シアトリカル

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     週一回、3時間だけ講師をしている専門学校の卒業謝恩パーティのお誘いが

    来たのよ。ずいぶん前から、よほどのことがなけりゃ参加しないのココロな

    アタイ、今回は参加させていただきまするの返事を送る。参加しない理由は

    シンプルだ。つまんないないからに尽きる。

     

     先生!ぜひ来てね!! なんて甘い言葉に釣られて参加したものの、会場に

    行ってもなんのこともなく、誰も相手にしてくれない放っぽりぱなし。学生

    同士の会話で盛り上がり、先生同士は世間話でお茶を濁す、居心地悪いこと

    この上もナシ。なんだい、あの誘いは。単なる呼び込みだったのかい。そう

    思いたくもなるってもんだろ。んでもって一緒に写真撮って下さい!かい。

    その写真が送られてきたことないもんな。撮りっぱなし、添え物ってこと

    だもんな。

     

     そんなアタイが、何故に参加することになったのか。

     

     なんかかなり大上段だな。それほどのもんじゃない。卒制審査が終わって

    用事があって学校に行ったら一人の学生に声掛けられた。顔は知ってるけど

    名前はとうの昔に忘れてる。立ち話しの中「わたしアングラ好きなんです」

    と言うじゃんか。そういえば以前もそんなこと言われたような気がする。

    すっかり忘れとるんだ。それはそれとして、今どきアングラかいな気持ち

    のアタイ。昔はゴロゴロいたけど、今じゃアングラって呼び方さえも耳に

    することなくなったもんなぁ。

     

     そんな最近、アングラを知ってる人は少ないし、話をするチャンスも

    なかったんじゃないの?  きっと二年間鬱々とした日々を送っていたんじゃ

    ないかしら。二十歳ぐらいじゃ往時のこともわからないだろうし、さりとて

    教えを乞う話し相手になる御仁も探しようもない。ならばしばしアタイが

    話し相手になってあげようじゃないか。そう思ったワケ。今から、遡ること

    40年以上、20代前半の先生4人がなんとはなしに劇団作ってみようと、

    団員募集のポスター作ったら40〜50人ほどの学生が集まり、年一回の

    公演を数年続けたアタイなら、その資格はあるだろう。

     

     年一回とはいえ公演するのはけっこう大変でね。授業なんかそっちのけ

    って感じで、もちろん学校の仕事もしないことが続いて、他の先生から文句

    が出ることも再々って有様。なんたって専門学校の本分から外れてるもんな。

    知識や技術を真面目に教えなくてはならない、就職用のポートフォリオも

    作らなければならない、という今では考えられない狂いようだ。

     

     でね、謝恩会でゲームをやりたい、ついては先生方の子供んときの写真が

    欲しいってリクエストがあって、アタイはコレを送ったわけさ。

     フツ〜の写真じゃツマラナイもんなってことで、公演後の記念写真だ。

    こりゃどう見たってアングラだろう。会場は木工工房だ。机を片付けて

    舞台作ったもんだ。ウブな学生つかまえて「もちっと肌見せてもらえない

    もんだろうか」と演技をつけたのも懐かしい。

     

     で、謝恩会だ。件のアングラ好きの学生と話をすることが唯一最大の

    目的ではあるけど、それだけじゃなんかね、物足りないでしょ。そこで

    思い出したのが「シアトリカル」。アングラ劇団の雄、唐十郎率いる

    唐組のドキュメント風のDVD。これをプレゼントしたろやないかと。

     んでもって裏

     当時は状況劇場、唐組となって久しい。唐さんも病に倒れ舞台に立てなく

    なってしまった。私たちの素人劇団「ビクニ(比丘尼)」という名称は、

    新宿ゴールデン街にあったバーの名前をそのまま、演劇の内容も状況劇場

    そのままという借り物だらけな代物だったけど、きわめて面白い数年間

    ではありました。この経験は、間違いなく今のアタイの血肉になっている

    ことも疑う余地はない。

     

     プレゼントするにゃ、も一回観なくちゃならんだろ。と、再観したの。

    あ〜面白い、なんて面白いんだ。当時の面白さがまざまざと浮かび上がる。

    おぼこいアタイ、最初に観たとき、最後のシーンで舞台後ろのテントが

    グゥ〜っと開いて現実の風景が見えたことに仰天したし、上野不忍池の

    野外舞台にも行ったし、花園神社でのテント公演にも何回行ったか。

    麿赤児と大久保鷹の掛け合いに抱腹絶倒したし、満水の水槽に潜って

    いきなり登場した唐十郎にあっけにとられたことも。

     

     今の講師仲間がマジメに仕事してたときにアタイはこんな演劇にぞっこん

    だったワケだ。そんなアタイが、そういう講師と伍してあれこれ言う、

    それも的外れではない発言らしいことを感じる、そのことがとても不思議

    でね。数年間の演劇狂い、もっと長きにわたる音楽狂い、そして映画も。

    そんな好奇心の赴くままに生きて来たアタイが学生にアドバイスし、審査

    のときに発言し、椅子をデザインしている。デザインという専門分野に

    精を出すわけでもなく、なのにこうしている。そのことが「どうして

    そうなるの? そうなったの?」と来し方に耽ったりしてるとこなのダ。

     

    結局、そうしか出来なかったってことか?・・・・・な、店主でした。

     


    悦に入りほくそ笑む

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       近時稀に見る、あくまでも私にとってのほくそ笑み悦に入る二題。

       

       ふと思い立ったAURATONEのスピーカー。昔、持ってたけど、きっと誰かに

      あげたんだろ。コーン紙が一部破れて和紙で補修したもんだからイイんだけどね。

      オーディオの師が「コードの止め金具がマイナスネジのほうがいい音がする」を

      妙に覚えてて、なんとなくオークションを覗いてみたら、あったんだソレが。

      お金はないけどさ、ま一万円以内ならいいかな、なんてポチリしたらギリギリで

      入手できたのよ。

       右のエレキットに添わせようという魂胆だ。口径12センチだから低音は無理、

      聴きどころは中高音。なかなかいいぞ、チョッピリほくそ笑む。

       ついでにと地下から通称樽アンプもお引っ越し。ぐっと低音は出るぞ。

      この2セットは上下同じ場所にあるから聴き比べ可、それぞれの良さが確認

      出来て、いささかな満足感に一人悦に入る。

       樽アンプが引っ越されて空室となり、棚から引っ張り出されたのが稀代の

      名器の誉れも高きヤマハ  CA-2000だ。ここんとこしばらく休眠状態だった

      けど、風が吹けば桶屋が儲かるの例えで久しぶりに聴いてみた。どうでい、

      いいじゃないか! こんなに良かったっけ!

       それもそのはず中身は真空管なんだわさ。mazdaluce3000氏が作り給うた

      ものをオークションで入手してから幾年月。なんていい音なんだ。樽アンプも

      良かったしエレキットもなかなかのもんだったけど、断然コレがいい。経験を

      積んでわかることもある。ってことで機嫌直してイイ声聴かせて頂戴ナ。

      ごめんね、もう二度と冷たくしないからさ。って、こんなこと言ったって

      誰にもわかっちゃもらえないんだろうな。いいんです、私だけがわかって

      堪能できれば。これが今回の、悦に入りほくそ笑む打ち止めだ。

       

       で、もう一題。

       一人用ソファの設計試作に励んでいることは以前書いた通り。布を作って

      くれる矢口さんが5月に伊勢丹で展示会、そのときに置きたいのと望まれて、

      製作担当のT本さんに問い合わせ、実は4月に中国に行かねばならなくなり、

      間に合うかどうか些かな不安。う〜む、無理強いはしたくない、ならばと小生

      若かりし頃に試作した椅子を引っ張り出してきた。所謂ダイニングチェア、

      構造も簡単だし、これなら出来るだろ、矢口宅とT本工房を数度巡ってようやく

      完成形が見えて来た。

       最大の難関は背もたれ。まずはゆるいカーブ。どうにもウマくないのダ。

       急遽、曲がりを強くした。背もたれ心地は良かれども、両端がウマくない。

      なんで両側目一杯まで背もたれがないの? と矢口嬢夫妻の厳しいご叱責。

      そうだよな、中途半端に短い根拠はな〜んもないもんな。あなた方は正しい。

       ってことで、両側まで広げてみた。いいんじゃないか、いいぞに至ったワケ。

      雰囲気を確認したいから布張ってみた。手前は高く奥は低い2タイプで比較、

      その後最終形を決めようということだ。

       

       この椅子、結婚前だから24才ころに、インテリアセンタースクールの夜間

      家具専攻で半年間学んだときの課題で作った代物。以来45年を経て決着を

      みたことはなかなかの感慨も湧くってもんだ。先生方の評価もさほどのことも

      なく、私一人が悪かぁないだろと思い続けてきたんだもんなぁ。そのうちと

      思いつつ45年も経っちまった。いくらなんでも遅過ぎるだろ。

       

       でも、こうして出来上がった姿を見て、アタイうれしいざんす。苦節という

      言葉使ったって誰も文句は言わんだろ。たとえ、その間なんにもしなかったに

      せよ。これは私にとって嬉しいことなのか? と考えてもみる。喜びなんだろう

      か? とも。いやね、ローレンツの本で文明化された人間は、快楽ばかりで

      喜びのココロは持てなくなると書いてあって、その通りだなと思ってたからさ。

      どうしても喜びに対しては懐疑的になっちゃうんだわさ。

       

      これは、きっと喜びなんだろうネ・・・・・・・な、店主でした。

       


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