昭和の話

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     頼まれて小学三年生の教室で話して来たもんせ。10:30にしいのき門に来て

    ください、行ったらお母様数名が出迎えて、校長室へ。壁に歴代のPTA会長の

    写真がズラリ、聞けば創立96年だとか。知ってる方が3人いた。女性校長と

    お話する他2名と世間話。まったく場違いなとこに来てしまった感、すでに

    満腹。後から来る人がいるらしく、しばし歓談、間が持てないこと甚だしい。

    でもそう思ってるのはアタイだけ、浮いちゃってるんだわさ。

     

     しばらくして三人到着。私の地元のこの小学校、多摩川に近い。昔は京浜

    工業地帯だったけど、工場は移転し跡地に多数のマンションが出来た結果、

    児童数は激増、一時は都内最大のマンモス校。1000人を越えたとか。運動会

    ともなれば、校庭は満杯で父母たちは教室や屋上から見ることに相成ったとか。

    授業合間の休憩時間、児童は校庭、体育館、屋上と三カ所に振り分けられて、

    整然と遊びに興じるとのこと。そして、その分別休憩は整然と行われている

    と校長は言う。まぁ、そうなんだろうけど、おとなしく規則に従うってのも

    どうなんだろうかとアタイ。

     

     今日は、インフルエンザで数人休んでいる児童がいる、方々は大丈夫?

    ってことで、マスクを渡される。着用はご自分の判断でけっこう、マスク

    なんか数十年使ったことないからさ、大袈裟すぎないかと思わないでもない

    けど、やっぱそこは大切なお子たちを預かる小学校ならしかたないのかな。

     

     二年生がお迎えに来て体育館。二年全員で歌を、そして踊りを鑑賞。アッシ

    にはかかわりあいがねえこって、ごめんなすってと言いたいとこだけど、そう

    いうわけにはゆかない。終わって、なにか一言いただきたいと。げげっ、

    なにか言わなくちゃならないのかい。でも、その要望に、誰も反応しない、

    とりやめになったの? と安心してたのさ。そんでね、お名前だけでもとか

    言われ、最初の方が名前とともに一言述べるんだ。なんてこったい、やっぱ

    なんか言うのかい!。二年生の歌とか踊りなどというものは親子親族だけが

    楽しめるもんじゃろ。赤の他人、しかも格別子供が可愛いとも思わない

    アタイだ。一体なにを言えっていうのかいな。

     

     適当にお茶を濁して、いよいよ教室へ。児童二名と先生とともに。話は30分

    って聞いてたんだけどさ、一応って思って確認したら「押してまして」とか

    なんとかあやふやな発言な担任。それって短くしてくれってこと? ハッキリ

    言わないからわかんないのよね。再度念押し、20分くらいにするのですか? 

    と聞けばそうだと。それならもっとはっきり言ってよ、報酬は出ないけど一応

    仕事なんだからさ。

     

     で、お話開始。昭和という時代は、世界史上No.1のことがあるんだけど、

    わかる人? 男の子が一人手を挙げて「長いこと」と答える。どひゃ〜、

    知ってるんだ、驚いたもんだ。この子はそういうことが好きなんです、と

    先生。ふ〜ん、侮れないなと思ったんだわさ。くらし、あそび、TVや映画、

    そして音楽のこと、昭和のことについてのあれこれを話し始めたとたんに

    終わっちまったやないか。そりゃなんたって20分だもんな、ハナっからムリ

    でっせ。子供達は私が講師をしている専門学校生よりも反応はよくて質問も

    ドンドンだ。こんな自由闊達な子供たちが大人になると、どうしてあんなに

    無反応質問皆無状態になるのか、ようわからんので候。

     

     時間を気にしつつなんとか終わり、再度校長室へ。こんどはコーヒーだ。

    わざわざ出向いていただいて、お忙しい中、貴重なお話を、言葉はすべて

    低姿勢で気持ちわりい。そして児童に対する恐るべき気の遣いように時代を

    感じる。近時、なにかっていえば、目の敵にされる学校だから、戦々恐々に

    なるのはわかるけど。そんな中でつい私の子供時代を思い出した。

     

     同じ小学校3年のころ、母の実家の米沢で、毎夏ほとんど毎日川に泳ぎに

    行ったのよね。子供だけで数人、自転車で一時間ほどの小僧ヶ滝、けっこう

    手前で下車し、歩いて、奥羽本線の線路を渡り、道なき道を10分ほど歩く。

    近道したいときには真っ暗トンネルを歩く。あるとき、列車が来ちまって

    待避穴で通過を待ったこともある。列車の明かりがキレイでね。川は深みも

    あり、小魚がいる浅瀬もあり、2mほどの滝もある。おにぎり持って一日中

    遊ぶわけだ。さらに、下流にはオンボロ吊り橋があってね。床板なんかない、

    ワイヤーローブに裸足、落ちたら死ぬ、そんときの恐怖は忘れようにも

    思い出せないほど?  だ。

     

     保護者もいない、子供だけで、そんな危険なとこにゆくことなんか今じゃ

    とても考えられないことでしょ。どうしてそうなってしまったんでしょう

    かね。ノラ犬はいなくなり、小汚い店もなくなり、安全で清潔、快適生活、

    健康に留意し、それは悪い事ではないとは思うものの、物事は表裏一体で

    イイことばかりではないんじゃないか。清があれば濁もある、清濁併せ

    呑むっていう言葉は死語になったのかい。

     

     明治は遠くなりにけり、昭和も遠くってことなんだろ。でも、それが

    歴史ってものだろうし、異論はない。でもなぁ、正論ばっかじゃつまんない

    ってもんじゃないっすか。

     

    子供は元気なれど大人の規制が抑圧しとる・・・・な、店主でしたァ。

     


    カーマ・スートラ 2

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       つい最近、4本のDVDを観た中で「ソフィーの選択」に仰け反る。メリル・

      ストリープの熱演に改めて感心したんだ。いまさら言うまでもないけどさ。敬愛

      するキャサリン・ヘプバーン、ベティ・ディビスを観たときと同じような感じ。

      最初は寝転がって観ていたけど、思わず起き上がって観るっていうかさ。近頃、

      なかなかないんだ、そういう映画。ひどいときには途中で寝ちゃったりしてね。

      で、やっぱぜんぶ観とかなくちゃと、amazonで6本購入。寝た子を起こす子守唄

      なんちて。

       

       ってなことありつつ、のカーマ・スートラ。数多あるインドの同類の本、時代

      とともに一冊にまとまったのがコレみたいで、これまた数多ある神話が一つの本

      にまとまっていった聖書みたいなものと同じような成り立ちみたいなんだ。

      つまりいきなり現出したのではなく、各地でバラバラにそれぞれの考えで書かれた

      歴史があり、時とともに収斂されたのがカーマ・スートラだと、私は理解した。

       

      現存する資料からみると「カーマ・スートラ」は全7部36章64節の細分化された

      テーマからなっている。オリジナル・テキストは10万以上の章からなり、また、

      そのヴァリエーションも多々見つかっているが、現在のところその全体像は、

      以下のように7分類されている。

      1  総論

      2  性交

      3  処女との交渉

      4  妻

      5  他人の妻

      6  遊女

      7  秘法

       それぞれの項目について、微に入り細に入り、これでもかっていうほどの詳細

      ぶり。とてもじゃないけどついて行けないアタイ、情けないんだ。知りたいと

      思うココロはありぬれど、トコトンまでは行けませぬ。なにごともほどほどが

      よろしい、自分に都合のイイ考えをペタペタとくっつけて、心の鎧にするのは

      いつものこと。自分で言うのも憚られるけど、あくまで学者肌であって学者では

      ないからな。で、この本の目次は以下の4項目。

      1  出会い

      2  誘惑

      3  誰にも習うことのない愛の技術

      4  愛こそすべて

       SEXするには相手と出会わなくちゃいけない、そしてキッカケを作って、いざ

      という具合で、この順列は自然でわかりやすい。著者を調べたらアタイとほぼ

      同年代で、なんか感心。どうでもいいことだけど。この記事のために再読したら、

      カーマとは、聴覚。触覚、視覚、味覚、臭覚の五感の働きに、心と魂の協力を

      えて、特定の対象を享楽することである。その本質は感覚器官と対象の一種独特

      な接触にあり、この接触から生じる快楽の意識がカーマと呼ばれる。

       

       カーマのことがさらに詳しく述べられている。この一文を読んで感じたこと

      がある。世に6大芸術論というのがあり、彫刻、建築、絵画/音楽、舞踊、

      文学であるんだけど、前者3つと後者3つは時間の有無がキーワード。

      音楽、舞踊、文学を楽しむには時間が必要だ。そこで、SEXも人間の表現

      活動であることは確かなことだろと考えるアタイ。上記の一文は、まさに

      芸術の意味と同じような内容を含んでいると違いますか? なんでSEXは

      芸術の範疇に入らないのだろうか、と疑問のココロ。

       

       SEXが隠されたものであることは人類だけのようで、あのボノボだって

      堂々とホカホカをやってる。人前で出来ないことだから芸術には成り得ないの

      ってこと? そもそも芸術というのは真の意味で皆が楽しめなければ成立

      しないの? どこかで秘かにという芸術はないんだろうか。さらに考えは

      飛躍して、人類の女性の性欲(SEXしたいって気持ち)はなぜ隠されている

      のだろうとも思う。類人猿のすべて?は女性性器が目立って変化し、受け

      入れ態勢が整ったことがわかるのに・・・・・。

       

       閑話休題、

      インデペンデント・オンライン・ニュース(2004年2月6日付)に、アテネの

      空港で英国人女性が金属探知機にひっかかり、身体検査をされたところ、なんと

      貞操帯が発見されたという記事が載っていた。彼女は、結局、パイロットの責任

      において、ロンドン行きの飛行機に乗ることは許されたのだが、どうやら

      ギリシャでの短いバカンスのあいだ不埒な行為をしないようにと夫によって

      強制されたとのことだった。

       4  愛こそすべて、で紹介されているこの一文に目が釘付け。ゲゲッ!マジ

      で!! ロケットぶんぶん飛んでる今、中世の十字軍の時代に生まれたと

      言われる貞操帯が作られていて、着用する人がいる、なんてこったい。

       

      この女性はさぞや恥ずかしかったと思うが、いまでも貞操帯を愛用する人々は

      けっこうたくさんいる。

       けっこうたくさんいるんだ〜・・・・・。なんかおいてけぼり食ってるな。

       

      しかし、いくらなんでも封建時代ではあるまいし、そんなふうにして相手を束縛

      することなど不可能だと思われる方もいるだろう。ところが、そうではない。

      実は、貞操帯とかマリッジタトゥーとかは、「相手に自由を奪われる」という

      よりも、「相手に自分を管理される喜び」を表現したものと理解すべきもの

      なのである。

       まぁ、理屈はわかるけどさ。

       

      ある女性は「剃毛(ていもう)されてすっきりしたあそこに貞操帯がぴたっと

      貼りついている感覚はなんともいえない」と告白しているし、そのよさは

      「下着をはいていては絶対にわからないと思う」ともつけ加えている。

       大きく頷くアタイ、その気持ちよさはわかりまっせ。以前、ストッキング

      着用におよんだ時に足を剃毛して、それで風呂に入ったときのオドロキ、

      快感は素晴らしかったもんな。さらに、近頃、寝るときにスッポンポンで、

      これまた気持ちいいのよ。パジャマとか下着なんかナシ、やめられない

      とまらないんだわさ。

       

      しかもあまり知られていないことだが、だいたい貞操帯をつけられる女性は、

      同時に、剃毛され、アナルにプラグを押し込まれるようなケースが多い。

      それらはひとつながりのことで、ただ性的自由を奪われるというだけでなく、

      さらにもっと厳しい調教とも結びつくわけである。中略。経験者の女性に

      言わせると、「貞操帯も、アイマスクも、剃毛もそうだけど、そんなふうに

      されると、いつも彼のことばかり考えるようになる、それがうれしい」との

      ことだった。

       まぁ、理屈はわかるけどさ。そこまで相手に恋い焦がれたい気持ちない

      しな〜。相手を想う気持ちはあるけど、まず自分があって、その合間にって

      思う程度だかんな。

       

      基本的に、貞操帯は浮気防止のために使用されているものだが、お互いの

      純潔さをさらに追求するあまり(つまり、女性の側だけでなく、双方向的

      な試みとして)、お互いのヘアを剃り落とし、そこに名前をタトゥーで

      刻み込むカップルも最近増えている。いわゆるマリッジタトゥーという

      やつである。

       愛もややっこしいことになってる。剃毛するってことは、頻繁に

      剃らなくちゃならないってことだし。第一、剃るにしたってカラダが硬い

      オレッち、剃るに剃れない手が届かないし見れない肉体的限界があるワケ

      でね。

       

      昨今の性の乱れに意義を唱えるはずの純潔主義者たちも、そこまでやると

      逆にかなりおかしなことになってくる。せいぜいが爪痕や歯型を残す

      くらいが好ましいように思えるのだが、いかがであろうか。

       学者として研究対象を掘り下げることとは別に、自分の考えは考えと

      してある。そこが学者としてプロとしての限界がある。どこまでも追求の

      手はゆるめない、とことんやってみようじゃんか、は素人でなければ

      なし得ないことのでしょうか。ウ〜ム。そんな気もする今日この頃で

      ござんす。

       

      人は人なり、我は我なり、ってか・・・・・・・・・な、店主でした。

       


      カーマ・スートラ 1

      0

         ベルリンの友人から英語版カーマスートラが届いたことは記事にした。これ、

        なにも突然炎のごとくってわけじゃなく経緯はある。遠いからめったに会う機会

        はないけど、超久しぶりに会っても数日前に会った感じで話はしごくスムーズな

        間柄でね。会えば東西の性事情とかSEXについての考え方の違いを肴にして酒

        飲むのが常だし(アタイがそっちに話を持って行くんだけど)、浮世絵春画本も

        プレゼントしたことあるから、アタイならきっと喜ぶだろうと送ってくれたに

        決まってる。

         

         そうかいそうかい、コレ読んで、もっと勉強せい!ってことなのかい。それ

        なら受けて立とうではないか。とはいえ、辞書片手にトボトボ翻訳する気もない

        根気もないこちとら、素早く図書館から二冊(日本語)を借り、読み終えたワケ。

        一冊は原書の和訳、もう一冊は解説本。読みやすい解説本で高所順応の後、原書

        の頂きに登攀しようと考えたものの、解説本だけでほぼ満足、多分原書に挑戦

        することはないだろうな。

         

         「性愛奥義  〜官能の『カーマ・スートラ』解読〜」植島啓司著、講談社現代

        新書。序文『いかに「カーマ・スートラ」を読むか』が、まずは素晴らしい。

         

        K・ローレンツは「文明化した人間の八つの大罪」の中で、現代人は「不快を

        触発するあらゆる刺激状態にたえず敏感になり、快を触発するあらゆる刺激的

        状態に対してますます鈍くなる方向」に進んでいると書いている。誰しもが

        それぞれの喜びを見つけることに困難を感じており、また、ちょっとでも

        不快なことにはすぐに苛立ち、突然相手に切りかかるような手合いがどんどん

        増えている。どうしてそんなことになってしまったのだろうか。

         Kとはコンラート。行動生物学のそびえ立つ巨峰。「ソロモンの指輪」を

        読んだのはいつ頃だったかな。それ読んで日高敏隆氏を知り、蝶はなんで

        白いのかとかヒラヒラ飛ぶのかを知ったんだっけ。それにしてもいきなり

        ローレンツに始まったってのがウレシイぞ。しかも引用された文章がいま

        ひんぱんにニュースで取り沙汰されてる事件とダイレクトにつながってる

        からさ、思わず納得大きく頷くってもんだ。さすがローレンツ!

         

        人間にとって果たして生きる意味とは何なのか、かつて、プラトンは

        『ファイドロス』の中で、人間の生きる目的とは、エロス(恋)を通して、

        ひたすら美しいものに憧れ、地上に生きながら「できるだけ神に似たもの

        になること」以外にない、と述べている。

         最近よく目にするプラトン博士だ。「できるだけ神に似たものになる」

        は、ここんとこアタイもそうなりたいと考えてることと一致するんだから

        ウレシイじゃァあーりませんか。

         

        さらに、古代インドの賢者は、われわれにもっとも必要なものは、ダルマ

        (美徳)、アルタ(富)、カーマ(性愛)の三つである、と明確に述べて

        いる。それらは総称してトリヴァルガと呼ばれているのだが、少年時代には、

        学問の修得などアルタ(実利)を求め、名誉、富、権力への道をひらき、

        青年時代には、カーマ(性愛)を追求し、豊かな愛と官能的素養を深める

        ことに精進し、老年にはダルマ(美徳)、すなわち、宗教的・道徳的な

        義務を追求すべきだというのである。

         まったくもってしょにょ通り、誰も異論をはさむ余地なし! 東西の

        考えを比較することで核心に迫ろうってことだ。また、これから述べること

        の根拠を提示することで、まずは、ぶっとい背骨を作り、そこから枝葉の

        小骨を作り上げようってことだろ。

         

        われわれは、アルタ(学問の修得など実利)についても、ダルマ(宗教的・

        道徳的な義務)についても、幼年時代からしっかり身につけるようにと教え

        こまれてきた。しかしカーマについてはいったいどうなっているのか。友人

        同士のひそひそ話やわずかに知りえた知識だけをたよりに見よう見まねの行為

        と失敗の繰り返しから学ぶしかないのである。人生にとってもっとも悦ばしき

        知識だけがわれわれには欠けているのだ。

         アタイ泣きましたで、マジで。わかってらっしゃるのだ。偉いぞ、インド。

        これ読んで納得しない男性はいないだろ。女性も同様と考えたいけど、そこ

        んとことどうよってアタイは問いたい、全世界の女性陣にさ。

         

        というわけで、いよいよ性交についての項に入ることになる。中略。まず

        第一章でも述べたように、男のなすべき行為としていきなり次の9項目が

        列挙されている。

        1  嵌入      ペニスの先だけを膣に出し入れすること

        2  摩擦または撹拌 膣内に挿入後はペニスの根元を持ち、内部をかき回す

                  ように動かす

        3  貫通      腰を低くしてペニスで膣の上部をこする

        4  摩擦      腰を低くしてペニスで膣の下部をこする

        5  圧迫      ペニスを突き上げ、しばらく静止する

        6  一撃      ペニスを抜かないように引いた後、次に強く突く

        7  猪の一撃    膣壁の上下を突く

        8  牡牛の一撃   膣壁の左右を突く

        9  雀のたわむれ  ペニスを一度二度三度と女性の歓ぶままに小刻みに突く

         くぅ〜! 知らなんだ、あ〜ぁ。遅かりし由良の助か。もはや実践の

        チャンスあるかなきか人生の終焉、夕日に佇むアタイにとってこれらの知識

        は猫に小判か、はたまた暖簾に腕押しか? 暖簾同様ふにゃふにゃだもんな。

        品下がって申し訳なし。もっと早く知っときゃあなぁ、いくらでも試せたの

        にさ。

         

         左の項目は、直訳。右の解説は笠原寛司によるものだけど、現代の性科学

        の視点から見ても、実に的を得た指摘だと感嘆してらっしゃるとのこと。

        膣壁上部にはGスポットが存在し女性の性感は強く刺激され、最高の快感が

        得られる場所だけど、男性はさほどではない。膣の前壁から愛液が分泌

        されるため摩擦は少なくなり、ペニスの刺激という点では不満が残る。

        しかし膣の後壁は前壁ほど愛液を必要とせず、したがって、膣壁のざらざら

        した感触は直接ペニスに伝わり、男性の快感は高まる。ですから、膣前壁を

        刺激して女性の快感を高めた後、男性が快感を得る後壁の刺激を用いる、

        その結果、男女が共に歓びを分かち合えることになる。とまぁ、こういう

        次第だ。(笠原寛司「知って愛する女のからだ」より)

         

         それにしても、どういう方法で調べるのかね、こ〜いうことをさ。科学

        というからには実験してデータを集積してのことだろう。かかる時間や液量

        も当然のこと、個人差もあるだろうし。謎が謎を呼ぶぅ〜、神秘の世界、

        なんちって。

         

        もちっと話は続くのダ〜、乞うご期待第二弾・・・・・な、店主でした。

         


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