったなんてことは、今じゃだれも話題にしないし、映画作ったところで

        商売にならないってことなのかもしれない。ウ〜ム。そういう国民性なのか、

        だから福島原発もおなじように忘れ去られるんだろうな。かといって、なんにも

        しないアタイがいることも確かだし・・・・・・・・・。

         

         それとは別に、ちょいと凹んでいるんだ。きのうの、青山へ行ったのだって、

        工房で茶箱の脚を削るのだって、DVDを観るのだって、洋服買うのだって、

        なんだかルーティンみたいに思えてね。予定調和っていうかさ。例えばの話、

        好きな人が出来て、初めてのベッドインが叶ったとして、以後、会って、映画

        観たり買い物したり食事したりセックスしたり、その繰り返しに飽きるみたいな

        もんなの。ある日起きた非日常がだんだんと日常になり慣れっこになること、

        刺激がない、新しさがないことへのやるせなさ?

         

         今じゃ67才は長生きじゃないのかもしれないけど、それでも見たり聞いたり

        してきた数々の事柄は膨大で、得た知識や経験が枷になり、興味が持てる新奇な

        ことに出会う機会は少なくなって、このまま死んでゆくのかいなと思ってしまう

        んだなぁ、これが。同じコトをやり続ける根気はないし、かといって面白がれる

        新しい出会いもない、どうすりゃいいのさ思案橋。

         

         みんなど〜してんだろ? そういう不満みたいなもんないのかしら。ワクワク

        するトキメキ、もっともっと知りたいという欲求、喜びに満ち満ちた会話、

        感心させられる体験、ムシャムシャ食べられる興奮、それがなくては生きてる

        甲斐はないのと違うかいな。そりゃあなたの心持ち次第、な〜んもしないで

        ただ口を開けて待ってることって、どうかと思うよ。そう言われちゃうんだろう

        なぁ、きっと。

         

        思い出を反芻する牛にはなりたくはない・・・・・・・な、店主でした。

         


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